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 マイはリナリアと名乗った少女の手をとり、共に簡素な照明が照らす艦内通路を歩む。少女の手は小さく繊細であり、僅かながら冷えている。歩みにややぎこちなさがあるのは、緊張のためだろうか。
 マイは立ち止まり、少女に向き直る。
「それじゃ、改めて……俺はマイ――マイ・アーヴァンク。よろしくな」
「は、はい……。リナリアです……」
 硬い動きでお辞儀をする少女。制動のはっきりした動作ゆえに、その勢いに負けて少女の頭部に乗っていた白磁の帽子が零れ落ちる。栗色の長い髪が扇状に揺れる。
 マイは帽子が地に落ちる前に掴み取る。
「あ――」
「――ふー。何とか落ちずに済んだ。はい、これ」
 マイは薄蒼色のリボンが小さく備え付けられた帽子を、少女に手渡す。少女――リナリアは栗色の髪を押さえ、俯きつつも言葉を紡ぐ。
「あ、ありがと……ございます」
 途切れ途切れの小さな声でお礼を口にする少女。少女は帽子を手に取り、目深く被りなおす。マイは少女の小動物のような仕草を見て、出会ったばかりの頃のシルヴィアを思い出す。
 リナリアと名乗った少女は、ソグラト付近に存在する旧補給基地を襲撃した「シーア・ヘルゼン」によって保護された少女である。
 シーアが遭遇した状況というものが極めて奇異であるため、救出当時から今に至るまで、少女の身の上は誰もが知りえていない。
 さりとて、それを問いただすには、リナリアの置かれた状況には緊迫したものがあった。また年齢もまだ幼いこともあり、そこら辺の問題は先送りとされた。
 サンドゲイルの専属医であるアリーヌが言うところでは、少女の身体に怪我の類はないとされている。身体に僅かに残る緊張状態も、あくまで緊迫化した環境内に長期間置かれたことによる心と身体の硬直状態なのだろう、というものであった。
 リナリアを保護することは、サンドゲイルにとってもまたひとつの活動だ。サンドゲイルはACを用いた遊撃傭兵部隊ではあるものの、戦災孤児を保護するという活動も行っている。
 アーセナルハザードが発生して以来、地球上での紛争は激化の一途を辿っている。そうした中で企業間の戦闘行動による間接的作用、あるいは余波によって帰る家を失う者も少なくない。あるいは保護者が企業に属し、それ故に保護者を失うことで孤児となるものもいる。また、旧世代兵器による襲撃も、その孤児の発生に一役買っていた。
 こうして生まれた孤児を、サンドゲイルは保護し、傭兵都市トラキアに立てられた孤児院に収容しているのである。
 マイは少女を連れつつ、自身の過去を思い出す。
 戦いの余波で失われた家族と家。何もかもが焼き払われ、未だ猛々しく炎上する街。陳腐ながらもこの世の終わりという言葉が的確と言えるほどの情景。
 広がる景色は夕焼けよりも赤く染まっていた。現実味のない光景を前にしても、絶望は一切感じられないでいた。
 一夜が明け、当たり前のように現れた朝陽が悲劇の光景を浮き彫りにした。動かぬ家族の姿に、慟哭の涙を流した。子供でしかなかった自分はただ泣く事しか出来ずにいた。
 そんな崩壊した街中に現れたのが妙齢の男性だ。自身もボロボロになりながら、血だらけになりながら、それでも自分の手をとってくれた一人の男。
 血と泥で汚れながらも、その硬い笑顔は眩しいものがあった。その男こそが現在のサンドゲイルのリーダー――シェルブ・ハートネットである。
 マイは再び、リナリアへ視線を送る。
 自分と少女の境遇は似て異なるものではあるが、それでも孤児であることに変わりはない。ならば、少女が自由な生を得ることが出来るまで、自分が保護しなければならない。
 ――俺がやらなきゃダメなんだ。俺がやるべきことなんだ。
 マイは内なる覚悟を持って、艦内の案内を開始した。

     *

 リナリアをサンドゲイルで保護してから、既に一週間ほどが経過した。
「リナリア、走ると転ぶぞ!」
「大丈夫だよ。早くいこ、マイお兄ちゃん!」
「ま、待てって!」
 シェルブはリヴァルディの廊下より響き渡る声音を聞き、歩みを止めずに物思いに耽る。
 マイが傍につくようになって以来、リナリアは何をするにもマイの後を追うようになった。声音も明るくなり始めており、躍動感に満ちている。
