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シミュレーション・アーギュメントとオメガポイントについて


シミュレーション・アーギュメントとは

シミュレーション・アーギュメントという論が前世紀末からある。これは、我々が現実世界ではなく、虚構世界に生きている確率を論じるものである。提唱者であるNick Bostromは次のように定義している。

A technologically mature “posthuman” civilization would have enormous computing power. Based on this empirical fact, the simulation argument shows that at least one of the following propositions is true: (1) The fraction of human-level civilizations that reach a posthuman stage is very close to zero; (2) The fraction of posthuman civilizations that are interested in running ancestor-simulations is very close to zero; (3) The fraction of all people with our kind of experiences that are living in a simulation is very close to one.

If (1) is true, then we will almost certainly go extinct before reaching posthumanity. If (2) is true, then there must be a strong convergence among the courses of advanced civilizations so that virtually none contains any relatively wealthy individuals who desire to run ancestor-simulations and are free to do so. If (3) is true, then we almost certainly live in a simulation. In the dark forest of our current ignorance, it seems sensible to apportion one’s credence roughly evenly between (1), (2), and (3).

Unless we are now living in a simulation, our descendants will almost certainly never run an ancestor-simulation.

技術的に成熟した人類の次の段階の文明には、巨大な計算力があるだろう。この経験的事実に基づくと、シミュレーション・アーギュメントは次の命題のうち少なくとも一つは真であることを示す。(1)人類段階の文明が、次の段階の文明に到達する可能性は限りなくゼロに近い。(2) 次の段階の文明は、自らの祖先のシミュレーションを実行することに興味を持つ可能性は限りなくゼロに近い。(3) すべての人々のうち、シミュレーションの中に生きている人々の比率は限りなく1に近い。

もし(1)が真であるなら、我々はほぼ確実に、次の段階に到達する前に滅亡する。もし(2)が真なら、発展した文明は、祖先のシミュレーションを実行したいと思い、かつ実行できるような、相対的に裕福な個人を事実上含まないようなものに収束する。もし(3)が真なら、我々はほぼ確実に、シミュレーションの中で生きている。我々の知識がない状態では、(1)と(2)と(3)の信頼性はおおよそ等しい。

もし、我々がシミュレーションの中で生きているのでないなら、我々の子孫は決して祖先のシミュレーションを実行しない。


日本でシミュレーション・アーギュメントを最も取り上げている三浦俊彦氏は(3)を次のように定めている。

ひとたび、文明がシミュレーション世界を作り出すに到達すれば、あとはシミュレーション世界の中でさらにシミュレーション世界が作り出され、限りない数のシミュレーション内の意識が生み出される。コペルニクス原理に従えば、少数派の生物意識ではなく、多数派のシミュレーション意識である確率がはるかに高い。

[三浦俊彦: シミュレーションが現実を虚構色に染め上げる(比喩ではない!), 「岩波講座 文学8 超越性の文学」月報9, 2003/8. (三浦俊彦: ゼロからの論証, pp.51-55) ]

ここまでは、至極まっとうな論である。

このシミュレーション・アーギュメントにオメガポイント理論と人間原理を持ち込むことで、(1)(2)(3)について可能性をもう少し論じられるようになる。
そこで、まずは人間原理とオメガポイント理論を見てみよう。


人間原理

Anthropic principle(人間原理)とは提唱者Brandon Carterによれば

what we can expect to observe must be restricted by conditions necessary for our presences as observers.

我々が観測できると期待できるものは、観測者として我々の存在にとっての必要条件によって制約される

という、観測制約に他ならない。この人間原理をBrandon Carterは次の2つの分類した:
"strong" anthropic principle (強い人間原理):

the Universe (and hence the fundamental parameters on which it depends) must be such as to admit the creation of observers within it at some stage.
宇宙と宇宙が基礎とする定数は、ある時点で観測者を創り出すことを許容するものでなければならない

"weak" anthropic principle (弱い人間原理):

our location in the universe is necessarily privileged to the extent of being compatible with our existence as observers.
宇宙における我々の位置は、観測者としての我々の存在に適合する範囲で必然的に特権的である。

[ Brandon Carter: Large number coincidences and the anthropic principle in cosmology, -- Confrontation of cosmological theories with observational data, pp.291-298, 1974, reprinted in Modern Cosmology & Philosophy Amazon ]

これを日本における人間原理の支持者たる三浦俊彦氏は
弱い人間原理は、一定の物理法則を満たすこの一つの宇宙の中のさまざまな段階(位置)から人間の存在できる部分を選択的に選び出す原理だが、強い人間原理は、物理法則の異なるさまざまな仮想的宇宙の中から、人間が存在できる宇宙を選択的に選び出す原理である。

[三浦俊彦: 論理学入門, NHKブックス, pp 153, 2000 Amazon ]
と表現した。

三浦俊彦氏によれば、この"強い人間原理"は、この宇宙は人間のような観測者が生まれてくることができるように巧妙に物理法則が微調整されているというデザイン論を意味しない。人間原理の科学バージョンでは、人間が存在するなら、宇宙の諸性質は人間が存在できる必要条件となっている、ということになる。

