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第十五話/ /第十六話*

 第十六話 執筆者:宮廷楽人・タカ坊

-Non omnia possumus omnes.(私達は皆、全てをこなせるというわけではない)-


 サンドゲイルが所持する陸上装甲艦――リヴァルディ。その艦内に毛細血管のように張り巡らされている鈍色の廊下を足早に走る青年の姿がある。その駆けようたるや、一心不乱の一言に尽きるもの。脇目も振らずに、些かも我が身を労わることもなく走り抜けている。
 一定の音階を続けて響かせる足音は、打ち付けるように強い。金属壁で囲まれた廊下の内側に反響している。嘆きの声音を思わせる音律は、青年の心の動揺を反映してのものか。
 青年の名はマイ・アーヴァンク。この陸上装甲艦「リヴァルディ」を根城とする遊撃傭兵部隊――サンドゲイルに所属する傭兵の一人である。
マイは自身を追いかける存在を知覚するも、それに頓着することなく走り続ける。乱れる呼吸を整えることすら忘却し、自室へと飛び込む。
 部屋の主が帰ったことを感知したことで、部屋内に淡白色の照明が灯る。室内の明度に反して、マイの心の中は月の覗かない、深夜の如き暗雲に包まれていた。
 マイは自身の心中に渦巻いている言葉に出来ぬ何かを感じ取る。行き場を失ったそれは、濁り混じった血潮の流れとなり、心の内側を延々と巡り回っている。
 その何かは吐露される瞬間を今か今かと待ち望んでいる。しかし、不定形なそれは一向に形づくことはなく、指向性を持つことを拒絶する。その何かは明確な意味をなす言葉に形成されぬまま蓄積されていく。
 マイは己が心中に渦巻く憤りの感情を言葉に出来ず、またそれをどうやって出力すればいいのかわからないでいた。
 そうして内に累積する感情の土砂が徐々に身体を蝕んでいく。暗い衝動に突き動かされたマイは、硬く握りこんだ拳を壁面へと叩きつけた。
 鈍い音が短く鳴る。その衝撃に拳骨が痛む。
「畜生、俺は……俺は……」
 不定形な感情がただ、憤りの言葉となって吐露される。
 ふら付く身体、その背面に壁面が接触する。今の今まで身体を懸命に支えていた脚がとうとう力を失い、身体は壁面に沿ってずり落ちていく。身体が地につき、冷えた床面が心中に渦巻く熱を奪っていく。その冷たさは、自身に冷静さを取り戻すよう促しているようにも思える。
 旧ナルバエス地方に存在する旧世代遺跡――アスセナ。既に廃棄されて久しい施設より救出した――No,00と名乗る少女を、遺失技術文化社団――通称・ターミナルスフィアに預ける。が今回の一件である。
 スフィアとの間に結ばれた協定は、スフィアが持つ技術資材を各組織に提供する際に、サンドゲイルに対する武力行使の停止を要請するというものだ。
 ターミナルスフィアへこのような内密な交渉ができたのは、サンドゲイルのリーダーであるシェルブ・ハートネットが持つ独自のコネクションにあった。
 半ば独断に近い形でシェルブはこの交渉を行ったものの、それは決して正面からの非難に値するものではない。むしろ組織を預かる身である以上、組織の安寧を保つためのこの行動は賞賛されて然るべきなのだろう。
 シェルブの判断は決して傲慢などではない。責任ある立場にある者ならば、なべて備えているべき教訓の一つだ。そうである以上、シェルブを咎めることなど出来はしない。
 例え少女――イリヤを救出したのが自分であり、またその責を負うという覚悟があったとて、責任者はそれを汲み取る義務はないのだ。
 マイは順次、思考をまとめていく。勢いの余り食って掛かったものの、イリヤをサンドゲイルで保持し続けるのが危険なのは、充分に理解できることだ。
 純粋に各種企業からのみ狙われるのであれば、幾らかマシと言えるだろう。だが事と次第によっては、企業はその組織規模を最大限に利用する。そしてあらゆる手段、あらゆる手法を利用し、対象――つまり自分達を追い詰める。それが今後、都市レベル、あるいは民間レベルにまで到達する可能性さえ充分にありえるのだ。 
 そうなってしまえば、一傭兵部隊でしかないサンドゲイルはこの広大な地上において安息の地を失うことを意味する。シェルブが不可解なほど多数の組織へのコネクションを持っているのは事実だが、それで抗いきれるものではないだろう。
 また今回の件において考えるのならば、イリヤを保持し続けるのは、そのコネクションをフルに利用しても不可能であることを意味している。故に譲渡という手段である。
 仮に企業の考えが目的のために手段を選ばない領域へと迫ったとしたのなら、サンドゲイルは終息の一途を辿るのは確実だ。
 サンドゲイルの拠点である傭兵都市――トラキアとて、安寧を約束する地とはならない。トラキアは自由傭兵の聖地。そこを根城にしているのはほとんどが傭兵――すなわち同業者だ。それは味方であると同時に、時として宿敵という立場へと変わることを意味する。彼等は依頼があれば昨日の友とて切り捨てる非情さを持っている。
 ミラージュが追撃の手を止めぬというのなら、トラキアにいる傭兵達もまた、皆例外なく刺客へと変異する。それが傭兵というものだ。
 イリヤをサンドゲイルで保持し続けるという行為は、あわよくば生き残れるという生易しいものではない。サンドゲイルが小規模程度に留まる組織である以上、イリヤを保持し続けるというのは明確な破滅を意味している。
 手段と方法で抜けられる底の浅い洞穴などではない。暗雲満ちる洞穴を中にありて、引き際を弁えずに前進するのは愚行の極みだ。奥地に座するのは袋小路。引き返す手法を見失えば、そこには躯になるまでの時間しか残されていない。
 さりとて、如何ほど無謀な手段であろうと、その無謀に対して我が身だけで挑戦するというのならば話は異なる。その求道、己が責だけで負うというのならば、誰も咎めたりはしないだろう。
 だがサンドゲイルは個ではなく群――すなわち組織だ。曲りなりにも組織である以上、単独で安易な行動をとることはできない。ましてやそれが周囲を巻き込むものだとするならば、それは万人が皆往々にして静止を試みることだろう。
 マイは根底で今回の件が仕方のない選択であることを理解していた。サンドゲイルが直面したこの危機には、三つの選択肢がある。だがその実、選ぶべき対象は一つしかない。
 皆を犠牲にすることが出来ない以上、イリヤ一人を手放す他はない。その手放すという手段の中でも最善なのが、ターミナル・スフィアに預けるというものだ。それもまた確実性の有るものではないものの、今、イリヤとサンドゲイルの双方に提供できる精一杯の安全策なのである。
 マイはその事実を理屈で理解し、しかし自身の根底にある感情部分が痛烈な反発を示しているのを感じた。
 理解は出来た。さりとて、一切の納得は出来ないのである。己が内に渦巻く心情を言葉に直すというのなら、それが一番的確だろう。
 ――どうすればいいんだ。俺は何を選択すればいいんだ……。
 どの選択肢が正解なのかはわからない。イリヤ一人に全てを押し付けることが本当に正しいことなのか。あるいは決して正しいものではないのか。だが、それが今、自分達がイリヤに対して出来る最善の策であるのは確かだ。
 生まれては消え、消えては生まれていく思考の混濁。思考は決して脱出できぬ円環を回り続ける。
 さながら、無為なる行動に気付いていない家畜のように。

