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「Interlude.2」


 執筆者:クワトロ大尉(偽)

 レイヴンズアーク本社地下に設営されているACガレージ。
 その内の一つに1機のACが大型エレベーターで搬入されてきた。
 黒に近いダークグレイのACは大部分をクレスト系のパーツで構成された標準的な中量二脚で、大した損傷もなくミッションを遂行し、無事に帰還した。
 レイヴンズアーク所属のレイヴン、バッシュことカーク・オーチャードはガレージの中央部、所定の停止位置である昇降リフト上に彼の愛機『サーベラス』を停める。
 システムを通常モードからアイドリング状態へと移行したところで、専属オペレーターのジェシカ・テイラーから通信が入った。
「レイヴン、ミッションお疲れさまでした。収支結果の詳細は後ほどお伝えしますが、おおよそ7割強の報酬が見込めると思います」
 上々の報酬であるにもかかわらず、カークは大した興味もないように、短く「ああ」と呟いた。
「ジェシカ、用件はそれだけか。なら、切るぞ」
「いえ、お伝えすることがもう一つ。実は、こちらの方がレイヴンにとって重要と思われます」
 ジェシカの一言に一抹の不安を覚えつつ、視線で先を促す。
「セシリア様がお呼びです。デブリーフィング終了後、執務室までお越しください」
 不安が的中したカークは眉根にしわを寄せた。
「またか。一体何の用だ」
「用件の内容に関しては存じておりません。ただ、来るように、と。諦めた方がよろしいかと思いますが、カーク様」
 ジェシカは専属オペレーター以外のもう一つの役目である使用人としての顔でカークに告げる。
 カークは深く嘆息すると、一言、「了解」とだけ答えて通信を切る。
 システムをシャットダウンし、コクピットハッチを開放すると独特の閉塞感からやっと抜け出すことができる。
 タラップへ乗り移り、整備課のスタッフに機体を預ける。
 デブリーフィングを手早く済ませると、ロッカールームに設置されている簡易シャワーで軽く汗を流した後、着替えを済ませて普通のレイヴンならば用がない本社オフィスブロックへ続く通路を目指す。
 通常ならばスタッフ用の簡素な出入り口からそのまま帰宅して詳細な収支結果のチェックと簡単な戦果レポートを送信して終わりなのだが、俺の場合、アークの通常のレイヴンと少し事情が違うためそうもいかない。
 その事情と言うのも俺にとっては余計事でしかないので悩みどころのタネなのだが、今さらどうしようもない。  

 地下にあるACガレージから本社のエントランスホールに続くエレベーターに乗り込む。
 程なくしてエレベーターのドアが開くと、そこは同じ施設だというのに明らかにACガレージとは趣が違っていた。
 大げさすぎる装飾はないものの、外装は全面ガラス張りでモノトーンのタイルと無機質な鉄柱で構成されたエントランスホールのデザインは前衛的であり、ともすれば先進的な美術館を連想させる。
 外にあるレイヴンズアークのエンブレムがなければ誰も傭兵仲介企業だなどと思わないだろう。
 もっともここは5年前のアーセナル・ハザード後に移転した新社屋で、以前はもっとシンプルだったそうだが。
 自分の雰囲気とは些か場違いなエントランスを突っ切って本社オフィスへと続くエレベーターを目指す。
 何故、ACガレージとオフィスへの直結通路かエレベーターを設置してくれないのか甚だ疑問だが、ガレージからオフィスへと向かう人間など俺以外ほとんどいないので仕方がないのかもしれない。
 エレベーターホールへ向かう途中、数人の本社社員とすれ違った。
 皆スーツや制服をきちんと着ており、俺の場違いぶりを更に強調してくれる。
 最初の頃は奇異の視線を向けられたが、最近は慣れたのか、それとも俺の存在を知ったのか、愛想のいい社員は軽い挨拶までしてくれるようになった。
 そういう俺も自分を呼び出した張本人からラフすぎる服装を指摘され、最近は不本意ながらジャケットを羽織るようにしている。
 もっともその下はTシャツなのであまり意味があるとは思えないが。
 エレベーターホールに着くと、その最奥部にある幹部・重役用のエレベーターの前に立ち操作パネルの横にあるカードスロットにIDカードを滑らせる。
 一般用のエレベーターとは造りが違う重厚なドアがゆっくりと開き、厳かな雰囲気と共に俺を招き入れた。
 そんな雰囲気を鼻であしらって無遠慮に足を踏み入れ、目的の階層へのボタンを押す。
 エレベーター自体は幹部や重役たちの執務室や会議室がある上層階へ直通になっているので、目的地までほぼノンストップで行ける。
 エレベーターが到着するまでの間、壁に背を預けて物思いに耽る。
――元来、レイヴンの自由と平等を掲げるはずのレイヴンズアークの象徴たる本社ビルの設備に何故このような差別化が必要なのだろうか。自由はともかく、平等という点では前に所属していたグローバル・コーテックスのほうがよほどそれらしかった。
 そこまで考えて、現在の主要幹部たちの顔を思い浮かべ、自嘲気味に口元を釣り上げる。
――まあ、インテリやお嬢様、実業家かぶれのような連中が運営する現在のアークが設立当初の崇高な理想を受け継げる筈もないか。
 そういう自分も、その内の一人にこうして呼びつけられているのだから大きいことは言えないのだが。
 そんな益体もないことを考えているうちにエレベーターは目的の主要幹部たちが執務室を構えるフロアへと到着する。

