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Edwards v. Aguillard裁判(1987)


進化論を教えるときは創造科学も同一時間教えることを義務付ける州法として、最後に残っていたルイジアナ州法を違憲と判決したのが、この1987年のEdwards v. Aguillard裁判の連邦最高裁判決である。これにより、創造科学は米国の公立学校への侵入の道を断たれた。そして、これがインテリジェントデザイン運動の始まりにつながった。


wikipediaの記述

Edwards v. Aguillard


Edwards v. Aguillard裁判 482 U.S. 578 (1987)は、創造論に関して米国連邦最高裁が1987年に審理した裁判である。最高裁は、特定宗教の推進を意図しているとして、創造科学を進化論とともに公立学校で教えることを義務付けたルジアナ州法は違憲であると判決した。しかし、同時に「学校生徒に人類の起源に関する複数の科学理論を教えることは、理科教育の効果を高めるという明確な世俗的意図のもとにおこなえば有功となりうる」と述べた。原告Aguillardを支持して、72名のノーベル賞受賞科学者[1]と、17州の科学アカデミーと、7つの科学団体が「創造科学は宗教信条によって構成されたものだと記述した法廷助言書を提出した。

背景

現代米国の創造論は、現代主義上層批判と、聖書の字義通りの解釈を推進するキリスト教根本主義運動による拒絶という神学の分裂と、1920年以後のWilliam Jennings Bryanに率いられた反進化論運動によって登場した。進化論教育は公立学校のカリキュラムのありふれた単元になったが、Bryanの運動は「ダーウィニズム」がドイツ軍国主義を引き起こし、伝統的宗教と倫理に対する脅威であるという考えに基づいていた。複数の州が進化論教育を禁止もしくは制限する州法を成立させた。テネシー州Butler州法は1925年のScopes裁判において審理され、その後も効力を持ち続け、多くの学校で進化論は教えられなかった[2]。

米国が進化論を再び導入した新教育基準によって1960年代に科学の遅れを取り戻そうとすると、創造科学運動が起こり、"若い地球の創造論"を支持する科学的証拠だと主張するものを提示した。進化論教育を法的に再び禁止しようという試みがなされたが、連邦最高裁は、政府が特定宗教を推進することを禁じた合衆国憲法修正条項に違反するものとして、進化生物学教育を禁止する州法を違憲だと判決した[2]。

1980年代初めに複数の州が進化論教育とともに創造論を導入しようとし、ルイジアナ州はCaddo Parish選出Bill P. Keith州上院議員が提案した、「公立学校で創造科学と進化科学を均等に扱う州法」という表題の州法を成立させた。この州法は創造論あるいは進化論のいずれかの教育を義務付けるのではなく、進化科学を教えるときに「創造科学」も同様に教えることを義務付けるものだった。創造論者たちは精力的にロビー活動を行い、州は州法が教師に対する学問の自由についてのものだと論じた。州法案はDavid C Treen知事の署名により州法となった。

下級審で州の本当の目的が「創造科学」の宗教教義の推進であると判決されたが、州は最高裁に上訴した。同様の裁判で創造論に不利な判決が出ていたが、それは連邦レベルに上訴されておらず、創造論者たちはEdwards v. Aguillard裁判に勝てる可能性があると考えた。

判決意見

1987年6月19日に、William J. Brennan裁判官が執筆した7対2の多数派意見で、以下の3つの判断基準に基づいて、州法が政教分離を定めた合衆国憲法修正第1条に違反していると判決した。

  1. 政府の行動は、合法的な世俗の目的を持っていなければならない
  2. 政府の行動は、宗教の推進あるいは妨害する影響を主たるものとして持ってはならない
  3. 政府の行動は、政府と宗教の「過度の関係」を持つ結果に終わってはならない

しかし、代替的科学理論の教育は可能だと注記した。

我々は州議会が科学理論に対する科学的批判の教育を義務付けられないと意味するものではない。学校生徒に人類の起源に関する複数の科学理論を教えることは、理科教育の効果を高めるという明確な世俗的意図のもとにおこなえば有功となりうる。

連邦最高裁は、「ルイジアナ州法がその目的を"学問の自由の保護"と述べているが、ルイジアナ州法は教師が持っていない自由を新たに与えるものではなく、いかなる科学理論を教えるべきか判断する自由を制限しており、その目的は疑わしい。州の主張する世俗の目的には納得できないので、州議会は州法の制定において卓越した宗教的意図を持っていた」と判断した。

少数派意見

連邦最高裁判所長官William Rehnquistとともに、Antonin Scalia裁判官は、異議を唱え、州法が述べる目的である「学問の自由の保護」が誠実かつ合法的世俗目的であること認めた。彼らは「学問の自由」を「教化からの生徒の自由」についてのものだとした。この場合は、「生命がどのように始まったかを、公平かつ均等な科学的証拠の提示に基づいて自ら判断する」自由だと。しかし、彼らは判決の判断基準のひとつめを批判して、「たった1名の州議会議員の目的を見ることすら、存在しない何かを探すことになるだろう」と記述した。

結果と余波

この判決は米国の創造論運動に大きな影響を及ぼした。この判決は州の公立学校にのみ影響し、私立学校やホームスクールや日曜学校やキリスト教学校では創造論を教えていた。判決から2年たたずに、"Of Pandas and People"という創造論教科書が作られた。それは想定されるインテリジェントデザイナーのアイデンティティに言及することなく進化生物学を攻撃していた。教科書の草稿では、Edwards v. Aguillard判決後に「インテリジェントデザイン」や「デザイナー」と書き替えられる前は、「創造(creation)」や「創造主(creator)」という言葉が使われていた[3]。この軽視の創造論はインテリジェントデザイン創造論として知られ、1990年代初めに始まった。これは最終的に新たな裁判Kitzmiller v. Dover Area School Districtにつながった。この裁判は2005年9月26日に始まり、2005年12月20日に米国地方裁判所で、インテリジェントデザインの教育を義務付ける州法が合衆国憲法修正第1条に違反すると訴えた原告を支持する判決が出た。139ページのKitzmiller v. Dover判決意見は、創造論とインテリジェントデザインが宗教教育であり、正統な科学研究の領域にないことを、明確に確認していた。Dover学区教育委員会は上訴しないことを選択したため、裁判は巡回法廷や連邦最高裁には到達しない。

この裁判でルイジアナ州の特別司法次官補として参加したWendell Birdはその後、nstitute for Creation ResearchとAssociation of Christian Schools Internationalのスタッフ弁護士になった[4]。Birdはその後、創造論および公立学校での創造論教育を推進する本を書いた。

References

  1. Edwards v. Aguillard: Amicus Curiae Brief of 72 Nobel Laureates
  2. Scott EC, Matzke NJ (May 2007). "Biological design in science classrooms". Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 104 Suppl 1: 8669–76. , doi:10.1073/pnas.0701505104. , PMID 17494747. PMC 1876445.
  3. TalkOrigins
  4. "Creationist lawsuit against UC system to proceed". National Center for Science Education. 2006-08-10. Retrieved 2009-11-12.


Kumicitのコメント


創造論副読本"Of Pandas and People"の草稿はあわてて書き替えが進められたため、途中稿で「creationists (創造論者)」を「design proponents (デザイン支持者)」の全置換に失敗し、一か所だけ「cdesign proponetsists」という表現が残った。

これは、インテリジェントデザインを公立学校で教えることを義務付けることを違憲と判決したKitzmiller v. Dover Area School District裁判で、「創造論からインテリジェントデザインへの中間形態化石」として提示された。







最終更新:2010年02月17日 09:13