 リナリアはマイのことを兄のように見ているらしく、今ではマイのことを「マイお兄ちゃん」と呼び、慕っている。
 少女はさながら雛のようにマイと行動を共にしている。そのような微笑ましい光景がここ最近、リヴァルディには齎されている。
 艦橋に戻り、世界情勢の情報を閲覧していたシェルブは、自身の携帯端末に着信がきたのを知る。連絡主はアリーヌだ。受話機能を確立すると、端末越しのアリーヌがリナリアの件について伝えたいことがあるので、至急医務室に来てほしいとの旨を伝えられた。
 シェルブはレイヴンとしての感覚、より有体に言えば戦場に身を置くものが持つ直感が脳裏によぎったのを感じた。人によればそれは胸騒ぎとも定義できるだろう。
 シェルブは医務室へと赴く。センサーが動体に反応し、自動扉が開放。消毒液特有の香りが流入する大気の流れに連れ添い、鼻を突く。
 シェルブ・ハートネットは室内へと歩み入る。シェルブは室内で待ち受けていた二人の人物、その取り合わせにやや驚きを覚える。
 医務室で待ち受けていたのはアリーヌだ。室内には主であるアリーヌ以外に、別の人間が座していた。サンドゲイルの整備士であるショーン・ハワードである。
「よぉ、来たかボス」
「ショーンか。何故お前がここに?」
「まぁ、コイツを見ろよ。アリーヌ、さっきの画像を出してくれ」
 ショーンはアリーヌへ言葉を投げかけ、シェルブに対し、ディスプレイを見るよう顎で差す。
 アリーヌが医務室にある端末を操作し、数多あるファイルの中から一つの画像を選択し、ディスプレイ上に表示する。
「はい、これよ」
 表示されたのは電磁波測定によって人体内部を投射した画像だ。表示されたのは人体の部位における脚部だろう。
 皮膚とその境界線、そして骨部分が色合いの濃淡の違いで分けられている。
「リナリアの透過画像だ。アリーヌ、例の部分を拡大してくれ」
 アリーヌが端末を捜査し、画像の一部分を選択。徐々に拡大させていく。
 その画像の中、淡白な色合いの中に不審な黒点が表示される。専門的知識を持たないシェルブは、それが何であるかを断定することは出来なかった。
「これは何だ?」
「盗聴器と電波送信を兼ねた通信機だ」
「なに……?」
 ショーンの言葉を受け、シェルブは目つきが細まる。その二つの言葉が意味するところの重大さを認識し、シェルブは驚愕を覚えた。
 その二種の装置が意味することは一つだ。サンドゲイル内で得た何かしらの情報を発信し続けているということである。
「周囲に飛び交う電波に情報を差し込んで送受信を行うっていう、特殊な装置だ。一見するとわかんねぇし、受信機で拾ったところで専門の機械とアルゴリズムを解析出来るソフトがないと見つからない代物だ。中々手が込んでやがるぜこれ」
「どうしてわかった?」
「シーアの野郎が少し、意味深なこと言っていてな。俺もそれとなく観測していたんだが、まったく引っかからなかった。それで杞憂だと想っていてそのままにしてたんだが……。見つけたのはたまたまだ。通信機の修繕中、送受信のテスト起動をした時のことさ」
 ショーンは腕を組みなおし、続ける。
「ノイズレベルの信号だが、何だかキレイ過ぎるノイズに見えてな。適当に解析ソフトにぶち込んでみたら案の定、不可思議な情報を獲得した。解析ソフトがないから、不審な電波情報の域を出なかったがな。その後にアリーヌがちょうどこの件を伝えてきてな。それで合点がいったのさ」
「なるほどな……」
「今回の検診は、あくまであの子の心の状態が落ち着いたからやっただけのもの。実際、あの子は拒絶をしなかったわ。ここにある機器見つかる程度のものなら、あの子自身がこの事を知っていれば拒絶するはず。拒絶しても、それはそれで不自然だけどもね」
 アリーヌが流麗な長髪を耳にかけ直し、事の次第を伝える。長い脚を組みなおし、自身が持つ考察内容を口にする。
「つまり――リナリア本人が感知せぬところで、これが埋め込まれたということか?」
「自然に考えれば、その可能性が高いわね」
 シェルブは黙して、一連の事柄の整理を行う。
 既にリナリアを保護して一週間以上が経過している現状、今からその根源を絶ったところで手遅れであることは揺るがないだろう。
