「白翼の対価*②*③」
執筆者:CHU
AD101_12/15_16:31
その男は、今まさに死につつあった。
汚い廃棄処分場の片隅で、ただ人生の終焉を待つだけであった。
満足に呼吸も出来ず、喉からは掠れた擦過音が漏れる。指一本動かす事も出来ず、――否、体が言う事を訊かないのだ。動けと命じても、脳がそれを筋肉に伝達する事を拒む。
だが、男は己の運命を受け入れていた。
だから、もう足掻くことも諦めていた。
自分は翼を失い、地に落ちた。それは自分の撒いた種によるものだ。座して死を待つ結末にも、後悔だけはしていなかった。
幾らかの時間、気を失っていたらしい。塵屑のシルエットが朧気になる程度には、辺りが薄暗くなっていた。
ふと、胡乱なままの視界が遮られる。それは、顔が映り込みそうなくらいに磨き上げられた黒い革靴だった。自分を含め、塵屑しか無いこの処分場には明らかにそぐわない高級品だ。
持ち主の顔を拝もうと、顔を持ち上げようとしたが無駄に終わる。仕方無く目の前の革靴をじっと見つめた。
"こ――ア――か?"
"―い、――"
革靴の主達は何かを囁き合っていた。
頭上での会話は聞こえていたが、意味を理解することを脳が拒んだ。自分の事について言っているくらいしか分からない。
声の主達は最後に何か言った後、来た時と同じ唐突さで去って行った。
声が聞こえなくなるのと程なくして、遠くから車のエンジン音も聞こえて来た。どうやら、大型の車両が一台、この廃棄処分場へ乗り入れて来るようだ。
静寂から一転して急に騒がしくなり始めた処分場。面倒になる前に死ねなかった自分の不運を呪いながら、男の意識は暗い闇の淵に沈んでいった。
※
目覚めて、まず最初に目に飛び込んで来たのは真白い天井だった。
眼球だけを動かして辺りを見回す。
白い天井に白い壁。棄てられた廃棄処分場で飽く程見た、薄汚れた灰色の空は無い。
――どこだ、ここは。
窓も無ければ時計も無い。白い部屋という視覚情報以外に、状況を把握する材料が無かった。
どうやら、自分はベッドに寝かされているらしい。清潔そうなシーツが体に掛けられ、背中にはやや固めなマットレスの弾力を感じる。右腕には、点滴のためのチューブが刺さっていた。
――病院、病室か。指は……動くみたいだな。
驚いたことに、体が動くまでに回復していた。
確か自分は指一つ動かせずにいたはずだが、今は力こそ入らないものの、体を動かすことが出来るようになっていた。
ナメクジが這うように、酷く緩慢な動作で、手を顔に持っていく。触れた感触から、頭を全て覆うように包帯が巻かれていることが分かる。
勿論、この場所で目覚める前はこんなものしていない。
状況を整理すると、信じ難いことではあるが、死に掛けだった自分を何者かが治療してくれたらしい。
――いったい、誰がこんなことを?