     *

 サンドゲイルに所属する少女――シルヴィア・マッケンジーはその矮躯を懸命に扱い、打ち付ける床音を反響させる鈍色の廊下を直向に走っていた。
 シルヴィアは前方を走る青年――マイに追いつこうと必死で廊下を駆ける。だが両者の空隙は一向に縮まる気配は見せない。その差はむしろ大きく開くばかりである。
 それもまた当然か。矮躯である少女の肉体と青年の体躯とでは、根本的な歩幅そのものが異なっている。それは必然として、決定的な走破距離の差を生み出すことに繋がるのである。故に追いつこうと必死になろうと、追いつくことは決して出来ない。
 少女の体躯で我武者羅に走ったところで、その差を埋めることはできない。シルヴィアの努力は空しく、両者の間を満たす空間は加速度的に広がるばかりである。
 いくつかの角を曲がっていく内に、シルヴィアはマイの姿を完全に見失う。しかし、シルヴィアは分岐する廊下の一方を迷うことなく選択し、再び足早に駆け出す。
 シルヴィアは確信を持って、マイが向かったであろう場所を目指す。
 反響する床音は軽やかで、反して不揃い。シルヴィアはその律動が、ある種の焦燥を物語っているのだと感じる。
 シルヴィアはマイの部屋の前へと到着する。乱れる自身の呼吸に気付き、深呼吸することで一つ、呼吸を整える。次いで部屋の内側から拳を打ち付けるような音を、シルヴィアの聴覚が拾った。その打音は、部屋の主の心情を何よりも雄弁に物語っている。
 小さく握りこんだ拳で扉を叩こうとして、シルヴィアはその動作を留める。
 ――会って、それで何を言えばいいんだろう……?
 シルヴィアは黙し、そして心象を見据える。
 果たして、自分は何を思ってマイの後を追ったのか。追わなくちゃ――という衝動が心中に満ち、その衝動に突き動かされていつの間にやら走り出していた。
 だがその衝動はいったいどこから来た感情なのか。それは義務感によるものか、あるいは相手のことを想ってのことなのか。それとも自分の想いを満たすためだけの、偽善的な行動なのか。
 シルヴィアはシェルブから事前に、イリヤをターミナル・スフィアに引き渡すという件を聞き及んでいた。そしてシェルブはマイがこの件について強い憤りを覚えるのは確実だと言葉を吐露した。
 故にマイのフォローをして欲しいという旨を、シェルブは不器用ながらも伝えてきたのである。シルヴィアはシェルブにいつもの強面の中に混じる、優しい父親としての表情を垣間見た。無論のことながら、自身はそれを快諾した。
 その時、自分は軽い安堵を覚えた。イリヤを連れ歩くことで、今後もソグラトの一件のような事件がある可能性はある。戦う覚悟があれど、戦わないにこしたことはない。
 だがその安堵は果たして、イリヤを守り続けながら戦うという過酷さが避けられたことから齎されたものなのか。あるいは――マイを独占できるということを想っての安堵なのか。
 皆々が組織サンドゲイルの存続に関して考えを巡らせている中、自分は邪なる想いを僅かにでも抱いていた。
 知覚しなければ無視することが出来た感情も、一度目に付けば離れなくなる。写真の隅にいようとも、その異質さ故に存在を誇示し続けるかの如くである。
 シルヴィアは自分の中に生まれ出た邪なる想いを感じ取る。自己嫌悪が激しさを増し、葛藤と安堵の狭間を漂う。
その呵責の内に、如何程の時が経過したのかはわからない。それは清流のように永遠のように思え、そして石火の一瞬のように短い出来事のようにも感じた。
 何の脈絡もなく、目の前の自動扉が開け放たれる。シルヴィアは流入する空気量の変化により、一角の風を感じる。僅かに揺れる前髪。
 空圧式開閉機能がもたらす音と共に現れたのは、部屋の主であるマイである。
「あ、マイ……」
「シルヴィ……。――何か用か?」
「その、だいじょうぶ?」
「――あぁ、うん……」
「そっか……。あ――」
 シルヴィアは去ろうとするマイを引き止めようと振り返り、手を伸ばしかける。しかし、あと少しでその身体に触れられるというところで、その小さな手は触れることを止めてしまう。
 何か、触れてはいけないような、触れようとしたら払われそうな、そんな光景が脳裏によぎる。
 音もなく歩むマイの背中を、シルヴィアは憂いと共に見送ることしか出来ないでいた。