「取り出せるものではあるのか?」
「不可能ではないけども……、ココでやるのは余りオススメできないわね。それに――」
「その不信を形にしてしまうのもまた、難儀だな」
「そうね……」
 どのような形にしろ、この事柄、リナリア本人は無論のことながら、サンドゲイル全体にも少ない衝撃を与えるだろう。その衝撃は不信感、疑心暗鬼へと変じ、それは波紋となって組織内を病のように伝播する。
 そうなってしまえば、組織は内側から蝕まれ、瓦解する可能性さえ生じてくるだろう。
 問題なのは、何から何まで不明瞭なことだ。誰が、何の目的で、何処へ向けて情報を発信させるように仕向けたのか。その全てが不明瞭なのである。
 そこにリナリア本人が一枚噛んでいる――とは到底思えたものではないが、その可能性もゼロではないのだ。確認が出来なければ、リナリアがスパイでないという事象さえも確立することが出来ない。
「何はともあれ、だ。リナリア本人がウチをどうこうしようとしている、とは思えねぇのは確かだな。そんなタマじゃねぇだろうよ。けど、それはどっちだろうが同じことじゃねぇか? 元々単独でやる意味がない以上、コレの裏には必ず何か潜んでるだろ」
「ソグラト……いや、さらにその裏か?」
「そこまでは堂々巡りだからお手上げだ。けど、これだけは言える。リナリアにコレを仕込んだ人間は、何かしらの目的のためにサンドゲイルを狙っているってことだ。これは面倒だぞ、シェルブ」
「お前の言うとおりだな」
 現状、裏に潜む何かを突き止めることは叶わない。だがそれでも、現状で確定できる情報が唯一ある、と整備士は語る。
 それは確実なる敵対者が存在し、かつ勝利するための算段を得るために情報の会得を行っているということだ。つまり、近い内にサンドゲイルは襲撃を受けるということである。
「どうするの、ボス?」

     *

 マイはリナリアを連れて食堂へと向かっていた。
 この一週間、マイはリナリアに付きっ切りで世話をしていた。事情がある場合のみ、シルヴィアやエイミに手伝ってもらっていた。そういった例外を除き、マイは生活のほとんどをリナリアと共にしていた。
 一週間という時間が長いようにも思え、短いようにも感じる。リナリアは見違えるように明るくなり、今では孤児達の中心にいるほどである。
「マイお兄ちゃん、今日は何を食べるの?」
 笑顔満ちる表情は、リヴァルディに来たばかりの頃とは異なる様だ。だがこの明るい表情こそ、少女が本来備えていたものなのだろう。
「そうだなぁ。もう豆料理は飽きたし……今日は西欧州料理なんかがいいな」
「それじゃ、私もそれにする!」
「え。本当にいいのか?」
 マイは意地の悪い笑みを浮かべる。その意図が把握できず、リナリアは首を傾げる。
 リナリアには兄がいたと、マイは聞いていた。旧世代兵器の侵攻により母親と兄を失ったそうだ。唯一の父親もまた、ソグラトで命を失っていた。
 リナリアはマイのことを自分の兄に重ねてみていた。そのことをマイは聞き及んでいるのは、リナリア自身から口にされたからである。
 マイ自身、その接し方に当初は気恥ずかしいものがあったものの、今は幾分慣れていた。慕ってくれていることには変わりはないのだ。ショーンやアリーヌに冷やかされるようなことが幾度かあったものの、それはある意味、周りから認められているとも言えることだろう。
 マイとリナリアは食事を載せるプラスチック製のプレートを持ち、それぞれ料理を載せていく。
 テーブルへ着席し、料理を見るや否や、リナリアは呻き声を漏らす。
「うっ……」
 マイが選択したのは、並々と魚介類が投入された西欧州の海鮮料理だ。煮込まれているとはいえ、小さな魚がまるごと入っているというのは、初見ではかなり堪えるものがあるだろう。ましてや子供ならば、その生々しさに屈することも少なくない。
「ははははっ! だから言っただろ? いいのか、って」
「うー……。んもう、意地悪っ!」
「はは、ごめんごめん。こうやってさ……、こうして……」
 マイは食べやすいように小魚を切り分けていく。
 スープで煮込んだ魚は柔らかく、刃物を使わずとも切り分けることが可能だ。リナリアのプレート内にある魚、その身を潰さないよう、解体していく。
