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*③*

 艦橋内に爆発が生まれ、耳を貫くような轟音が轟く。硝子がその爆発音を聞き入り、その慟哭に打ち震えている。
 灰燼の後に残されたのは、胸からの上の上半身を失った少女の姿――だった者の姿だ。残された下半身だけが、血溜まりと蛋白質の海に倒れこむ。
 マイは背後を見やり、自分の首根っこを掴む人物を見据える。黒衣の装いの男はアハト。
 再び前方を見る。上半身のない遺体が血の海に沈んでいた。マイは駆け寄り、遺体を抱き上げる。遺体が纏う血に塗れた白の衣。
「あ、あ……」
「――死を祝別したまえ。何故なら僕がここにいるのは君のおかげなんだから……。ふふっ……最後の笑顔、最高だったね。悲しくて、怖くて、でもどうしようもなくて……」
 カイは自身の顔を鷲掴みにするかのように顔を覆い隠し、微笑を打ち消そうと努める。その指の合間からは少女のような顔と、一層の狂気に染まる瞳が見え隠れしていた。
 マイはかつてリナリアという少女だったものを抱きしめる。粘度の高い液体が手に塗れ、それが血であることを知覚する。
 カイは一頻り笑った後、マイを引き止めた黒衣の男――アハトへと視線を転ずる。
「久しぶりだね。グラズヘイムのUebermensch(超人)」
「カイか」
「君の親族、騎士殿と楽士殿は元気にしているかい?」
「さぁな。俺が奴等の行動を把握出来るわけがない」
「では、元気にしていたなら是非伝えて欲しい。目障りだから早く死んでくれ――ってね」
 カイの言葉を受け、アハトは二人の人物――赤髪の騎士と金髪の楽士の姿を脳裏に描く。すなわちその人物とはリアトリス・クラインハインツとフィリーネ・ユーヴェルリートの二人である。
 かの二人はアハトと同様、生体開発研究所である「グラズヘイム」によって強化人間と化した人物である。単独での作戦遂行を目的とし、来るべく運命に抗うためにACという戦力に頼ることのない人類だ。
 マイはかつて白百合のように微笑んでいた少女の遺体を横たえ、そして白髪の少年へと視線を向ける。
 その視線に宿しているのは、憤怒と激情、何よりも慟哭である。マイは黒々とした感情が渦巻く視線でカイを射抜く。
「……お前ッ!」
 マイは涙を流しながら、カイに掴みかかる。身長の低い少年を掴み上げ、自分の視点の高さまで持ち上げる。
 少年は矮躯に反して、その体重は重い。だが身体に満ちた怒りは、その重さに頓着しない。
「お前が……お前が……!」
「――余り気にするなよ。君は一つのモノに固執しすぎだ。君がソレに固執する理由がどこにあるのさ?」
「……ッ!」
「そこにあるのは死体だよ、死体。ただのモノでしかない。あの生体CPUも同じさ。あれもモノだ。弁えなよ」
「……違うッ!」
「――だいたい君はさ、何を判断材料にして赤の他人を救っているのさ? 助ける理由をどこにおいているの? あの装置を君が庇う理由は何なんだい?」
 水面に垂らされた一滴のように、カイの言葉が心中に染み渡っていく。
「それは……」
「困っているように見えたから? 可愛そうに見えただから? それとも見た目が綺麗だから?」
「ぐっ……!」
「答えられないんだろう? だって理由なんてないじゃないか」
 マイはそんなわけはない――と否定しかけ、しかしその反論の言葉を紡ぐことが出来ないでいた。
 何か言わなければならない。その言葉を否定しなければならない。だが幾らそう思っても、言葉は明確な形を結ぼうとはしなかった。
「認めろよ。君は同情しているだけなのさ。可愛そうな身の上の子を助けて、それで『あぁ、自分は救われたんだった。今、自分はコレと違って幸せなんだ』って思って、自分のアイデンティティを保っているだけなんだよ」
「お前――ッ!」
「ああ、親近感を覚えずにはいられないね。僕と君は似たもの同士。その本質は同じさ」
 邪なる微笑をするカイ。少女然とした装いの内に満ちる狂気の表情。
 マイは握りこんだ拳を引き、掴み上げたカイを殴りつける。その行動に、カイと共に艦橋に現れた男女組みが浮き足立つも、カイは制止を促す。カイはマイに殴られながらも、笑うことを止めない。
 マイの憤怒に満ちた行動を止めたのは、黒衣の男――アハトである。マイの背後にたったアハトは、振り上げられたマイの拳を掴み上げた。
「――離せッ!」
「――やめろ」
 静止の声はアハトではなくシェルブだ。シェルブの強い声音が響き渡る。
「交渉は既に終わっている。ここでミラージュの者と敵対したところで意味はない。対立はより明確なものとなるだけだ」
「懸命な判断だよ、シェルブ・ハートネット。そういうことさ。仮に今、君等が僕を殺すことが出来たとしても何の解決にもならない。その行動はミラージュと明確に敵対することになる。交渉は完全にオジャンだね。あぁ、それを望むなら僕を殺せばいい」
「くっ……!」
 マイはカイを突き放す。カイは口元から滴る血を舌で舐め取る。
「――君等はつくづく、不思議な集団だね」
 カイは周囲にいるサンドゲイル所属の面々の顔を見据え、その各々を確認し、呆れたように言葉を漏らす。
「アークの元トップランカーが率いているってだけで面白おかしいのに、スフィアやロアにまでコネクトがあるなんて。それにグラズヘイムのUebermensch(超人)、さらに赤い瞳の暗殺者までいるらしいじゃないか」
 カイは艦橋を見渡しつつ、心底から不思議そうな声音を発する。その声音は理解し難い、という感情さえ含まれているように思える。
「イレギュラーが寄り集まっているというのを、君等は少し自覚したほうがいい。この広い地上において、最も異質な特異点さ」
「――多少は自覚している。それためにこうして立ち回っているのだ」
 シェルブの言葉を受け、カイはまたもその事柄が愉快であるかのよう、笑い出す。感情の制御がうまくいっていないのか、その可笑しそうな声音に反し、瞳と口元は微笑んでいない。
「そうかい? まぁどの道、君等がこうして特異点であり続ける限り、いずれ僕等と明確に対峙することになるだろうさ。その時を僕はとても楽しみにしている」
 カイは両腕を天へと伸ばし、身体を伸ばす。血の滴る白髪が扇状に広がる。
「さてと、それじゃ次はスフィアでも訪ねようかな」
「スフィアにまで手を伸ばすというのか?」
「当然でしょ? アレは僕等のものだ。技術提供の交渉などどうでもいいことさ。頭下げて交渉して、それでいて図に乗らせるぐらいなら奪ってしまったほうが話が早いだろ?」
「容易とはいかんだろう」
「そうだね。まぁ、僕等が来ることを事前に伝えるなら伝えるといいさ。無駄だろうけど、その無駄が実を結ぶことも稀にある。切なる思いを無慈悲に断ち切るのは、僕が最も好むところさ。それじゃ――」
 カイは歩みだす。そして怒りの表情で立ち尽くすマイの横を過ぎ去ろうと試みる。
 マイの真横に立ったカイは、立ち止まり、その背を伸ばす。マイの耳元へと口を寄せる。その光景は、さながら恋人の耳元で囁く若娘のようである。
 カイはマイの頬から滴り落ちる血を指で拭い、その耳元へ向かって囁きを生む。
「マイ・アーヴァンク――また会おうね。バイバイ」
 去り行く白髪の少年。少年に続き、男女二人も退出していく。
 数多の静寂が繰り返される。誰もが口を開くことなく、誰もがそれを恐れた。静寂を打ち破ること、それが目の前の非現実的な光景を確定させてしまうかのように感じた。
 惨劇の後。そこには凄惨極まる悲劇の跡と無慈悲な血溜まりだけが残された。

