「Intermission -Cherry blossoms in full bloom-」


 執筆者:クワトロ大尉(偽)


 とあるコロニーの市街地を一人の少女が歩いている。彼女の名はシルヴィア・マッケンジー。若干16歳でありながら独立傭兵組織『サンドゲイル』の一員にして、戦力の中核を担うレイヴンの一人でもある。
 しかしそんな肩書を持つ彼女も、ACを降り、母艦であるリヴァルディの外へ出れば、この市街地に住む一般の女の子と何の変りもない。今日は日用品の買い物のついでに、市街地を散策しようと、一人街を歩いていた。
「えへへ、さっきの雑貨屋さんカワイイ小物がたくさん売ってたなぁ。今度エイミさんやイリヤを誘ってまた来ようっと」
 買い物用のトートバックを、ちらと覗き見ながら微笑むシルヴィア。その姿は年相応の少女そのものだった。
 ――このコロニーって、規模は大きくないけど、街並みが綺麗で好きだなぁ。治安もいいみたいだし、街の人たちも生き生きしてる。
 現在サンドゲイルが寄港しているコロニーは小規模ながらも自治権を獲得しており、貿易などの中継地点として栄えていた。企業による支配などもなく、今の時代には稀な争いとは縁遠いコロニーである。5年前のアーセナルハザードの時も被害をほとんど受けなかったこともあり、街並みはレトロチックで趣きが感じられる。
 ――なにより自然が多く残っているところがいいなぁ。風が気持ちいい。
 シルヴィアの頬を心地よい風が優しく撫でる。天気はこのところ快晴続きで、陽気も暖かく、春めいていた。
 市街地の繁華街を一通り歩いて気になった店などを見て回り、そろそろ帰ろうかと思っていたシルヴィアは、突然吹きつけてきた強風に髪を押さえつつ目を細めた。
「きゃっ!……もう、そよそよ吹いている分には気持ちいいのに」
 春風のいたずらに頬を膨らませつつ目を開けると、ふと足元にさっきまで無かったものがあることに気付く。
「あれ?これって……」
 屈んで、その『あるもの』を拾い上げる。シルヴィアの細く小さな指の間にあるのは、淡い桜色の小さな花びら。
 ――どうして桜の花びらがこんなところに……。
 そう思いつつ、さっき突風が吹いてきた方向に視線を移すと、その先に小高い丘とそこへ続くなだらかな坂道が目に入った。よくよく見てみれば、桜の木の上部も見える。
 ――丘の上に公園があるのかな?ちょっと行ってみようっと!
 はずむ足取りでシルヴィアは丘の上に続く坂道へと足を向けた。
 5分も歩かないうちにシルヴィアは丘の頂上まで辿り着いた。坂道の終点は彼女が予想した通り、市民公園の入り口へと繋がっていた。低い塀が市民公園の大きな出入り口のゲートの左右に広がっている。公園の規模はかなり大きいようで、ここからでは左右に伸びる塀の終わりは見えない。
 ――丘の上全体が公園になってるのかな?
 期待を膨らませつつ、公園内に足を踏み入れると彼女の目に驚くべき光景が広がっていた。
 柔らかな陽光に照らされ、淡く色づく桜の木が辺り一面に咲き乱れていた。公園の中央に続く道の両側にも桜の木は立っており、花びらが舞う桜並木となっている。
「綺麗……」
 桜が彩るトンネルとなった道を歩きながら公園の中央広場へと向かう。道を行きかう人々は親子連れや友人と連れ立って遊ぶ若者、のんびりと散歩を楽しむ老人、カップルなど様々で、誰もが穏やかな表情をしていた。
 程なくしてシルヴィアは中央広場へと辿り着く。中央広場は真中に大きな噴水があり、そこを起点に大きな円形状の広場になっていた。外周には円に沿って等間隔にベンチが置いてあり憩いの場としては最適だろう。広場を挟んで、ゲートの反対側には広大な野原が広がっており、寝転んで昼寝をする者、レジャーシートを広げてピクニックに来ている家族、キャッチボールなどのレジャーを楽しむ若者など、それぞれが思い思いの時間を満喫していた。
 向かって左側に目を移すと、遠目に市街地が見える。近づいてみると柵が張られており、どうやら展望台になっているようだ。
「わぁ、いい眺め。やっぱり綺麗な街並みだなあ、ここって」
 眼下に見下ろすノスタルジックな市街地を前に思わず溜息が漏れる。柵の上に腕を乗せ、身体を預けながら街並みを眺めていたシルヴィアは、ふと腕時計に目を移した。
「あ、いけない!もうこんな時間」
 帰艦予定の時刻が近付いており、ここからだと少し急がなければ間に合わなくなる。実際は遅れても「遅かったな」と言われるくらいで実質的な問題は無いのだが、リヴァルディのクルーの一員として遅れる訳にはいかなかった。
 ――今度……ううん、明日にでもみんなを誘って来よう!