 香辛料が効いているため、魚特有の臭みは生じない。芯まで味をしみ込ませた魚は実に美味だ。だが味はともかくとして、その外見を受け入れられないという者は多いだろう。
マイはその外見が気にならないよう、魚を細かく切り分けていく。
「これならいいだろ?」
「うん……。ありがと、マイお兄ちゃん」
 そのような微笑ましい光景を離れた位置から見る少女が一人いる。シルヴィアである。
 シルヴィアはエイミと共に食事を取りつつ、しかし視線はマイとリナリアの二人へと注がれている。食が進んでいる様子はない。
 シルヴィアは視界の端にある明るい光景を見やり、溜息をつく。
「……はぁ。あの二人仲良いね……」
「そうね。なんだか本当の兄妹みたい」
「本当の――か」
 シルヴィアは侘しい声を発する。嫉妬を交えた負の感情は一転して、寂しさで満たされていた。
「寂しい、シルヴィ?」
「……別に」
「ふふ、顔と言葉が合ってないわよ」
「そう……だよね……」
 シルヴィアは食欲が出ずにいた。それでも食事をせねば活力は出ず、無理やりにでも料理を頬張っていく。
 シルヴィアは視線を転じ、食堂全体を見渡す。シルヴィアとてサンドゲイルに所属している人たちは多くの面々、その全てを把握しているわけではない。だが一度見かければ、例え深くは知らずとも面識を覚えるものだ。
 だが、食堂の内に一度も見たことのない三人組がいるのを見咎める。接しているのはシェルブだ。
「あれ、あの人達――って」
 シルヴィアの言葉を遮るかのよう騒がしく現れたのは、子供達の集団だ。孤児達の一団が一斉に流入してくる。その最後尾にはいるのは黒衣を纏う隻眼の男。
 サンドゲイルに所属する人物の一人――アハトである。
 ――うっ……。
 シルヴィアはアハトの存在を見咎め、思わず口の中の入ったリゾットを飲み込んでしまう。喉に強烈な圧迫感を覚え、胸を小さく叩く。
 静かに歩みを進め、子供達の後を追うアハト。その体躯は長身痩躯であり、靡く髪は刃のような銀色。片目は白磁の眼帯で覆われ、物々しい黒衣を身に纏っている。
 他者の存在を拒絶するかのような、ある種の圧力さえ感じさせる装いだ。シルヴィアはアハトの雰囲気を苦手としていた。むしろ怖いという印象さえ、抱いていた。
 ソグラトの一件で、アハトが自分とマイの窮地を救ってくれたのは事実だ。その恩もあってか、多少の恐怖は拭えたものの、それでも未だなお正面から一人で相対するのは難しい。
 物々しい服装や無口な態度から怖さを感じたのかといわれれば、そうではないだろう。それよりも恐れを感じるのは、時折覗く、濡れた刃のような雰囲気か。
 子供達から慕われているということは、悪い人間ではないのだろう。そうでなければシェルブが受け入れるはずもない。サンドゲイルのリーダーであるシェルブが受け入れたということは、彼は信頼に足る人物であると仮定してもいいはずである。
 近くまで歩み進めたアハト。片瞳だけで見下ろし、問いかける。
「――あれは?」
 アハトが静かに示しているのはシェルブと相対している、見慣れぬ三人組みのことだ。エイミはアハトの問いかけに答える。
「ソグラトの件で移動手段を失った家族だそうよ。ほら……私達のせいも少しあるし……。こちらとしても……ね?」
「……そうか」

     *

 廊下を音もなく歩く男が一人いる。刃のような銀髪を揺らす人物。威圧的な黒衣を身に纏い、白磁の眼帯で片目を覆っている。他者を寄せ付けない雰囲気の男の名はアハト。サンドゲイルに所属する人物の一人だ。
 アハトの前方では、孤児達が右往左往しつつ歩んでいる。お互いがお互いを小突き合いながら、笑みを絶やすことなく食堂を目指している。
 戦地で見捨てられた孤児達は、今ではこうして仲間と共に笑い合いながら生活している。それは子供がかくあるべしという姿だろう。
 アハトは硬い表情のまま、片眼だけとなったその瞳で目の前の光景を見据え、自身を振り返る。
 意味なき復讐を終え、数多の人物を犠牲にし、そしてそれ以上に多くの人を殺めた。返り血が滴るその生涯に、存在意義は一切ないだろう。
 そのような自身の物語に己で終止符を打つというのも、また一つの方法であった。だがそれに異を唱えた者がいた。自身と同じく、生体研究所で身体を改造された人物だ。
