科学と神の関係


科学そのものには価値も信仰も含まれない。取り扱い対象外である。しかし、科学の実行にはわずかながら価値と信仰を必要とする。

バチカン観測所Consolmagno神父は科学するために"信仰"が必要だと指摘した。

If you're going to be a scientist, there are three things you have to believe. Number one, the universe really exists -- I'm not just a butterfly dreaming I'm a scientist. Two, you have to believe that the universe makes sense. It's not chaotic; there really are underlying laws and we're able to find them. And the third and hardest thing, the most religious of the beliefs, is you have to believe it's worth doing.

科学者になるのなら、信じなければならないことが3つある。
1. 宇宙は実際に存在する。自分が科学者であるという胡蝶の夢を見ているのではない。
2. 宇宙には法則が存在して、それを発見できること。
3. 法則を見つけることに価値があること。

[ By Design: Interview with Brother Guy Consolmagno(2005/09/19) ]

確かに、これらは科学という方法で証明することができない。しかし、そう信じなければ科学を実行できない。

科学は倫理的価値を取り扱い対象外とするとともに、仮説選択に倫理的価値を用いることもない。しかし、Hilary Putnamは、科学における仮説選択が以下のような認識的価値(epistemic values)に依存していると指摘した。

1. 首尾一貫性(Consistency)
2. 尤もらしさ(Plausibility)
3. 理に適っていること(Reasonableness)
4.単純さ(Simlicity)

[ ヒラリー パトナム (訳: 藤田晋吾, 中村 正利): "事実/価値二分法の崩壊", 2006/07,(pp.170-182) ]

科学の実行に必要な"信仰"と"価値"はこれだけ。これ以外に、科学の実行に"信仰"と"価値"も必要ない。そして、もちろん科学の内側には"信仰"と"価値"は存在しない。

さて、このような科学は神と、いかなる関係を持っているのだろうか?少なくともバチカン観測所Consolmagno神父の言う3つの"信仰"は超越神と何ら矛盾をきたすようには思えないが。

科学=機械論と超越神の第1の関係

超越神とは、この世界の外側に存在し、この世界を創造したとされるユダヤ・キリスト・イスラム教の神である。宇宙=神という汎神論や、宇宙の内部の存在する超能力者の極みのような多神教の神々と区別するために"超越"神と呼ばれる。

さて、超自然な"説明"を排除する方法論的自然主義という原則を持つ科学は、もとはMechanism(機械論)である。機械論とは:

機械論哲学の基本的主張は、自然現象は機械的な原理に従っていて、その規則性が自然の法則、望ましくは数学公式の形で表現される、というものである。(p.133)

[J.H. ブルック (訳: 田中靖夫):科学と宗教, p.133]

というものだが、これは超越神を否定するものではない。むしろ、2つの方法で神を賛美し、神の存在を証明するものとみなされた。

  1. 機械論で記述された見事な機械仕掛けの宇宙を創造した超越神はすばらしい。あるいは、見事な機械仕掛けの宇宙は、超越神よって創造されなければ、存在し得ない。
  2. 機械論で記述できない現象こそ、超越神による自然界への介入=奇跡である
自然法則とは、秩序の根本原因でる神の意思が表現されたものであるが、神を拘束するものではない、神は望むならば別のやり方でも行動することができるのだから。機械論哲学は奇跡の起こる可能性を排除したのではなく、真の奇跡を認識する手段をはっきりさせた。自然法則のことばで説明しえない出来事、それこそが奇跡なのである、と。

[J.H. ブルック (訳: 田中靖夫):科学と宗教,(p.142)]

このうち第1の超越神をKumicitは裏側神族と呼ぶ(科学の手が届かない、科学の裏側にいるから)。この超越神は、自然法則と初期値の考案と実装し、観測対象に干渉せずに観測することができて、科学的にその存在を検出されない。

科学的に見つけられないのだから、決して科学で裏側神族を記述できない。すなわち、裏側神族の存在を、科学という方法を以って肯定も否定も出来ない。つまり、いても、いなくても科学的には同じ。そんな裏側神族は「余計な説明を持ち出すな」というオッカムの剃刀により、その存否に関わらず、科学から排除される(存在を否定されるのではなく、取り扱い対象外とされる)。

機械論の原点に立ち返れば、機械論は神の被造物たる機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述するものである。従って、機械仕掛けの宇宙の創造主たる神は記述の対象ではない。

だからこそ、この裏側神族への信仰と科学=機械論の実行はまったく矛盾しない。Prof. Kenneth R. Millerのような敬虔なキリスト教かつ進化生物学者が存在できる。

ActionBioscience.org: Can science prove or disprove the existence of a higher being?
科学は高次の存在を証明もしくは否定できるでしょうか?

Miller: No, it can’t. The existence of a supreme being simply is not a scientific question. A supreme being stands outside of nature. Science is a naturalistic process and can only answer questions about what is inside nature. Beyond that it’s a matter of personal belief.
いいえ、できません。崇高なる存在は、科学の問題ではないのです。崇高なる存在は自然界の外側にいます。科学は自然な過程であり、科学は自然界の中のものについての問題にしか、答えを出せません。

ActionBioscience.org: How is it possible to believe in the evolution of a complex world and God?
複雑な世界の進化と神をどうすれば信じられるのでしょうか?