     *

  {-Desine fata deum flecti spectare precando.(懇願によって、運命が動かされることを望むな)-
}
 凄惨極まる事件が生じてから一日が経過した。衝撃的な事件により、サンドゲイル内には未だ暗雲とした雰囲気が立ち込めていた。
 活気はとうに失われ、復帰の兆しは見せない。それは天真爛漫さを備えたシルヴィアとて例外ではなかった。
 未だ幼く、少女でしかないシルヴィアもまた同様に大きなショックを受けていた。だがそれもマイの想い――彼が受けたであろう心痛を考えれば、耐え切ることが出来た。
 自らが世話をしていた少女を目の前で失うという事実。その命が明確な形で奪い去られたというのは、かつでないほどの痛みとなってマイを襲った。
 マイはイリヤの件以上に意気を消沈させていた。シルヴィアは危機感を抱き、エイミ・ツザキの下を訪ねた。
 エイミが出してくれた飲み物に口をつけることなく、エイミに己が心中を吐露する。
「共感を求めて接しても、無駄でしょうね」
 エイミが口にしたのは、無駄という隔絶したものだ。
「どうしてですか? 辛いならボクは分かち合いたいし、そうすれば少しは心が軽くなるはず……」
「えぇ。けどそれは――女の理屈かもしれないわね」
「……え?」
「シルヴィとマイがそういう関係だとは言わないけども……。今、安易に共感を求めようとすると、逆に反発されるかもしれないわね。お前に何がわかるんだ――って」
「あ……」
 そう。皆、往々にして感じた痛み。その心痛を皆が感じたとて、その痛みの度合いが皆々同じというわけではないのだ。
 因果関係が近ければ近いほど痛みは増していく。
 シルヴィアは共感することで痛みを分かち合えると思っていた。だが、必ずもそうではないのだと、エイミは語る。
「共感で痛みが和らぐこともある。けど、そうじゃないこともある。その心の傷口を見られることを嫌う人もいるから――特に男性はね。苦悩しているところに無理して寄り添う必要はないと、私は思うわ。いずれ自分で答えを見つけるはず。けど――」
「けど?」
 エイミは飲み物を一度、口にする。片目だけを閉じ、柔らかく微笑む。
「それでも、マイがあなたを頼ってきたら、その時は心から助けてあげればいいと思うわ」
「でも、もどかしいよ……」
「そうね。何かしてあげたいと思うのは自然なことよ。なんだかシルヴィも女の子になってきたわね」
「へ?」
「ううん、なんでもない。厳しいようだけど、今は私達が出来ることをしましょう。サンドゲイル内も暗い雰囲気になってるしね」
「うん。ボクももう少し、頑張ってみる」