     *

 自室より出でたマイは、思考を途切れさせることなくリヴァルディ内を移動していた。視線は自然と伏目がちなり、満足に周囲を見据えようとはしなかった。
 それ故、道中にて艦内廊下にて、反対側から歩む人と衝突しそうになることが幾度もあった。
 中にはこちらの表情を見て心配の言葉をかけてくれるものもいたが、それに対して自身はただ「大丈夫だ」と曖昧に答えることしか出来なかった。心配の声音を聞かせてくれたのが誰であったかは、既に忘却してしまった。
 己が想いに頓着することなく、足はゆっくりと歩み続ける。己が役目はただそれだけであると、そう黙して語るかのようである。
 マイは簡素な照明に包まれた広大な空間に出でる。反響していた足音はいつのまにやら消え失せ、次いで鳴り響くのは重低音を伴いながら稼動し続ける、数多の機械装置だ。
 工業用照明を反射する、鈍い金属光沢の空間。視線の先に機械仕掛けの脚部を見咎め、次いで視線を上昇させていく。
 人型機動兵器――アーマード・コア。シェルブのAC――ツエルブ、シルヴィアのジルエリッタと並び、自身のAC――蒼竜騎が聳え立っている。
 クレスト社製パーツ特有の直線的で堅固な意匠の愛機は、語ることなく、黙して立ち続けている。マイはその足元まで歩み、暗蒼色の機体を見上げる。
 ――相棒、お前は……どう思う?
 蒼暗色の騎兵は沈黙を保つ。こちらの問いかけに対して応えはしない。それが問いかけに対する呆気なのか、もしくは自身に対する信頼なのかは、その鉄の仮面から推して図ることは出来ない。
 マイは蒼竜騎の沈黙に、ソグラトの一件での行動を咎めているような無言の圧力を感じとる。
 蒼竜騎の足元では、ACの修繕作業に従事している一人の男がいる。その人物は移動の要たる脚部機構を切り開き、手に数多の道具を用いて接している。サンドゲイルの専属整備士――ショーン・ハワードである。
 視界の端に捉えたのだろうか、接近する他者に気付いたショーンが作業を中断し、顔を上げる。
「よう、どうしたマイ。浮かねぇ顔だな」
 ショーンはいつもの気の抜けた笑みで相対する。
 そのいつもどおりの表情に毒気が抜かれる。しかし、ショーンのその表情とおどけた態度は、ある意味でこちらの意図を汲み取っているようにも思える。
「――ショーン。あんたも、あの件は仕方ないことだと思うか?」
「――あー……そうだなぁ」
 その件か、と言葉を漏らす。ショーンは油に汚れるレンチを持ち直し、思案するよう腕を組む。
「まぁ――荷が重いのは確かだな。たかが一傭兵部隊が大企業と敵対できるわけがねぇからな」
「そう……だよな。仕方がないことだよな……」
「仕方がねぇことさ。どうしようもねぇことさ。ただよ――」
 ショーンは視線を上げる。その視線の先にはアーマード・コア――蒼竜騎が聳え立っている。
「俺は、仕方がない――っていう言葉が嫌いだよ」
 ショーンは先ほど自分が言った言葉とは、相対するような言葉を放つ。その言葉にはいったいどういった意味が潜んでいるのか、マイは一時、惑う。
「俺はエンジニアだからな。技術職ってのは相反する二つの要素があったとしても、それをどうにか両立できないものかと試行錯誤を繰り返すもんだ。片方が立てば、もう片方が立たない――何てのはココじゃよくあることさ。けどよ、どっちかしか選択できません、って言われて「はい、そうですか」って素直に言っちまうわけにはいかねぇのよ。わかるか?」
「エンジニアだからか?」
「そう、エンジニアだからだ。まぁ、職業病みてぇなもんだな」
「けど、どうしても二つの要素が両立できない、なんてこともあるんだろ?」