頭は霞掛かったようにボンヤリしていたが、普通に思考することが出来る。
ゆっくりと、意識を失う前の事を思い出す。
――俺は確か、作戦で失敗して多額の負債を……。
時間が経つにつれ、次第にはっきりと思い出す。
――そうだ、その負債が負債を呼び込んで、全てを失ったんだったな……。
レイヴンだった自分は、とある作戦に参加した。自らの試金石ともなる大規模な作戦だ。
知り合いのレイヴン達と参加したその作戦で、自分は致命的な失敗を犯した。敵に命乞いをされ、見逃してしまったのだ。そして、その敵は、作戦の鍵を握る敵側の要人だった。
作戦は当然失敗。自分はその責を全て負い、多額の負債を背負い込む結果になった。
冷静になって考えてみれば馬鹿げた金額だと思う。
新品のACが何機という程度ではなく、それなりの規模の都市予算に匹敵する程の金額だった。
『世間知らず』だった自分は、碌に内容を改めないまま、負債の契約書にサインをしてしまった。
――その結果が、あの地獄だ。
途方も無い金額を個人で返済する手段など、常識で考えてあろうはずも無い。自分の身柄は債券との引き換えに、ある研究所へ引き渡された。
表向きは強化人間研究を謳ってはいたが何のことはない、その実態は、人間を弄ぶことに悦楽を覚えるような、真性の変態科学者共の掃き溜めだ。
時間の感覚が消失する程の長い間、自分はその地獄で身体を徹底的に弄ばれた。
稚児に与えた玩具の方が遥かにマシな待遇と思える程に、研究所での所業は凄惨を極めた。
死ななかったのが不思議だが、死んだ方が幸せだろう。
意識がまだある内に、腹を裂かれ、内臓を摘出される方が好みというのならば、また話は違って来るが。
そしてそんな地獄が永劫続くかと思われたが、呆気ないくらい唐突に終わりはやって来た。
被検体だった自分には何があったのかなど知ったことではないが、散々玩具扱いしてくれた悪魔共が、右往左往して狼狽している姿は、見ていて痛快と言うほかなかった。
その後、自分は文字通り『ゴミ』として廃棄処分された。
そして何者かが処分場に来て、気付けばこの有り様という訳だ。
――ともかく、体はまだ完全とは言い難いか。今すぐどうこうすることは出来んな。
腕くらいならば動かせたが、体を起こすことはさすがに無理だった。
仕方なく腕を下ろし、静脈に刺さったチューブを滴り落ちる点滴を眺めていると、荒い足音が近付いて来るのが分かった。
誰かがこちらに向かって来ているようだ。
足音から判断するに女――それも、若い女だ。
足音が部屋の前で止まると、ドアが遠慮がちに開けられた。
入って来たのは、どこかの企業の制服であろうスーツに、なぜかエプロンというチグハグな格好をしているが、人目を惹き付ける程の美しさを持つ女だった。
プラチナブロンドの髪と、陶磁器のような抜ける程に白い肌。それらに負けない整った顔立ち。そして何よりも、ルビーの如き赤い瞳が印象的だった。
見たことも無い美貌に見取れていると、女がベッドの横まで歩み寄り、こちらの顔を覗き込んだ。
掛ける言葉も見付からず、暫しの間、互いに見つめ合う。
先に口を開いたのは女の方だった。
「やっと気がついたのね、良かった……」
「……」
「どうしたの? どこか痛む?」
面識の無い人間に心配されて困惑しているだけだったのだが、余りにこの女が心配そうな顔をするものだから、こちらが悪いことをしている気になってしまう。
「いや……、別にどこも、痛まない」
本当は背筋に刺すような痛みがあり、内腑も焼けるように熱かったのだが、女の心底安堵した表情を見ていると、そんなことはどうでも良くなった。それに、痛みには慣れている。この程度なら屁でもない。
「でもほんとに良かったわ。アナタ、ここに運び込まれてもう一ヶ月も意識が戻らなかったのよ? さすがにもう駄目かと思っちゃった」
「一ヶ月……?」
そんなに時間が経っていたとは思わなかった。精々が三日程度だと――。
「でもま、その間はほとんど手術だったから仕方ないのかも」
自分の身体の事も気になったが、それよりも聞いておきたいことがあった。
「ここはどこだ? なぜ俺はここに居る? 誰が俺を治療した?」
目が覚めた時からの疑問を矢継ぎ早に口にする。
