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「屍翼の奏者*


 執筆者:CHU

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時刻は既に二十時を回り、夜闇が辺りを支配して久しい。
人の手を離れて寂れ果てた都市の静寂を、鋼鉄の巨躯が発する呻きにも似たジェネレーターの駆動音が掻き乱し、蛍火の如き明滅する光が、夜闇から辺りをほんの少しだけ切り取る。
――マズルフラッシュ。
それは人の手による戦闘行為の証だ。
発砲による爆音と、巨大な空薬莢が跳ねて奏でる不協和音を機体の集音マイクを通して聞きながら、鋼鉄の巨人〈アーマードコア〉の操者は口笛を吹きながら視界に映るターゲットを次々と破壊していく。
その様子は休日に釣りでも楽しむかのようにお気楽で、とてもではないが命を懸けた戦闘の貌には見えなかった。
型落ちした旧式のACがミラージュ社自慢の最新可変型MTを屠るその様は、機体の性能を熟知している者である程に現実の事と思えない。
その事は、この〈レイヴン試験〉の担当官であるクラーク・オストリッツも痛感していた。
いったい如何なる魔法を使ったものか、すぐに息切れして立ち止まる筈のオンボロ機体は、水を得た魚の様に戦場となった廃都を跳ね回る。
中空から放たれたプラズマの業火を、ブースターの推力だけではなく脚関節を使った跳躍も併せて躱す。
頭上を高速で移動する可変型MTを――レスポンスが遅いという理由だけで――FCSに一切頼らない手動照準のみで的確に捉え、破壊する。
次元が違う――と、目の前で繰り広げられる光景を見たクラークの人間的な部分が評した。
一つ一つの動作から滲み出る異質感が、クラークを知らぬ間に飲み込んでいた。
七機居た可変型MTの最後の一機が墜ちる。
戦闘と呼ぶには余りも一方的過ぎた。それは最早虐殺と言えるだろう。
本来であればその運命を辿るのは旧式のACの方であるべきだ。この場に居た誰しもがそう思った筈である。
(それ程の戦力差を力で捻伏せたこの男はいったい何なのだ?)
殺戮者がクラークの機体に近付いて来る。
暗闇に光るカメラアイがこれほど不気味に思えた事は無かった。
『これで終わりか、呆気ないものだな。――それとも試験官。貴方が俺の相手をするか?』
「いや、これで終わりだ。よ、よくやったな」
差し向けられたのは軽いジョーク。その筈だ。
だが、笑い飛ばそうと思った自分の口からは渇いて掠れた声しか出ない。
身体の震えが唇へ伝播しないように自律するのが精一杯だった。
「新たなるレイヴン、コーテックスは君の力を認めよう。作戦は以上だ、ご苦労だった」
その言葉を聞いた男は――心なしか残念そうに口元を歪めたのだった。


人類種の楽園〈エデンⅠ〉。
少なくとも、その恩恵に与れる者にとっては楽園に違いない。
その楽園の一角に、傭兵仲介企業〈グローバルコーテックス〉の本社ビルは聳え立っている。
天を衝く程に高いビルには、自衛の為と称して種々様々な防衛機構が備わっていた。だが、〈エデンⅠ〉には既に選りすぐられた防衛戦力が存在している。
この事からも、コーテックスという組織の持つ警戒心の高さや用心深さが窺い知れた。
レイヴンを商品として扱っているだけに、彼らの持つ力を何よりも恐れていることの裏返しだ。
地下部はそのままシェルターとしても使える巨大ビルの最上階に近い九十二階。そこにこの大企業を取り仕切るとされる男の執務室はあった。
豪奢とは程遠い質素な一室。その中で唯一豪華な黒革張りのリクライニングチェアに人の姿がある。
肘掛けに頬杖をついて目の前のコンソールデスクに備わったディジタルディスプレイを食い入るように見詰める男と、その背後に傅くように並び立つ女。