     *

 リヴァルディの医務室には三人の人物が座し、もしくは立ち尽くしていた。シェルブ、整備士であるショーン、そして医者であるアリーヌである。
 シェルブは腕を組み、黙して熟考する。
 イリヤの件に続いて起きた、リナリアの悲劇。その衝撃を間近で受けたマイの心痛は計り知れないものだ。
 歴戦の勇士であるシェルブであっても、それは耐え難いものだ。だがその心痛は大人であれば、感情の整理は大なり小なり、出来るものである。
 故に大人に成りきれていないマイには、些か以上に酷な出来事だろう。
「俺は――不器用だな。俺が今、あいつに言えるとすれば割り切れ、という非情な言葉しか出てこん」
「……それはどう言い繕うとも事実よね。生き物は皆、必ず死者となる。それに例外はないわ。例えその命が理不尽な理由で奪われたとしても、全て同じことよ」
「それは医者としての意見か」
「ええ」
 シェルブは天井を見上げ、そして溜息をつく。視点を床面へと移す。
「何かしてやりたいとは思うのだが、何も出来んとはな。それが事実であっても辛いものだ」
「悩んでいる若人にやきもきするのはわかるわ。けど、年長者は賢者ではない。賢者のように思い込んでいるけどね。若者を導けることもあれば、出来ないことだってある。苦難に挑戦するのはあの子であり、それを乗り越えるのもあの子の役目」
「冷たいようだが、それが真理だな。結局のところ、試練は自分で打ち勝たねばならない」
「下手な同情はそれこそ辛いだけよ。放任するというわけではないけども、気持ちの整理を付けるだけの時間は必要だと私は思うわ」
「それも医者としての意見か?」
「これは女としての意見よ」
「――そうか」
 シェルブはその意見に感心を示す。医者としての仕事柄からか、アリーヌの言葉はわかりやすく、穿ったものが多い。
 シェルブは過去の光景を思い浮かべる。自身の人生に数々の困難があった。その都度、周囲が助けてくれることもあれば、周囲がさらなる泥沼を生むこともあった。
 今、自分があの少年に何が出来るのかと問われれば何も出来ず、何をするべきかと問われれば黙すことしか出来ない。
 それが事実であったとしても、すぐさま納得できないものであった。
 ――なるほど。これが親というものか
 難儀なものだと、シェルブは感じる。突如、頬に冷たいものを感じる。視線をそちらへと送ると、黄金色の液体を湛えたグラスと対面する。その奥にはショーンの姿だ。
「弔い酒ってわけじゃねぇけどよ……。少し、大人の対応をしようじゃねぇの」
「ショーン……」
「死者を忘れることなかれ、それが俺達に出来る唯一のことさ。今までもこういうことがまったくなかったわけじゃない。けどよ、やっぱいつまでたっても慣れないもんだよ。侘しく飲もうぜ」
 グラスを打ち鳴らす。硝子と氷が打ち鳴らす旋律は、かくも寂しく響いた。