「そりゃ――な。万事うまくいくわけねぇし、どう考えても成り立たないことだってあるさ。ただ、基本的には一見すると……ってだけだよ。出来ないように見えるのは当たり前さ。だって今まで誰も試してないんだからな」
 相反する二つの要素がある。だがそれらの両立が不可能に見えるというのは、むしろ当然なのだと整備士は語る。
 その所以は、今まで誰も試していないから。誰かが試したというのなら、その通りにやれば事は成功するのまた当然だろう。
 両立することが出来ないのは、その理論が確立されていないからだ。だからこそ出来ないと人は断定させてしまう。
「前例があるなら誰も悩みゃしねぇよ。その通りにやれば成功するじゃねぇか。前例がないから、今まで誰も試してないから出来るかどうかがわからねぇのさ。けどよ――その無理難題はよ、今まで俺とだって接したことがねぇ。それもまた前例がないというのなら、出来たりするかもしれねぇだろ?」
 ショーンが子供のような邪気のない笑みを浮かべる。機械油で汚れた作業着とあいまってか、その姿は泥遊びに興じる子供のようにも見える。
 中年男性の語る、夢想の如き言葉。だがそれはある意味で、人としてあるべき姿なのかもしれない。
 その挑戦する姿勢はさながら幼子のようなものだ。世の中には未知なるものが数多ある。その未知なるものに対して、本来は誰もが幼子のように純粋に挑戦できたはずである。
 だが人は成長するにつれて、挑戦の意思を自然と失う。世界を知ることで、自身を知ることでその試練が不可能であると、心の中で断定させてしまう。
 それは知恵を備えることで、失われたものだ。無知なる純粋さとは愚かと無謀さを備えるが、同時に恐怖を感じないことでもある。未知なる試練に対して、恐怖を感じないのならば、その者はありとあらゆる試練に打ち勝つことができる可能性を所持している。
 挑戦は難しであり、成功もまた難し。だが挑戦しなければ、成功は生じる可能性すら失われる。
 目の前の整備士は、今もなお、幼子のような挑戦を続けているのだろう。
「そりゃ失敗もするさ。けど技術ってのは試行錯誤と実験実践の積み重ねだ。理路整然と理論を並べても、実際やってみたら成り立たない理論もあるし、逆に無理そうな理論でも、実際やってみたらなんとかなることもある。これだけ理論が確立している世の中だってのに、やらないことには何もわかんねぇもんだよ」
 やってみないことにはわからない――。それは至極当たり前の言葉でありながら、それを挫けることなく実行し続けるのはどれだけ大変なことか。
 成功すれば憂いなどないだろう。だが、人は必ず失敗するものだ。そして失敗も立て続けに起きれば、心は自然と折れてしまう。
「ま、実際、割りを食うのはいつもそれを使うお前等だけどな。これでもちぃーとばかしは悪ぃとは思ってる」
 ショーンは罪意識の大きさを親指と人差し指の間に満ちる空間で再現を試みる。
「まぁともかく――よ」 
ショーンが工業用レンチを手の内で一度回転させ、その先端部分をこちらへと向ける。
「一見して仕方がねぇと思えることにも、ちょいと挑戦してみろよ。お前、てんでダメだったACの整備記録だって、ある程度理解できるようになったじゃねぇか。今回の件も同じだ。何か下手なこと考えて燻ってるってんなら、頭の中をグルグル回してないで実行してみたらいい。案外、やってみれば何とかなるかもしれねぇぜ?」
「そう――だよな。ありがとうショーン。少し気が楽になったよ」
「いいってことよ。そんじゃよ――」
 ショーンは手に持つ汚れた工業用レンチを放り投げる。マイは緩やかに迫る整備道具を取りこぼすことなく、手に取る。
「手伝え。ちったぁ気も紛れるだろ」
「あぁ――」
 ――そうだ。答えが出ないというのなら、せめて、今、自分が出来ることをこなそう。