「ここ? ここはミラージュのコロニーにある病院で、アナタを拾っ……治療したのはコーテックスよ」
「コーテックス? あのグローバルコーテックス?」
「“その”グローバルコーテックスよ」
「……そう、なのか?」
疑問が解けた途端、また新たな疑問が浮かぶ。
グローバルコーテックスといえば、不干渉中立を謳った――言い換えれば『冷たい』ことで名の通った傭兵仲介企業だ。不良品の自分を、一体いかなる理由で助けたというのだろうか。
まさか女が嘘をついている訳でもあるまい。
第一、自分を騙した所でメリットが無いではないか。
答の出ない問が出口を求め頭を廻る。
だが、自分は詮無いことは気にしない質だ。疑問を脇に追いやり、横に立つ女に話し掛けた。
「お前はここのナースか何かか?」
「……あのね、レディに対して『お前』は無いでしょ、『お前』は!」
「えっ? あ、いや……すまない」
何か自分はドジを踏んだのだろうか。急に女が怒り出したので、慌てて謝る。
横目で様子を窺うと、女は額に手を当て『やっぱりほっとくべきだったかしら……』などと良く分からないことを呟いていた。
どうにも居心地が悪いので、無理矢理話題を探す。
こういった時に朴念仁の自分が憎らしい。
「えーっと、それじゃ何て呼べばいいんだ? 君のこと」
「ワタシ? ワタシはフラーネ。フラーネ・フェモニカよ。アナタは?」
フラーネと名乗った女はパッと顔を輝かせ、身を乗り出して逆に聞き返して来る。
変わり身が早いというのか、目まぐるしく表情が変わる女だ。
女の“アナタは?”というのは、自分の名を聞いているのだろうか。
――いや、まあ、そうなんだろうが。
恐らく、被検体番号でも、レイヴンとしてのコードネームでもなく、「名前」を要求しているのだろう。
名前など終ぞ使ったことも無いから忘れ掛けていた。
気恥ずかしかったが、怒らせた手前、名乗らないわけにもいかない。
「俺は……アルバ。アルバート・ワイズ・イークレムだ」
「そっか、よろしくねアルバ」
差し出された手を、力の入らない手で握り返すと、フラーネは満足そうに微笑んだ。
それからフラーネには色々な事を教えられた。
自分が公には死亡扱いになっていること、内臓がほぼ人工器官に置換されていること、背骨の中をファイバーケーブルが通っていること。
そして、自分があの研究所に一六年も居たということだ。
彼女の話と摺り合わせると、そういう結論になる。
全て聞き終わる頃には、頭がパンクしそうだった。
「体の傷は実はもう大したことないの。ただ、筋肉が衰えているから長いリハビリが待ってるけどね」
「そうか……」
リハビリが必要と聞いてもさして気にならなかったが、これからのことを考えると、どうしても不安が頭をよぎる。
治療費やら、病室の利用料やらで多額の請求が来るのは明白だ。
しかし、自分には返済の当てが無い。
ACがあれば治療費どころか、病院を丸ごと買い取るくらい造作無いのだが、生憎と、愛機は借金のカタに売り払われてしまった。
体一つしかない自分に、この際恥も外聞も無い。
覚悟を決めて口を開く。
「ええっと、フェモニカ……さん?」
「フラーネでいいわ。さんも要らない」
「それじゃフラーネ。俺の体が動くようになったら、どこか働ける所を紹介してくれないか? 君の知り合いの所で雑用でもいい」
小間使いだろうが、稼ぐためならやるしかない。
会ってまだ数十分の人間にこんなことを頼むのも野暮の極みだが、今は藁にでも縋るしかないのだ。
フラーネはこちらの申し出に意表を突かれたのか、不思議そうな顔をしていたが、やがてやんわりと子供に言い聞かせるように言った。
「働きたいっていうのは殊勝だけど、今は体を治すことに専念するべきね。体が動かない内からそんな皮算用してどうするの」
「そうは言ってもな、……俺は無一文だ。ここの支払いだって出来やしない」
「ああ、そんな事気にしてたわけね」
フラーネはおかしそうに笑っている。
「治療費も病室の利用料も、全部ワタシが払って上げたわ。だからアナタは安心して養生すればいいの」
「へ?」
今、何か良く分からないことを聞いた気がする。払ったとか、何とか――。
いくら何でも自分に都合良く聞こえすぎだろう。
