年表1

1973-1974

4歳でスケートを始める
ISUがショートプログラムを導入

1974-1975

ジャンプ成功

1975-1976

中日スケートクラブでスケート競技を始める

1976-1977

小1(7)

競技会に参加
両親が離婚

1976/7/1 ISU 規定3割 SP2割 FP5割

1977/3/5 世界選手権 代々木 初の日本開催の国際試合

1977-1978

小2(8)

1978/3/10 世界選手権 カナダオタワ ヴァーン・テイラー 3A初成功


1978-1979

小3(9)

トリプルジャンプ成功
1979/3/17 世界選手権 ウィーン 渡部絵美 日本人女子で初の銅メダル


1979-1980

ジュニアデビュー 小4(10) 123cm 23kg 7級

2種類の3回転をマスター


1979/10/27 NHK杯 国立代々木競技場 初の日本主催の国際試合


1979/10/27 NHK杯 渡部絵美 優勝


1980.2.1 オリンピック レイクプラシッド 渡部絵美 6位

1980/3/15 世界選手権 ドイツ ドルトムント 渡部絵美 4位

1980/3/15 世界選手権 ドイツ ドルトムント グジェゴシュ・フィリポウスキー 3T+3T初成功


1980/3/30 第48回全日本Jr 東京 品川 1位 天才少女スケーター 3回転4種類


1980/6/23 渡部絵美 引退発表 20歳


1980-1981

世界Jrデビュー 小5(11) 123cm 24kg ショート

山田コーチ宅に同居

1980/11/30 第2回NHK杯 真駒内屋内競技場 デニス・ビールマン 優勝
1980/11/30 第2回NHK杯 五十嵐文男 優勝

1980/11/30 第2回NHK杯 年齢制限のため特別参加

1980.12 第4回世界Jr選手権 カナダ ロンドン 最年少出場者 津波ガール
3種類の3回転 ビールマンの真似


1980/12/19 第49回全日本 品川 3位 衝撃のデビュー 小学5年生での入賞は稲田悦子以来45年ぶり

1981/3/5 世界選手権 五十嵐文男 4位
1981/3/5 世界選手権 デニス・ビールマン 優勝


1981/4/12 第24回全日本フリー 品川 3位

デニス・ビールマン 引退、プロ転向

1981-1982

トリプルルッツ挑戦 小6(12) 133cm 30Kg

インタビュー、

1981/10/7 第25回全日本フリー シニア大会で初優勝 世界Jr出場決定


1981/10/15 第7回東日本 新潟アイスリンク 優勝

1981/11/29 第3回NHK杯 神戸 ポートアイランドスポーツセンター
年齢制限のため特別参加 ぴよぴよ、10回2A


1981.12 第5回世界Jr選手権 西ドイツ オーベルストドルフ
5種類の3回転初成功 3T+3T初成功 津波ガール

1982-1983

前津中学校 骨折 中1(13)