両者に共通するのは一目で高級品と分かる質の良いスーツを身に纏っている事と、その左胸にグローバルコーテックスの社章を付けている事であろう。
輸送機に乗り込む二機のACの映像を見届けた所で、スイッチが切られてディジタルディスプレイはその形を失った。
中継機を通して今し方まで行われていたレイヴン試験の様子をつぶさに見ていた男――グローバルコーテックス代表取締役社長――ギュスターヴ・アレクサンド・エレゴートは賞賛したい気持ちに駆られていた。
後ろに立つ秘書官のナタリア・フォレストマンが居なければ、もしかすると小躍りでもしていたかもしれない。
そのナタリアが、一人で満足気にリクライニングチェアにもたれるギュスターヴに問い掛けた。
「ご覧になっていかがですか?――彼は、ギュスターヴ様の御力になり得るのでしょうか」
余程心外な問い掛けだったのだろう。ギュスターヴは驚いた様に背後を振り返る。
ナタリアの顔を見て、冗談ではなく真面目なのだと分かると、盛大に溜め息を吐いた。
「ナタリア君……、キミも見てただろ?掛け値なしに素晴らしい逸材ではないか。これほどの者は、そうそう見つかりはしないよ」
「……申し訳御座いません。何分、傭兵に関しては門外ですので」
律儀に頭を下げ陳謝する自分の秘書官を見て、苦笑いしながら頬を掻く。
彼女は傭兵仲介企業であるコーテックス社においてあるまじき程に、レイヴンという存在について無知だった。だが、その分他の雑事を完璧にこなすため、釣り合いが取れているとも言える。――ただし、ギュスターヴはどちらかと言えば前者の理解に優れる者を重宝した。
「ともあれ、機は熟したよ。私が考えるプランとは、また幾分と違ってしまったがね。――それではナタリア君、早速で悪いが彼に我が社専属のオファーを通達してくれたまえ。迅速に、そして無謬にね」
「委細承知致しました」
ナタリアが与えられた業務を遂行すべく執務室を退出して行った。
その後ろ姿を見送ったギュスターヴはデスクの引き出しからヒュミドールを取り出し、中に収められた上質なハバナのプレミアムシガーを手に取る。
「長かった……。いや、早かったのだろうな、巨視的に見れば」
シガーパンチで吸い口を作り、ガスライターからシダ片に火を移して慎重に葉巻の先端を炙る。途端に立ち込めた濃密な甘い香りに身を浸し、重厚な煙を暫しの間享受する。
一日の終わりに吹かすこの一本と、夢想と言う名の利己的な妄想が、平時下らない業務に忙殺されるギュスターヴにとって何よりの慰めだった。
何時もこの椅子に座りながらする夢想は、さながら自慰を思わせる虚しさを内包していた。
しかし、今はその夢想が実現に近付くかもしれないという麻薬にも似た期待感が、アルコールなど不要な程にギュスターヴを酔わせていた。
周りに煙を漂わせ、久方ぶりの良い気分に浸りながら誰ともなく呟く。
「これでようやく老人共に対する切り札が手に入る、か。ナンバーズ……不死者の王であれば役に不足はあるまい。ロアよ、私の期待を裏切るような真似だけはしないでくれよ?……フフ、フハハハ!」
ギュスターヴは嗤う。
自分の奥底で燻ぶっていた野心が再び隆盛を取り戻しつつあるのを感じずにはいられなかった。


「それじゃ、アルバの合格を祝して!カンパ~イ!」
「乾杯」
シャンパングラスが打ち合わせられる小気味良い音と、明るい音頭取りが聞こえるのは、ミラージュ社が管理するコロニー都市〈MA31-HOPE〉にあるコーテックス社寮のマンションだ。
そのマンションの一室では、今まさに小さな祝勝会が催されている所であった。
家主の名はフラーネ・フェモニカ。コーテックス社〈MA31-HOPE〉支部に勤める上級オペレーターである。