     *

 マイは外気を求め、リヴァルディの甲板へと向かった。空圧式の扉のハンドルを回し、重々しい金属製の扉を開放する。先んじて注がれたのは月明かり。次いで荒野の冷えた夜風が頬を柔らかく撫でる。燦々とした日中の暑さのものとは異なり、侘しささえ感じさせる冷風が流れ込んでくる。
 夜空は孤独な月を取り囲むよう、星々の群れが瞬いている。それがいつも以上の寂しさを感じさせた。
 吹き抜ける夜風に混じり、鋭い風斬り音を聴覚が捉える。
 視線の先にいるのは、銀髪の男。舞い動く度に銀色の髪が揺れている。サンドゲイルに所属するアハトである。
 その手にはデータベースの中でしか見られぬような、白銀色の刀剣が握られている。白刃が一太刀、二太刀と星々の躯を抱きかかえる夜空の足元を駆ける。
 その剣閃は、戦場で見せる疾風の如きものとはまったく異なるものだ。常人の眼であっても、その軌跡は充分に捉えることが出来るほどの速度だ。緩慢とさえ定義できるだろう。
 だがさりとて、それが堕落故のものかと言えば、それは異なる。戦闘時の剣閃が突き抜ける疾風、あるいは夜空を駆ける彗星と称せよう。対して、今、目の前行われている動作は山より流れ出で、谷間を渡る川を彷彿とさせるものだ。
 それは繊細で流麗でありながら、何よりも力強い。人体の動きに決して逆らうことなく、緩やかに繰り出した剣閃は、堅固に静止する。優雅な足捌きは、転進の音すら一切生じさせない。
 剣術――と言うよりは人々に魅せるための剣舞を髣髴とさせるものだ。
「――マイか」
 アハトは視線を向けることなく、マイの名前を呼ぶ。反して動きは一切静止することなく、継続されている。見ればその頬には僅かな汗が流れていた。
 赤道に近いソグラトよりやや北上したとはいえ、未だ周辺環境の気温は高い。
「悪い、邪魔したかな……」
「いや――」
 アハトは剣を振りぬき、そのままの状態で彫像のように静止する。完成された彫像のように動くことのないアハト。
しばしの時が経過しその後、その剣先が下ろされる。アハトは視線だけをマイへと向ける。
「リナリアの件か」
 アハトの鋭利さを含んだ言葉に対し、マイは沈黙する。会話をどう切り出して良いものか惑う。
 己が内に渦巻く感情を明確な言葉に出来ない。
「俺が……俺がもっとしっかりしていれば、あるいはもっと強ければ、あの娘を守れたんだろうか?」
「――どうだかな」
 吐露されたのは憤りと悔恨。それに対してアハトは、簡潔な言葉で切りかえした。
「強いからといって、全てが守れるわけではないだろう」
 アハトが白刃の剣先を持ち上げる。三度――刹那を走り抜ける。此度は先ほどよりも鋭利で速く、銀光のみしか捉えられない。
 マイはアハトの動きに、明確な「強さ」という概念を見出す。アハトの実力のほどは、戦場での動きからおのずと推察できる。銀髪の男――アハトは確かに強い。
 だが何も強者はアハトに限ったことではない。サンドゲイル内の面々は皆々、何かしらの方面に対して明確な強さを持っているのだ。
 だが焦がれるほどの強さを持った目の前の男は、それを否定する。強いからとて、全てが守れるわけではないと彼は語る。
 それもまた当然だろう。何もかもを守れるようなご都合主義がこの世には存在しない以上、あらゆるモノ全てが守れるというわけではないのだ。
「この世にはどうしようもないことが多々ある。あの時こうしておけば良かった、今よりもしっかりしていればなど、結果論に過ぎん」
「だからって、俺は納得できない。俺がもっと――もっと――」
 熟慮していれば、あるいは違う未来を迎えられたのではないかと、憤りは口に出ることはなく、留まる。
「その未来があったことを見つけたところで、過去が覆ることはないな。ただ――見方が変わるだけだろう。自分を断罪したいのなら、それも構わんがな」
「――――ッ」
 断罪――。そう、自身は今回の件について多くの責任を感じている。
 アスセナの件、イリヤの件、あらゆる因子が寄り集まり、結果としてリナリアの命は失われた。無論、それすらも結果論でしかないと言われればそれまでだ。しかし、あの時、自分が異なる選択をしていたのならと思うと悔恨を抱かずにはいられない。
 リナリアを助けられると選択肢があったにも関わらず、それを選択できなかった自分がいる。ならば自分に明確な責任がある。違う未来を迎えられるだけの選択権が与えられているのだから。
 しかし、そのことを誰も自分を責めようとしない。それが何よりも苦しく、何よりも辛い。明確に、そして徹底的に追求され、糾弾されたほうが、どれだけ楽なことか。
 ――何で、誰も俺を責めないんだ……。
「何で――」
 だがそれすらも甘えなのかもしれない。断罪されることがないという心痛こそが己に課せられた罰なのであり、それから逃れようと断罪を求めるのこそ、自分が楽になろうとしているのかもしれない。
 堂々巡りする思考の混濁。混じっては濁り、沈殿する黒々とした感情を知覚する。
「間違わないことなどない。失敗しない人生などない。時として――」
 鋭い剣閃が再び走る。月明かりの足元を優雅に、しかし此度は獣のように獰猛に走り抜ける。その鋭さ、知覚できたのは月光の照り返しのみだ。
「その失敗によって、致命的な何かを失うこともある」
 アハトの鉄面皮がやや和らぎ、その視線が下ろされた剣先に向けられる。いつもの硬く、他者を寄せ付けない雰囲気が消え失せる。反してその表情には憂いある表情を覗かせていた。
 普段の冷静沈着な表情とは異なるものだ。超人的な能力を持つアハトが、僅かに見せた一人の人間としての表情。
「それに対して憂いもあるだろう。悔恨もあるだろう。だが、それでも諦めずに――走り続けろ」
 隻眼が静かにこちらを見据える。