観測者としての人間を再び宇宙の構造に組み込むことにより、逆に人間の非特権性を思い出させたものと言ってよい。
...
太陽が重力や電子の力の特定のバランスの上に成り立っているの同様、生命や人間もある条件が満たされたときにのみ発生する、という唯物的な世界観の延長に他ならないのだ。人間は自然の中で特別な傍観的位置にいるのではない、という形で私たちの存在を相対化し、コペルニクス的な近代科学的世界観をさらに確認しているのである。(p.152)

[三浦俊彦: 論理学入門, NHKブックス, pp 152, 2000 Amazon ]

これも論としてはまっとうである。ただし、科学の枠内かどうかについては 批判 もある。証明不可能かつ反証不可能である。あるいはトートロジーであるなど。


続いては...

オメガポイント

オメガポイントとは:
Omega point is a term invented by French Jesuit Pierre Teilhard de Chardin to describe the ultimate maximum level of complexity-consciousness, considered by him the aim towards which consciousness evolves. Rather than divinity being found "in the heavens" he held that evolution was a process converging toward a "final unity", identical with the Eschaton and with God

オメガポイントは、フランスのイエズス会士Pierre Teilhard de Chardinが意識の複雑さの最終的な最大レベルを記述するために作った用語である。Chardinはこれを意識の進化が目指すものと考えた。天国に見つかる神性よりも、むしろ、進化を、エシャトンや神と同定される"最終統合"へ向かって収束する過程だ考えた。

Pierre Teilhard de Chardin, 1950. The Future of Man.
Pierre Teilhard de Chardin, 1955. Le Phénomène Humain (The Human Phenomenon)


これをさらに進めてしまって科学を逸脱しているのが 最終人間原理 である:
"Intelligent information-processing must come into existence in the Universe, and, once it comes into existence, it will never die out." (p. 23)

インテリジェントな情報処理がこの宇宙に必ず誕生し、ひとたび存在したなら、決して滅びない

"At the instant the Omega Point is reached, life will have gained control of all matter and forces not only in a single universe, but in all universes whose existence is logically possible; life will have spread into all spatial regions in all universes which could logically exist, and will have stored an infinite amount of information, including all bits of knowledge which it is logically possible to know. And this is the end." (p.677)

オメガポイントに到達した瞬間、生命はひとつの宇宙ばかりか、その存在が論理的に可能なすべての宇宙におちて、物質と力を制御できるようになる。そして、論理的に知りえる知識のすべてを含む、無限の情報を保存できる。そして、これが終わりだ。

[John D. Barrow and Frank J. Tipler, 1986. The Anthropic Cosmological Principle. Oxford Univ. Press.]
これは既に、Brandon Carterの人間原理とは別物。New York Review of Booksの書評で、Martin Gardnerはこれを"Completely ridiculous anthropic principle"(完全バカ人間原理)と呼んだ。


再びシミュレーション・アーギュメント

では、Tiplerバージョンのオメガポイント理論あるいは最終人間原理が成立するのか?

三浦俊彦氏は次のように論じる。この宇宙が一つしか存在しない場合について:
人類以後の知性の進化はランダムな自然淘汰よりも知性自身のコントロールのもとになされるだろうとはいえ、無数の撹乱要因を考えると、知性が宇宙を支配できると信じる根拠はどこにもない。のみならず、刻々膨張する宇宙の中で私たちがいまこの段階にいること(電磁気力:重力=宇宙の大きさ:電子の大きさ=10の40乗、という巨大数の一致が成り立つ瞬間に存在していること)から逆算すると、他の時期には自意識的存在はほとんどいないということが導かれる。.... 観測データ(「私たち」の時間的位置)からして、ティプラーの思い描くような超未来オメガ点でのシミュレーションなるものは実現しそうにない。つまり私たちはシミュレーション内の存在ではなく、基底的現実存在である。
[三浦俊彦: 可能世界とシミュレーション・ゲーム -- オメガ点理論の人間原理的解釈, 大航海 No.42, 2002/4. )三浦俊彦: ゼロからの論証, pp.56-69)]
一方、宇宙が無数に存在した場合について:
知性の永続の可能性が乏しいものであるかぎり、諸宇宙の中で、オメガ点におけるシミュレーションがなされる諸宇宙は極小の部分集合をなすだけだろう。しかし、宇宙を単位とした場合は極小でも、そのゆな宇宙に住む知的存在の数、すなわち自意識の数は極大でありうることに注意しよう。シミュレーションのない通常宇宙に住む自意識すべてを合わせた数よりも、シミュレーションが万物の終わりまで無限に繰り返される異例な宇宙に住む自意識の数のほうがはるかに多いだろうから。(p.61)

この論は、Brandon Carterの人間原理に沿ったものだ。その人間原理を"あり"だとするなら、この三浦俊彦氏の論も"あり"になる。






最終更新:2010年04月13日 22:44