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最悪板

http://mbb.whocares.jp/mbb/u/022/
最悪板では、「柿食ゑば鐘が鳴るなり法隆寺」を言語学的に分析するとどうなるか研究している。


柿食ゑば




①柿食ゑば→かきくゑば→「かきく」kakiku子音を表の順序で重ねるという作者の遊びがある。

「は」行はp→f→hと変化したそうです(「ぱぴぷぺぽ」→「ふぁふぃふふぇふぉ」
→「はひふへほ」の順です。)

現在の50音表のhとbとは清音・濁音の関係が成立していませんよね。しかもh行の
なかにfuが一つ孤立して入っている形になっている。bの対は本来ならpなのに随分
混乱した状況です。これは日本語において音が変化した結果だと言われています。
(考えてみると、現在でもbatabataの対になっているのはpatapata、baribariの
対はparipari等、日本語においてもpとbが対であった、またはある、証拠は少なか
らずあります。)平安時代にはpの発音、室町・江戸前期にはfの発音が現在の「は」
行に相当したと言われています。


鐘が鳴るなり




②鐘が→か→ここも「か」で始まることから子音重ねの意味あり。百人一首の「(た)きの音は(絶)えて久しく{な}りぬれど{名}こそ{流}れて{な}ほ聞こえけれ」(( )、{ }部分が音の繰り返しの部分)等と同じ類のものか。また、gとkとは同系統の音であるため、ここも音を重ねる効果を持つ。

遠い昔日本語においてhがpだったのではといわれている証拠の一つには、
計量言語学上、日本語にもっとも近い言語であるとされているアイヌ語においては日本語
のhito(人)をpito、 hone(骨)をponeと発音することがありました。
このpが何故平安頃までpと発音されていてその後変化を遂げるようになったの
かについては、すみませんが忘れました。なんせ相当昔の話なので・・・。
(現在言語学を専攻している人に聞いてみればわかると思います)


③鳴るなり→「な」の音を重ねている。

fと発音されていたことについては、安土桃山の外国人宣教師が出版した本の音韻
表記がそうだったことから、この時期にはfだったということが判明しています。
実際、青森弁等では「fa-fi-fu-fe-fo」が残っているそうです(言葉というもの
は中央より発して辺境に到るので辺境に古い発音が残るというのが通説)←ただし、
私は秋田県人ですが、秋田にはこういう発音は残っていなかったので、この発音
の存在の真偽についてはわかりません。



法隆寺



以上①②③の理由によりこの句は非常に耳あたりの良いものとなっている。

その他、wa-wi-wu-we-wo ya-yi-yu-ye-yoの音の変化等についてもいつ音の同一
化が起こったかについて諸説あります(ゐ、ゑ、をの音がある以上はwi、we、wo
はひらがなが出来た当時音の区別あり、wa行の「う」及びya行の「い」、「え」
は既に消失していたと考えられます。)が、最終的には50音は発音上は江戸時
代には成立していたようです。