「後悔するな――とは言わん。ただ諦めるな。諦めさえしなければいつか――いつか何とかなるように思える。絶望的な袋小路にも、いずれ光明が見えてくるようにも思える」
「――諦めなければ、いつか……」
「月並みな意見だがな」
 確かに有り触れた言葉だ。だがそれを実行し続けるというのが何と難しいことか。言葉で表せば容易なようにも思えるが、その求道を選択し続けるのは極めて困難なことだろう。
 諦めなければ――ただ一つを信じて走り続けるのならば、人は皆、英雄になれている。だが、世界には苦難の末に諦める人のほうが圧倒的に多い。それはつまり、諦めてしまう者が大多数ということを意味する。
「――イリヤの件、貴様はどうする気だ?」
「……スフィアか」
「カイの言葉に従えば、奴は次にターミナル・スフィアを襲撃するだろう。スフィアの戦力の底は知りえないが、一企業と正面から対立出来るとは到底思えんな」
「襲撃すれば、ミラージュはイリヤを奪う――」
「そうだな。奴等があの娘を丁重に扱うとは思えんな。貴様はその上で、何を選択する?」
「俺は――」
 マイは瞳を静かに閉じる。リナリアの件を思い浮かべる。その笑顔を思い出す。
 リナリアとイリヤの姿が重なる。このまま、自分が何も選択しなければ、恐らく彼女も同様に――。
 澄み渡っていく思考。極々単純に、何を選択するのかと問われれば、思考に混濁は一切ない。行うべき行動は一つだ。マイは瞳を見開き、己が心中の思いを吐き出す。
「俺はイリヤを助けたい……! 俺だってあの時、親方に拾われなかったら野垂れ死んでいた。けど、親方が拾ってくれたから、こうして生きていられる。生きるということが唐突に奪われるようなことがあるのはわかる。命が理不尽に奪い去られることもある」
 そう。リナリアの命が失われたように他者によって理不尽に命が奪われるような出来事が、この世界にはある。
 あるいは自分の選択が、生奪を助長してしまうこともあるだろう。だがそれでも――。
「それでも――俺は救いたい。救えない人がいた。また何もせずにただ奪われるのを見続けるなんて、そんなことは嫌なんだ。イリヤも……このままじゃ理不尽に命を奪われるかもしれない。このままそれを黙って見ていることなんて、俺には出来ない。生きることに仕方のないことなんてないはずなんだ。誰にだって自分の人生を――自分の生き方を自分で決める権利があるはずなんだ」
 心の内で渦巻いていた感情が一つの方向性を見出し、明確な言葉へと変換される。
「俺はイリヤが――イリヤがそれを決めるまで、守ってあげたい。守り続けてあげたい――!」
 言葉に感情が掛け合わさり、思いはより一層の高みへと上る。己が心中に渦巻く思いの丈、マイはその全て放出する。
「俺がイリヤを――助けたいんだ!」
「――そうか。決意は固そうだな」
 マイはアハトの言葉を、無言で肯定する。アハトの鋭い隻眼を臆することなく、正面から相対する。この想いに偽りも邪なるものがないと、その意思を示さんと強く見据える。
「ならば――」
 アハトが手に持った刀剣を鞘へと格納する。小さな鍔鳴り音が夜空の足元に響き、風に浚われる。
 アハトは刀剣を格納した鞘を、マイに向けて放り投げる。マイはそれを掴み取り、その真意が何であるかと惑い、疑問の視線をアハトに送る。
「……これは?」
「貴様がこれから起こす行動は、サンドゲイルに対して少なくない悪影響を及ぼすだろう。その決意を聞いて俺はみすみす、貴様を見逃したりはしない」
「――っ!」
 それも当然の反応か。自身がサンドゲイルに所属する以上、その意に反して行動を起こすというのならば、その行動を万人が阻止を試みる筈だろう。
 仮にサンドゲイルを抜けたとしても、それは同じことだ。自分と組織にしっかりとしたケジメをつけたところで、その覚悟を周囲が汲み取ってくれるとは限らない。各企業からすれば、そのような個人的な覚悟に頓着する利用など、どこにもありはしない。
 今後、自身がどこかしらの企業に対して敵対的な行動をとったというのなら、仮にサンドゲイルに所属してなくとも、サンドゲイルに対して影響を及ぼす。事と次第によっては、サンドゲイルは責任を糾弾される可能性さえあるだろう。
 マイはアハトの言葉はもっともであると感じる。だがさりとて、同情などで通してもらおうとは微塵も思っていなかった。
 一企業と対立して、それでも一人のために戦い続けるという求道を目指すというのなら、この程度の障害は自力で乗り越えなければならない。
「飛び立ちたいのなら、楔を千切れ。自由が欲しいのならば、貴様自身の手でそれをもぎ取れ。それを使って一撃でも打ち込めたのなら、貴様への義理を通し、貴様の行動に対して俺は瞑目する」
 目の前の男は、一撃打ち込めることが出来たのなら、自身の行動を黙認するといっている。
 一撃――されどそれを実現するには程遠い。不可能と断言しても過言ではないだろう。
 アハトの普段の動きを知っているからこそ、そのことを明確に定理できる。本人の口から聞いたわけではないものの、アハトは間違いなく身体能力を人為的に強化された強化人間である。
 その人外なる身体能力だけに限らず、こうしてこの場で行っていたように、日々の訓練をかかしていない。力と技量の両立。
 通常の人類でしかない自身では、例え自動小銃の類を持ち出したとて、相手にはならないだろう。
 ――けど。
 不可能だろうと、この意思は通さねばならない。この先、この想いを阻むものと数え切れないほど遭遇するだろう。これから先にこの銀髪の男と対峙する以上の困難が、数多も立ち塞がるかもしれない。
 この男すら納得させることが出来ないのなら、この先生き残れない。その程度の覚悟では、何も救えない。
「――わかった」
「貴様の覚悟を形にしてみせろ」
「あぁ――いくぞ!」