 本社ビルは円柱状なので、通路は緩やかな弧を描いている。
 モダンなデザインの廊下を歩くと足音がやけに大きく響く。
 カークは本社ビルの雰囲気が苦手だった。
 とりわけこの執務室があるフロアは何度来ても慣れない。
 程なくして目的地である執務室の前までたどり着く。
 重厚な造りのドアには金色のプレートが掲げられており、そこには『セシリア・フィリックス』と刻印されていた。
 ふぅ、と無意識のうちにため息が出る。
――さて、今日はどんな無理難題を突きつけられるのか・・・。対AC戦のミッションの方がよほど気楽だ。
 ノックをすると、くぐもった声で、はいという返事が聞こえてきた。
 カークは重い心持ちのままドアノブに手をかける。
 ノブを回し、少し力を込めてドアを開けると、カークの気持ちを代弁するかのような重苦しい音が響いた。
 部屋へ入ると、そこには一人の女性が文字通り俺を待ち構えていた。
 上品な佇まいと柔和な雰囲気が彼女の性格をそのまま表している。
「お待ちしておりました、カーク様」
 そう言ってうやうやしくお辞儀をしてくる。
 この大げさな出迎え方は今に始まったことではないのだが、一向に慣れない。
 彼女の名はモニカ・テイラー。
 俺を呼びつけた張本人、アークの主要幹部の一人であるセシリア・フィリックスのオペレーター兼秘書であり、俺の専属オペレーターであるジェシカの双子の姉でもある。
 確かに秘書でもある彼女の俺への対応は正しいものなのだろうが、どうにもむずがゆくなってしまう。
 何と言うか、必要以上なのだ。ドライな付き合いが特徴だったコーテックスの雰囲気に馴染んでしまった俺には、どうにも合わない。
「セシリアは?もう部屋で待っているのか」
 俺の質問に申し訳なさそうな顔をするモニカ。
 それの彼女の反応を見て、ある程度予想はついてしまった。
「いえ、それが・・・。セシリア様は臨時の会議に出席していらっしゃいまして、現在ご不在です。カーク様がいらっしゃったら、執務室でお待ちいただくように言付かっております」
 やはりそういうオチか。
「人をいきなり呼びつけておいて待たせるとはな。まあ、今に始まったことじゃないが。大方、その臨時会議とやらもアイツがいきなり言いだしたんだろう?」
 俺の予想に苦笑いをするモニカ。
「ご明察のとおりでございます。運営予算に異議があるほか、不透明な資金の動きの疑いがあるとのことでして」
「フム」
 運営予算は俺の預かり知るところではないが、不透明な資金の動きというのは少し気になった。
 現在の上層部は皆、何を考えているのか分からない連中ばかりだ。
 アーク全体にとって好ましくない事を企んでいる可能性も大いに有りうる。
 セシリアは生まれ持った才能なのか、育ちがそうさせるのかは分からないが、金の流れに敏感で勘も鋭い。
 実際、その才能を買われて若くしてアークの経済面の運営を任されている。
 アークの女帝と恐れられる彼女を出し抜こうとする奴など余程の自信家か馬鹿かのどちらかだ。
 そう思わせるほど、セシリアの手腕は素晴らしいものがある。
――まあ、性格はアレだがな。
「カーク様」
「ん?」
 モニカに呼びかけられ、現実に引き戻される。
「こちらにこのまま、というわけにもいきませんので、執務室にてお待ちください」
 モニカは言いながら、俺を執務室へと促す。
 執務室に通され、来客用のソファに腰を下ろす。
 上質な革張りのソファは、ゆったりとした座り心地で、ミッション帰りの疲れた体を預けるのには申し分なかった。
「コーヒーをお持ちしますので、少々お待ち下さい」
 丁寧にお辞儀すると、洗練された足取りでモニカは退室していった。
 しんと静まり返った部屋を、することもないので見回す。
 毛並みのいい絨毯が部屋全体に敷き詰められ、見ただけで最高級品だと誰もが理解できる調度品が絶妙なレイアウトで置かれている。
 執務室というよりは、格式高い屋敷の応接室と書斎を組み合わせたような感じを受ける。
 自分の感覚がこの部屋を表現するのに適当なのかどうかは分からないが、少なくとも企業の一般に執務室と呼ばれるイメージからかけ離れているという事だけは確かだ。
 以前、本か雑誌で『部屋というのはその人物の人となりを表す』といった内容の記事を読んだ覚えがある。
 この部屋を見る限り、全くその通りだと納得することができた。
 人の予想を大きく超えるという点では非常に的を射ていると思う。

