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「The rest is silence -Vorspiel-」


 執筆者:宮廷楽人・タカ坊

 ――いた。

 月明かりが照らす地上。文明という素材で組み上げた瓦礫の塔の市街地。瞬いているのは、街灯とオフィスの灯火。
 乱立する鈍色の高層ビル。密集したそれらの間を縫うように飛び交う人影が一つ。その軌跡は緩やかだが、時に切先のように鋭角だ。
 視線が暗躍する人影を追う。鈍色を満遍なく敷き詰めた景色の中で、その人影は夜空に瞬く星のように浮き彫りだ。人影は地上三〇〇メートルのビルの屋上を、飛び移りながら移動している。屋上から屋上へ、蜘蛛を思わせる動きで翔け抜けていく。
 ビル間を跳躍するという常軌を逸脱した移動方法とその速度、常人の眼で追うのは決して容易くはない。この右目でなければ疾うの昔に見失っていたことだろう。
 人影が円柱形のビルの屋上で静止した。位置はこちらから水平距離で約七三0メートル、高度差は下に約五〇メートルと推定。人影は周囲を警戒するように逡巡している。

「ターゲット静止。これより捕獲行動に移る」
「了解しました。ターゲットはD・o・A(生死不問)。逃がすことだけはないよう、お願いいたします」
「わかった」

 位置のずれたミラーシェードを指で修正する。見下ろした眼下のオフィス街で、各々の灯りが競い合うかのように瞬いている。
 ビルからビルへ棚引き渡る暗闇。地上から時折、車両のクラクション音が響いてくる。
 風が娼婦のように甘く頬を撫でる。暗雲に隠れていた月が再び地上を覗き込む。
 左脚を引く。脚部を屈する。筋肉を圧縮。

「――状況開始」

 収縮されていた人工筋肉を一気に伸展、運動エネルギーを開放するCNT筋繊維。補助アクチュエータ機構が筋繊維の動きに連動、二種類の脚部機構の相乗効果により爆発的な跳躍力が発生。目標地点に向かって跳躍する。
 先ほどいたビルより一回り低いビルに着地、と同時に駆け抜ける。そのままの速度を利用して跳躍。さらに低いビルへと着地する。一連の動作を繰り返しながら、人影のいるビルへと迫る。
 人影の姿が徐々に明朗になっていく。さながら揺れる水面が静止していく過程を思わせる。
 既に目標まで一息の間合い。目標地点――現在地よりさらに低位置。その高度差、実に三〇メートル。 この高さならば着地に支障はない、と判断。ターゲットのいるビルの屋上に向かって飛び降りる。
 炭素繊維を網目状に編みこんだ対弾コートが風を受け、鳥の翼のように広がる。僅かならが落下速度が低減する。 迫りゆくビルの屋上。
 この高さによる人体の落下は体重、加速度は、例え両の足で着地したとしても深刻なダメージを人体に与える。 衝撃は各部筋繊維を断裂させ、大腿部の骨は骨盤を超え各種内蔵まで到達、重要器官に致命的な損傷を与えることだろう。
 だが、パワードスーツの脚部機構を参考に機械化されたこの脚は、三〇メートルの高さからの落下が生む衝撃をものともしない。仮に倍の高さから落下したとしても、ダメージを受けることは一切ない。
 両の脚と右手の三点を利用して着地する。アクチェータ機構が独特の駆動音を立てて衝撃を機械的に変換、緩和。ベクトルを細分化させる ことで衝撃を分散処理。着地音は実に静謐に満ちていた。
 素早く立ち上がり、ホルダーから自動拳銃を取り出す。 目標は未だこちらに気づいていない。銃口を向けながら人影だったものの背後に歩み寄る。
 ゆっくりと、目の前の人の形をしたものが振り返った。 人影だったもの――依頼目標は人の姿をしていた。だが、それが人間なのか、と問われれば肯定するのは難しい。
 確かに身体のパーツごとに見れば人類と定義できる。頭髪は失われているが頭もある、胴体もある、脚と腕も共に二本ずつ存在する。だが、肌は両生類を思わせる緑色。所々に見える傷口からは、紫色の筋繊維が見える。
 特に目を引くのは右の瞳だ。上下に二つ、連立するように存在している。目の前のそれは、合計で三つの瞳を備えていた。
 両手と両脚で身体を支える姿は、久しく見なくなった野の獣のようだ。単に言えば、それは異形の人間。否、怪物とすら定義可能な生物であった。
 不気味な敵意を湛える瞳が、月明かりの下で紅水晶のように妖しく灯る。銃口は決してはずさず、十メートルの距離を離して問いかける。