     *

 痩身の肉体が足音すら置き去りにし、転進を繰り返す。流れるような歩法に一切の淀みはなく、さながら円舞の如く美麗。苦節を乗り越え、その動きに追い縋るも、振るう刀は全て虚空を薙ぐ。乾坤一擲の一撃とて、目標を捉えるにはなお遠い。
 刀剣の重量、手に持つだけならそれほどでもない。だがこれを自在に振るうとなると途端に剣先は泳いでしまう。その剣先の迷走は生き方の迷いか。その迷いに誘われるよう、身体もまた空を泳ぐ。
 疲労は加算ではなく乗算の如く積み重なっていき、四肢の動きを拘束する枷へとその姿を変える。
 頭の隅で、悪魔の戯言が囁かれる。もう諦めてしまえと――お前には無理なのだと――その一切の行動を無に帰そうとせんために、悪魔は堕落の言葉を囁いている。
 諦めてしまうほうがどれだけ楽なことか。投げ出してしまえば心と身体は即座に解放されることだろう。それでも自身を突き動かしているのは何なのか。
 己が罪に対する贖罪もあるだろう。救済されたことに対する恩返しもあるだろう。その恩返しが、自分の身を軽くするための手法であり、それを偽善と捉えることも出来るだろう。
 己を突き動かしているのは一つの感情ではないように思える。だが、その数多の感情が一つのベクトルへと向いているようにも思える。一丸となり、ただ一つの目標に向けて手を繋いでいる。
 ――諦めるな……! 諦めなければいつか――。
 渾身を込めた一撃を、幾度振るったことか。そして幾度と回避されたことか。こちらの攻撃を一切受けることなく、流麗な動作で回避する銀髪の男。隻眼であるのにも関わらず、決して正確な位置情報を損なわず的確に避け続けている。
 銀髪の男に挑戦してから、どれだけの時間が経過したのかはわからない。暗色に染まっていた夜空は既に明るさを増し始め、青みを帯び始めている。だが、未だ銀髪の男に対する有効打はない。惜しむほどの一撃すら繰り出せていない。
 慣れない武器の扱いに、筋肉が次々と断裂していく。長きに渡る運動によって呼吸は乱れ、身体はその呼吸を整えることすら放棄してしまっている。
 脳裏によぎる妖精の如き容貌の少女。見目麗しき外貌の少女が、妖精のような声音で言葉を紡いでいく。
『そんなバカな事言う人は、初めて──』
 一歩、踏み込む。呆れながらも、どこか嬉しげな声で返した少女がいた。
『……ありがとう』
 一歩、さらに踏み込む。支えることを放棄しそうになる両足に鞭を打ち、奮い立たせる。
『貴方は本当に馬鹿だわ、こんな私の為に……』
 一刃、振るう。そう言いながら微笑む少女がいた。
『ありがとう。でも、今はそれが嬉しい──』
 一刃、さらに振るう。ありがとう――と、それが嬉しいと涙と共に微笑んだ少女がいた。今に思えばあの言葉は、自分達と共に歩むことが出来る月日が長くないことを示していたのかもしれない。
 こうして別れるであろうことを、少女は既に知っていたのだろうか。
 ――くそっ!
 歯を食いしばる。瞳の端に雫を満たす、イリヤの姿が過ぎる。
『ありがとう、マイお兄ちゃん』
 今は失われた、栗色の髪の少女が過ぎる。二人の姿が重なり、リナリアとの生活と妖精の如き少女の未来の姿重なっていく。生者と死者の姿が重なる。再び身体が活力を取り戻す。
 過去にいけるのならば自身を咎めたい。何故気づかなかったのかと、何故選択肢を誤ったのかと、何故――何も出来なかったのかと。自分で自分を糾弾したいという衝動にかられる。
 だが、過去は過去であり、それは過ぎ去ったものなのだ。
 憂いも悔恨がないのか問われれば、それは嘘になる。だがそうであっても、自分は過去に対してすべきことがある。
それは過去を憂うことではなく、過去を参照し、そして今に対して働きかけることだ。
 ここで終わるわけにはいかない。覚悟があるというのならば、その意志を身をもって示さなければならない。
 口だけの覚悟など、誰にでも出来ることだ。それを明確な形にしてこそ、明示してこそそれは意味を成す。観測してこそ、存在は知覚できる。だから――。
「――ォォオオオオオオッ!!」
「――む」
 一歩さらに苛烈に、痛烈に踏み込む。身体を懸命に支える両足が崩れかける。腕が脳を経由することなく、反射的な運動を開始する。
 床面へと倒れこむ身体。身が甲板に倒れ伏すよりも早く左手を突き出し、全身を支える。脚は床面と蹴り上げ、身体に最後の円転運動を促す。側転を開始。
 隻眼であるアハト、その眼帯で覆われた左の瞳――すなわち自身から見て右方向へと側転。着地と同時に両の足が崩れかけるも、頓着することなく即座に刃を振リ下ろす。
 風切り音と共に物理的な金属音が響く。寸前で受けに回ったアハトの右腕の義手が、振り下ろされた刃を受け止めていた。
 地平線から顔を出した朝陽が白人を照り返す。僅かにずれた反射する陽光の奥に、黒衣の男が見える。
「はぁ……はぁ……」
「ほう――」
 アハトは淡白ながらも、感心した声音を放つ。その表情には僅かな驚きが混じっていた。
 疲労で揺れる視界の中に、銀髪の男の腕に打ち込まれた白刃がある。それが示すのは――。
「やっ……た――」
 試練への勝利に笑みが零れかけるも、意識は急速に薄れ、視界は暗闇に落ちていった。