 そんな事を考えていると、扉がノックされ、失礼します、という言葉と共にモニカがトレイにコーヒーを載せて入室してきた。
 目の前のテーブルに置かれたコーヒーカップとソーサーは透き通るような白さで上品な意匠が施されている。
 そして、そこに注がれているコーヒーも上質な香りを湯気と共に立ち昇らせていた。
 そんな上品さに見合う飲み方を俺は知らないので、カップに無造作に手を伸ばし、普段どおり口に運んだ。
 どちらかと言えば貧民層出身である俺の舌が肥えているとは思わないが、それでも素直に美味いと思える上質な苦みと香りが口の中に広がる。
「うん、美味い」
 感じた通りの思いを口にすると、モニカは嬉しそうな笑顔を俺に向けた。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、淹れた甲斐がありますわ」
 彼女の主人は味にも色々とうるさいので、苦労が推し量れる。
「そろそろ戻られる時間だと思いますので、もう少々お待ちください」
 モニカはもう一度丁寧なお辞儀をすると、執務室から出て行った。
 世俗から切り取られたような静かな部屋で、黙ってコーヒーを飲む。
 本社ビルや執務室のフロアは何度来ても慣れないが、何故かこの部屋だけは落ち着くことができた。
 慣れというのもあるのだろうが、この部屋の雰囲気も決して嫌いではなかった。

 落ち着いた雰囲気の中で上質なコーヒーの余韻に浸っていると、ふと自分の思考の中で繋がる部分があることに気づく。
 この部屋の雰囲気が嫌いではない、ということはある程度の好感を持っているということだ。
 そうなると、部屋がその主人の人となりを表わすという説に同意している以上、間接的に俺はこの部屋の主人であるセシリアにある種の好感を持っているということになる。
――いや、それはどうなんだ。
 むむ、と自分の思いつきに自問自答してしまう。
 レイヴンとしての仕事以外で色々使われたり我儘に振り回されたりして、面倒だとは思うが、正直なところ嫌でもない。
 実際これといった趣味もなく、アークへ来る前まではプライベートでの時間を持て余していたのだが、セシリアの手引きでアークに移籍してからは、実に私用以外で多忙な日々を過ごすハメになってしまった。
 しかし、あまり認めたくはないが、毎日が充実しているのは確かだろう。
――いつの間にか馴染んでいた、ということか・・・。まあ、朱に交われば赤くなると言うしな。