 そう心に決め、踵を返して元来た道を引き返す。ゲートに向かおうと歩いていると、中央広場の噴水の更に奥に、建物がある事に気付いた。展望台の反対側、つまりシルヴィアが中央広場に来た時に向かって右側の奥にそれは建っていたのだ。
 ――あれ、なんだろ?もしかして、あの形って……。
 噴水のあたりまで来ると、その建物が何であるかは一目瞭然だった。古い西洋建築で特徴的な三角屋根のてっぺんには大きな十字架が立っていた。そう、教会である。
 桜の木に囲まれた教会は小ぢんまりとしているが、それでも荘厳な雰囲気を纏っており、その周りを桜の花びらが彩っている様は言葉では言い表しきれないほど幻想的な光景だった。
「すごい……素敵」
 思わず少しの間、その幻想的な光景に見惚れてしまっていたシルヴィアはハッと我に返った。
 ――あ、いけない。帰らないと!
 シルヴィは名残惜しそうに教会を横目に見つつ、公園を後にする。
 ――あんなに素敵な場所があるなんて知らなかった。明日、みんなを誘って絶対もう一度行かなくちゃ!
 微笑みながら、はずむ足取りでシルヴィアはリヴァルディへと帰艦した。
 その夜。艦内の食堂でイリヤとエイミの三人で食事をしたシルヴィアは、食後のお茶を飲みながら市街地の様子と、丘の上の公園のことを二人に話した。
「でね、キレイな桜がいっぱい咲いてるの!広々としてて、市街地を見下ろせる展望台とか、とってもいい眺めなんだから!」
「へぇ、そんな場所があるなんて知らなかったわ。是非行ってみたいわね」
「とても興味深いわね。桜はアーカイブのデータでしか見た事が無いから実際に見てみたいわ」
 話を聞いていたイリヤとエイミもシルヴィアの話に興味津々といった様子だ。そんな彼女たちの反応を見て、シルヴィアのテンションは益々上がってゆく。
「でしょう?ねぇ、明日みんなで一緒に行こうよ!」
「そうねえ。明日はオフだし、せっかくだから行ってみましょうか」
「賛成。楽しみだわ」
「じゃあ明日はみんなでお花見ね」
 微笑みながらエイミが言った言葉に、きょとんとした表情をするシルヴィアとイリヤ。
「オハナミ?エイミさん、なんですかそれ?」
「私も聞いた事がないわね。何かの暗号?」
 二人の反応を見て、エイミは少しばつの悪そうな顔になる。
「あはは、ごめんね二人とも。『お花見』っていうのは日本語なの。東洋で桜を見に行くと言えばお花見だから、ついね」
「それはどういう意味の言葉なの?是非教えてほしいわ」
 イリヤは生来の性分なのか知識に対して貪欲なところがある。エイミに向ける視線は好奇心に満ちていた。
「お花見って言うのはね、何て言ったらいいかしら……。桜を見るのをメインイベントにしたピクニックみたいなものかしらね」
「ピクニック?じゃあお弁当とか持っていったりするんですか?」
 エイミの説明にシルヴィアも興味を示していた。
「そうね。お弁当とか、大人だとお酒も持ち寄ったりして。宴会にばっかり気が行っちゃって、桜を満足に楽しまないなんていうお粗末な話もあるけど」
「お酒云々はともかく、桜の下でお弁当を食べるなんて気持ちがよさそうね」
「うん、楽しそう。じゃあ明日はお弁当を持って、みんなでオハナミだね!」
 三人はそれぞれ顔を見合わせて微笑みあった。
「じゃあ、お弁当は何がいいかしらね?軽めにサンドイッチとかでいいかしら」
「桜を見に行くのがメインイベントなんだから、それでいいんじゃないかな」
 明日の花見について三人で話し合っていると、食堂に長身の青年二人が連れだって入ってきた。その内の一人、前髪を赤く染めた青年が楽しそうに話しているシルヴィアたちを見つけて近づいてきた。
「よう、何みんなで楽しそうに話してるんだ?」
「あ、マイ、それにシーアさん」