1982/10/30 第26回全日本フリー 名古屋 邦和スポーツランド V2

1982/11/5 右足首骨折

1982/11/18 第8回 東日本 欠場


1982/11/26 第4回NHK杯 国立代々木競技場



1983.2.1 第6回世界Jr選手権 欠場


1983-1984

ジュニア オリンピック挑戦 中2(14) 143cm 39kg

1983/7/1 ISU 規定 3課題 SP 7課題


1983/10/22 第27回全日本フリー 広島アリーナ V3


1983/10/29 第52回全日本Jr 京都 高野アリーナカムバック


1983.11 プラハ国際 チェコスロバキア プラハ 国際大会で初優勝


1983/11/11 エニア・チャレンジ・カップ オランダ ハーグ カタリナ・ビットと初対決 2位



1983/12/8 第7回世界Jr選手権 札幌真駒内屋内競技場
2Lo+3Lo初成功 ビンタ 4種類の3回転成功 第5回NHK国際と兼ねる




1984/1/6 第52回全日本 品川 初の転倒 オリンピック選考会 オリンピック参加成らず世界選手権出場


1984/3/19 世界選手権 オタワ 世界選手権初出場 センセーショナルデビュー


1984.3.20 世界選手権 オタワ ハミルトン V4

1984.3.20 世界選手権 オタワ カタリナ・ビット 初優勝




1984/4/1 練習で3A開始
1984/6/6 練習で3A成功

1984-1985

シニア 3A挑戦 中3(15) 144cm 38Kg

1984/7/1 ISU 規定 3課題 SP 7課題 2:00

1984/10/26 スケートカナダ ビクトリア 5種類の3回転成功

1984/11/3 第28回全日本フリー 大阪府臨海スポーツセンター V4 今季国内第1戦



1984/11/24 第6回NHK杯 東京 国立代々木プール特設リンク SP 3 課題2Tこなせず 5種類の三回転、3A失敗、終了後倒れる 日本人優勝は渡辺絵美以来5年ぶり

失敗したSPのやり直し、終了後倒れる
EXで初の3A成功 最初のガッツポーズ

1984/11/30 第10回東日本 東京 東伏見アイスアリーナ 2位



1985/1/11 第53回全日本
コンビネーション大失敗 3大会連続転倒
初優勝 3Aなし


1985/3/5 世界選手権 3F練習で右足アキレス腱損傷
全治3ヶ月 欠場
1982年に招致した「みどり大会」 カタリナ・ビット V2


1985/6/1 氷上練習開始

1985-1986

怪我から復帰 高1(16) 145cm 43.5Kg セミロング

1985/7/1 ISU 不完全な3回転より完全な2回転が高く評価、優雅さが必要


1985/10/19 練習中に右膝負傷


1985/11/3 第29回全日本フリー 松戸市 不参加

1985/11/4 第7回全日本フリー 神戸 ポートアイランドスポーツセンター

1985/11/22 NHK杯 神戸 ポートアイランドスポーツセンター 怪我からの復帰戦 10ヶ月振りの出場

1985/12/8 第11回東日本 長野 アピタプールアンドスケート FP 1/1

1986/1/12 第54回全日本 品川 V2 5種類3回転成功


1986/3/21 世界選手権 スイス ジュネーブ FP 5/11 2回目の出場
デビ・トーマス 初の黒人女王 18歳スタンフォード大医学生

1986-1987

世界女王との対決 高2(17)

1986/10/26 第30回全日本フリー 名古屋 星ヶ丘 V1

第8回 東京 国立代々木競技場
3Lz+2T失敗
1986/11/28 NHK杯 国立代々木競技場 SP 2 9TO5 ■青紫 レイバックスピン 2Lo コンビスピン 3Lz+2T Seq 2A フライングスピン
1986/11/29 NHK杯 国立代々木競技場 FP 2/2 インディアン・ラプソディー □白 2A+3S
1986/11/30 NHK杯 国立代々木競技場 EX アラミス78

第55回
1987/1/13 全日本 品川 CF 2
1987/1/14 全日本 品川 SP 1/1 V3 落とした 1987/1/15 全日本 品川 FP 1/1 インディアン・ラプソディー □白


1987/3/14 世界選手権 アメリカ シンシナティ


1987-1988

オリンピックへの挑戦 高3(18) 145cm ポニーテール

1987/7/1  ISU 規定3課題 SP 7課題 2:15 FP 8回ジャンプ 4:00

1987/7/1 右足首じん帯痛める
1987/9/10 練習開始

世界情勢 ブラックマンデー

1987/11/14 第31回全日本フリー 京都 高野アリーナ V2 6度目の優勝

1987/11/21 富士フィルム杯 西ドイツ フランクフルト トレナリーを破る

1987/11/28 第9回NHK杯 釧路 春採アイスアリーナ ビットに逆転される

オリンピック選考会 第56回
1988/1/13 全日本 品川 CF 3
2Aが1Aに 1988/1/14 全日本 品川 SP 2/1 桜田泰啓:羊蹄の祭り ■■黒、金 2F 2Lo+3Lo フライングスピン コンビスピン ストレートステップ 1A レイバックスピン

不調 V4 1988/1/15 全日本 品川 FP 1/1 ドリーゴ:海賊 オーベール:グラン・パ・クラシック ミンクス:パキータ ■□青、白 3Lz 3T+2T

