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「Armored Core - Bar "Lobo" -」


 執筆者:柊南天


 緩い建付けの扉の外から届いた喧騒が、俄かに耳を打った。グラスを磨く手を一旦停め、ラックに立てていた杖に重心を預ける。相応に年季の入ったカウンターの端に常時備え付けて在る、古いラジオの元へ歩み寄った。
 チャンネルは其の侭に、軽い軋みを立てるボタンを数度押し込んで音量を上げる。左右二個のスピーカーから、定時にいつも流しているアーティストの音楽が割れた音色で、しかし聞く者にとって然程害には為らない程度に光源の絞られたホールへと広がっていく。
 何世代も前の古いラジオで彼方此方に支障を来しつつある代物だが、だからと言って新しい別物に変えようという気は更々無い。自分が兵士としての現役を退き、この店を開業した時から連れ添った間柄だ。
 滅多に来客の報せを運ばない呼鈴付の扉を流し見、再びカウンター内の作業場所へとゆっくり戻っていく。
 残った数個のグラスを慣れた手つきで丁寧に磨く途中、閑古鳥が居座るガラ空きのホール内で響いていたダーツの的を捉える音が止まり、作業を続ける手元はそのままに小さく視線を持ち上げた。
 貸切状態のホールの真ん中を、二人の客人が此方へ向けて歩いてくる。後ろを歩く体躯の大きな男が二言三言何か言い、その前を歩く小柄な女性──まだ二十始めかそこらだろう。顔だけを見るなら十代後半に見えなくもない──が頷く。
 ここらの界隈が騒ぎ始める夜半より若干早く、この店の呼鈴を鳴らした客の片割れである大男は、ラジオと反対側のカウンター横に在るトイレの扉の先へ消えていった。
 残された小柄な女性は眼前のカウンター席へ腰を下ろすと、髪を纏め上げていた髪留めを解いた。明るい桜色の長髪が彼女の背中を滑り、腰元にまで降りた毛先が軽く揺れる。その際に淡い柑橘系の香油の香りが鼻腔に届き、彼女の容姿によく合った香りだと胸中で思う。
 客人の女性はぱっちりした紺碧の目を此方へ向け、
「【アニトラ】のストレート、シングルを、マスター」
「──お嬢ちゃんはどうするね?」
 先程【アニトラ】を口にしていたのは大男の方だったのを見ていた為、大して意識した言葉ではなかったが当の本人は聞かれるとは思っていなかったらしく、口許に曲げた人差し指を当てて一時思案する。それから言葉を紡いだ。
「じゃあ、【マデリエネ】のロック、ダブルを……」
「水は?」
「お構いなく」
 コロコロ鳴る鈴のような女性の声を聞いた所で丁度グラスの始末を負え、背後の手近な棚から【マデリエネ】のボトルを抜き出して手元に置き、若干離れた場所にある【アニトラ】のボトルの元へ杖を付いて向かう。
 ボトルを手にして折り返す際、ふと視線を感じてカウンター席に眼を向けると女性が此方を注視していた。
 正確には自身の足元、右側を。
 作業場へ戻って用意した其々のグラスに液体を注ぎ込み、先じて女性の手前に【マデリエネ】を注いだグラスを置く。僅かに溶けたグラスの中の氷がグラスに辺り、カラン、と風情な音を立てる。
 女性の目は手に包んだグラスの中に伸びていたが、意識の片鱗はまだ此方の右足に在るのを感じ、心持肩をすくめて見せる。
「何か気になるかい?」
「あ、いえ、何でもありません」
 女性は慌てる風でもなく、しかし率直に謝辞の言葉を述べ、小柄な身体に見合う可愛らしい手に包んだグラスを浅く呷る。先程も注文を出していた為に血色の良い上下の唇の隙間から、ふう、と小さく息をつくと、再度グラスを口許に運びつつ、彼女は連れ添いの大男が消えたカウンター脇の扉へ視線を投げる。
「彼、旦那さんかい?」
 その問いを聞いた彼女は条件反射の如き素早さで眼を見開き、そしてまだ中身の在るグラスをテーブルに叩きつける。当たり前か、激しくむせた。
 ミネラルウォーターをグラスに注いで、まだ咳き込んでいる女性の傍に置く。女性は其れを文字通り引っつかんで人目を憚る様子もなく──とは言うも、彼女以外に客はいないが──喉を鳴らしてあっという間に飲み干した。そこで落ち着いたかと思ったが、
「ちち、ち、ち、違いますよそんなんじゃナイデスッ──!」
 身振りを交えたその必死の弁解を受け、今度は謝罪の意も含めて実際に肩を軽くすくめる。
(だろうね──)
「えっと彼は、んー……、同──相棒、……です?」
 彼女はそう、自分の身なりに関した話でありながらどこか自身なさげに、しかし律儀に答えを返してきた。彼女がテーブルにこぼした【マデリエネ】の液体を拭き、ついでにグラスの外周に付着した液体も丁寧にふき取る。
「何処か、自信がないようだね?」
 実に痛い場所を突かれたとでも言うように、彼女はまさしくぎくり、といった具合に小さく肩を揺らす。そしてその失態を掻き消そうとするように【マデリエネ】を一気に飲み干すと、もう一杯、今度はストレートをダブルで頼んだ。
 隠せない性質なんだな──