Miller: That’s an interesting question. God, for those of us who believe in Him, is the Creator and the Master of the universe. As C. S. Lewis once said, “[God] likes matter. He invented it.” [Mere Christianity, Harper, 2001] It seems to me that an all-powerful Creator, who is behind both the material of the universe and the laws that govern the interactions of that material, would be able to accomplish any goal He wanted to in terms of the process, the architecture, or the ultimate fruition of the universe.
れは興味深い質問です。主を信じる者たちにとって、神は宇宙の創造主であり、支配者です。かつてCS Lewisが言ったように「神は物質を好む。神を物質を発明した。」 私はこれを、「宇宙の物質および物質の間の相互作用を支配する法則の背後にいる全能の創造主は、そのプロセスあるいはアーキテクチャあるいは宇宙の究極の実現を通して、神は自らが望むことを実現できる」と、とらえます。

[ Science and Religion -- Interview with Kenneth R. Miller(2004/12) on Action Bioscience]


科学=機械論と超越神の第2の関係

「機械論で記述できない現象こそ、超越神による自然界への介入」という立場が指し示す超越神をKumicitは隙間神族と呼ぶ。まさに科学の隙間に生息するからである。

この隙間神族には科学と神学の両方に問題を起こす。

一つめは、「機械論で記述できない」ことを証明する方法が機械論の内側にないこと。すなわち、「現時点では科学で説明できない現象」が「真に科学では説明できない」のか「その現象を説明する自然法則が未発見」なのかを区別する方法がないこと。

たとえば、インテリジェントデザイン理論家Dr. Michael Beheは、細菌の鞭毛を進化によって実現する確率があり得ないほど小さいから、科学の隙間=デザインだと主張している[Behe MJ: "Darwin's Black Box" pp. 59-73,1996]。

しかし、この確率は、鞭毛を持たない細菌が1回の突然変異によって鞭毛を獲得したとしたら、その実現確率はいくらかという意味での確率である。中間段階が見つかれば、もちろん実現確率は現実的な大きさになってしまう。すなわち、Beheの見積もる確率は、未発見の中間段階(もし存在したなら)がどれくらいあるかという「科学の隙間の幅」を意味する。

もちろん、「科学の隙間の幅」が大きければ、真の隙間かもしれないという推論は可能だが、真の隙間であることは証明できない。実際、進化経路は既に提示されている[ie. Matzke 2003;2006]。すなわち「ありえないほど小さい確率」は「真の隙間」であることを保証できなかった。

我々が全知でない限り、「科学の隙間」が「真の隙間」かどうかを判定しようがない。ところが、「我々が全知である」ことは「科学の隙間がもはや存在しない」以外に確認する方法がない。つまり、原理的に「科学の隙間」が「真の隙間」を判定できない。

このあたりを敬虔なキリスト教徒でもあるProf. Kenneth R. Millerは次のように語る。

Miller: Now, what I don’t find useful to speculate about are the exact physical, chemical, or biological processes that could be attributed to God, or identified as God working His magic in the world. I think both Western religious tradition and scripture itself tell us that God is very subtle and He can use many ways to accomplish His ends.


[ Science and Religion -- Interview with Kenneth R. Miller(2004/12) on Action Bioscience]

そして、二つめは、たとえ「機械論で記述できない=科学で説明できない」ことを証明できたとしても、「機械論で記述できない」以上のことは何も言えないこと。機械論の原点に立ち返れば、機械論は神の被造物たる機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述するものである。従って、自然界への神の介入は機械論の記述対象ではない。

あくまでも機械論=科学よりも一段高い立場に立って、「その隙間こそ神の介入なり」と宣告する他ない。

ところが、この一段高い立場にいるのは何もユダヤ・キリスト・イスラム教の超越神だけではない。シェルドレイクの形態場や、Flying Spaghetti Monsterなどがいる。そのいずれが正当なる隙間の所有者かを決定する方法がない。いずれも「科学で説明できない」を根拠としているため、科学によって勝負をつけられない。


また、この隙間宣告が早まったもので、真の隙間でなければ、いずれその隙間は埋められてしまう。これが三つめの問題となる。これを神学上の問題をバチカン観測所Consolmagno神父は次のように指摘する。

You say, "I have no idea how this could have happened. It must have been God's design." And then fifty years later, somebody explains how it did happen, and you say, "I don't need God anymore." If your faith is based on science, that's a very shaky kind of faith.

「これがどう起きたのか全然わからない。これは神がデザインしたに違いない」とあなたが言ったとしましょう。そして50年後に、誰かがそれがどう起きたか説明したとしましょう。そうすると、あなたは「もはや神は必要ない」と言うでしょう。あなたの信仰が科学に基づくものであれば、非常に不確実な信仰です。

[ By Design: Interview with Brother Guy Consolmagno(2005/09/19) ]


インテリジェントデザインにおけるデザイナーは、まさに隙間神族である。まさにインテリジェントデザイン理論家Dr. Michael Beheは細菌の鞭毛という科学の隙間にインテリジェントデザイナーという名の神を召喚している。この鞭毛が進化論で説明されてしまえば、今や召喚された神は生き埋めになる。

神を生き埋めから守るためには、「鞭毛は進化論では説明できていない」と主張して徹底抗戦する他ない。この戦いは単なるささやかな学説をめぐる戦いなどではない。まさに、神への信仰をかけた戦いである。

「科学と神が相容れない」のは、この隙間神族の召喚によるもの。


だから、隙間神族を召喚するインテリジェントデザインは反科学になる



最終更新:2009年08月22日 14:54