     *

 アハトは倒れ込むマイを抱きとめる。マイの手の内から刀剣「パンツァーシュナイダー」が零れ落ち、リヴァルディの甲板上に落下。甲高い音を響かせた。
「……我武者羅な男だ」
 アハトはマイを抱き上げ、甲板の角へと運び、自身の外套をかける。
 深き空がもたらす夜風を受け、身を冷やす。地平線の彼方から注がれる太陽光。太陽はいつの間にやら、その姿を現し始めていた。
 アハトはスラックスから小さな懐中時計を取り出す。表面の金属が朝の陽光を反射する。
「選択……か――」
 アハトは過去を思い返す。自身が今まで歩んできた人生、自分で選択することができた数多の「瞬間」が連ね、過ぎていく。
 自分が愛し、また自分のことを愛してくれた一人の女性がいた。だがその想い人は理不尽な形で、その生涯を閉じることとなった。
 彼女が死にいくのを、ただ黙って見ていることしか出来なかった自分。だが果たしてあの時、自分が強かったのなら確実に彼女のことを守れたのかはわからない。
 その憤りこそが、血の復讐だ。己が思いの丈を吐き出すために、そのためだけに生涯と身命を復讐に捧げた。そして――数多の悲劇と死者を生み出した。
 身体は人間とも定義できぬものへと変異した。そして他者を討ち取るためだけの人生など、到底人とは思えぬ代物。悪鬼畜生の類と称されたところで、もはや苦痛を感じることさえなくなった。
 生きているのか、死んでいるのか。その境界線は夜空のように曖昧。自分には生きている意味も価値も、ましてや許しさえも得ることはできないだろう。
 復讐の過程で幾人も殺害し、幾人もの恨みを買い、多数の狂気から当然の如く命を狙われた。
 ――だが、こんな身体だからこそ……こんな人生だからこそ手に入れることができたものがある。
 それもまた事実だ。己が生涯の全てを肯定することは未だ難しい。だがそのような中でも僅かばかりではあるが、得たものがある。
「いつだったかな。お前が言った言葉は……」
 何が正しく、何が最善で、何が間違いだったのか。それすら、今こうして考えても答えは一向に見つけることはできない。
 覆ることのない数多の事実がある。今まであった正しかったこと、間違っていたことの全てが、今の自分を構成している。そうである以上、過去に対して憂いを持つことはなかったはずである。
 だがこうして寝静まる男を前に、一角の感傷が感じ取る。感傷が言葉を形成していく。
「アイリ……あるいは俺も……」
 ――あるいは俺も……。選択を誤らなければ、お前が傍にいる未来を迎えられたんだろうか?