そして、そのフラーネの対面に座り、まるで自分の事の様に喜ぶ己の主人を眺め、テーブルの上に並ぶ物を次々と口に放り込んでいるのが、この宴の主役であるコーテックスの『新人』レイヴン、アルバことアルバート・ワイズ・イークレムだった。
二人の関係を端的に表すならば「パートナー」と呼ぶのが相応しいのであろうが、この二人の場合ではビジネスという言葉の他に、プライベートという意味合いも多少ではあるが既に含まれていた。
そうでなければ、レイヴンとオペレーターが一つ屋根の下で寝食を共にはしないだろう。
「なんかさ、聞く所によるとやけにアッサリと試験終わったらしいけど、実際どんなだったの?」
「んんっ?……いや、別にこれと言って大したことじゃない。廃都に潜伏する企業の部隊を撃破しただけだ」
単に食べるのに忙しかったのだけかもしれないが、質問にアルバートは要所を省いて答えた。
「ふーん……。まっ、いーけどさ」
しかし、対面に座る主人は額面通り受け取ってはくれないようだ。
隠し事の臭いを感じ取ったフラーネであったが、深く追及せず、良く冷えた琥珀色の液体で満たされたシャンパングラスに口を付ける。
自分も少しは変わったのかな――と、自嘲の笑みを口に浮かべ、一年ですっかり様変わりした自分の家を見渡した。
家具や家電製品は言うに及ばず、インテリアや絵画なども揃えられ、人の住む雰囲気作りに一役買っていた。
以前、一人で暮らしていた時には考えもしなかった変化だ。
アレもコレもと食指を動かして買い揃えた結果、無骨で無機質で無味乾燥だった我が家は、驚く程に住み良い住空間へと変貌した。
最近では料理も嗜むようになり、テーブルには所狭しとフラーネお手製の『料理』が並んでいた。
真っ黒に炭化した肉らしき物体――焦げ目が付きすぎて黒くなった魚の形をしたナニか――異臭を放つドロドロとした自称スープ――など、それら異界の物品を美味しそうに頬張るアルバートの姿は、痛々しいのを通り越して狂気すら感じさせる。
「……しっかし、作ったアタシが言うのも何だけど、良く食べられるわね。そんなゴミ」
「ゴミ?とんでもない!フラーネの料理は最高だよ。間違いない。俺が保証する」
「あ、あっそお……」
アタマを弄られすぎて舌が馬鹿になっちゃったのね――と、フラーネは憐れみの籠もった蒼い瞳でアルバートを見つめた。
そこでふと、フラーネが何かを思い出したかのように表情を変え、テーブルの脇に置いてあったプラスチックペーパーに手を伸ばす。
「そうそう、忘れるとこだった。アルバ宛てにこんなのが届いてたのよ、コーテックスから」
「ほーへっふふはら?」
産業廃棄物を口一杯に貪るアルバートの目前に差し出されたのは、流麗な文体のメール文が印刷された紙片だった。
「専属、契約……。何だこりゃ?」
フラーネ謹製の発癌性物質を勢い良く摂取しながら、アルバートは文面から拾い上げた単語に首を捻った。
今までの自分の人生には関わりの無かった単語だ。不思議に思うのも無理はない。
反対に、新しい玩具を見つけたようにフラーネの顔が輝く。
この顔はまた何か良からぬ事を思いついた顔であるとアルバートは直感した。
「分からないけどさ、アンタちょっとやってみなさいよ。なんか面白そうじゃない?」
フラーネは笑う。
自分の中で眠っていた好奇心がむくむくと膨らんでいくのを感じずにはいられなかった。
そんなフラーネを見て、きっとまた面倒なことを俺に期待しているんだろうな――と、アルバートは胸中で呟き、妙にドロリとした粘度の高い緑色のスープを胃に流し込んだ。

そしてその夜、アルバートは激しい腹痛に見舞われて緊急入院することになった。


採光用の大きな窓から朝日の差し込む先が霞む程に長い廊下を、見目麗しい女性を傍らに侍らせて歩く。
男女を問わず、すれ違うコーテックス社員誰しもが目を奪われる様は男として確かに鼻が高いのだが、アルバート個人としてはフラーネに色目を使われるのは最高に鼻持ちがならない。
