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でりちゃん、反論のつもりなら根拠 2)

2005/ 5/23 6:22[No.32112 / 39216 ]

投稿者 :
ja2047



俺は、『「宇和田日記」は存在しない』ないて言っていない。
朝日新聞が「宇和田日記」の内容を捏造して報道したのだ。

その朝日新聞が掲載した「宇和田日記」には、たとえばこんなことが書いてあるのだが、
「十二月十五日
今日逃げ場を失ったチャンコロ約二千名ゾロゾロ白旗を掲げて降参する一隊に会ふ。老若取り混ぜ、服装万別、武器を何も捨ててしまって、大道に蜿々(えんえん)ヒザマヅイた有様はまさに天下の奇観とも言へる様。処置なきままに、それぞれ色々の方法で殺して仕舞ったらしい。」
         『南京事件』秦郁彦P155

これは次のような別の関係者の陣中日記とも内容が一致しているので、信憑性ありと判断してよいのではないかな?

「第6師団 歩兵第36旅団 歩兵第45連隊 第7中隊 小隊長
前田吉彦少尉 陣中日記 十二月十五日
(略)
江東門から水西門(城門)に向かい約二粁石畳の上を踏んで行く途中この舗石の各所に凄惨な碧血の溜りが散見された。

不思議に思いつつ歩いたのだが後日聞いたところに依ると十四日午後第三大隊の捕虜一〇〇名を護送して水西門に辿りついた内地から到着した第二回補充兵(副島准尉等が引率し、大体大正十一年から昭和四年前佐道の後備兵即ち三十七八歳から二十八九歳の兵)が偶々居合せ好都合と許り護送の任を彼等に委ねたのだと云う。やっぱりこの辺がまづかったのだね、何しろ内地から来たばかりでいきなりこの様な戦場の苛烈にさらされたため些かならず逆上気味の補充兵にこの様な任務をあてがった訳だ。

原因はほんの僅かなことだったに違いない、道が狭いので両側を剣付銃砲で同行していた日本兵が押されて水溜りに落ちるか滑るかしたらしい。腹立ちまぎれ怒鳴るか叩くかした事に決まっている、恐れた捕虜がドッと片っ方に寄る。またもやそこに居た警戒兵を跳ねとばす。兵は凶器なりと云う訳だ、ビクビクしている上に何しろ剣付銃砲持っているんで「こん畜生っ」と叩くかこれ又突くかしたのだね。パニック(恐慌)が起って捕虜は逃げ出す。「こりゃいかん」発砲する「捕虜は逃がすな」「逃ぐるのは殺せ」と云う事になったに違いない。僅かの誤解で大惨事を惹起したのだと云う。

第三大隊長小原少佐は激怒したがもはや後のまつり、折角投降した丸腰の捕虜の頭上に加えた暴行は何とも弁解出来ない、ことだった。

かかること即ち皇軍の面目を失墜する失態と云わざるを得ない。

この惨状を隠蔽する為彼等補充兵は終夜使役されて今朝になって漸く埋葬を終ったる由。非常と云うか、かかる極限的状態においてともすれば人間の常識では考えられない様な非道が行われると云う実例である。(略)」
        {『南京戦史資料集1』P357}


宇和田日記の信頼性については、秦郁彦氏も「昭和史の謎を追う(下)」で、こう書いている。
「なお虐殺風景を書きとどめた宇和田日記の信頼性だが、都城連隊には、たしかに虐殺はあった、と主張する元兵士(秋山正行伍長)もいるし、確実と考えてよいと思う」

同書には「宇和田日記」の現物写真も掲載されており、確かに
「今日もまた罪のないニーヤを突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを壕の中に入れて・・・・・」
と書かれてあるように見える。



これは メッセージ 32111 ja2047 さんに対する返信です

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