 さながら詩人のように謳う彼女は、終止符を打つことを否定した。その理由は単に、つまらないから――という子供染みた内容であった。
『君は生まれたばかりの赤子なのだよ。故――君は次に童子を目指したまえ。高きにある何かを求めてその手を伸ばし、その脚で未地を駆けるのだ。案ずることはない。一度死んだというのなら、君を縛る楔は既に存在しないのだ。素直に生きれば良い。そのようなつまらぬ判断で、私の楽しみを奪わないで欲しい。では――始まりの鐘を打ち鳴らそうか。新しい物語の幕開けである』
 旅の楽人を称する彼女、自身と同じく生体改造を施された女性――フィリーネ・ユーヴェルリートはそう言い残した。故に自分は第二の人生を送ることを決意した。
 果たしてそれが他者から許されることなのかどうかは、判断が難しい。その命題に「決して許されない」と勝手に断定させてしまうのもまた、自分の罪から逃げようとする自分勝手な行動とも取れるだろう。
 罪と咎の狭間で漂う己にこのような平和な一時を得る資格がないというのなら、その時は確実に訪れる。だが――。
 ――今はこれでいい。これでいいのだろう……。
 忘れるな。何もかもを忘れるな。殺めた人も、犠牲にしてきた人も。その全てを失われぬよう記憶に留める。恨みを込めた視線、投げかけられた呪いの言葉。その全てを刻み留めておく。
 それ故に、今、この目の前で繰り広げられる童子のじゃれ合いはかくも尊く、美しい。眩しく、瞳を逸らしたくなるような光景である。
「アハトおにいちゃん、はやくー」
「――あぁ。すぐ行く」
 アハトは孤児達を追い、食堂へと足を進める。視線の先、食堂に見慣れぬ人物達がいるのを見咎める。片目の視線だけでその対象を捉える。
 男女を含めた三人組の一団だ。そのうち二人は女性であり、残り一人が男性である。女性二人には外見から年齢差を推察することが出来る。片方は妙齢の女性であり、年齢は三十代前半ほどか。もう一方は反して、十代後半を思わしき少女である
 アハトは近くで食事をしていたエイミに問いかける。
「――あれは?」
「ソグラトの件で移動手段を失った家族だそうよ。ほら……私達のせいも少しあるし……。こちらとしても……ね?」
「……そうか」
 両親と思わしき、大人の男女。その脇に小さくたたずむのは、白磁の長い髪が美しい少女――のような外見の人物である。髪が時折扇のように優雅に広がる。身に纏うには、血の如き真紅のドレスだ。麗しいと共に狂的な装いにも見える。
 アハトはその人物等とシェルブとの会話を拾うため、それとなく耳を澄ます。
「ソグラトを出たらいきなりこんなことに……。荒野に放り出されたとあって途方にくれていたところでした」
「その件については、我々にも責任の一端があるだろう。部屋は用意してあるから、寛いでくれて構わない。足りないものなどは遠慮することなく、言って欲しい。出来る限り用意しよう」
「ありがとうございます」
「では部屋へと案内しよう。マイ――」
 シェルブに呼ばれたマイは、シーアが救出したとされる少女――リナリアに別れを告げ、渡航者である家族の一人――白髪の少女を連れて艦橋から退出する。
 二人の去り際――正確には白髪の少女の姿をアハトは見つめる。少女の姿に違和感を覚える。それがどういった違和感なのかを突き止めようと、その動きを細かく見聞していく。
 ――重心か? いや、それとも……。 
 そのような思考を知ってか知らずか、近くを歩いていたショーンがアハトの視線の先に気付き、己が予想を口にする。
「どうしたアハト? さては――ああいう娘が好みだったりするのか?」
 笑いを込めた冗談交じりの言葉を受け、アハトはショーンに視線を向けることなく沈黙を継続する。ショーンがその沈黙に対して罪悪感を覚え、取り繕おうと慌て始める。
 ――いや、気のせいだな。
 銀髪の男は自身が感じた違和感のようなものが杞憂なものであると判断し、思考を打ち消した。

     *

 マイはサンドゲイルで保護した白髪の少女を連れ、リヴァルディ内に存在する空き部屋を目指す。
 渡航者の三人のうち、両親はシェルブとの対談があるとのことだ。彼等の一人娘だけがマイの後についていた。
 少女の名はラトラ。乳白色の長い髪は、老いによるものではない。さながら深雪を塗されたような、気品さえ感じさせる美しさだ。反して、身に纏っているのは真紅の婦人礼服だ。その色合いの対比は極端であり、しかし少女が纏うことで妙なる統一感を示していた。