     *

 地平線から顔を覗かせる白き太陽。その眼差しが大地を朝焼けに染めていく。
 日の始まり指し示す太陽は、その姿の変異を見咎めることはできない。事実としては、微細ながらもその姿は変化しているはずである。だが人間の尺度で見据えれば、それは永遠の存在のようにも思える。
 変わらぬ物を見やり、それでもそこに変異のようなものを感じるというのなら、それは人の心象風景の変化によるものか。対象の姿が変わったのではない。物の見方が変化しただけなのだろう。
 マイは目の前に広がる朝焼けの光景に、新たなる旅路を感じる。これから自身が行う行為は褒められることではなく、賞賛されるようなことでもない。むしろ咎められるべきと言っても過言ではないだろう。
 たった一人の少女を助けるために、自身は『仲間』に牙を向く。ただ一人を助けるための行為とて、他者の命を食い潰すというのなら、それは覇道といって差し支えない。
 よしんば、それが成功したところで安寧が約束され、諸手を上げて喜びを示せるかと問われれば、それはわからない。だが成功の是非がどうであれ、運命は動き出すはずである。
 マイは蒼竜騎を輸送機の内に運び終える。向かうべき道を切り開く剣であり、数多の災害を受け止める鎧を持つ、唯一無二の相棒――蒼竜騎。機内に灯る小さな照明を受け、暗蒼色の装甲が静かにその意匠を示している。
 機体の調整はもとい、武装の調整も昨日の時点で終えている。であれば、あとは力強く飛び立つのみである。
『マイ・アーヴァンク様。アーマード・コアの格納、及び施錠を完了・確認いたしました。いつでも飛び立つことが可能です』
「あぁ、わかった」
 輸送機のパイロットから、飛び立つ準備が出来たという旨を伝えられる。
 リヴァルディを離れること――そこに憂いがないと言うのなら、それは嘘だ。だが別れの言葉を各人に伝えようとすれば、それもまた決意を揺らがせてしまうかもしれない。それが手前勝手な話であることを、マイは重々承知していた。
 ――俺もまだまだ、子供だな……。
 マイは瞳を閉じ、自嘲気味に笑う。
 輸送機の後方ハッチから一人の男が降りてくる。サンドゲイルの整備士――ショーン・ハワードだ。
「終わったぞ、マイ」
「ショーン……ありがとう」
「いいってことよ。まぁ、シェルブの野郎に怒鳴られたら『お前に脅されてやった』と言い訳しとくさ。それぐらいはいいだろ?」
「はは。うん、それで頼むよ」
「しかしお前、どこか吹っ切れたような顔だな」
「まだだよ。吹っ切れるかどうかはこれからさ」
「――へぇ。一丁前の顔しやがって、気にいらねぇ!」
 言葉だけならば、どこか手厳しいものを感じるだろう。だがショーンの表情はどこか楽しげである。
「格納武装の切り替えシークエンスは簡略化してある。即応性は増した半面、待機時の消費エネルギーは通常より多めだ。そこにだけ注意しろ。それと――頭部CPU、FCSの偏差射撃にも多少、手を加えてある。偏差射撃用のデータをアイツのACのものに入れ替えてある。五分とは言わねぇが、これで少しはマシになるだろう」
「ショーン……」
 マイがこれより、唯一人の少女を救うために、一人の『レイヴン』と対峙する。そのため、マイは機体構成を細部に至るまで調整を施していた。そのアセンブル作業にはショーンとアハトも付き添ってくれていた。
 マイは蒼竜騎の最終調整を終えた後もショーンが何かしらの作業を続けていたのは知っていた。だが、このような作業をしていたとは、マイは思いもよらず、驚きと感動を得る。
「俺からの餞別ってやつだ。アイツとやり合うってんなら、今のままじゃフェアじゃねぇからな。つっても、これでもフェアとは言い難いが……」
「いや、いいんだ。これは本来、俺が一人でやらなきゃいけないことだったから。でも――ありがとう、ショーン。助かるよ」
「構わねぇよ。無事で帰ってこい――とは言わねぇ。けど頑張れ」
「あぁ――それじゃ、また」
 マイはショーンに別れを告げ、輸送機へと乗り込む。輸送機の搭乗席には、雇い入れたパイロットが既に待機していた。彼にこちらも飛び立つ準備が出来たことを告げる。
 その時、輸送機の後方カメラがショーン――の隣にいる一人の少女を映し出す。
「シルヴィ……」
 輸送機に駆け寄るシルヴィア。それを止めるショーンの姿が映し出される。二人は何かを会話しているようだが、その会話内容を聞き取ることはできない。
 マイはその姿を見て、声をかけるべきか惑う。しかし、声をかけてしまったら、この決意が鈍ってしまうようにも思えた。
 マイは見上げるシルヴィアに対し、何も語ることなく去ることを決意する。自分勝手な判断だろう。だが今自分の決意が揺らいでしまうようなことをしてしまうのは、どうしても避けたかった。
「飛ばしてくれ」
『了解しました』
 マイはパイロットに離陸を促す。重低音を掻き鳴らしながら飛び立ちいく輸送機。
 想いの強さが速度を上げているようにさえ思える。自身の内に満ちるのは緊張と――勇気だ。向かおう。ただ一つの目的を達成するために。

 人は全てのことをこなせるというわけではない。そして不確実なものを追い求め、時にはそれが確実なものを失わせてしまうこともある。
 その運命に涙を湛えて懇願したところで、運命が一人でに動き、そして危機を覆してくれることはない。
 成りたい自分になるためには、他の誰でもなく己が努力しなければならない。すなわち、運命を紡ぐのは他の誰でもなく、己なのである。故に――。
 己が責務は――己こそ果たそう。

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