第15回 久永勝一郎 フィギュア監督 オリンピック
大橋和夫 ジャッジ オリンピック
八木沼純子 初出場 1988/2/1 オリンピック カナダ、カルガリー /14
50点 1988/2/1 オリンピック カナダ、カルガリー CF 10
4070 90点 フライング・ウーマン 出口間違える カウガールからパンチ 1988/2/25 オリンピック カナダ、カルガリー SP 4/8 桜田泰啓:羊蹄の祭り ■■黒、金 2F 2Lo+3Lo フライングスピン コンビスピン ストレートステップ 2A レイバックスピン 満面の笑みhigh beam smile こんぴーネーション、終了前からスタンディングオベーション コンビネーションジャンプが
24843 100点 5種類の3回転7回 ガッツポーズ 同一プログラムで最高 1988/2/27 オリンピック カナダ、カルガリー FP 3/5 ドリーゴ:海賊 オーベール:グラン・パ・クラシック ミンクス:パキータ ■□青、白 レイバックスピン 3Lz 3F コンビスピン 2A+H+3S 2T 3Lo スピン 3T+3T フライングシットスピン 3S 2A スピン
1707 総合5位でエキシビジョン 1988/2/27 オリンピック カナダ、カルガリー EX 松田聖子:時間旅行 □白

日本選手団帰国「本番でノーミス、思わずガッツポーズがでてしまった」 1988/3/1
みどりの春 喜びの卒業式 「次のオリンピックを目指したい」 1988/3/3
女子フィギュアの米国視聴率26% 1988/3/4
山田満知子 朝日新聞「この人に聞く」共感を呼んだ素朴な心 1988/3/11
CF:0.6 SP:0.4 FP:1.0

1988/3/24 世界選手権 ブタペスト CF 14 8.4 3課題
フェイク入り腰に手を当てた2A 同一プログラムで最高 1988/3/25 世界選手権 ブタペスト SP 3/10 1.2 桜田泰啓:羊蹄の祭り ■■黒、金 2F 2Lo+3Lo フライングスピン コンビスピン ストレートステップ 2A レイバックスピン

1988/3/26 世界選手権 ブタペスト FP 3/6 3.0 ドリーゴ:海賊 オーベール:グラン・パ・クラシック ミンクス:パキータ ■□青、白
風邪で練習不足、2種類が2回転

1988/3/27 世界選手権 ブタペスト EX アラミス78
やんちゃ坊主、側転2回

1988/3/27 世界選手権 ブタペスト EX

ヴィット、トーマス、マンリー 引退 1988.3
現役続行 トリプルアクセル挑戦 1988.5

1988/6/1 日本オリンピック委員会臨時総会で長野市に決定

1988/6/7 ISU 1990年7月から規定廃止を決定

1988-1989

東海学園女子短期大学 世代交代チャンス!  トリプルアクセル復活へ 大1(19)

1988/7/1 ISU 規定 2課題 20% OP 8課題 2:40 30% LP 8回ジャンプ 4:00 50%

1988.8 3A復活


1988/10/19 第2回スケートアメリカ ポートランド CF 8
?
1988/10/20 スケートアメリカ ポートランド SP 2/3 (名古屋高校生)脇田真司:華麗なるタンゴ
357 3A挑戦 1988/10/21 スケートアメリカ ポートランド FP 1/2 フランク・ミルズ:「ピアノ、ロック・バンド、オーケストラのための協奏曲第1番」 ■■青、水色 3Lz ×3A(SO) 1F コンピスピン 3Lo スピン スパイラルシーケンス レイバックSP 3T+3T フライングシットSP 2F 3S+2T 2A スピン

1988/10/22 スケートアメリカ ポートランド EX アメリカ物語 ■ピンク
1585 ホップ 空中遊泳
1988/10/22 スケートエレクトリック ポートランド EX SweetDreamer ■金