 自らの疑問に決着がついたところで、少しぬるくなったコーヒーを飲み干そうと、カップを口に運び、半分ほど流し込んだところで唐突に背後のドアが勢いよく開け放たれ、危うくコーヒーを噴きだすところだった。
 残りわずかとなったコーヒーを口に含んで一気に飲み込むと、カップを置いて突然の来訪者へと視線を巡らす。
 いや、正確には部屋の主人が帰って来たのだから、来訪者という表現は適当でないのだが。
 アークの女帝ことセシリア・フィリックスは、いかにも『私は不機嫌ですよ』というオーラを全身に纏い、煌びやかなブロンドの髪を揺らしながらツカツカと自分のデスクへと歩み寄り、会議資料を机上へ放り投げた。
 ふぅ、とあからさまに俺に聞こえるような大きなため息を吐いたかと思った矢先。
「あー、もう!!何なの、あのインテリかぶれは!?まったく、庶民の分際で偉そうに!いったい私を誰だと思ってるのよーっ!!」
 とても上流階級出身とは思えない言葉使いと声量で、誰に聞かせるでもない様な振りをしつつ、盛大に俺へと自身のフラストレーションをぶつけてきた。
「何がオーメル工科大学大学院首席卒業よ。だったら学者にでもなれば!?まったくもってレイヴンには不要な経歴ね。あーだこーだと理屈こねくり回して!あのしたり顔、ライフルで撃ち抜いてやりたかったわ!!言うに事欠いて『お嬢様はもう少し視野を広げたらいかがですか』ですって!?ふざけんじゃないわよ!庶民ごときが私に楯突いていいとでも思ってる訳!?もう、ホンッッットに腹が立つわ!!」

 聞くに堪えない罵詈雑言をのたまい続けるセシリア。
 そろそろ声をかけてやらないと『ちょっと!聞いてるの、カーク!!』というとばっちりを喰らうことは火を見るより明らかなので、努めて冷静に言葉を投げかける。
「で、何があった。セシリィ」
 セシリィ、とはセシリアの愛称で、プライベートで二人きりの時や、周りにモニカやジェシカしか居ない時に限ってこの愛称で呼ぶようにと言われている。
 実際、俺もこちらの方が呼びやすいので助かっている。
 セシリアは俺の呼びかけに答えることなく、いきり立った猫のようにふぅふぅと肩で息をしており、まだ興奮冷めやらぬといった感じだった。
 それ以上、言葉をかけることなくセシリアの反応を待つ。
 すると、ようやく怒り疲れたのか、ひと際大きなため息を一つ吐いた後、俺の方へ向き直り何故か俺をキッと睨みつけた。
 俺としては怒りの感情をぶつけられる言われは無いのだが、ヘタな事は言わず、セシリアの視線を受け流す。
 重苦しい沈黙が執務室を支配する。
 その沈黙を破ったのはセシリアが先だった。
「ちょっと」
 明らかに不機嫌だと言わんばかりの口調だが、こちらは態度を崩さない。
「何だ」
「何だ、じゃないわよ。何で黙ったまま座ってるのよ。こういう時、何かするべき事があるんじゃなくて?」
「俺は君に呼ばれたからここに居るんだ。なのに何故、俺が動かなければならないんだ」
 俺のその一言で、怒りの炎が再燃してしまったようで、セシリアは俺の方へツカツカと歩み寄ると俺を見下しながらまくし立てた。
「アナタ自分の立場がまだ理解できてないようね。いいこと、アナタは私の従者みたいなものなの。だから、言われなくても私に仕えるのは当然でしょう。まったく、気が利かないわね。少しはモニカやジェシカを見習いなさいな」
「彼女たちは公的に君に仕える立場の人間だろう。だが俺は違う。君の手引きでアークへ移籍したのは事実だが、そこまでする義理は無い」
「駄犬の分際でうるさいわね!アナタの事情なんて知った事じゃないわ!!それに、忘れてない?アナタの命を拾ったのはこの私なのよ。だからアナタには最初から拒否する権利なんてないの、おわかり?」
 痛いところを突かれて眉をひそめる。
 その俺の表情を見て怒りの表情から一転、満足げな笑みを浮かべるセシリア。
「どうやら理解できたようね。なら、さっさと紅茶とお菓子を準備して頂戴!ティータイムでリラックスしないとどうにかなっちゃいそうだわ。あ、それと紅茶は美味しく淹れないと許さないんだから!」
 そう言って、向かいのソファにドスンと腰を下ろし、すらりと長い脚を組む。
 しぶしぶカークはソファから立ち上がり、モニカがいる隣の部屋へと向かう。
 菓子や軽食、お茶などの類はモニカが全て管理しており、執務室には備えられていないので取りに行く必要がある。