 リヴァルディの主力レイヴンであるマイ・アーヴァンクとシーア・ヘルゼンは、それぞれ手にコーヒーが入ったマグカップを持っていた。彼らもお茶をしに来たのだろう。
「うん、実はね、明日みんなでお花見に行こうって話になったの」
 エイミが、空いている椅子に座ろうとしているマイとシーアに話題を簡単に説明する。
「オハナミ?なんだそりゃ?」
「ほう、花見か」
 二人のリアクションは正反対だった。特に、花見について知っている素振りを見せたシーアにはマイの他シルヴィアやイリヤも驚いた様子を見せる。
「なんだよ、シーアは知ってるのか?」
 意外だ、というような表情をするマイにシーアは涼しい顔で答える。
「俺はお前と違って勉強家なんだ」
 それを聞いてムッとするマイを横目にシーアは少し得意になって花見について説明をし始める。内容そのものは先程エイミが話した内容と大差なかった。
「と言う訳だ。どうだエイミ、間違いないだろう」
「ええ、それで合ってるわ」
「ちぇっ、どうせシーアもエイミさんに教えてもらったんだろ?」
 マイは面白くないのかシーアに食ってかかる。
「ああ確かにな。しかし、知っているのと知らないのとでは大きな差だ。お前はもう少し知識に対して積極的になったほうがいいぞ。イリヤを見習え」
 食ってかかったのはいいものの、痛いところを突かれたのか、言葉に詰まってしまうマイ。そんなマイを見て、ますます得意になっているシーアをジト目で見るエイミの姿があった。
「そこまで言うなら、女心ももう少し勉強しなさいよね……」
 シーアとマイには聞こえないように言い放ったその言葉を聞いて、シルヴィアとイリヤはクスクスと笑った。
「ん?何か言ったか、エイミ」
「別に何も。それより二人ともどうするの?明日、一緒に行く?」
「俺は行こう。一度、花見というものをしてみかたったんだ」
 即答したシーアに対して、マイは迷っているようだった。
「うーん、俺はどうしようかな。桜なんか見たって、別になぁ」
 そのマイの言葉にシルヴィアは若干ムキになったように言い返した。
「桜なんか、なんて言いかたしないでよ!実際に見たこともないのに!!」
「え、シルヴィ?なんで怒ってんだ?」
 マイはシルヴィアの反応に驚いたようだった。彼にとっては何気ない一言だったが、シルヴィアからしてみれば自分が綺麗と感じたものにケチをつけられたのも同然なのだから、無理もない。
「シルヴィの言うとおりね、そういう言い方は良くないわ。彼女の気持ちも少しは考えてあげないと」
 イリヤの冷静な言葉に、マイも自分に非があった事を認めたのか、ばつが悪そうに頭を掻きつつシルヴィアに謝った。
「あー、ごめんシルヴィ。もう少し言葉を選ぶべきだった」
「あ、うん。ボクの方こそ、怒鳴ったりしてごめん」
 場が収まったことを確認したシーアが話題を戻そうと口を開いた。
「で、どうするんだマイ?どうせ明日は予定無いんだろ?一緒に来ればいいじゃないか」
「そうだな……散歩がてら行くのも悪くないか」
 マイの言葉を聞いて、シルヴィアの表情がぱぁっと明るくなるのをエイミとイリヤは見逃さなかった。二人は似たような事を考えていたと互いに感づいたのか、微笑みあった。
「決まりね。じゃあ明日のお弁当は私が作るわ」
「なら、私も手伝うわね」
 エイミとイリヤは申し合わせたようにお弁当作りを買って出る。
「あ、じゃあボクも……」
「お弁当はサンドイッチだから二人もいれば充分よ。シルヴィちゃんは飲み物とお菓子を用意してくれる?」
「そうそう、二人いれば充分すぎるわ。こういう時は役割分担が重要よ」
 若干よそよそしいエイミとイリヤの雰囲気に首を傾げつつも、二人の胸中など知る由もないシルヴィアは素直に提案に頷いた。