「あー、すまないフラーネ。まだ耳の調子が悪いみたいだ。何か君が代わりに治療費を払ったとか聞こえたんだが」
「そう言ったんだけど」
「何でだよッ、おかしいだろ!?」
「なによー。何がおかしいっていうの?」
「何で見ず知らずの君が、俺の治療費を払ったりするんだ!」
「だって、アルバはもうワタシの所有物なんだもん」
「…………」
耳が悪いと思ったら、どうやら自分は脳もやられていたらしい。
言うに事書いて『所有物』と来たもんだ。
「今、所有物と言ったのか?」
「そーよ」
「もしかしてこの病院が君の所有物?」
「違うわよ」
「じゃあ、この病室が――」
「もう、違うったら! アナタが! ワタシの! 所有物なの!」
やはり聞き間違いでは無かったらしい。
「じゃあ何か。俺の債権者は君だっていうのか」
「債権者? ワタシは単にアナタの身柄をコーテックスから買っただけよ。――ちなみにこれが証明書ね」
フラーネはそう言って、スーツの内ポケットから折り畳まれたプラスチックペーパーを取り出し、こちらに見やすいように差し出した。
確かに、鼻先に突き付けられた書類は、自分の身柄をフラーネが購入したことを示す契約書だった。
まるで物扱いだが、事実そうなのだから反論出来ない。
それに、こうして動かぬ証拠を見せられたならば、もはや認めざるを得なかった。
「……分かった。確かに俺は法的に君の物だ。しかし俺をどうするつもりなんだ?まさか君のバトラーでもさせようってのか」
「そんなわけないでしょ。ワタシはアルバにもう一度レイヴンになってもらうつもり」
「何だって?」
「アルバはレイヴンなんでしょう? なら、戦場で死になさい。不様に地面を這うなんて許さないわ」
「――!?」
紅い瞳に射抜かれ、有無を言わさぬ強い口調で『命令』される。
「返事をしなさい、アルバート・ワイズ・イークレム」
「……り、了解」
気が付けば、反射的にそう言っている自分が居た。
「ふふっ、よろしい!」
自分の返答を聞くと、フラーネは、またにっこりと笑うのだ。
彼女のその笑顔は悔しいくらいに魅力的で、その笑顔にどうしようもなく惹かれて行くのを、アルバートは禁じることが出来なかった。
※
それからはフラーネの言う通り、リハビリの毎日だった。
意識が回復して最初の一週間は満足にスプーンすら持てず、(死ぬ程恥ずかしかったが)フラーネに病院食を食べさせて貰う体たらくだった。
しかし、リハビリが一ヶ月も過ぎる頃には、(杖は必要だったが)自力で歩けるようになるまで回復していた。
担当の医師も「尋常ではない」と驚く程の回復速度だ。
どうやら、自分の血液中には目に見えぬ微細な機械が無数に存在しており、その機械が代謝を促進し、回復力を高めているとのことだった。
自分の身体の変わり様には驚かされるばかりだったが、鏡を見た時にはさすがに度肝を抜かれた。
それは自分の顔だ。
鏡を見て目に映ったのは、間違いなく自分の顔だった。ただし、それは二〇台後半時の自分のものである。
フラーネの話を信じるならば、今自分は四四歳のオジサンでなければならない。
いくら童顔気味だったとはいえ、これは老化が遅いのではなく明らかに“停止”していた。
医師に相談して調べて貰った所、どうやら細胞レベルで異常が起きているらしい。
だが医師に「もはや人間として逸脱している」と宣告された時も、自分の心は諦念に似た何かで満たされ、凪いでいた。
研究所に身を委ねた時点で、既に全てを諦めていたのだからそれも当然である。
リハビリを受けている間、フラーネといえば嫌な顔ひとつせず、献身的に介護してくれた。
筋力トレーニングの介助や歩行補助、食事や身の回りの世話に至るまで全て彼女自身が行った。
本来ならばそれは病院のスタッフの仕事である。フラーネがやる必要性はまるで無い。
だが、フラーネは泣き言一つ言わず介護を続けた。
時には仕事終わりのスーツ姿で――。
時には貴重な休日を全て返上して――。
何故そこまで自分に良くしてくれるのか不思議に思い、彼女に問い掛けると、決まって「もうアルバはワタシのパートナーだから」と返って来るのだ。
そして、三ヶ月も経つ頃には、身体は以前と変わらないまでに回復したのだった。
※
アルバートは何時ものように体を伸ばし、柔軟をしていた。
