威風堂々と

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あの日・・・私たちは決意した

平成2年12月27日
新聞各紙に何の予告もなく掲載された創価学会池田犬作名誉会長法華講総講頭罷免。
その陰険・陰湿たる謀略の名前はC作戦。
創価学会の躍進により未曾有の発展を遂げた日蓮大聖人の仏法。
その公布拡大を阻もうと現れた天魔『日顕』
しかし池田名誉会長の下、学会員は微動だにもせず立ち上がった。
今こそ公宣流布への天王山の時と。

終戦後、戸田第二代会長によって創価学会は再建され、大折伏運動と共に荒廃した宗門の建て直しも行われた。
戦前の宗門は権力からの迫害を恐れ大石寺の中に神札をまつるなどの謗法を平気で犯すほど腐敗しきっていた。
こうした状況を見かねて創価学会は僧俗和合の精神で宗門の再建に取りかかる。
まず立宗700年慶祝記念事業として、それまで身延に遅れをとっていた独自の御書全集を発刊。
同じく昭和27年、登山会を開始。
建物も次々と建立・寄進され、境内は荘厳されてゆく。
土地も広がっていった。
戦後の農地解放後、大石寺が所有する土地は僅か5万坪。
それが、学会の寄進により117万坪にまで拡大したのだ。

そして昭和47年。
800万信徒のまごころの浄財によってあの正本堂が落慶する。
総工費350億円。世界の銘材を集め、現代建築技術の粋を結集して作られたそれは、まさに世界公宣流布の殿堂であった。
また全国各地でも多くの寺院を建立。平成2年までに356ヶ寺にものぼる寺院を寄進している。
実に全末寺のおよそ7割が学会の寄進によるものであった。
昭和59年には日顕も「何もかもオンブにダッコで申し訳ない」と学会に頭を下げていた。

ところがこの言葉の裏で日顕は信じられないことを企んでいたのである。
平成2年、創価学会創立60周年、大石寺開創700年を迎えたこの年の秋。
大石寺では意義深き時を祝う学会の文化祭などさまざまな記念行事が執り行われていた。
しかしその裏で日顕虎視眈々と学会破壊の謀略を進めていた。
それがあの創価学会分離作戦『C作戦』だ。
記念行事が開催される、僅か2ヶ月前。
日顕は2度にわたって取り巻きの坊主を集め会議を開いている。
そこでC作戦は練られていた。
その暴挙の内容を詳細に伝えるメモがある。河部メモ。
これは会議に参加した河部慈篤が直々に記録したメモである。
「特に猊下は『池田追放』と激しい口調で強調されていた」
またこのとき、河部が学会の頭文字"G"を取って『G作戦』だというと日顕は「それは違う。Cだよ。」と答えている。
これは名誉会長の首を切る、いわゆるcutの頭文字であることを意味するのだと日顕は後に語った。

そしてついにC作戦は発動。
名誉会長の法華講総講頭罷免の通達が宗門から一方的に通告された。
このC作戦の文書の中には
「宗門による海外組織の直接支配」
「学会員に脱会を迫る声明を新聞に掲載」
などが書かれており、以後次々と実行に移されていった。
これまで命がけでxxのxxを貫き計り知れないほどの供養を捧げ尽くしてきた学会を切り捨てた理由は一体なんだったのか。
「金は充分にたまった」
「学会員のうち20万人が山につけばいい」
これが日顕の本音なのである。
世界公布も学会への大恩もまるで眼中にはない。
学会員に慕われ世界を舞台に活躍する名誉会長に嫉妬し折伏布教に励む学会員を隷属させ金蔓にすることしか考えていない男。
それが日顕だったのである。

日顕「なぁ、オイオイ」
男「はい」
日顕「あのなそこそこ立ってなさい」
男「はい」
日顕「あん?」
男「あのー」
日顕「そのな」
男「はい」
日顕「学会にいてどうのこうのじゃないでいいたいこといってんだから信心が嫌になろうが何しようがそんな事、関係ないんだ君にとっては」
男「はい」
日顕「そんなことその場はくだらないこといってたってだめだってこと頭から少しカマしてやりゃあいいんだ!そんなものに対しては」