 マイは少女――ラトラを連れて部屋を紹介する。
「この部屋を使っていいってさ」
「まぁ、広いのですね。このような広いお部屋をお借りしても宜しいのですか?」
 ラトラと名乗った少女が両手を組み合わせ、感嘆の言葉を口にする。女の子らしい柔らかな仕草である。
「親方が良いって言っていたからね。サンドゲイルは人の流入も多いけど、同時に出て行く人も多いから。今はけっこう部屋が余ってるのさ」
「本当にありがとうございます」
「何かあったら遠慮なく呼んで。通信機の番号、教えておくよ」
「貴方は――優しいんですね」
 白髪の少女が柔らかく微笑む。乳白色の髪の奥に潜む、氷蒼色の瞳に添えられた信頼の視線で送られ、マイは動揺する。
「あぁーいや……。優しくなんかないよ」
「ふふ……」
 口元を小さく隠し、微笑む少女。ラトラの笑い方は、マイにとっては初めてのものだ。これほど女の子らしさを感じさせる微笑みを、マイは終ぞ見たことがなかった。
 マイは動揺を押し隠し、ラトラを連れて艦内の案内を始める。渡航者の少女――ラトラは戦艦リヴァルディが珍しいのか、くるくると表情を変えていく。
 その表情は明るいものの、仕草は所々で柔らかい。マイはラトラがシルヴィとは対照的な女性であると感じた。
 医務室、作戦会議室、AC格納庫などを案内し終えたマイは、次にリヴァルディの艦橋へと向かう。
「それで、ここがリヴァルディの艦橋だ。ここから外の景色が一望できるよ」
「あら……ここは遠くまで見えますね」
 少女は踊り舞うかのように艦橋を右往左往する。少女が移動するだけで、無機質な艦橋は華やかなる舞踊会場の如き様相へと変異する。
その麗しい光景に、艦橋にいる皆々が振り返る。艦橋の端で景色を眺めていた栗色の髪の少女――リナリアもまた、例外ではなかった。
「あ、マイお兄ちゃん!」
 マイの姿に気付いたリナリアが声を上げ、マイとマイが連れている少女――ラトラの下へ駆け寄る。
「ここにいたのか。あ、この子はしばらくリヴァルディに滞在することになったラトラ」
「あ、あの……始めまして。リナリアです」
「始めまして。ラトラと申します」
 リナリアの緊張を残したお辞儀に反して、ラトラが優雅にお辞儀を返す。マイは目の前の光景に、どことなく小動物同士が相対したかのような、そんな感想を抱いた。
 そうして二人が手を握り合う。対照的な二人の色彩。背丈のほどはラトラのほうが高い。さながら、姉妹のような印象を与えた。
 だが二人が手を握りあったその瞬間、異変は生じる。リナリアの体勢が崩れ、白磁の礼服が風に泳ぐ。地面へと吸い込まれ始めたのを留めたのは白髪の少女――ラトラであった。
 ラトラは転倒しかけたリナリアを抱きこみ、リナリアのこめかみにガンメタリックに輝く銃が突きつけられる。一瞬の出来事にマイは一切、何も出来ずにいた。今、目の前の光景が一体何の意味をもたらしているのか、戸惑う。
 その異質なる光景の意味を把握し、艦橋に静けさが増す。その場にいた者が皆、自然と黙す。
「感謝するよ、リナリア。まさか君がちゃんとこうして生きているなんてね」
 ラトラが発した声は、今まで発していた高い少女然とした声ではない。男性にしては些か高く、しかし少女とするには低い音程を伴った声音だ。中性的ということもできるだろう。
 マイはその光景とラトラが持つ銃に動揺しつつも、努めて冷静に問いかける。
「ラトラ、これはどういうことだ?」
「どうも何も、こういうことさ」
 艦橋に二人の男女が入り込んでくる。少女の両親と名乗った男女二人だ。二人がその手の内に携えているのは、自動小銃である。その光景の意味を、艦橋にいる皆が把握する。
「反応が途絶えたから、事と次第によっては完全制圧を試みようとして乗り込んだはいいが、まさかこんな体の良い人質がいるなんてね。僕等は祝福されているようだ」
「人質だって……?」
「言葉どおりの意味さ、マイ・アーヴァンク」
 ラトラと名乗っていた人物が唇の端を上げ、笑みを象る。今まで見せていた好意を含んだ麗しい笑顔ではない。半ば狂気さえ湛えた笑みを浮かべる少女。否――目の前の人物は真にただの少女なのか?