ここは病院に備え付けられているトレーニングルームだ。
一人で動けるようになってからは、ここで体を動かすことが日課になっていた。
そろそろ本格的に運動を始めようとした時、フラーネが軽やかな足取りで現れた。
何時もより上機嫌に見える。何かあったのだろうか。
「どうしたフラーネ。何か良い事でもあったか?」
「もちろん吉報よ!やっとアルバの退院許可が下りたの」
「へぇ、今頃か」
リハビリが二ヶ月も経過すると、フラーネは担当の医師に退院するという旨を伝えていたのだが、やっと医師が首を縦に振ったらしい。
「アルバはもう大丈夫だってのに、『まだ様子を見るべきだ』とか難癖つけるのよあの藪医者」
「それは普通の反応だと思うぞ」
フラーネの無茶な言い分に苦笑する。
あれだけ身体を弄られた人間を、二ヶ月で退院させるべきでは無いと医師は判断したのだろう。
有り難いくらいに一般的な処置である。
しかし、フラーネはご立腹な様子だ。
来た時の機嫌は彼方へ消え去り、ぷりぷりと怒りを露わにしている。
フラーネとの付き合い方も大体心得て来た。こういう時は、さっさと話題を変えてしまうに限るのだ。
「そうか退院か……。それじゃ住む所を探さないといけないな」
「え? なになに?」
こちらの思惑通り、フラーネは今までの怒りを忘れて食い付いて来る。
「いや、退院するとなれば住む所が必要だろ? 住み込みで働ける所があれば都合がいいんだがな」
「何でそうなるのよっ。レイヴンになるって約束したじゃない!」
「だからレイヴン試験に受かるまで住処が必要じゃないか。今期の募集はもう締め切られたし、次の試験まで半年近くある」
フラーネと話し合った結果、コーテックスのレイヴン試験を受けてみようということになった。
フラーネがコーテックスのオペレーターだから、というのが理由だ。
だが、肝心のコーテックスの新人レイヴン募集は、リハビリを受けている間に終わっていたのだ。
「どの道、退院するとなったら避けられんことだ。いつまでも病院のベッドを使うわけにもいくまい。どこか家賃の安い所でも探すさ」
なるべくフラーネの負担を減らそうという、アルバートなりの配慮だった。
「……住む所ならもう決まっているわ」
「ん? そうなのか」
しかし、その配慮も無駄に終わる。
どうやら、先んじて手配してしまったらしい。
フラーネは、名案だとでも言うかの様に、ガッツポーズをしながら自信満々に語った。
「ワタシの家に住めばいいのよ!」
「………………」
その瞬間、空気が凍りついたのは気のせいではないだろう。
――私の家に住めばいいのよ……。誰が? 俺か?)
疑問を素直に口に出してみる。
単なる聞き間違いの可能性にアルバートは賭けた。
「俺が、君の家にか?」
「当たり前じゃない。他に誰が居るってのよ」
アルバートは、その場にしゃがみ込んで頭を抱えたい衝動を必死に堪え、自分に言い聞かせるかの如く、ゆっくりと口を開く。
「な・ぜ・だ」
「だってパートナーだし」
「おかしいだろォ――――!!」
アルバートの咆哮がトレーニングルームに響き渡る。
「な、なによー」
こちらの剣幕に気圧されたのか、フラーネはジリジリと後退った。
「パートナーだからって、何で同じ家に住む必要がある?大体、君は警戒心が足りなさ過ぎだ!俺に下心があったらどうするんだよ!」
今まで思っていたことをぶちまける。
そうなのだ。フラーネは余りにも無防備過ぎた。逆にこちらが心配になってしまう。
「な、なに? アルバは下心あるの?」
「えっ、いや、別に無いけど……」
アルバートが口ごもると、我が意を得たとばかりにフラーネが反撃してきた。
「……なら別にいいじゃない! ワタシがいいって言ってるんだから!」
「そ、それはそうだが……」
「それとも何? アルバはワタシと一緒に住むの嫌なの?」
「え……、それはぁ、別に嫌ではないけどぉ……」
こういう時に女はズルいと思う。
そんなことを言われたら、反対など出来るわけがないではないか。
しかし、こうなってしまったら完全にフラーネのペースだ。言葉に詰まっている内に大勢は決してしまう。
もはやフラーネに従うしか道はなかった。
引っ越し作業は退院許可が下りたその日に行われることになった。