「――言葉はわかるか?」
「ウ……グ……、ア……ァ……」

 小さな唸り声を返す四つ脚の獣。地の底から響くような低い声。

「依頼により、お前を拘束する」

 果たして、その異形の生物はこちらの言葉を理解できたのだろうか。
 不気味な唸り声を発しながら、異形の生物が姿勢をやや低くする。それは生きるもの全てに備わる、敵対の意思だ。

「ァ……ウ……。――――ッッ!!」

 異形の生物が四つの脚で地面を蹴り、移動を開始。人体では不可能な移動とその圧倒的な速度に驚愕する。

 ――速い。

 異形の生物は既に目の前に、視界を埋め尽くすほど差し迫っている。 人類にしては異様に長い腕が振り上げられ、その手が拳を作る。
 寸前で後方へ跳躍し、間合いを離す。コンマ五秒後に先ほど自分がいた場所に拳が叩きつけられる。砕かれた床板が宙に舞う。
 再び銃口を異形の人間に向け、引き金を連続で弾く。ダブルカラム構造から供給される弾丸が断続的に射出される。 総数――薬室を含め十二発。雷鳴を思わせる銃声。
 立て続けにされる排出される薬莢が床を打つ。甲高い金属音が銃声の合間を縫うように囁いている。
 銃身内部に刻み込まれたライフリングが付加するジャイロ効果によって、捻りを伴いながら迫る弾丸。音速は疾うの昔に超え、衝撃波を従えながら異形の人間を貫き、その身を絶命させる――はずであったが、弾丸はその緑の皮膚に次々と弾かれていく。金属装甲に似た硬質な音が響く。

 ――変異した皮膚か。

 鱗のような皮膚が銃弾を弾いていく。だが、そのうちの一発が無抵抗な紅色の眼に突き刺さる。聞くものを震え上がらせる、不気味な奇声を放つ生物。
 異形の人間は動きを止め、損傷した瞳を細い手で抑えている。その僅かな隙間からは、緑色の液体が流れ出ていた。
 自動拳銃から空になった弾倉を取り出し、予備弾倉を素早く装填。反して間合いはゆっくりと、静かに詰めていく。
 依頼主からは「目標の生死は問わない」と通達されている。ターゲットを生きたまま捕獲するというのは、ただ殺害してしまうよりも難しいのは明白だ。
 この身体能力、現状の装備で完全無力化するのは難しい。ならば、行うべき行動はひとつ。
 銃口を怪物の頭――防衛力を持たない眼窩に照準をあわせる。目の前の怪物がかつて人であったのならば、胴以外で狙うべき箇所はただひとつだ。それは生物の制御中枢たる――脳。
 目標は小さく、かつ本体は高速。可能か?と自身に問いを投げかけたその瞬間、屋上に備えられた扉が錆付いた音をたてて開かれた。
 現れたのは一人の女性だった。やや赤みがかった長い髪、このビルの社員を思わせる黒を基調としたスーツと社員証。眼鏡の奥の瞳が、人とは言えぬほど変異した怪物の姿を捉え、表情が恐怖に侵食される。言葉を失い、その場に崩れ落ちる女性。
 視線を怪物に戻すと、そいつの視線が扉の女性に注がれていることに気づく。下賎な笑みが怪物の顔に浮かぶ。

 ――ちっ!

 予知に似た直感を感じ、駆け抜けた。
 怪物が口部から濁った液体を射出する。その射線軸に滑るように割り込む。
 風が追いつくよりも速く、液体が女性に触れるよりも速く、赤髪の女性の前に立ち、右手でその液体を払うように薙ぐ。

 このとき、女性は背後から黒衣の男の右腕を見た。怪物から放たれた液体は、男の衣服に付着した瞬間に焼けるような音を生んだ。爛れていく男の皮膚。強烈な刺激臭が鼻をつく。
 その下にある脂肪、腕組織も同じように爛れ、液状化しているのだろう――赤髪の女性は自然にそう思った。