 執務室を出ると、モニカが既にお菓子とティーセットをトレイに乗せて準備を整えていてくれた。
 それを見たカークは苦笑いを隠せなかった。
「予測済みだったという訳か」
 俺の問いにモニカは微笑み返してくる。
「お嬢様にお仕えして、もう7年ですから」
「なるほど。やはりどんな時でも経験がものを言うわけだ」
「ふふ、そうですわね。さあ、ここからはカーク様の腕の見せ所ですわ」
 モニカが用意してくれたティーセットには一つだけ足りないものがある。
 それは茶葉だった。
 カークは紅茶の茶葉が保管されているキャビネットを開くと、棚に並べられた紅茶の缶に目を走らせた後、中から一つの缶を迷いなく取り出しトレイへと載せた。
 モニカに扉を開けてもらい、菓子とティーセットが載ったトレイを持って執務室へと戻る。
 何故かセシリアがティータイムで紅茶を飲むときは俺が茶葉のチョイスと淹れる役目になってしまっている。
 どうしてこうなってしまったのか、自分自身、定かではない。
 多分、何かの気まぐれでたまたま俺が紅茶を淹れ、それをセシリアが気に入ってしまったからだろう。

 お茶を準備する小机にトレイを置き、ティーポットへ茶葉を勘と目分量で入れ、お湯を注ぎ、程よい濃さになるまで腕時計を見つめ続ける。
 お湯を入れ、蒸らし始めてから1分45秒。この分量ならこれくらいが丁度いいだろう。
 濃さが均一になるようにティーポットを軽く揺すり、セシリア専用の白いティーカップへ澄んだ琥珀色の紅茶を注ぐ。
 ティーカップから湯気と共に蘭の花のような香りが立ち上り、カークの鼻腔をくすぐる。
――まあ、こんなもんだろう。
 冷めないうちに菓子が載ったトレイと共にセシリアが踏ん反り返っているソファの前の机へ紅茶を差し出した。
 セシリアはティーカップへ手を伸ばすかと思いきや、トレイに載せられたミルクを取ろうとしていたのを見て、カークは咄嗟にそれを制した。
 出鼻をくじかれたセシリアは明らかに不機嫌な眼差しでカークを睨む。
「なに?何で止めるわけ」
 その視線に臆することなく思った事実を口にする。
「いや、セシリィの好みにケチを付ける訳じゃないが、今日のやつはストレートで飲んだ方が美味い」
 俺の言葉に眉をひそめながらもミルクを取るのを止め、ティーカップを自身の口へ近づける。
 その時、ふとセシリアの表情が明らかに和らいだ。
 ティーカップから立ち上る香りに気付いたのだろう、それをもっと感じるために、セシリアは静かに息を深く吸い込こむ。
 そしてゆっくりとティーカップを口へ運び、紅茶を一口飲んだ。
「あ、美味しい」
 そう言うと味を確かめるように、もう一口ゆっくりと紅茶を口へ運ぶ。
「うん、いい香り。それに渋味も少なくて飲みやすいわ。確かにこれならミルクを入れてしまうと、せっかくの香りが半減してしまうわね」
 口調は柔らかなものへと変わり、どうやら機嫌はある程度良くなったようだ。
「これ、なんていう銘柄?アールグレイとは少し違うようだけど」
「祁門(キーマン)だ。アールグレイのベルガモットで香りを付ける前のものさ。アールグレイもいいが、こいつの香りもなかなかのものだろう。たまには趣向を変えてみようと思ってな」
「きーまん?聞いたことないわね」
「中国紅茶だからな。君の出身の文化圏では馴染みが薄いかもしれん」
 セシリアは味と香りを楽しむようにゆっくりと紅茶を口に運んでいく。
 その表情からは先ほどの絵にかいたような不機嫌さはすっかり消えていた。
 カークはセシリアの横に立ったままだったが、すっかりリラックスした様子を見て、ようやく対面のソファに腰を下ろした。