そもそもアルバートに私物など無く、体一つなのだから作業と言う程の事はしていない。
自宅に案内すると言うフラーネに、自分のリードを預けるだけだ。
二人は居住区に向かうリニアに乗っていた。
コロニー型の都市は、概ね公共交通機関としてリニアレールシステムを採用している。
この、ミラージュが管理するコロニー都市〈HOPE〉もその例には漏れない。
都市全域を網羅するリニアは、人と物資の運搬をスムーズに行い、都市の機能維持に多大な貢献をしている。
車両の天井に取り付けられたスピーカーから、後五分もすれば居住区に着くと、機械音声でアナウンスが流れる。
リニアの加速を肌で感じながら、アルバートは物憂げに窓からの景色を眺めていた。
この引っ越しについてはいくらなんでも性急すぎる、と思ったが口には出さず、顔にだけ出しておく。
しかし、リニアの隣の座席に座るフラーネに、その事を読み取らせるのは至難だろう。
フラーネは少女のように目を輝かせ、居住区への到着を今か今かと待ち望んでいた。
これでは自分の作り顔など目に入るはずがない。
それに加え、フラーネ自身の事について自分は何も分かっていないのも悩みの一つだ。
なぜ自分をコーテックスから買ったのか? なぜ自分を再びレイヴンにさせようというのか? なぜ自分なのか? 何一つ謎のままだ。
フラーネにその事を聞いても、何時も同じ様にはぐらかされる。
知りたい欲求は確かにあるが、無理に聞き出そうとは思わなかった。
言いたくない理由があるのだろうし、いずれ話してくれるだろうと思ったからだ。
それに――と思う。
彼女は自分にとって恩人である。その彼女の心証を悪くするのは本意ではない。
ふと、違和感に気付いた。
それはフラーネの瞳だった。
――瞳が、……蒼い?
そういえば今まで気付かなかったが、フラーネの瞳が蒼い。
最初に会った時は確かルビーのような紅い色だったはず。だが今は、青空の様な透き通った蒼い色をしている。
――見間違えか? ……それにしては随分とはっきり覚えているんだが……な。
記憶を掘り起こしても、フラーネの瞳が紅かったのは最初の時だけだった。
リハビリに付き添ってくれていた時も、確かに瞳は蒼かった。
単なる見間違えにしてはやけに鮮明だったが、そんなことを詮索しても仕方がない。
悶々としたまま景色を眺める作業に戻った。
リニアは対照的な二人を乗せ居住区へ走る。
そして、アナウンス通りに、きっちり五分後に到着したのだった。
「ここがワタシたちの家よ。入って入って」
フラーネに案内されたのは、居住区の一角にあるコーテックスの社員寮としてあてがわれたマンションだった。
外観は量産を前提にしたシンプルなデザインで、飾り気が無いと言えば聞こえは悪いが、自分はこのくらいシンプルな方が好みだ。
内装も驚く程シンプルで――――というよりは単純に物が無かった。
玄関から入ってすぐのリビング兼ダイニングの割と広い部屋には、テーブルとチェアがポツンと置かれている。それだけだった。
観葉植物もソファーも、一般的な家電すら無かった。
フラーネ位の年代の部屋にしては、どうにも閑散とし過ぎている。
自分の思っている事に気付いたのか、フラーネが気恥ずかしそうに取り繕い始める。
「ああ、この家、物が無いでしょ――なにも。……ワタシは寝るためと仕事にしか使わないから、インテリアとか置いてないの。ホントよ?」
質素と呼ぶには余りにも閑散とし過ぎていたが、自分の借りていた部屋もこんなものだった。
仕事に使うコンピューターデスクに、ACのパーツカタログなどのAC関連本が収められたアルミラック、世界情勢を知るためのミリタリージャーナル と、安いビールの詰まった冷蔵庫。それ以外に物は無い。
それならばこの部屋の方が余程上等だ。
「いや、いいんじゃないか、それで。俺はいいと思う。……良く分からないけど」
……自分は何を言っているのだ。まるでフォローになっていないではないか。
ただ、言いたい事は伝わったようである。
フラーネは小さく笑うと、『ありがと』と呟いた。
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最終更新:2011年09月17日 23:27