これを聞いた人々は一様にこう思った。
何か・・・暴力団みたい。

こんな坊主ありえね~!
宗門問題勃発と同時に白日の下に晒された日顕の素顔。
それは驚愕の事実の連続だった。
まず取り沙汰されたのはその異常な凶暴性。
とにかくすぐキレちゃうので宗内でついたあだ名が『瞬間湯沸し器』ありえね~!
また、自分の先祖の墓を禅宗の寺に建て自ら開眼供養まで行っていたという。
コレって謗法っすよねぇ!!ありえね~!
もっと吃驚したのはこの男の豪遊ぶり。ほら、こんなに嬉しそう。
坊主が芸者衆を前に酒池肉林を貪るなんてありえね~!
でも宗門に言わせると一切衆生を平等に救済する本宗の末法無戒の精神なんだって!
皆さんもご一緒に、ありえね~!
豪邸建築したり海外で法務をそっちのけで観光しても全部一切衆生の救済なんだと!
本人だけじゃないよ。一族郎党みんなそろって救済に忙しい。
豪遊にふけったり破廉恥な行為に走ったりずいぶん金のかかる救済である。
しかし忘れてはならない。これらは全部信徒の供養でやっているのだ。
こんな坊主たちを日蓮大聖人はこう切り捨てている。
"徒に遊戯雑談のみして明かし暮らさん者は、法師の皮を著たる畜生なり。" 松野殿御返事

やがて化けの皮が剥がれたのを知るや日顕は今度は平気で暴挙に出るようになる。
なんとあの正本堂までも日顕は破壊したのである。
その費用は実に48億円。
大恩ある創価学会を脅し屈服しないと知るやその憎しみをあらわにし目に付く学会の解悟の証をことごとく破壊しだした日顕。
しかし嫉妬に狂った哀れな男にやがて裁きの鉄槌が下る。

御聖訓に曰く「修羅は帝釈をあだみて日天をいたでまつる其の矢かへりて我が眼にたつ」
嫉妬の謀略はかえって日顕への厳しき仏罰として下っていった。
シアトル事件では日顕本人も3度にわたり出廷。
一審判決では「阿部の供述は信用できない!」など木っ端微塵に嘘を暴かれ大惨敗。
日顕側の完全敗北に終わった。
さらに日顕個人に対してもシアトルを巡るデマで日顕本人の責任を認定し宗門と連帯で400万円の賠償命令が確定。
芸者写真裁判も最高裁で敗訴が確定。遺骨不法投棄事件も然り。
最高裁での宗門への断罪は7回。日顕本人は2回にも及んでいる。
そしてとうとう法主としての地位を揺るがす事件までもが次々と発覚した。
驚くべきことに日顕が戒壇の大御本尊を自ら鑑定した上偽者と吐き捨てていた事実が発覚したのだ。
さらに極めつけは、日顕の偽法主疑惑である。
実は日顕は法主になるための正当な手続き、いわゆるを相承を受けず法主は詐称していたというのである。

能勢宝道氏「本人曰く、昭和53年4月15日に大奥で二人きりになった時に内々の相承を受けた、と自己申告している。しかしそれを見た人は誰もいない。昭和53年4月15日という日は日達上人もお忙しい1日であった。相承する時間というのはなかった、と皆確信している。法主を退座すれば、今度は宗内からの責めが下される。除歴ですね。」

いまや宗門は日顕によって完全に死滅した。
公称信徒数はかつての2%にまでに激減。大石寺は閑散としてさびれきっている。
そして今日顕は崖っぷちに追いやられている。
人目を忍んでは車イスでの移動を強いられているという。
もはや日顕の退座は時間の問題なのである。
あの日、池田名誉会長と共に決然と立ち上がった私たち学会員は天魔の醜い鎖を断ち切ったのだ。

(威風堂々の歌が流れる)
僣聖増上慢の戦いを敢然と勝ち超えた創価学会は世界宗教として飛翔した。
この15年でSGIは75カ国も拡大。いまや190カ国地域に連帯を広げている。
また池田名誉会長の偉大な人格と稀有の功績への理解と賞賛は五大陸へとあまねく広がりしせいの伝道からの名誉学術称号はいまや182。
うちこの十五年で173の授与がなされた。
C作戦から15年・・・いわれなき中傷・理不尽な弾圧をもろともせず我々は勝ち進んできた。
ただひたすらに正義のため・公宣流布のため。師弟不二のスクラムは勝利の歴史を築きあげた。
創立の 記念日祝さむ 天高く 君よ 振れ振れ 勝利の旗をば
さあ創立80周年へ向けて新たな一歩を踏み出すとき。
悪を徹底して追撃し勝利の行進を始めよう
威風も堂々と
最終更新:2009年01月24日 20:05