1988/11/2 愛知県選手権 愛知 公式戦で3A初成功


1988/11/4 第32回全日本フリー 大阪臨海スポーツセンタ 6種類3回転初成功 V3

1988/11/27 第10回NHK杯 東京 国立代々木競技場 3A成功 V1



1988/12/11 第14回東日本 長野


1989/1/13 第57回全日本 品川  初の規定1位
今シーズン初ノーミス

1989/3/16 世界選手権 パリ ベルシースポーツセンター カート・ブラウニング 4回転成功

1989/3/16 世界選手権 パリ CF 6 2.4 第1課題4位、第2課題9位
1383 難度下げ 6.0でガッツポーズ
1989/3/17 世界選手権 パリ SP 1/3 0.6 (名古屋高校生)脇田真司:華麗なるタンゴ ■■黒、金 2T+3T 2Lz コンピスピン ストレート レイバックスピン スパイラルシーケンス 2A フライングスピン 曲があっていない、ディスコがよい。腰2A
31440 100点 世界チャンピオン 世界大会で初3A、6種類3回転成功
1989/3/18 世界選手権 パリ FP 1/1 1.0 フランク・ミルズ:「ピアノ、ロック・バンド、オーケストラのための協奏曲第1番」 ■■青、水色 3Lz 3A 3F 2T コンビSP 3Lo SP スパイラルシーケンス レイバックSP 3T+3T フライングシットSP 3S 2A スピン ビットに代わって女王

1989/3/19 世界選手権 パリ EX いつかどこかで ■ピンク 音楽が違った、


1989/4/1 チャンピオン 神戸

世界情勢 ベルリンの壁崩壊

1989-1990


世界連覇へ 大2(20) 145cm 44Kg

1989/5/10 左足首捻挫3週間入院
1989/6/20 リンクに復帰

1989/10/4 プリンスホテル入社内定
1989/10/20 フリー練習開始

1989/11/2 第33回全日本フリー 名古屋 邦和 2度目の4連覇 8回目 初クラシック曲 最後の全日本フリースタイル選手権

1989/11/24 第11回NHK杯 神戸 ポートアイランドスポーツセンター
6種類の三回転 V2 壁ピッタン



1989/12/8 第15回東日本 盛岡市アイスアリーナ 1


1990/1/13 第58回全日本 北九州市 V6 両足故障

1990/2/11 NHK 「スポーツ人間学」出演

1990/3/8 世界選手権 ハリファックス 連覇ならず銀 最後のコンパルソリー


1990/3/20 卒業式

1990-1991


プリンスホテル 規定廃止 社1(21)
1990/7/1 ISU 規定廃止

1990/10/9 東京都選手権 SP 1

1990/10/18 スケートアメリカ

1990/10/27 東日本 仙台 勝山スケーティングクラブ 左足首故障で練習不足
1990/11/1 第12回NHK杯 旭川 大雪アリーナ ペトレンコとの競演

1990.12.1 第16回東日本 V2



1991/1/12 第59回全日本 新横浜 SP 1
? 79点 V7
1991/1/13 全日本 新横浜 FP 1/1

1991/1/20 札幌ユニバ辞退
1991/1/26? 顎下腺唾石症で入院
1991/2/12 退院
1991/2/18 練習再開

衝突事故後、場外のカメラ席に飛び出し 1991/3/15 世界選手権 ミュンヘン SP 3 ワルソー・コンチェルト 青 フライングスピン 3Lz+2T 2F コンビスピン レイバックスピン スパイラルシーケンス ストレートラインステップ 2A 衝突事故後、場外
衝突事故後 3枠取れず 1991/3/16 世界選手権 ミュンヘン FP 4/4 ベートーベン:ピアノ協奏曲No5「皇帝」、 ラフマニノフ:パガニーニの変奏曲をテーマのラプソディー シベリウス:交響詩「フィンランディア」 ■黒 ×2Lz ×3A(F) レイバックスピン 1F コンビスピン シーケンス 3Lo si-kensu 2A 3T+3T スピン 2A スピン
欠場、欧州ツアーも出場辞退 1991/3/17 世界選手権 ミュンヘン EX


1991/4/16 第1回アジアカップ

1991/6/15 IOC総会 イギリス バーミンガム IOC 長野五輪開催決定  みどりの招致演説 長野の秘密兵器


1991-1992


金メダルの重圧 社2(22)
ソ連から2コーチ参戦
1991/9/16 第17回
3A+2T成功 1991/10/19 東日本 秋田県立スケート場 SP 1 3A+2T
3連勝 6種類3回転 オール5.9 1991/10/20 東日本 秋田県立スケート場 FP 1/1 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番

