忠臣蔵のページ
赤穂市立赤穂中学校昭和55年度卒業生による忠臣蔵に関する情報を提供するページです。
忠臣蔵ゆかりの地を赤穂、関西(京都)、関東(吉良邸、泉岳寺から切腹場所)までを順次紹介していきます。
更新日:2010-06-02 21:03:25 (Wed)
忠臣蔵座談会
みなさん、男女問わず忠臣蔵に興味ある人コメントください。また、情報持っている人いたら情報ください。
また、赤穂浪士、忠臣蔵に関して日ごろ思うことでもOKです。
では、楽しく活用しましょう!
忠臣蔵ゆかりの地を紹介します。
赤穂浪士四十七士と浪士達と関連する人たちを紹介します。
四十七士物語 年表
西暦 |
和暦 |
日付 |
出来事 |
1683 |
天和3年 |
2月6日 |
浅野内匠頭長矩(以下、「内匠頭」)、勅使饗応役を拝命。 |
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5月 |
内匠頭・阿久里の婚儀が行われる。 |
1701 |
元禄14年 |
2月4日 |
内匠頭、二回目の勅使饗応役を拝命。 |
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3月14日 |
内匠頭、江戸城松の廊下で吉良上野介(以下「上野介」)に刃傷に及ぶ。 |
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田村右京大夫邸にお預けとなり、切腹。 |
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内匠頭刃傷事件を伝える使者が、江戸から赤穂へ出発する。 |
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3月19日 |
江戸から急行した使者が到着。 |
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赤穂城下は大騒ぎとなるが、家老・大石内蔵助良雄(以下、内蔵助)らが事態の収拾にあたる。 |
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3月26日 |
上野介、御役御免を願い出て辞職。 |
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4月19日 |
赤穂城、明け渡される。 |
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6月28日 |
内蔵助、京都山科に居を移す。 |
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8月19日 |
上野介、呉服橋邸から本所松坂町へ屋敷替え。 |
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11月10日 |
内蔵助、江戸で急進派浪士らと会合し、討ち入り決行を翌年3月頃と決める。 |
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12月12日 |
上野介が隠居。孫の義周が家督を継承。 |
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この頃、高田郡兵衛、脱盟。 |
1702 |
元禄15年 |
1月14日 |
萱野三平、摂津の自宅にて自害。 |
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2月15日 |
山科会議が開かれる。 |
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4月 |
内蔵助、妻・りくを離別。 |
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7月18日 |
浅野大学長廣に安芸浅野家お預けの処分が下される。 |
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7月28日 |
円山会議が開かれる。 |
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9月19日 |
大石主税らが江戸へ下向。 |
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10月7日 |
内蔵助らが江戸へ下向。 |
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10月26日 |
内蔵助らが川崎平間村へ到着。 |
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12月10日 |
大高源吾、吉良邸で茶会が催されるという情報を入手。 |
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12月14日 |
深夜、47名の赤穂浪士が吉良邸に討ち入り。 |
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12月15日 |
赤穂浪士、泉岳寺にて仇討ちの成功を報告し、幕府に自訴。 |
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赤穂浪士の処分を巡って議論が分かれる |
1703 |
元禄16年 |
1月22日 |
幕府、浪士らに「親類書」の提出を命じる。(26日に提出。) |
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1月下旬 |
浪士処分を決める投票が行われる。 |
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2月1日 |
綱吉が公弁法親王と会談 |
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2月4日 |
内蔵助ら46士、切腹。 |
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吉良義周、知行地を没収され信濃高島城へ配流。 |
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最終更新:2010年06月02日 21:03