関東の忠臣蔵ゆかりの地を紹介します。

  • 江戸城 松の大廊下跡
元禄14(1701)年3月14日に浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけたところ。皇居東御苑のなかに石柱があります。

  • 田村右京大夫屋敷跡
「浅野内匠頭終焉之地」の石碑があります、これは昭和15(1940)年に田村町有志により建立されたものです。

  • 鉄砲州屋教跡
聖路加看護大学の西側の築地川公圏寄りに石柱が建っています。浅野内匠頭の上屋敷付近を、通称鉄砲洲と呼んでいました。

  • 吉良上野介屋敷跡
ご存知義士討入りの場。吉良邸の一部が公園として残っています。上野介の首を洗ったといわれる井戸があり、12月第2土曜、日曜日に吉良祭・元禄市、12月14日に義士祭が行わます。

  • 泉岳寺
泉岳寺は、東京都港区高輪二丁目にある曹洞宗の寺院で青松寺・総泉寺とともに江戸三箇寺の1つに数えられています。
浅野内匠頭と赤穂浪士が葬られていることで有名であり、現在も多くの参拝客が訪れています。また、毎年12月13日、12月14日には義士祭が催されています。また境内に、赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」があります。
■アクセス
京浜急行本線・都営地下鉄浅草線 泉岳寺駅より徒歩2分
■泉岳寺山門
■大石内蔵助良雄銅像(中門入って右手にあります)
■首洗い井戸(四十七士墓所手前右手にあります)
本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています。
■四十七士墓所(山門入って左手奥にあります。)


写真左から<細川家、毛利家、水野家お預け墓所側><松平家お預け墓所側><浅野内匠頭墓所><大石内蔵助墓所><大石主税墓所>

赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。寺坂坂吉右衛門は本懐成就後、瑶泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のち江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布・曹渓寺で83才の天寿を全うしました。現在も曹渓寺に眠っています。寺坂の墓は慶応4年(明治元年・1868年)6月に供養のために建てられたものです。
また、47士の他に、萱野三平の供養墓があります。(明和4年(1767年)9月建立)したがって泉岳寺の墓碑は48あります。

  • 浪士お預け場所「細川家」:大石良雄外十六人忠烈の跡(東京都港区高輪一丁目)
大石良雄外十六人忠烈の跡は、東京都港区高輪に所在する旧跡にあります。かつて肥後熊本藩江戸下屋敷のあった場所です。
少しわかりにくいですが、泉岳寺山門横に案内図があり、ちょうど泉岳寺裏手にある都営高輪アパート内にあります。


■自刃した義士
大石内蔵助良雄(享年45)、吉田忠左衛門兼亮(63)、原 惣右衛門元辰(56)、片岡源五右衛門高房(37)、間瀬久太夫正明(63)、小野寺十内秀和(61)、間 喜兵衛光延(69)、磯貝十郎左衛門正久(25)、 堀部彌兵衛金丸(77)、近松勘六行重(34)、富森助右衛門正因(34)、潮田又之丞高教(35)、 早水藤左衛門満堯(40)、赤埴源蔵重賢(35)、奥田孫太夫重盛(57)、矢田五郎右衛門助武(26) 大石瀬左衛門信清(27)

  • 浪士お預け場所「水野家」:水野監物邸跡(東京都港区芝五丁目)
水野監物邸跡は東京都港区芝5-20-20に存在する三河国岡崎藩主・水野氏の中屋敷跡です。現在は灯籠(灯篭)と説明版のみ存在します。
水野監物邸跡は、田町(三田でも)駅降りて慶應仲通りを入って歩いていくと正面にドラッグストアー兼100円shopがあり道が左に曲がっているのですが、その隣の医院の前です。説明板があります。偶然にもその医院は、ターコさんのホームドクターだったそうです。
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■自刃した義士
間十次郎、奥田貞右衛門、矢頭右衛門七、村松三太夫、間瀬孫九郎、茅野和助、横川勘平、三村次郎左衛門、神崎与五郎

  • 浪士お預け場所「松平家」:大石主税良金ら十士切腹の地(東京都港区三田二丁目)
大石主税良金ら十士切腹の地は東京都港区三田二丁目に存在する史跡、伊予松山城主・松平久松隠岐守定直の三田中屋敷です。
元禄16年2月4日(1703年3月20日)、江戸幕府の命令によって以下の赤穂浪士が切腹した地であり現在はイタリア大使館となっています。命日には、歴代イタリア大使が供養をおこなっています。

■自刃した義士
大石主税、堀部安兵衛、木村岡右衛門、中村勘助、菅谷半之丞、千馬三郎兵衛、不破数右衛門、大高源五、貝賀弥左衛門、岡野金右衛門

  • 浪士お預け場所「毛利家」:長門長府城主毛利甲斐守網元麻布上屋敷跡(東京都港区六本木六丁目)
毛利甲斐守邸跡は、東京都港区六本木六丁目にある史跡です。長門長府藩主・毛利甲斐守綱元(長州藩毛利氏の分家)麻布上屋敷の跡地。元禄赤穂事件(忠臣蔵)における赤穂浪士終焉の地の一つです。
現在は、六本木ヒルズ内の毛利庭園となっており、ひょうたん池の傍に跡地である旨を示す標柱が建てられています。
六本木ヒルに毛利庭園まで行くのなら、南部坂まで行ってください。南部坂上に「津つ井」と言う洋食屋さんがあるのでランチは安くておいしいので是非行ってみてください。レジの所にお店のしおりが置いてあるのですが、南部坂雪の別れの話など書かれています。

■自刃した義士
岡嶋八十右衛門常樹、吉田沢右衛門兼貞、武林唯七隆重、倉橋伝介武幸、村松喜兵衛秀直、杉野十平次次房、勝田新左衛門武尭、前原伊助宗房、野寺幸右衛門秀富、間新六郎光風

※現在開設に向けて準備中。しばらくお待ちください。



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最終更新:2010年02月14日 00:53