「俺たちは何かやることあるか?」
 シーアの問いにエイミが答える。
「そうねぇ。遊ぶものでも持っていったら?」
「遊ぶもの?フリスビーとかか?」
「広場もあるし、実際にやってる人もいたよ」
「じゃあ、簡単に出来そうなものを適当に見繕っていくか」
 シルヴィの言葉を聞いて、シーアも持っていくものに思案を巡らす。
「明日の何時くらいに出発するんだ?」とマイ。
「朝10時くらいに出発すればお昼前に着くんじゃないかしら?で、向こうでランチにすればいいでしょ」
 そう言いながら、エイミはそれぞれの顔を見る。反対する者はいないようだ。
「それじゃあ、明日0950に食堂に集合ね。みんなミッションに遅れないように」
 エイミのちょっとしたジョークに皆で笑い合いつつ、それぞれの部屋に戻っていった。
 翌日。指定された時間どおりに全員食堂に集まっていた。マイとシーアは普段と変わらぬ服装だったが、シルヴィア・イリヤ・エイミの三人はそれぞれの個性にあった春らしい服装で着飾っていた。
「……二人とも、なんで普段通りの格好なのよ」
 エイミは若干呆れつつ男性陣二人、特にシーアを見ながら言う。
「ん?花見をするのに服装を変えなきゃいけない決まりでもあったのか?」
「別にないけど……はぁ、もういいわ。時間がもったいないから行きましょう」
 そう言いながら、エイミは大きめのバスケットをシーアに手渡す。
「おい、何だコレ?」
「何ってお弁当よ。五人分なんだから、これくらいの量になるのは当然でしょ」
「いや、そうじゃなくてだな。なんでお弁当を俺に手渡す?」
 シーアの言葉にいよいよエイミはムッとした。
「なんでって、アンタ手ぶらじゃない!私とイリヤは朝早く起きて五人分のお弁当作ったのよ!?それ以前に、男なら女の子の荷物を自分から持つくらいの気を利かせなさいよね!」
 言いながらエイミは再度バスケットをシーアの胸にぐいと押し付ける。エイミに怒られて困惑気味のシーアを見てマイは心底可笑しいというようにニヤニヤ笑っていた。
「ハハハ、気が利かねえなシーア。それくらい俺だって気付くぜ?もうちっと勉強したほうがいいんじゃねーの?」
 昨日のお返しと言わんばかりにシーアをからかうマイ。
「うるさい。さっさと行くぞ」
 マイの言葉など少しも気にしていない様子で食堂を出るシーアだったが、「シーア、そっちはブリッジ方向だけど?」と、イリヤの鋭いツッコミで動揺していることがバレバレであった。
「ぎゃははははっ!シーア、ダッセェ!」
 シーアはキャップを目深にかぶり、逆方向に踵をかえしながら足早に歩いて行ってしまった。
 外に出ると、昨日に引き続いて陽気は春めいており、暖かな日差しと風が心地よかった。
「ここからはボクの役目だね。案内はまかせて!」
 シルヴィアは軽やかな足取りで先頭に立つ。公園に向かう間、市街地のメインストリートにある店の説明もしながらシルヴィアは楽しそうに歩いた。イリヤとエイミは美しい街並みやシルヴィアが昨日立ち寄った店に目を輝かせており、マイとシーアも普通とは趣の違う街に興味を抱いていた。
 そうして、丘の上の公園に続く坂にさしかかる手前まで来たところで、エイミが突然思い出したように声を上げた。
「いけない、レジャーシート用意するの忘れちゃった」
 するとイリヤがまるで申し合わせたように、すかさずエイミに言う。
「無いと困るわね。なら近くのお店で買ったらいいんじゃないかしら?」
「そうね。じゃあ私とイリヤはレジャーシートを買ってくるから、シルヴィちゃんとマイ君は先に行って場所を確保しておいて」
 まるで計算し尽くしたような段取りに、シルヴィアとマイはただ頷くことしかできなかった。ただ一人の例外を除いては。