そんな一人悶々とするアルバートと、向けられる数多の視線を知らぬ顔で受け流すフラーネが並んで歩いているのは、統一政府が直轄管理し、要塞よりも堅牢と評される完全循環型都市〈エデンⅠ〉にあるグローバルコーテックス本社の廊下である。
送られてきた専属契約を病院のベッドの上で承諾したのが五日前。
今日二人がコーテックス本社に居るのは、契約書類にサインして面談を受けるためだった。
そのためだけに空路でわざわざ足を運んだのだが、そもそも直接会って捺印や面談する必要性はあるのだろうか――そんな疑問がアルバートの頭を過ぎったが、そういったアナクロな人間もまだ存在するのだろう――と、無理矢理自分を納得させた。
それよりも納得いかない事は、経営戦略室――つまり社長室のある九十二階に直接エレベーターで上がれないと受付嬢に言われた事の方だった。警備上の観点から例えアポイントがあっても直通のエレベーターは使用出来ないとのお達しにより、二人は仕方なく一般でも上れる九十階までエレベーターに乗った後、そこからは階段を使って自分達の足で社長室まで歩く事になった。
しかし、流石業界シェア二位を誇る大企業の本社ビルだ。たかが二階分の距離が果てしなく長い。かれこれ五分以上歩いているのにまだ目的地に着かないのである。
二人はお互いに暫くの間無言で歩く。
すれ違う社員の数も少なくなり、明らかに重役クラスの執務室が軒を連ねるフロアに入ったと雰囲気で分かった。
何時ものヨレヨレのフライトジャケット姿だったら即座に摘み出されるだろうが、今日着ているのはフラーネが特に気合を入れて見繕った濃紺のスーツだ。
すれ違う役員然とした恰幅の壮年男性が、見慣れぬ顔の二人組に怪訝な表情をするものの、特に何も咎めずに去っていく。
また暫く歩くと、人の姿が本格的に消え、ただ壁だけが連なる殺風景なフロアに出た。
窓も無く、代わり映えのしない景色はさながら迷路のようだ。
目的の社長室に近付いている筈なのだが、一向に到着する気配は無い。
それどころか、段々と人気の無い方へ進んでいる気もする。
案内図によれば、こちらで間違いない筈なのだが。
まさか迷ったのかと一抹の不安が過ぎったが、その時はその時と無視することに決めた。
「はあ……、なんか無駄に広いね。どうなってんのかしら?どう考えても不便でしょうに」
「……今更文句を言わないでくれ。誘いにのったのは君なんだから」
焦れてきたのか飽きてきたのか、或いは両方か、隣りから聞こえてきた退屈そうなボヤキをやんわりと諫める。
「だって、アンタだって広すぎだと思う……って、あ!」
「何だ、どうかしたのか?」
突然声を上げて立ち止まったフラーネに驚き、合わせて足を止める。
「大事なこと忘れてた。アンタ、コードネームどうすんの?まだ決めてなかったでしょ」
「え?」
「だからコードネームよ!レイヴンとしての」
「ああ、なるほどね」
ともあれ、立ち止まるのはまずいのでフラーネの腰に手を遣って先へ進むのを促し、同時に苦笑いを浮かべた。
確かに、依頼を本名で受けては何かと差障りが生じるだろう。
中には本名を用いる傭兵も居るようだが、自分の場合は一度死んでいるのだ。こちらの素姓を知る者が居れば何事かと思うに違いない。ミッションを円滑に進めるためのコードネームが混乱の元になっては本末転倒だ。
自分がコンコードでコードネームを登録したのはおおよそ二十年以上も前の話。
気に留める事も無かったため忘却の彼方にあったが、まさかフラーネがこんなミスをするとは珍しい事もあるものだ。
「俺が昔使っていたコードネームでいいだろう。……良くはないかもしれないが。別にそこまで差し迫った問題でもない」
記憶の片隅に転がっていた、かつての自分の通り名を思い浮かべる。