 今時のその手の"業者"にしては珍しいほどの純粋さを持つ彼女に対して軽い笑みを浮べ、入れなおしたグラスを彼女に手渡す。すると今度は一気に其れを呷って飲み干した。
 グラスを置いた客人の表情は明らかに赤らんでおり、その事から女性が余りアルコールに対して耐性があるようには思えない事が窺える。
 淡い紺碧を宿した双眸にも意識の変化が現れ、次に女性が何かしらの本音を漏らし始めるのを直ぐに察知した。場末で何十年もこの職に携わっていれば、その程度の事は意識しなくても感知できるようになってくるのが当然だ。大体、あの大男と女性の関係性も判っている。
 事実、女性は語気こそ抑えているものの、正にどんぴしゃりといった言葉を次に口にした。
「──私、彼と組んで仕事してるんですけど、」始めにそう言い、早々に乾いた舌を濡らす為かグラスを一度呷る。
「彼と一緒でいいのかな、て思うんです……」
「何故、そう考えるんだい?」
 その問い返しに彼女は小さく俯きつつ、グラスの中の【マデリエネ】を舐める。
「分かんないんですよ。彼是半年もパートナーやってるのに、全然全く彼が何考えてるのか角砂糖一杯分どころかゴマ一粒程度も──」
 そういった彼女の語尾は僅かに怒気を含み、落ち着かせる意図も含めて先程渡したミネラルウォーターのグラスに視線を向ける。此処でさらに呑ませるような事をすれば、大概顛末はろくなことにならない。
 客人の酔い具合を調節し管理するのも、場末のバーとはいえ其処を営むマスターの役目である。そしてそうした方が、客にとっても店側にとっても最終的にありがたい結果になることのほうが多い。
 此方の気遣いを受けて若干真に戻ったのか、客人の女性は上がっていた肩の力を緩めると此方の意図通りに、【マデリエネ】ではない、ミネラルウォーターの入ったグラスに唇をつけた。そのグラスがテーブルに置かれるのを待ち、
「──半年しか経っていない、そう考えなさい。互いにとっての節目、君のようにパートナーを持ったその時期はよく失態を招き易いものだよ。──心を深く持って互いを信じ、接しなさい」
 自身の言葉に、自分より二回り以上も若い風貌の客人は、居心地を悪くしたように身体を軽くよじらせた。
 ──嗚呼、少し悪い癖が出てしまったな
 自身の行為に対して苦笑し、
「すまないね。老人の戯言と思ってくれ──」
「い、いえそんな。ああ、私からこんな話をするなんて、うう、すみません……」
 そういって彼女は反省の色を見せる。
 本当に素直な子だ──
 数十年前にもなるくせに未だに教官時代の悪い名残りが、今回のような若い客人の愚痴に対して出てしまう事がある。そう思い、気付くと下ろしていた右腕がいつの間にか義足の右足に触れていた。
 思い懐かしむように義足の太腿の部分をさすり、その直後、カウンター脇の扉が不意に開かれた。先程から姿を消していた彼女の連れだ。
 ホールへ戻ってきたかと思うと、まず最初に女性がカウンターに座っているのを確認する。続いて奥のテーブルへ向かい、二人分の手荷物を回収するとまっすぐにカウンターへと踵を返してきた。
「お嬢ちゃん──」
「は、はひ?」
 若干上ずった口調で若い身空の客人が言葉を返す。
「傷付いた鴉を知る為に、自らも同じ鴉になる事はない。──手懐ける必要もない。君が相棒である事を諦めなければ、大丈夫。精一杯、頑張りなさい」
「ありとうございます──て、鴉……アレ、私何処で──うそ、あれっ?」
 落ち着きなく慌てふためく彼女を尻目に、連れ添いの大男がカウンターの横に立つ。
「ティア、状況が変わった。行くぞ、出撃する」
 そう言うと大男は、此方が差し出した【アニトラ】のシングルを一呷りで飲み干し、紙幣を数枚置く。素早く女性の腕を取って立たせると、彼女の背中をぽん、と押した。
「え、ちょっとダイ、え、出撃って、ええっ──」
 ホール内を出口の緩い建付け扉に向かって歩いていく二人の背中を見送り、大男の背中にのみ届く程度の声音で声を掛ける。
「彼女に、優しくな──」
 建てつけ扉をくぐる間際、大男はその気遣いに応えた。
「……わざわざ、忠告をどうも」
 そう言い残し、この数時間で唯一の客だった二人は扉を潜り、その先の石階段を足早に駆け上がっていった。
 あの男は最初にこの店へやって来た時から、此方の素性を既に見抜いていた。
 彼女と同じように私の不自由な足を眼にして、互いに視線を交えたからだ。
 足を洗って何十年経とうとも絶対に消える事のない、烙印のように刻み込まれた"鴉"としての意識。
「ふう……、さて、と」
 今時はあんな若い娘でもオペレーターになるのだなと胸中でそんな事を考え、しばらくして年相応のその言葉に思わず口許を歪めた。
 閑古鳥の巣を去っていった二人の若い鴉達の残り香を最後に思い、彼らが残していったグラスを片付けるべくカウンターに手を伸ばした。

「頑張れよ、若いの」



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