 マイは再び少女――と思わしき人物にその名を問う。
「お前は誰だ?」
「僕は――ミラージュ社特務工作班・第一班所属――カイ・ラタトスク」
 少女と思わしき人物が名乗りを上げる。その意はミラージュ社所属の工作員。
「さて――僕は君達に命じよう。君達が所持している生体演算装置――もしくは有機戦略体機構とも言ったかな? それを僕等に提示したまえ」
「生体演算装置?」
「アスセナ基地で手に入れた、異様に綺麗な人形がいたろう? それを出したまえ」
 マイはその言葉に、一人の人物を思い浮かべる。
 ――イリヤのことか。
 合点がいき、息を呑む。ソグラトの件に続いて、再びミラージュはイリヤ奪取のための部隊を組織したのだろう。
 だが、イリヤを差し出すことは出来ない。不可能な理由はただ一つ、この場に存在し得ないからだ。 
「それは――出来ない……」
 不可能という言葉をどう捉えたのか、白髪の少年は氷蒼色の瞳を不機嫌そうに細める。
「――へぇ。ということは、それは死体になることを望む――ということでいいのかな?」
 狂気を帯びた少年の瞳。死体になることを望むのか、と問うているように思えるが、その実は異なるだろう。その瞳は明確に、引き渡したところで命の保障はしない、というのを危うさを感じさせるものだ。
「そう難しい選択じゃないだろう?」
 カイはリナリアに突きつけた銃口を下げ、おどけたような仕草をとり、言葉を続ける。
「この艦内にいるのは一〇〇人ちょっとかな? それを助けるためにたった一人を差し出すだけさ。簡単な計算だよね。一人を生贄すれば、みんながハッピーエンド。それとも何? 僕等のために犠牲になってくれ、って言葉にして言うのが怖かったりするのかい?」
「無理なんだ。……もうここにはいない」
「――は?」
 苦渋の選択の末に吐露した言葉。その言葉を意味することを瞬時に把握できずにいた白髪の少年――カイは呆けた声を出す。
「この艦にはもういないんだ……」
「なにそれ、面白くないよ。大体嘘吐くならさ――」
「お前が捜し求めているもの、イリヤならエデンⅣのターミナル・スフィアへと送った」
 会話を遮ったのは、サンドゲイルの中心人物シェルブ・ハートネットだ。
「――対象〇〇一、サンドゲイルのリーダー――シェルブ・ハートネットだね。それは本当かい?」
「真実だ。スフィアとの交渉は既に終わっている」
「へぇ。てことは何、君ら、アレを他人の手に渡したわけ?」
「真実を言えばそうなるな」
 シェルブは動揺することなく、毅然とした声音で答える。それはこの危機的状況下にあってなお冷静さを失わないという、歴戦の勇士であって始めて出来ることだろう。
 この状況で黙すのは危険と言える。半ば命の取捨選択を握られている状態である以上、握り手の要求に答えなければ、その場でその命が奪われかねない。
「お前の求めるものはない。だから――」
「だから、何?」
「だから手を……引いて欲しい」
 マイは万感の想いを込めて、カイを見据える。
「ふふ……あはは……」
 少女の装いをした少年――カイが、押さえ込むように笑い出す。リナリアを抱き寄せた手で小さく口元を押さえる仕草は、その装いに正しく、少女然とした麗しい姿である。
 僅かな微笑みの後、白髪の少年は堰を切ったように笑い出す。
「あははっ! いいね! すごくいい手だよそれ! 最高じゃないか!」
 見目麗しい、童女のような外見を持つ少年が明るく、狂気的に笑う。
「はは……、人からモノを盗んでおいて、もうありません? 他の人に渡しちゃいました? 見逃してください? あはははは…………ふざけるなよ糞がッ!」
 白髪の少年は麗しい外貌を歪ませ、激昂を露にする。リナリアのこめかみに突きつけていた銃、その銃口を少女の脚へと押し付け、留まることなく引き金を弾く。
 雷鳴の如き銃声が鳴り響き、次いで少女の悲鳴が上がる。白磁のワンピースドレスが鮮血に染まっていく。滴り落ちる血流が小さな血溜まりを形成する。
 白髪の少年はリナリアに太ももに手を這わせ、その鮮血を拭い、舐め取る。少女然とした装いのカイが行うことで、ある種の倒錯的な光景を演出している。リナリアは嗚咽を漏らし、痛みの余り涙を流す。
 マイは目の前で起きた光景に駆け出そうとするも、視界の隅に捉えた自動小銃の銃口を見咎め、踏みとどまる。深い憤りは黒光りする銃口によって押さえつけられた。
「はぁ……、何なの君等。人からモノを盗んでおいてさ。よくもまぁ、そんなことが言えたもんだね」