「よし、エリアの確保は俺たちに任せろ。こういうのはレイヴンの仕事だからな!じゃあ行くぞ二人と……ぐぇっ!」
 張り切って先頭を行こうとするシーアの襟を思いきり後ろから引っ張るエイミ。当然シーアはつんのめって首が締まった状態になる。
「ぐはっ……ごほっ……な、何するんだエイミ!殺す気か!!」
「アンタはこっちに来るの!また女の子に荷物持たせる気!?さっきの教訓が全然活かされてないじゃない」
「荷物って……もう持ってるだろうが!」
「もう一つくらい持てるでしょ?アンタは普通の人より力持ちなんだから、頼りにしてるのよ?」
 そう言いながらシーアにウィンクするエイミ。対するシーアは頼りにしていると言われ、悪い気はしなかったのか、明らかに態度を軟化させていた。
「そうか……なら仕方ない。俺も行こう」
「それじゃあ先に行っててね、二人とも」
 今まで歩いてきたのとは逆方向に足を向けつつ手を振るエイミ。恐らく来る途中で通りすがったホームセンターに行くのだろう。
「……なんだアレ?」
「さぁ?」
 自分たちの付け入る隙もないまま決まってしまった役割分担に若干訝しみつつもマイとシルヴィアは公園に続く、なだらかな坂を登り始めた。
 坂を登り始めて、ふと視線を感じたシルヴィアは後ろを振り向いた。すると、少し遠目だがエイミとイリヤが笑顔で手を振りながら口をぱくぱくさせているのが目に入った。こちらに何かを伝えようという二人の意図をすぐに感じ取ったシルヴィアは、目を細めて、彼女たちの口元に注目する。もともと目が良いシルヴィアは彼女たちが自分に何を伝えたいのかすぐに理解できた。そして、それを理解すると同時にかぁっと顔が熱くなるのを感じる。
『がんばれ』と、エイミとイリヤはシルヴィアに向けて言っていたのだ。ここまでの彼女たちの不自然な振る舞いは、シルヴィのマイに対する恋心を知っている二人がシルヴィアを応援するためのものだった。良い雰囲気のもとで二人きりの状況を作り、仲を深めようという算段である。
 ――ありがとう、エイミさん、イリヤ。
「なにボーっとつっ立ってんだ、シルヴィ」
「ひゃあっ!?」
 胸中で二人に感謝していたシルヴィアは、いきなり背中から声をかけられ思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「な、な、なんでもない!えっと……そう、エイミさんとイリヤが手を振ってたから、振り返してただけ!」
 顔を赤くしつつ、オーバーなリアクションで弁解するシルヴィア。
「なんだよ、おかしなやつだな。ほら、行くぞ」
 笑いながら視線で促しつつ、シルヴィアの先を行くマイ。その背中を追うようにシルヴィアも後に続く。
 ――うぅ、意識するとやっぱり恥ずかしいよぅ。
 さっきまではごく自然に振る舞えたのに、意識した途端にぎこちなくなってしまう。とりあえず落ち着くため、マイの背中を見ながら歩いていたシルヴィアはふとあることを思い出した。
 ――そういえば……昔はこうして二人で外出する時、マイはボクの手を引いてくれたっけ。
 5年前、サンドゲイルに来たばかりの頃のシルヴィアは今よりももっと引っ込み思案で大人しい女の子だった。両親を亡くして塞ぎこんでいるシルヴィを見かねたマイは、よく彼女を連れて一緒に遊び回っていた。それが今の二人の関係の始まりと言ってもいい。
 ――いつからかな、手を繋がなくなったのは……。
 そして、いつから彼を兄としてではなく、一人の男性として見るようになったのだろうか。
「お、着いたな」
 マイの背中をぼーっと見つつ、思考を巡らせていたシルヴィアは彼の声で現実に引き戻される。
「あ……うん。じゃあ、ここからはボクが案内するね!」
 ――考えていたって仕方がない、今この瞬間を楽しまなきゃ!