苦い思い出にまみれた名だが、当時の仲間の顔や、懐かしい記憶も一緒に蘇った。
そういえば、アイツらはいったい今頃どこで何をしているのだろうか。
「その、昔使ってたのってどんなよ」
少々ぞんざいなフラーネの詰問で現実に引き戻される。
まあ、仲間達の事は追々調べていけばいいか――と、頭を切り替えてフラーネに構ってやることにした。
「アルバトロスだ」
「アルバトロスぅ~?」
コードネームを告げられたフラーネは眉根に皺を寄せてどこか不満気だ。何か気に入らない名だったのだろうかと訝しむ。
とは言っても、気難し屋のお姫様の事だから、自分が手を焼いて解決するような問題でも無いのだろう。
「なにそれ、信天翁?」
「いや、ダブルイーグルのほう……だけ、ど……」
サラリと訂正すると途端にフラーネの顔が曇り、機嫌が悪くなる。
ヤバいと思ったが――もう遅かった。
「……ダメよ、センスが無いわ。変えなさい」
どうやら繊細な逆鱗に触れてしまったらしい。
やれやれ――と、面に出さないように胸中で嘆息し、どうやってこの仏頂面を元に戻すか考える。
しかし、時間も無いのでさっさと降参する事にした。
「それじゃ、どういったのがお好みだ?……君に任せるから決めていいよ」
「えっ、ほんと!?いいの!?」
「ああ、でもなるべく大人しいやつで頼む」
「それじゃあ、えーっとね……」
一瞬で仏頂面は解凍され、いつもの明るい調子に戻る。
(やれやれ……)
本日何度目かも分からない嘆息を吐く内にどうやら決まったらしい。
無意味に自信有り気なフラーネから新しいコードネームを頂戴する事になった。

「スワローがいいわ!これからはそう名乗りなさい!」

――ダッセえ……、という感想を寸前の所で飲み込み、全霊をもって顔面筋を平静に保つ。
もしもうっかり口に出そうものなら肘鉄が飛んできたに違いない。
「うん……余り大差ない……よね……?」
「どこがよ!文句あるっていうの?」
小指の爪ほどの小さな反抗は、すぐさま剛拳によって叩き潰された。
「いや、無いです」
「わかればいいのよ。それじゃ、これで登録しておくからね」
嘆息を吐きつつ歩くと、道は終わっていた。
他愛ない悶着をしている内にどうやら到着したようだ。
広大なフロアの恐らく中心、足を運ぶ者も皆無であろう最奥所に目的の社長室はあった。
初見となるアルバートはガードを固めていると言うよりは、単に爪弾きにされているという印象を受ける。
他のフロアにあった執務室に比べても遥かに質素な造りで、とてもこの大企業を取り仕切る人間のものとは思えない。
「なんか、みみっちい所ね。変なの」
フラーネも同様の感想を抱いたらしい。
一瞬、部屋を間違えたかと思ったが、扉の上に取り付けられたプラスチックのネームプレートには《代表取締役:ギュスターヴ・アレクサンド・エレゴート》と確かに刻印されていた。
「社長の趣味なんじゃないのか?倹約は美徳なのだから、そんなことを言うものじゃないよ」
とは言ったが、実際の所アルバートも不可解に感じていた。
警備上の観点から直通のエレベーターは使えないらしいが、こんな奥まった場所にある方が余程警護の妨げになる筈である。
食い違う現実に首を傾げるが、そろそろ約束の時間なので悠長にもしていられない。
アルバートは一度襟元を正すと、ウォールナット材で出来た両開きの扉をノックする。
二秒と待たずに中から柔和な女性の声で「どうぞ」と返事があった。
遠慮気なく扉を開け放ち、中に足を踏み入れる。
笑顔の女性が出迎えた秘書室は、想像した通り――いや、想像した以上に内装も貧相だった。
この様子では恐らく奥の社長室も相応に貧相なのだろう。
「本日、専属契約の件で来た者だが……」
「はい、お待ちしておりました。どうぞ此方へ」
品の良いシックな黒いスーツに身を包み、美しい金髪をアップで纏めた秘書官らしき女性が、にこやかに奥へと促す。