-Certa amittimus dum incerta petimus.(不確実な存在を追い求める余り、確実な存在を失ってしまう)-


 エイミ・ツザキが接しているのは、長い栗色の髪を持つ幼い少女である。少女の名はリナリア。シーア・ヘルゼンがソグラト付近に存在した旧補給基地攻略の際に救出した少女である。
 その体躯と顔つきは未だ年幼いものだ。その外見から推して図るに、年齢の程は十と二、あるいは三といったところだろう。
 初対面の時の少女は、その年齢らしからぬ野暮ったい軍服であったものの、今や可愛らしい服装へと転じている。
 少女が纏うのは上衣とスカートが一体化した――所謂、ワンピースドレスと呼ばれるものである。格式高い装飾は一切なく、煌びやかさもない子供向けの白磁の装いだ。然るにそれは、少女が持つ年相応の可愛らしさをより一層引き出すこととなった。
 独立傭兵部隊であるサンドゲイルは、傭兵稼業の傍らで戦場孤児の保護も行っている。こうして数多の戦災孤児を抱えるということは、衣食住の場を提供するという意味でもある。
 食と住は拡張しやすく、また子供の体躯からさほど大きな問題とはならない。反して衣服に関しては、子供の成長の速さというのが問題となる。幼子とて、一年もの月日がたてばその体躯は大きく変化する。その成長度合いに合わせた物が、必然と必要になる。
 時と場合によってはありあわせの衣服を材料にし、新たな衣服を作り上げることもあった。少女が着ているワンピースもまた、エイミが空いた時間を用いて縫い直したものである。
 エイミは少女の視線の高さに合わせるように身を屈み、少女の衣服の微調整を行う。
「どう? きつくない?」
「はい、大丈夫です……」
 白磁の衣を纏う少女は、やや俯きつつ小さな声で答える。その視線の角度と声量から、エイミは少女――リナリアの緊張が未だ解れていないのを感じ取る。
 エイミは少女を救出した状況に関して、シーアから簡易的ではあるものの説明を受けていた。故に事情は既に察しており、リナリアの反応は当然のことだと考える。
 戦場の中で一人放置されるという恐怖は計り知れないものだ。自分達が少女を救出したという立場だったところで、その恐怖感をすぐに忘れさせるような作用はない。すぐさま心を開くことができるとは限らないものだ。
 だがさして急ぐ必要はない。まずは安堵させることが最優先だとエイミは思う。少女の身の上の詳細を知るのは、そうしてからでも決して遅くはない。
 こちらが焦って聞き出そうとすれば、少女は不安を感じることだろう。そしてそれは心の負担にもなる。
 急いては事を仕損じる――とは、自身の国の諺だ。ただ静かに待ち続ければ良い。そうすれば、語り合う場面は自ずと訪れることだろう。
「いつまでもあんな服じゃ可愛くないからね。それじゃ、行こうか」
 衣服の調整を終えたエイミは、リナリアの手を優しく取る。少女の手を引いて、医務室の個室から退出する。
 個室を出ると、そこには二人の人物が待機していた。扉の開閉音を聞き、二人の人物が顔を向ける。
 一人はやや強面とも取れる顔付きの中年男性である。その大柄な肉体も手伝ってか、威圧的な雰囲気は少なからず存在する。しかし、それは有る意味で父親のような雰囲気と捉えることもできるだろう。彼こそ、サンドゲイルのリーダーであるシェルブ・ハートネットである。
 もう一方は妙齢の女性だ。氷蒼色の瞳が妖艶なる大人の女性の魅力を放つ、白衣を纏う麗しき婦人。サンドゲイルの医療を司るアリーヌである。
「ご対面ぇーん♪」
 その魅力を解放するかのように、エイミは自分の身の前に少女を立たせる。その大げさな対応に少女は恥ずかしがるように、顔を俯かせる。
「ほう」
「あら、可愛らしい。とても似合ってるわ」
 二人は短いながらも、感心の声音をあげる。
 少女の装いに華美な装飾は一切なく、至極単純なものだ。小さな薄蒼色のリボンが腰部に備え付けられている。それが静かな装いの中に一つ、確かな存在感を示していた。さながら雪化粧の中で咲く小さな春花のようである。
「身体のほうは特に問題はないのか?」
シェルブはサンドゲイルの専属医であるアリーヌに視線を送り、少女の容態について問いかける。
「えぇ、身体的にはね。まだ多少の緊張状態は見られるけれど、しばらくすればそれも落ち着くでしょう」
「そうか」
「彼女はどうするの?」
「そうだな――」
 シェルブは腕を組みつつ、考える。視線の先には、リナリアと会話を試みるエイミがいる。小柄な少女の視線の高さに合わせるように身をかがめる様は、淑やかなる母親のそれを髣髴とさせる。
 現状、サンドゲイル内において、手の空いているものはそう多いわけではない。ソグラトで起きた一件における事後処理は無論のこと、補給物資の運搬、振り分けなど、新しき土地へ向かう前にやっておきたいことは山ほど存在する。
 そのような中において、比較的手が空いており、またこのような境遇の少女と接しやすい人物となると限られてくるだろう。
 最適なのは女性であり、また柔らかな対応が出来るエイミ・ツザキだ。だが数少ないオペレーターであるエイミを少女の世話の専属にするのは難しい。あくまで補佐という面で担当させるのが望ましいだろう。
 エイミ以外ではシルヴィアか、あるいはマイか。シェルブはしばしの思考の後、やはり一人の人物に一任するという結論を出す。
 シェルブは通信端末を取り出し、一人の少年へと連絡を行った。