3A失敗 1991/11/8 ラリク杯 フランス、アルベールビル SP 2 ジェラシー、Espana Cani ■黒 3A+2T 2F コンビスピン スパイラスシーケンス 2A ストレートラインステップ レイバックスピン フライングシットスピン 闘牛士
「もう無茶苦茶」  右耳イアリング落とし  6種類の三回転 1991/11/9 ラリク杯 フランス、アルベールビル FP 1/1 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番 ■□紫、白 3Lz+3T 3A+2T スピン 2F 3S スピン 3F スピン 1Lo 3Lo シットスピン 2A コンビスピン


山田コーチ離日で不在 世界Jr選手権


    第13回                      
1699 95% ガッツポーズ2,3回
1991/12/13 NHK杯 広島 ビッグウェーブ SP 1 ジェラシー、Espana Cani ■黒 3A+2T 2F レイバックスピン スパイラスシーケンス 2A ストレートラインステップ コンビスピン フライングシットスピン
  V4 1991/12/14 NHK杯 広島 ビッグウェーブ FP 1/1  ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番 ■□紫、白 3Lz+3T 3A+2T スピン 3F 3S スピン 1Lz スピン 2Lo シットスピン 2A コンビスピン    
                          
 世界情勢 ソ連崩壊 1991/12/25                       
    第60回                      
   1992/1/11 全日本 神戸 ポートアイランドスケートセンター SP 1  ジェラシー、Espana Cani ■黒 3A+2T 2Lz コンビスピン スパイラスシーケンス 2A ストレートラインステップ レイバックスピン フライングシットスピン        
  8連覇 1992/1/12 全日本 神戸 ポートアイランドスケートセンター FP 1/1  ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番 ■□紫、白 2Lz+3T 3A コンビスピン 2F 3S スピン 3A スピン 3Lo 3T 2A コンビスピン    
                          
1992/2/5 大橋和夫 没

IOC オリンピック 1992/2/8 オリンピック フランス、アルベールビル
603 3Aを回避するが3Lz失敗 1992/2/19 オリンピック フランス、アルベールビル SP 4 ジェラシー、Espana Cani ■黒 ×3Lz+2T レイバックスピン 2Lo フライングスピン スパイラスシーケンス ストレートラインステップ 2A コンビスピン
1229 クリスティーの金メダル確定後の演技 オリンピックで3A成功 銀メダル guty performance 今季最悪のフリー演技 1992/2/21 オリンピック フランス、アルベールビル FP 2/2 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番、第2番 ■□紫、白 2Lz+3T ×3A 3F+2T レイバックスピン 3Lo コンビスピン 3A 3S フライングスピン 2A コンビスピン
1290 曲が始まらない、かさを持っての2A 1992/2/22 オリンピック フランス、アルベールビル EX Rain Story(雨にぬれて、雨に唄えば、虹の彼方に) 金、黒、虹色 2/21に山田コーチがエキシビション用音楽テープを日本に忘れたことに気づき、 夫君が地元の放送局から東京の放送局へ転送、 衛星回線でアルベールビルのフィギュア会場へ
1290 1992/2/22 オリンピック フランス、アルベールビル EX レ・ミゼラブル ピンク、黒

1992.3.24 世界選手権 サンフランシスコ オークランド 風邪のため練習不足のため欠場 八木沼が代表に


1992/4/10 引退を申し入れ
1992/4/15 引退を届出
1992/4/25 現役引退発表

1992/6/17 プリンスアイスワールド  プロ転向発表 アイスショーに特別出演

1992/6/28 アイスフェスティバル ミドリイトウ フォーエバー 名古屋市 名古屋スポーツセンター 現役最後アイスショー


1992/6/1 ISU プロの五輪出場解禁 1994年のリレハンメル五輪からプロ選手の一度だけの復帰が許される

1992-1993


プロ プロデビュー プロ1(23)

1992/8/21 Prince Ice World 東伏見アイスアリーナ プロデビュー

1992.11 第14回NHK杯 東京 国立代々木競技場 特別出場

1992/12/1 『銀盤のエンジェル-伊藤みどり物語』

1993/1/1 『タイムパッセージ-時間旅行』

1993-1994


再び世界のトップへ プロ2(24)


1993/9/1 『氷上の宝石-伊藤みどり写真集』
1994/2/4 「花王ファミリースペシャル」でドラマ「伊藤みどり物語」放送
右足故障


最終更新:2010年08月13日 07:31
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