「気に入ってくれたようでなによりだ。少しは気分も落ち着いただろう」
 すっかりリラックスムードに浸っていたセシリアはカークの言葉にハッとして、ばつの悪そうな顔になり、咳払いを一つすると、いつもの凛とした態度を取り直した。
「ま、まあ80点ってところね。これ、私のお気に入りにするから次はもっと美味しく淹れなさい。それと!私は気分転換するためにティータイムにしたの。別にアナタの紅茶のおかげでリラックスできたとか、そういうんじゃないから勘違いしないように!」
――何を今さら分かり切った事を改めて言うのだろうか。俺は紅茶を淹れろと言われたから、そうしただけで、どう感じるかはセシリア次第だ。リラックスしていたかと思えばいきなり居住まいを正したり、回りくどい事を言ったりと未だに彼女の考えている事はよく分からん。
 しかし、それを口にすると話がまたこじれそうなので黙っていることにした。
 その代わりに、さりげなくお役御免の打診をしてみる。
「やるからにはきちんと結果を出そうとは思うが・・・もっと美味しく淹れてほしいならモニカに頼んだ方がいいんじゃないか?彼女の方がこういうことは得意だろう」
 だが・・・。
「紅茶を淹れる腕はモニカよりアナタの方が上よ。その点は保障するわ。私のお墨付きがあるんだから安心なさい。それに向上心があるのも喜ばしいわ。報酬もちゃんと出しているんだから今まで以上に努力しなさい」
 と、セシリアは真剣な顔で言いきった。
 どうやら盛大に逆効果だったようだ。
 大体、報酬も出しているといったって、月3コームを一体何に使えと言うのか。
 口座の明細に記載されているあたり徹底しているとは思うが、最初は何事かと思い会計課まで問い合わせに行ったほどだ。
 自らの失策に頭を掻きながら、話題を一番初めへと戻すことにした。
「で、何があったセシリィ」
「その前に、もう一杯いただけるかしら」
 見るとセシリアのティーカップは既に空だった。
 ため息を吐きつつ、ソーサーごとティーカップを手に取ると、再びティーポットにお湯を注ぎ紅茶を淹れなおす。
 今度は俺がリラックスしたくなってきた。
「なあ、俺も飲んでいいか」
「ええ、よくってよ」
 トレイに載っていたもう一つのティーカップにも紅茶を注ぐ。
 カップに口を付けると祁門特有の香りが気分を和ませる。
 一口飲んで気分を落ち着かせたところで改めてセシリアに向き直り、本日3回目の質問を投げかける。
「で、何があった。まさか紅茶を淹れさせるためだけに俺を呼んだ訳じゃあるまい」
 セシリアはモニカ謹製のスコーンに蜂蜜をつけたものを上品にかじっていた。
 それを、音を立てずに咀嚼してこくりと飲み込むと、真剣な顔つきで話を切り出した。
「他でもない、あのインテリ野郎の事よ。まったく気に入らないわ。人の事をバカにして」
 カークもモニカ謹製のバタークッキーをかじりながら、アークの主要幹部の一人であるハインリッヒ・シュナウファーの表面だけ取り繕ったような笑顔を思い浮かべる。
 詳しくは知らないが、なんでも理系の名門大学であるオーメル工科大学の大学院を主席で卒業したエリートでレイヴンには非常に珍しい高学歴の持ち主だ。
 レイヴンとしての腕前も一流で、カリスマ性もありアークの幹部としては十分な力を持っている。
 しかし一方で何を考えているか分からない所があり、社交的ではあるが常に上から目線で人を見下したような態度を取るため嫌っているレイヴンも多い。
 また力あるレイヴンを勢力的にヘッドハンティングして自分の内に囲っており、相当な野心家とも噂されている。
 実際のところ、俺も過去に手を組まないかと誘いを受けたが断った。
 権力や覇権争いなどに興味は無い。