     *

 マイは手元の作業を淀みなく続け、頭の片隅で此度の件についての詳細を思案する。サンドゲイル――シェルブ・ハートネットの判断の正否を己の内に問う。
 支配企業の一つ――ミラージュ社は、サンドゲイルがイリヤを抱えているという情報を既に掴んでいた。ソグラト市街での強行奪還作戦はそれを決定付けるものだ。そして市街という状況下でありながら奪取に踏み切るということは、形振り構っていられない状況であることも示している。
 そこには一つの疑問がある。ミラージュは何故、サンドゲイルがイリヤを連れていたことを知っていたのか。どこかで情報が漏れていたというのだろうか。
 あのような作戦を実行するリスクは、ミラージュとて理解はしているはずである。リスクが伴う以上、確実性のある情報を得ていたということだ。
 ――施設最下層部で、何か発見されましたか?
 アスセナ施設で、ミラージュの通信技官に問われた言葉が、今になって蘇る。
 イリヤが一体何者であるか、その詳細は未だにわからない。だが、ミラージュがあれほど強行的な姿勢を示してまで作戦を行うということは、イリヤはそれほど重要な存在なのだろう。イリヤが語る生体CPUという言葉。それが一体何を示すのか。
 サンドゲイルが選ぶことが出来た方法は主に二つ。一方はミラージュにイリヤを引き渡すこと。もう一方はサンドゲイルで保持し続けることだ。
 ミラージュは決して諦めない。正確にはどこにも諦める理由がないと称したほうがより良いか。ミラージュ社がこの世界を支配する企業の一つである以上、一組織でしかないサンドゲイルでは抗いきれるものではない。つまりそれは、ミラージュからすればサンドゲイル、あるいはスフィアの交渉に屈する理由がないことを意味する。
 前者の方法――素直にミラージュへ引き渡す。この場合、イリヤがどう扱われるかはわからない。籠の中の鳥の如く、愛でるわけではないだろう。イリヤの存在が本人が言うところの「企業にとって価値あるもの」とするならば、彼女は研究的資料として利用されると推察できる。
 それに引き渡したところで、サンドゲイルの安全が保障されるとは限らない。イリヤの存在を抜きにしても、ミラージュはサンドゲイルを疎んじている。今更イリヤを引き渡したところで恒久的な安寧を約束するとは限らない。
 ソグラトでの一戦はミラージュの「交渉の余地なし」という強い意志をも内包しているだろう。交渉を行おうという意志が少しでもあるのなら、ミラージュとてあれほどの強行的な姿勢をとらないはずだ。
 一組織と交渉するぐらいならば、後顧の憂いを取り除く意味でも殲滅してしまったほうがよい――というのが、ミラージュの判断なのだろう。
 では転じて、後者の方法――すなわちサンドゲイルがイリヤを匿い続けたら場合、それはどうなるか。
 サンドゲイルが持つ正式な拠点は、地中海付近に存在する傭兵都市――トラキアのみだ。対してミラージュは全世界に拠点を持つ大企業の一つ。仮に毎度送り込まれるミラージュの部隊を体よく裁ききれたとしても、一企業と一部隊では地盤となる組織規模が違いすぎる。戦いがジリ貧になるのは、火を見るより明らかだ。
 そして現状、イリヤの情報を得ているのはミラージュ社だけだが、時の経過次第では各種企業に狙われる恐れさえある。大きな後ろ盾を持たないサンドゲイルに対し、各企業は憂いなく攻め立てることが出来るだろう。
 そうなった場合、自分達は例え生き残ることが出来たとしても、この地上で安息の地を失うことになる。
 どちらの手法を選んでもイリヤの無事は確実ではない。だからこそ、シェルブは自身が持つコネクションを利用し、より良い第三の手法――ターミナル・スフィアに預けるという方法を選択した。
 サンドゲイルが選択できる二種の方法にシェルブのコネクションを利用した一種の方法、合計で三種の方法がここに存在する。そしてこの三種方法の中にありて、最も安全である確率が高いのはスフィアに預けることだ。正確には、前者二種が確実な破滅を齎す以上、第三の方法しかないと言えよう。
 その確率が如何程低かろうと、零の確率よりは少しでも確率のある方を選択するのは自然なことだ。
 どの判断が正しいのかはわからない。恐らくどれも方法として間違っている。けれど、ある意味でその全てが正解だ。全てを救う方法、万人が納得できる唯一の答えが存在しないのならば、最も重要視すべきものを優先し、優先度の低い項目を斬り捨てる他はない。
 その斬り捨てる対象がイリヤとて、同じことである。