頷いて応え、進もうとしたが、フラーネが呼び止められた。
「申し訳御座いませんが、お付きの方はこちらでお待ち下さい」
「え、何故ですか?」
不意打ちでも食らったようにフラーネが驚いて聞き返す。
自分が付いて行くことを、さも当然のように考えているのがいかにも彼女らしい。
「ギュスターヴ様はレイヴンお一人との会談を強く希望しておられます。恐れ入りますが、同伴はご遠慮願います」
「……むー。……仕方ないか」
納得してはいないようだが、アルバートの顔に泥を塗る様な真似はしたくないのだろう。
渋々、といった様子だが、割と大人しくフラーネが承諾する。
(さっさと終わらせて来なさい)と言いた気なアイサインを送ってくるパートナーに対し、(行ってくる)とだけ視線で告げ、奥に続く扉をノックする。
今度は中からの返事を待たずに開け、足を踏み入れた。
予想通りの粗末な一室の中、そこだけ見栄を張ったように豪華な黒皮張りのリクライニングチェアが存在を主張している。
そのチェアから腰を上げ、薄気味悪い程にこやかな笑みで出迎えたこの男が、グローバルコーテックスのトップなのだろう。
仕込まれたダンパーが音も無く静かに扉を閉める。
途端に隣室からの音のやり取りが遮断された。
扉から意識を剥がし、目の前のコンソールデスクを迂回してこちらに近付く男を注視する。
(――若いな)
おそらくは自分よりも若い。四十を超えたか超えないかといった風貌に、似つかわしくない深い辛労を滲ませている。
オールバックに撫でつけた黒髪には、染めて隠しても隠し切れない程に白髪が混ざり、大企業を背負って立つ気苦労を伺わせる。
身長は一八0センチの自分とほぼ一緒だろうか。もしかすると少しばかり相手の方が高いかもしれない。
【社長】と言う看板に相応しい一目で高級品と分かるダークブラウンのスーツに包まれた体躯は、パッと見ただけでは中肉中背だが、足運びを見ると訓練を積んで鍛えられた人間のそれだ。
差し出された右手を握り返すと掌はゴツゴツと硬質化していた。
女の様な綺麗で柔らかい手の重役など腐るほど居るが、目の前のこの男はペンより重い物を持った事がないーーというワケではなさそうだ。
それなりに修羅場を潜り抜けて来たのであれば、この若さも有能の結実であろうか。
「やあ、良く来てくれた。初めまして――だね。既に知っているかもしれないが、私がギュスターヴ・アレクサンド・エレゴートだ。宜しく、アルバート・ワイズ・イークレム君」
「スワローだ」
「はて?それは一体……」
「俺のコードネームさ。今さっきそこで拝命したのでね」
「なるほど……承知した。ではそう呼ばせて貰うよ、スワロー君」
挨拶も済み、お互いに顔付きが相応しいものに変化する。
片や比類無き大企業のトップとして、片や一介のレイヴンとして。
「まあ、まずは座ってくれ。今コーヒーでも持って来させよう」
「そうさせて貰う」
言って、アルバートはコンソールデスクの前に置かれたソファーセットに腰を下ろし、足を組む。
スプリングの抜けたクッションは固く、お世辞にも座り心地が良いとは言えない。背を預けると、不快な軋みを発する程に質の悪い代物だ。
「どうにも良く分からない事が多いな、プレジデント」
コーヒーを二つ熱いヤツで――と、内線で注文していたギュスターヴに問い掛けた。
釈然としない事は早めにすっきりさせておきたいからだ。
「ギュスターヴで構わないよ。――さて、君の聞きたい事は分かっているつもりだ。私のこの経営戦略室を見て驚いたのだろう?」
「……そうだ。倹約家と呼ぶには、些か語弊があるようだが」
「まあ、そうだろうね。それを説明するにはまず、我々の恥部から話さねばならないかな」
そう言ったギュスターヴは、アルバートの対面に腰を下ろす。