 ハインリッヒは巨大財閥の令嬢で強大な後ろ盾のあるセシリアを殊更警戒しており、セシリアもハインリッヒを俗物と毛嫌いしていて、両者は犬猿の仲として知られている。
「何だ、ようするにヤツに対する愚痴か」
「そうじゃないわ。確かにシュナウファーの事は気に入らないけど、それ以上にヤツは危険な男よ。裏で何か企んでいる事は間違いないわ。前から分かっていた事だけど、最近はその動きが顕著なのよ」
「例の不透明な資金の動きというやつか」
 セシリアは紅茶を一口飲み、話を続ける。
「アナタはお金の流れについては疎いだろうから詳しくは話さないけど、特定の企業との間に目的の分からない資金のやり取りがされているのよ。その企業と言うのが、ローゼンタールとオーメルサイエンス。キナ臭いと思わない?」
「ローゼンタールとオーメルサイエンス?どちらもレイヴンには直接的に関係のある企業じゃないな」
「でも、この2つの企業には共通点があるわ。どちらも統一政府に密接に関係しているし、オーメルサイエンスはローゼンタールに出資してもらっている。それに近年、次世代ACの開発で急激に勢力を伸ばしてきているの。疑うには十分な条件じゃなくて?」
――次世代AC。ネクストと呼ばれる既存のACを凌駕する機動兵器か・・・。確かにネクストをいち早く手に入れる事ができれば、あの野心家にとって願ったり叶ったりだろうな。
「で、俺を呼んだのは、その話を聞かせるためか」
「それもあるけど、アナタに幾つか聞きたい事があったからよ」
 そう言うと、セシリアは脚を組みかえた。
 大胆なスリットが入ったロングスカートから、すらりと細く長い脚が覗く。
 その妖艶な仕草に不覚にもどきりとし、すぐにそれを悟られまいと視線を逸らした。
「何だ、聞きたい事って」
 気を紛らわすために、さっさと質問に答えてしまおうとカークはセシリアへ先を促した。
「エルンスト・ベルガーって名前に聞き覚えはない?」
「エルンスト・・・いや、聞いたことないな」
「シュナウファーと資金や情報のやり取りをしていると思われる人物でオーメルサイエンスの科学者らしいんだけど・・・アナタの口ぶりからするとレイヴン達の間で名前が知られている訳じゃないみたいね」
「ハインリッヒは体の一部を強化していた筈だ。そっちの関係なんじゃないのか」
「知らないなら、まあいいわ。エルンスト・ベルガーとその周辺についてはBFFの調査機関に調べさせるから」
 さも当然のごとく言ってのけるセシリアだが、BFFといえばローゼンタールと肩を並べる巨大財閥で、巨大軍事企業クレストに多大な影響力を持っている。
 その調査機関となれば企業軍や統一政府と同等かそれ以上の諜報能力を持っており、それを意のままに動かせるという所がセシリア・フィリックスという個人が計り知れない力を持っているという事を如実に表している。
 BFFの中核である2つの資産家、バーナード家とフィリックス家。
 そのフィリックス家の長女にして次期当主の座を嘱望されている彼女には実現できないことなど無いのだろう。