 マイは確定した事柄に対する考察を終える。次いで、自身の内に満ちる憂いに目を向ける。それは旧世代遺跡――アスセナ、イリヤを救出したあの場所での、ミラージュの言葉である。
 ――施設最下層部で、何か発見されましたか?
 マイはその時、問いかけたミラージュの通信士に対して「何も発見できなかった」と答えた。そういった類の特殊な技術、機構は何も発見できていないという意味であり、そこに偽りの意味はない。
 だが、その特殊な技術・機構そのものがイリヤそのものだったなら、その真偽は覆る。
 また、アスセナ施設からイリヤを救出したことに関しても、サンドゲイルの面々に対して多くは語っていない。
 その事実を思い返すに、全身が冷えていく。あるいはそれらの事実の全てが結びつく、何かよからぬ事象を励起させてしまうのではないだろうか。
 暗雲満ちる思考を断ち切ろうとするかの如く、鳴り響く携帯端末の着信音。マイは思考の海から引き離され、携帯端末をポケットから取り出す。
 ディスプレイ上に表示された名前はサンドゲイルのリーダー――シェルブ・ハートネットだ。
「親方……?」
 件の事もあり、マイは出づらいと感じる。さりとて、このまま無視を決め込むわけにもいかない。
 先ほどの件と此度の件が違うものとして、感情を処理しなければならない。分別を持って判断しなければならないだろう。
 マイは端末を取り出し、受話を選択する。
『マイか』
「親方、何か用?」
『作戦会議室に来い』
「――何でだ?」
『お前に頼みたいことがあるからだ』
「頼みたいこと……?」
 用件があることは予想できていたものの、それが頼みごとであるとは、マイは予想していなかった。マイはやや腑に落ちないものを感じたものの、断るわけにもいかず、承諾の旨を伝える。
 マイは蒼竜騎の整備を中断し、シェルブに呼び出されたという旨をショーンへと告げ、格納庫を後にする。
 格納庫に隣接されている簡易更衣室に飛び込み、シャワーを浴び、私服へと着替える。手馴れた流れで作戦会議室へと急ぐ。
 目的地へと到着したマイは、扉の前で一つ深呼吸し、呼吸を整える。思考の一切を切り替え、一歩踏み出す。扉のセンサーが動体に反応、自動扉が開放される。
「親方、頼みたいことって?」
「来たか」
 豪壮なる体躯の男――シェルブ・ハートネットが振り返る。室内には医師のアリーヌ、通信士のエイミ、そして――。
「その子は……?」
 白のワンピースドレスに身を包む、小柄な少女がいる。シルヴィよりもさらに一回り以上、背が低い。
 少女は俯いており、またつばの広い帽子をかぶっているためか顔付きの程は一切わからない。そのため見知った人物なのか、そうでないのかは判断が付かない。
 薄蒼色の布帯が色彩鮮やかであり、一際目を惹いた。
「この子の名はリナリアだ。先日、シーアが旧補給基地を制圧した際、救出した娘だ」
「あの時の子か」
「マイ、この娘に艦内の案内を頼む」
 マイはシェルブを見やり、次いで白百合色の少女を見る。少女の僅かに見上げた顔から、上目遣いの小さな瞳が垣間見える。翠緑の瞳が小動物のようにこちらを覗いている。
 マイは再びシェルブを見やる。いつもの力強い視線からは、あまり多く情報を得ることは出来ない。
 ――気を紛らわせようっていう気遣いか……。
「まぁ、いいけど……」
 マイは承諾の旨を言葉にする。エイミは身を屈め、少女と視線の高さを合わせる。
「よかったね、リナリア。それじゃお姉ちゃんは仕事に行かなきゃならないから、これからはあのお兄ちゃんについていって」
「……あ、その……」
「心配しなくても大丈夫よ。優しい人だから。ね?」
 エイミはしゃがんだ状態のまま、マイへと視線を投げかける。その期待の視線にどう答えていいものか、マイは惑う。
「どうだろうな。まぁ、努力はするよ。それじゃ――」
「うん。それじゃお願い、マイ。いってらっしゃい、リナリア」
 マイは少女に手を差し出す。
 少女は立ち止まり、両手を合わせ、視線を右往左往させる。そうして僅かな迷いのうちに再び視線を伏せ、帽子の下から上目でこちらを見据える。
 差し出された手を見た後、こちらへと視線を送り、一瞬だけ目と目が合う。視線が交差したことに動揺したのか、再び視線を伏せてしまう。その挙動に釣られて揺れ、波立つ白磁の衣服。
 そうして数多の迷いを乗り越え、少女はゆっくりと手を差し出す。マイはその一連の仕草に栗鼠(リス)のような印象を受けた。
 少女が口を開き、小さくか細い声で、しかし明確な勇気を添えて言葉を紡ぐ。
「あ、あの……。よろしく……お願いしますっ」
「うん。よろしく」