恥部の話をする、と言った割には気負った様子も恥入る様子も無かった。アルバートの疑問は最初から予見していたのであろう。
「この話をする時には最初に言っておかなければならないが……。私はコーテックスの最高責任者であるが、最高権力者ではないのだよ」
アルバートの眉間に皺が寄るが、何も言わずに視線で先を促す。
「誤解はしないで頂きたい。別に騙った訳ではないさ。私はグローバルコーテックスの代表取締役であるし、その事に偽りは無い」
「……それで?」
「しかしながら、私にコーテックスの舵取りは任されてはいない。コーテックスの最高議決権は取締役会が握っているのでね」
「……話は大体読めた。飾りで出来た窓際役員という訳か」
「聡明で助かるね。耳が痛いが、確かにその通りだよ。私に経営会議での発言権は殆ど無く、ただ不祥事が起きた際の尻尾切りとしてしか役割を望まれてはいない」
そう言ってギュスターヴは右手の親指で首をかっ切るジェスチャーをしてみせる。
「いつでも換えの利くスケープゴート、という訳さ」
「だから執務室もこんなに見窄らしい訳か」
「そういう事。我が社は割と質実でね、飾り付けに掛ける予算など無いのだよ」
肩を竦めておどけてみせる。
ギュスターヴの言動は自虐的だが、本人の調子はやたらと明るかった。
その時、会話の区切りを見計らったかのように扉がノックされた。
「ああ、入ってくれ」
ギュスターヴが応えると、銀のトレイに湯気の立つカップを載せた先程の秘書官が音も無く入室する。
ギュスターヴとアルバートを隔てるテーブルに、音を立てることなくコーヒーソーサー、ミルクの入った小瓶、シュガーポットを置くと、一礼してまた音も無く退室していった。
アルバートは金で縁取られた精緻な細工のカップを取り、普通よりもやや色の薄い熱い液体を何も入れずに一口啜った。
きっと驚く程美味いのだろうが、今の自分の舌には何も分からない。
ただ、優しく鼻に抜ける香気は心地良く、淹れ手が相応の技術を持っている事だけは分かる。
「……うまいな。泥水で満足している俺には勿体無いくらいだ」
「ははは、彼女――ナタリア君もきっと光栄に思うだろう」
同じくコーヒーカップに口を付けながら、ギュスターヴは素直に喜びを露わにする。
「賤屋にしては、こういったものは上等なんだな」
「それは彼女との契約金も含め、嗜好品の類は全て私が身銭を切って揃えているからね」
大した気負いも無くギュスターヴは言ってのける。
一応でも、企業のトップがこのような雑事に砕身していると聞けば、さすがにアルバートも驚きを隠せない。
「もてなし一つ満足に出来ないようでは、私の品位すら貶められかねない。――それだけは、どうしても……我慢がならなくてね」
一言ずつ力を込めて言う。
随分と人間的なのだな――と、アルバートは思う。
自分が勝手に抱いていた「コーテックスの社長」というイメージは早くも瓦解し、新たに強烈なイメージで上書きされた。
ただ、自分としてはこちらのキャラクターの方が好みだ。
アルバートはコーヒーカップをソーサーに戻し、居住まいを正してギュスターヴに向き直った。
「コーテックスと貴方の関係については概ね分かった。それで、専属契約とは何だ?俺に何をさせようとしている」
「ふむ、では本題に入ろうか」
ギュスターヴは一旦区切り、コーヒーで口を湿らせてから続けた。
「単なる所属レイヴンと専属レイヴンの違いを端的に言えば、それは立ち位置の違いと言っていい」
「……んん?」
「我が社所属のレイヴン達には、我が社が企業などから請け負った依頼を斡旋し、それを代行して貰う事で関係が成り立っている。言わば対等な関係だ。――ここまではいいだろう?」
「ああ」

→Next…


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