「聞きたい事はそれだけか」
「待って。もう一つあるわ。グローバル・コーテックスのランカーレイヴン、ソリテュードって知っている?」
 ソリテュードという名を聞き、カークの意識はエルンストという男の話の時より集中する。
「ああ、知っている。コーテックス所属の時に2回ほど協同ミッションで一緒に戦ったことがある。コーテックス所属のレイヴンなら知らない人間はいないんじゃないか」
 そう言いながら、過去のミッションで凄まじい戦果を目の前で上げた白いACの姿を思い出す。
「どんなレイヴンなの?」
 セシリアもソリテュードのことのほうが気になるのか、聞き方が積極的なように感じる。
「アリーナ本戦に出場しているランカーだからプロフィールも公開されているだろう」
 俺の答えにセシリアは眉をひそめた。
「私が知りたいのは、もっと本質的な部分よ。アリーナの成績やプロフィールじゃレイヴンの本当の能力は分からないわ」
 セシリアの言葉を聞いて、もっともだと思い直し、頭の中で自分が知っている情報を整理する。
「そうだな・・・まず、絶対に敵に回したくない男だな。ミッション達成率はほぼ100%で一対多数のAC戦をものともしないほどの技量の持ち主だ。そしてこれは広く知られている事だが、強化手術の類を一切していない生身の人間だ。それでいてコーテックスアリーナAランク3位の実力。本物の天才とは、ああいうヤツの事を言うんだと思う」
「随分と評価が高いわね。アナタは元コーテックス所属だから贔屓目もあるんじゃない?」
 セシリアの懐疑的な反応は当然だとカークは思った。彼女も一流のレイヴンである以上、フィクションのヒーローの様な人物像を話されても、それをそのまま信じられはしないだろう。
 しかし、実際に一緒に戦ったことのあるカークだからこそ、それは紛れもない事実なのだと言える。
「確かに、そう思われても仕方がないだろうな。だが事実だ。それを裏付ける最大の証拠が5年前のアーセナル・ハザードの時さ。ソリテュードはエデンⅣの近くにあった遺跡に単身で突入してインターネサインを沈黙させている。突入した後はどうなったのか公式記録が無いから分からないが、ヤツが突入してから遺跡とパルヴァライザーが停止したのは事実だし、少なくとも無数とも思えるようなパルヴァライザーを相手に遺跡へ行って生還したんだ。それだけでもヤツの力を物語るに十分だと俺は思う」
「ふうん」
 セシリアには俺が事実を話しているという事は伝わったようだが、まだ半信半疑といったような難しい表情をしている。
 カークはティーカップを手に取り、久々に長く喋って渇いた喉を紅茶で潤す。
 少し冷めていたが、今のカークにはその方が美味いと感じられた。
「今の世では珍しいレイヴンらしいレイヴンだよ。群れることも慣れ合うこともせず、ただひらすらに己を貫き通す。まあ、例外的に親しい人間もいるって噂もあるがな」
 一応、自分の知っている事は全て話したので、これで話は終わりだと示すようにソファの背もたれに体を預ける。
 正直に言えば若干、喋り疲れた。
 一方セシリアはというと、まだ難しい顔をしながら何やら考え込んでいた。
 それを見ながら、ふと何故ソリテュードの事を聞いてきたのかが気になった。
「しかし、どうしてソリテュードの事が知りたくなったんだ」
 俺の質問にセシリアは顔を上げると、一層険しい表情になった。
「シュナウファーが、そのソリテュードをヘッドハンティングしようとしているらしいのよ。既に何回かコンタクトを取っているらしいわ。今のところ相手がその話に応じている様子は無いみたいだけど。でも、そんな凄腕がヤツに付いたら厄介ね」
 その話を聞いて、いかにもあの男が考え付きそうな企みだと胸中で嘲笑した。
 ヤツの野心家ぶりも、そこまで行けば筋金入りだ。
「確かにそうなったら厄介な事この上ないが、現状でその可能性はかなり低いだろう。ただでさえ慣れ合いや権力争いに興味のない男だ。あの野心家に賛同する理由が無いし、コーテックスも手放さないだろう」
 俺の言葉にセシリアはどこかほっとした様子を見せた。
 ソリテュードという男の人物像を捉えきれていなかった彼女にとっては大きな懸念事項だったのだろう。

「大体の事は分かったわ。いずれにせよ警戒するのに越した事はないわね。見てなさい、あの男の思い通りになんてさせないんだから」
 険しい表情から一転して、いつもの自信に満ちた顔に戻るセシリア。
 それを見たカークは、こちら方が彼女らしいと自然に思った。
「あら、もうこんな時間。そろそろ帰りましょう。ジェシカが一足先に戻って夕食の準備をしているから、帰る頃にはディナーの支度が整っている筈よ」
 繊細な装飾が施された腕時計を見ながら席を立つセシリア。
 それに合わせて、俺も席を立ち、ティーセットを片づけ始める。
 条件反射的に体が動いてしまうあたり、俺もすっかり馴染んでしまったなと胸中で嘆息した。
 セシリアは自分の机まで行くと、内線でモニカを呼び出す。
「モニカ、今日はもう帰宅するわ。準備して頂戴。あ、それと今日の車の運転はカークにさせるから帰りはモニカもゆっくりできるわよ」
「おい、ちょっと待て。何で俺がそこまでしなくちゃならない」
「あら、運転できる男性がいるのにわざわざ女性にさせるつもり?そんなの紳士らしくないわ。どうせ帰る場所は同じなんだから、つべこべ言わないの」
 傭兵風情に紳士らしさを求める方がおかしいと思うが、それを言っても結果は覆らないので、不本意ながら承諾する。
 本社からそう離れてはいないとはいえ疲れた体で車を運転し、なおかつ給仕服姿のジェシカに大仰に迎えられるのを想像すると軽く頭痛がしてきた。
 アークに移籍して約1年。移籍すると同時に強制的にセシリアの私邸に住まわされることになってからというものの本当に一人でゆっくりできる時間が少ない。
 長期休暇でも取って、どこかへ旅行にでも出ようかと半ば本気で考えつつ、トレイを片手にセシリアに続いて執務室を後にした。


 Interlude.2 out


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