 そう、生身ならば――。

 溶けていく皮膚の下、本来ならば溶解する脂肪とカルシウムで構成された骨が見えるはずのそこには鉄色の輝きを持つ腕。
 月明かりの元に晒された男の右腕は――人工皮膚で覆われた鋼鉄の義手であった。
 男が背中に手を回す。グリップらしきものを鋼鉄の手で掴み、そこから抜き放たれたのはデータベースの中でしか見られなくなった「刀剣」に属する近接兵装。
 白銀に満ちた刀身が月光を受け、その存在を誇示する。異形の人型は恐怖からか、はたまたそれ以外の何かを感じ取ったのか。脅えた表情で後ずさる。
 黒衣の男が刀剣を前方に構え、さながらこれから狩猟を始めるかのように、腰を低く落す。
 怪物は背後を顧みずに逃亡を開始。そのままの速度を利用して、別のビルに向かって跳躍する。
 その瞬間、男は弾けたと感じさせる瞬発力で怪物を追う。蹴り砕かれたコンクリートの床が粉末となって舞う。
 怪物が文明の瓦礫の中へその身を投げ出した。自らの命を絶つかの如く。同じように男も跳躍する。その速度、怪物を追い越さんとするほどに。
 怪物の跳躍力と自由落下が釣り合い、虚空に静止する。無重力となるその瞬間――怪物の背後に矢のように迫る男の姿。
 大上段に構えた銀色の刀身が月明かりを反射。男が刀剣を振り下ろした。描いた軌跡は弧月を思わせる。
 銃弾すら弾く肌を持つ異形の生物が白刃によって両断される。緑色の体液を撒き散らしながら、別たれた肉体は地上へと落下。
 男はコートを羽翼のように揺らしながら視界から消える。
 一部始終を見ていた女性は、気づいたように屋上の柵に走り寄り、そこから眼下を覗き込んで黒衣に身を包んだ男の姿を探した。男はこちらのビルよりも低い、隣のビルの屋上に着地していた。
 男が怪物を両断した刀剣を格納。そしてこちらを一瞥した後、人間とは思えぬ跳躍力で移動。深夜の闇の中に溶け込むように、さながら役目を終えた役者が舞台を退くように、その姿を消した。

 -自室-

「ご苦労様でした。本日18:59:32の時刻にキサラギ社から口座への振込みを確認しました」

 顔にかかる長い金色の髪を耳に掛けなおし、報告を行う女性。その口調は極めて事務的だ。
 振込みの時刻があまりにも期限に迫りすぎたのか、その顔には企業の仕事の遅さに対する「不満」を押し殺しているのが見て取れる。
 夜空に浮かぶ三日月のように、月光色の髪を持つ女性の名は――アイシス。黒い縁を持つ眼鏡の奥には、緋色の瞳。意志の強い視線は自立心を感じさせる。
 身に纏うダークスーツを筆頭に、靴から髪の乱れを防ぐヘアバンドまで全て漆黒。その色合いが、強さを高圧的な域に昇華させていると言えなくもない。
 彼女は黒衣の男――アハトの秘書に相当する人物だ。アハトは硝子のコップを傾けながら彼女との会話を続ける。

「人間サイズの生体兵器。キサラギがあのようなものを作っているとはな」
「彼らなら充分にありえそうな話です」
「だが、制御できない軍事力を当てにはできない。それを理解できないとは思えんが……」
「あるいは――」
「ん?」
「いえ、憶測に憶測を重ねても無意味なことに気づきました」
「そうか」

 女性は胸に抱いた資料に視線を移した。

「明日の予定は――」
「アリーナか」
「えぇ、相手はアリーナの黒騎士「ブラックバロン」です」

 月明かりを思わせる女性が「それと――」と続ける。

「先ほど情報屋・キースからフリーランスのレイヴンの一人に赤い――」
「――!」

 アハトは硝子の破砕音を聞いた。少しの間をおいて、彼は自分の手の中にあったコップが割れたという事実に気づいた。

「――見つけたのか?」
「何分、あのキースですから信頼性が高いとは言えませんが」

 黒衣の男――アハトが薄い笑みを浮かべた後、小さく俯く。銀色の髪が細かな表情を隠しているが、震える肩から極度の興奮が見て取れる。
 アハトは地獄の釜に似たどす黒い感情が腹の奥に渦巻いてるのを感じていた。
 あいつを――アイリを殺し、自分を半死の状態に追い込んだ連中。わかっているのはひとつ、「赤い蜘蛛の紋章」を機体に貼り付けたACの乗っている、ただそれだけだ。
 今なお、奴等がのうのうと生きているのは許し難いものだったが、それでも奴等が生きていることに最上級の喜びを感じずにはいられない。
 彼らは生きている。それだけで、生の充足感が満ちていくのを感じる。この復讐のために生きていてくれた、とさえ思えてくる。
 身体の隅々まで満ちていく殺意。鋼の義手が軋む音を立てる。焦燥感を無理やり抑える。圧縮される殺意。
 この衝動、奴等の息の根を止めることでしか消え去りはすまい。自身の復讐が果たされた「その時」を想像し、今この瞬間の生をかみ締める。

「――見ていてくれアイリ。俺は必ず遂げて見せる……」

 その復讐心に満ちた瞳を、金色の女性は愛しさと寂しさが入り混じった視線で見つめていた。

 The rest is silence -Vorspiel- End…



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