麻生太郎、東大講演より

平成15年5月31日、東大での講演会で麻生太郎が語ったエピソードにこのようなものがある。

「中国や韓国と外交をするうえで、歴史問題をどうすればいいと思うか?」

という質問を受けた麻生氏は、
「歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。}
たとえば朝鮮人の創氏改名の話。
日本が満州国をやる前に創氏改名の話が出たことは一回もない。
しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと名前のところに
キンとかアンとか書いてあり「朝鮮人だな」と言われた。
仕事がしにくかった。
だから、名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ」
と答えた。

これを韓国で言ったところ灰皿が飛んできたという。
そのときに「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んでこい」と言ったら、
韓国のおじいさんが現れて、「あなたのおっしゃる通りです」と言ってくれた。

その後、講演会の続きで麻生氏が、

{「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、
おたくらにそういう言葉はないのか、と言ってハングル文字が出てきた」}

と言ったらもっとすごい騒ぎになった。
だが、
その時もそのおじいさんが、「よく勉強しておられる。あなたのおっしゃる通りです」

と言って、その場は収まった。

―――――

つまり韓国でも、当時を知る老人は正しい歴史的事実を知っているのである。


■『韓国 堕落の2000年史』
(詳伝社 崔基鎬 平成13年)
ハングルが全国民に教えられるようになったのは、日帝時代になってからのことである。
韓日併合の翌年の1911(明治44)年から、総督府によって朝鮮教育令が施行され、
初・中・高等1894学校で朝鮮人、日本人の生徒の区別なく、ハングルを必修科目と
することに決められた。

■『日韓2000年の真実』
(国際企画 名越二荒之助編著)
総督府が編纂した「朝鮮語辞典」(1930年4月10日出版)395P

これは、総督府に朝鮮固有の文化を尊重しようとする明確な方針があったためで、
そのほかにも朝鮮総督府は、明治四十五年に「朝鮮語辞典」に着手したり、
大正十年には「朝鮮語奨励規定」を設けて日本人官吏に朝鮮語の習得を奨励したり、
大正十三年には新設の京城帝国大学(現ソウル大学)に朝鮮語・朝鮮文字の講座を開設したりと、
朝鮮語の教育、普及に対策を講じている。


{「朝鮮語抹殺」の意図がもし日本にあれば、総督府が率先してこうした
施策を打ち出すはずがないからである。}

{学のない普通の韓国人だけがハングルを日本が広めたことを否定したがっているだけであって、
本来なら疑う余地などないレベルの事柄なのである。

では“なぜ”普通の韓国人はそれ否定するのだろうか。

それはやはり韓国の教科書のせいである。






平成21年2月1日
まかぴー様 寄稿





最終更新:2009年02月01日 22:13
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