     *

 マイはリナリアの手をとり、共に医務室を退出していく。
 シェルブは去り行く二人の姿を見て、過去を思い起こす。思えばここに来たばかりのシルヴィアも、あのように常に不安に憑かれ、自分以外の存在に対して疑念と不安を抱いていたものである。
 それを今のように天真爛漫、躍動感溢れる少女――あるいはシルヴィアが本来備えていたであろう性格を引き出したのは、他でもない、マイであった。
「マイ、大丈夫かしら……」
 エイミは頬に手をあて、不安の言葉を吐露する。マイが此度のスフィアとの交渉に対し憤りを抱いていたのを、エイミもまた明確に感じていた。
 それを致し方ないことだと、割り切る他はない。全てを解決するような都合の良い答えがないのならば、幾らかの要素を斬り捨てた上で「何かひとつ」を選択しなければならない。
 だが、全員が全員、それを効率よく割り切れるというわけではない。ましてやイリヤとの距離が近いマイは、なお一層深い憤りを感じているはずである。
 心配に感じるエイミとは対照的に、シェルブの表情は僅かではあるが、平時より柔らかい。
「あいつはそれほど弱いわけではない。ただ不満を感じているだけだろう。感情があるのならば、憤りを覚えるのは正しい在り方だと俺は思う。それでもその陰鬱に飲まれてしまう可能性がないわけではないが……」
「そのために、あの子を任せたのですか?」
「あぁ。気晴らしというわけではないが。何かがきっかけになればいいと思う。マイにも、リナリアにも――」
 シェルブは期待の言葉を口にする。
 勇士は勇士であるが故に、常に理想的な判断を下してきた。戦場に長くいるというのは、銃弾飛び交う戦渦の中で生き残る術を得ているということである。極単純な実力が必要となるのは論じるまでもない。だが、より重要となるのは戦況を見極める目と判断だろう。
 だがその判断が常に成功を収めているとは限らないというのもまた、事実である。それでも生き残れたのは、半ば幸運もあるのだろう。
 此度のシェルブの判断は前回の――シルヴィアの性格を取り戻した、というマイの成功例を踏まえた上での判断だ。

 判断し、選択するというのは現代事象において行えることである。過去の出来事に対してその選択肢を選んだことを後悔するというのは、とどのつまり参照できる情報――材料があるからに他ならない。 
 参照できる材料があるからこそ「あの時こうしておけばよかった」といった後悔を生む。それは過去の事象に対しての働きかけである。
 現代の事象において、ありとあらゆる選択肢の中で、その選択肢が最適であるか判断する術は、基本的には存在しないといっても過言ではないだろう。現在進行で生じている迷いに対して迫られた選択もまた、過去の事象との照らし合わせと自身が得た経験との組み合わせによって最適な選択を行っているに過ぎない。
 歴戦の勇士たるものであっても、それに変わりはない。参照できる情報が人よりも多い故により良い方法を選択できるに過ぎず、その判断に絶対成功というものは存在しないのである。
 結果的に最適の判断かはわからない。だが、現状において最適と思われる選択肢だったのは揺るがないだろう。例えそれが後の悲劇に繋がるものだとて、それを参照する術は、この段階では存在しなかった故に――。

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