 そう思い直したシルヴィアの顔には笑顔が戻っていた。シルヴィアはマイを追い越して、はずむ足取りで公園のゲートをくぐった。


 シルヴィアに続いて公園に足を踏み入れたマイは、頭上に咲き乱れる見事な桜を見上げた。桜色のトンネルを作り出している桜並木を花びらが舞い散る様は、木々の間から刺す木洩れ日と相まって、とても幻想的だった。
「へぇ……」
 マイは美しく咲き乱れる桜を見て、素直に感心していた。まさかこれほど見事な光景だとは思っていなかったのである。そして同時に、昨日シルヴィアが自分の発言に対して怒った理由を瞬時に理解した。
 ――これなら人に見せたくなるよな。シルヴィに悪いことしちまったな……。
「ねぇ、マイ。早く早く!」
 シルヴィアのはずむ声を聞いて意識が引き戻されたマイは、桜を見るために上げていた視線をシルヴィアの方へ移した。その瞬間、自分の胸が大きく脈打つのをマイは感じた。
 舞い散る桜の中で、笑顔で自分を待つ一人の少女。それは他の誰よりも知っている筈なのに、今初めて出会ったような、そんな錯覚を覚えた。
 今日のシルヴィアはいつもと少し雰囲気が違っていた。服装のコーディネートがいつもより大人びているのである。今まで気付かなかったというのも妙な話だが、その服装といつもとは違うシュチエーションが相まってシルヴィアの女の子らしさに衝撃を受けたのだった。普段から彼女を妹の様に思っているマイにとって、それは未知の感覚だった。
 まるで魂が抜けてしまったかのように立ち尽くすマイの元に、若干心配そうな顔でシルヴィアが近づいてくる。
「どうしたの、マイ?大丈夫?」
 普段とは違う、女の子らしいシルヴィアに見惚れていたマイは、いつのまにか間近に迫っていた彼女の顔を見て、目を白黒させる。
「あ、あぁ。あのさ……シルヴィ、だよな?」
 そんなマイの間の抜けた言葉を聞いて、シルヴィアはクスクスと笑いだす。
「何言ってるの?変なの。ねぇ、それより先に行こうよ。奥にはもっと凄いものがあるんだから!」
 そう言うとシルヴィアはミニスカートを翻し、中央広場へ駆けだそうとして、何かを思い出したように突然立ち止った。そしてマイの方へ振り返り、意を決したように素早く右手でマイの左手を掴んだ。
「……え?」
 突然手を掴まれたマイは頭が真っ白になってしまった。掴まれた左手から視線を上げると、そこには頬を赤らめたシルヴィアの可愛らしい顔があった。
「ほら、行こ!」
 そうして突然駆けだしたシルヴィアに引っ張られて、つんのめるように走り出すマイ。
「ちょ、おい!」
 身長差が約20cmもある二人では、力は当然マイの方が強いが、今はそれが逆転してしまったかのようにマイはシルヴィアにぐいぐい引っ張られていく。
 シルヴィアは中央広場の噴水に差し掛かると、迷わず右へ進んだ。その先にあるのは桜に囲まれた小さな教会。あの荘厳かつ幻想的な光景をもう一度、そして今度はマイと二人で見たかったのだ。
 教会が視界に入ってきたところで、シルヴィアは走る速度を緩めた。何故なら昨日と違って、教会の周りに人だかりが出来ていたからである。
「あれ?なんで人があんなにたくさんいるんだろう」
 言いながら走るのをやめ、歩いて近からず遠からずの距離で立ち止まる。一体なんだろうと目を凝らそうとした時、教会の鐘が鳴り響き、同時に扉が開け放たれた。その瞬間、わぁと歓声が上がり、中から男性と女性が腕を組みながら出てきた。男性はタキシード、女性は純白のドレスに身を包んでいた。そう、結婚式である。
「わぁ……」