「……くっ」
「正気を疑うね。まさかアレの価値がわからないわけないよね。むしろ理解したからこそ、自分達の下あったらまずいから、他人にあげちゃったとか、そんなところ?」
「イリヤは……モノじゃないんだ……!」
「どうでもいいよそんなの。どっちにせよ、君等が盗人である事実に変わりはないしね。ってことはさ、君等は僕等に何の償いもしないことになるよね。じゃあここで――代価を払ってもらおうか」
 突きつける銃口の強さが増したのか、その痛みに怯む、嗚咽を漏らすリナリア。それが意味するところに、次に齎されるであろう惨劇を予感し、その場にいたもの全てが凍りつく。
「あぁ、君がここで枯れ死んでしまうのは、そこの男――マイが原因なのさ。恨むなら彼を怨んでおくれ。それじゃ――」
「やめろ!」
「――なぁ、マイ・アーヴァンク。僕等はあの時――アスセナから帰る君に、こう伝えたはずだよね。何か見つけましたか――って」
「――っ!」
「そして君はこう答えた。何も見つけてはない――と。これに間違いはないよね?」
「――あぁ……」
 マイとカイの会話を受け、シェルブは意図せずマイに視線を送る。
「マイ、お前――」
 マイは不吉な視線に唇を噛む。拳を強く握りこむ。
「そして僕等は、君達の中に生体CPUがいることを確認した。これに間違いはない。てことはさ、君はクライアントに嘘の報告をしたわけだよね?」
「マイ、そういうことだったのか?」
 マイはシェルブの問いかけに、拳を握り締める。シェルブの落ち着いた声音が返ってことの深刻さを示しているようにも思える。
「結果的に――そうなる……」
「てことはさ、この状況も、何かもが君の責任というわけさ」
「ぐっ……」
「君の責任だよ、君の」
 マイは強く噛んだ唇から血が流れ出るのを感じ取る。イは痛みと憤りを押さえ込み、己が心中に打ち立てられた決意を言葉として露にする。
「――俺が責任をとるから、だからその子を――」
「へぇ。なら君が代わりとなるかい?」
「あぁ――」
 カイがこみ上げる笑いを抑えるかのように、小さく笑う。
「そうかい。いやいや、痛々しい英雄っぷりだね。だ、そうだよ、リナリア」
「マイ、お兄ちゃん……?」
 リナリアは脚の痛みに涙を浮かべながらも、己を救ってくれる人物に向けて声を発する。儚く、脆ささえ感じるその声に、マイは精一杯の優しい表情を象り、微笑を返す。
「あぁ、それと――。これは今回の件での僕からの最後のお礼だ。受け取っておくれ」
「は、はい……。――え?」
 カイがリナリアの首に装着させたのは、冷えた金属光沢を放つ機械装置である。簡易ディスプレイには数値が示されている。
 カイが円輪の縁にあるスイッチを押し込む。簡易的な警告音らしきものが響き、次いでディスプレイ上の数値が一六から一五へと転じる。それがどんな意味であるか、この場にいた全ての人物が把握し、騒然となる。
 怒号と悲鳴が飛び交い、その合間を警告音のような音が無慈悲に響いている。少年は軽やかに口笛を吹く。既に数値は十を示している。
「あと九秒――だね」
 カイは邪なる笑みを浮かべながら、リナリアの背面を足蹴にする。脚を銃弾で打ち抜かれたリナリアは受身を取ることも出来ずに、その場に倒れ伏す。
 その装置の数字が示す意味を理解したマイは、足早に少女の下へと駆けつけ、その首輪を掴み上げる。金属製の機械首輪をはずそうと試み膂力を込めるも、その反動で痛みを感じたリナリアが顔を顰める。
 指の入る隙間はほとんどなく、如何程膂力を込めたところではずれる気配はない。耳元に飛び込む、カウントダウンを示す音が次第に大きく、反してゆっくりと響く。
「くそ……、くそ……!」
 マイは憤りの言葉を吐きつつ、必死の思いで装置の取り外しを試みる。次いでマイが感じたのは衝撃だ。突如、思いもよらない人物から押し出されたマイは、尻餅をつく。
 マイは刹那の後、リナリアに突き飛ばされたということを知覚する。視線の先には、血に染まる白のワンピースドレスを着込む少女の姿がある。
涙に塗れた瞳で笑みを象り、そして――。
「マイお兄ちゃん、ごめんなさ――」
 マイはその笑顔を前に再び駆けようと試みるが、背後から首根っこを捕まれ、圧倒的な膂力によって引き戻される。時の経過がゆったりと感じられる中、マイはリナリアの笑顔を明確に記憶する。
瞬間、轟音が轟いた。

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