 家族、友人・知人から祝福を受ける新郎新婦は幸せに満ち溢れており、周りの桜までもが彼らを祝福しているようだった。それはこの争いの絶えない時代に生きる人々のささやかな幸せの一コマであった。
「素敵……」
 シルヴィアはウェディングドレスに身を包んだ花嫁に見惚れていた。そんな彼女を見て、マイは改めて気付く。
 ――そうか……シルヴィも、女の子なんだよな。
 これまで一緒にいるのが当たり前だと思っていた妹の様な存在。しかし、シルヴィアもいつまでも子供ではないのだ。自分と同じように、彼女もまた大人として成長していく。
 そうして、ふとまだ手を繋いだままだったことに気付く。しかし今はまだ、その手を離す気にはならなかった。シルヴィアの細く小さな手に意識を向ける。こんなか弱い手で操縦幹を握り、日々レイヴンとして彼女は戦っているのだ。
――護って、やらなきゃな。
 そう改めて想い直す。その感情は今まで持ち続けてきた想いと本質は変わらない。しかし、どこがどうとは言い表せないが、確かに今までと違う部分があるとマイは感じていた。それは、幼いころ初めてシルヴィアと出会った時とも、イリヤを助け出した時に思ったものとも違う。だが、それが何であるかを理解するには、マイもまだ経験が足りなかった。
 気付けば結婚式を行っていた人々は別の場所に移動を始めており、教会の前には二人だけが残っていた。
「綺麗だな」
「うん……」
 白い教会は舞い散る花びらに彩られ、桜色に染まっているように見える。その美しい光景にしばし二人は見入っていた。手は繋いだままに。
 しばらくして少し強めの風が吹き、桜吹雪が二人を襲う。
「きゃっ!」
 シルヴィアの風に揺れる髪を押さえる仕草が可愛らしく、マイはどきりとする。その感情を悟られまいと、頬を指で掻きつつマイは切りだした。
「えーっと、そろそろ戻って場所を確保しないと。もうエイミさんたちも来るころだろうし」
「あ、そうだね。じゃあ中央広場に戻ろうか」
 そうして、まだ二人とも手を繋いだままに中央広場へと引き返した。
 ――そういや、こうして手を繋ぐのって何年ぶりかな。
 もう正確には覚えていないが、随分前のような気がする。そして、あの時と今では抱いている想いが違うというのも分かっていた。その違いが何であるかと思考を巡らせようとした時、シルヴィアが声を上げた。
「ねぇ、あそこらへんがいいんじゃない?」
 シルヴィアが指差す方向に視線を移すと、ちょうど公園の桜を見渡しつつ、スペースが広く取れる野原の一画があった。
「あぁ、良さそうだな」
 そうして何気なく視線を出入り口ゲートの方に巡らせると、見知った顔がきょろきょろしながらこちらに向かってくるのが目に入った。
「あ……」
 シルヴィアもそれを見つけたのだろう。どことなく名残惜しそうな声を上げる。そして、どちらからともなく手を離した。
 エイミたちを出迎えるため、二人並んで歩く。すると不意にシルヴィアが口を開いた。
「ねぇ、マイ。また今度……」
 そこまで言って、シルヴィアは言葉を切ってしまった。そして振り返りながらマイの前に立ち、「やっぱりなんでもない!」とウィンクしながら言い、スカートを翻してエイミたちの所へ駆けだしていった。
 そんな彼女の背中を、マイは暖かい目で見つつ、後を追うように走り出した。


 Intermission ‐Cherry blossoms in full bloom‐ END


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最終更新:2011年09月17日 23:39