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*忠臣蔵のページ 赤穂市立赤穂中学校昭和55年度卒業生による忠臣蔵に関する情報を提供するページです。 忠臣蔵ゆかりの地を赤穂、関西(京都)、関東(吉良邸、泉岳寺から切腹場所)までを順次紹介していきます。 更新日:&update() ***忠臣蔵座談会 みなさん、男女問わず忠臣蔵に興味ある人コメントください。また、情報持っている人いたら情報ください。 また、赤穂浪士、忠臣蔵に関して日ごろ思うことでもOKです。 では、楽しく活用しましょう! #pcomment(below2,reply,10,enablenamelink,enableurl,size=60,忠臣蔵コメントログ) [[すべてのコメントを見る>忠臣蔵コメントログ]] ---- ***忠臣蔵ゆかりの地を紹介します。 [[赤穂市の忠臣蔵ゆかりの地を紹介します。>忠臣蔵赤穂関連情報のページ]]&newimage(time=48,page=忠臣蔵赤穂関連情報のページ,image=new.png) [[関西の忠臣蔵ゆかりの地を紹介します。>忠臣蔵関西関連情報のページ]]&newimage(time=48,page=忠臣蔵関西関連情報のページ,image=new.png) [[関東の忠臣蔵ゆかりの地を紹介します。>忠臣蔵関東関連情報のページ]]&newimage(time=48,page=忠臣蔵関東関連情報のページ,image=new.png) [[その他忠臣蔵ゆかりの地を紹介します。>忠臣蔵その他情報のページ]]&newimage(time=48,page=忠臣蔵その他情報のページ,image=new.png) ---- ***赤穂浪士四十七士一覧表 ■赤穂浪士47士 |氏名| 諱 |藩職 |禄高| 生年| 享年| 部隊| お預け先| 家族 | |大石内蔵助| 良雄| 家老| 1500石| 1659年| 45| 表門| 細川家|  | |大石主税| 良金| 部屋住み|  |1688年| 16| 裏門| 松平家| 父は大石内蔵助| |吉田忠左衛門| 兼亮| 加東郡代・足軽頭| 200石役料50石| 1641年| 63| 裏門| 細川家|   | |吉田沢右衛門| 兼定| 中小姓近習| 13両3人扶持| 1675年| 29| 表門| 毛利家| 父は吉田忠左衛門 | |原 惣右衛門| 元辰| 足軽頭・鉄砲頭| 300石 |1648年| 56| 表門| 細川家|   | |片岡源五右衛門| 高房| 側用人・小姓頭| 350石| 1667年| 37| 表門| 細川家|   | |間瀬久太夫| 正明| 目付| 200石| 1641年| 63| 表門| 細川家|   | |間瀬孫九郎| 正辰| 部屋住み|  | 1681年| 23| 裏門| 水野家| 父は間瀬久太夫 | |小野寺十内| 秀和| 京都留守居役| 150石役料70石| 1643年| 61| 裏門| 細川家|   | |小野寺幸右衛門| 秀富| 部屋住み|   |1676年| 28| 表門| 毛利家| 養父は小野寺十内 | |間 喜兵衛| 光延| 馬廻・勝手方吟味役| 100石| 1635年| 69| 裏門| 細川家|   | |間 十次郎| 光興| 部屋住み|  | 1678年| 26| 表門| 水野家| 父は間 喜兵衛 | |間 新六| 光風| 部屋住み|   |1680年| 24| 裏門| 毛利家| 父は間 喜兵衛 | |堀部弥兵衛| 金丸| 元江戸留守居役| 300石隠居料20石| 1627年| 77| 表門| 細川家|   | |堀部安兵衛| 武傭| 馬廻・江戸留守居役| 200石| 1670年| 34| 裏門| 松平家| 義父は堀部弥兵衛 | |礒貝十郎左衛門| 正久| 物頭・側用人| 150石| 1679年| 25| 裏門|細川家|   | |近松勘六| 行重| 馬廻| 250石| 1670年| 34| 表門| 細川家| 弟は奥田貞右衛門 | |冨森助右衛門| 正因| 馬廻・使番・江戸詰| 200石| 1670年| 34| 表門| 細川家|   | |潮田又之丞| 高教| 郡奉行・国絵図奉行| 200石| 1669年| 35| 裏門| 細川家|   | |早水藤左衛門| 満堯| 馬廻| 150石| 1664年| 40| 表門| 細川家|   | |奥田孫太夫| 重盛| 武具奉行・江戸詰| 150石| 1647年| 57| 表門| 細川家|   | |奥田貞右衛門| 行高| 加東郡勘定方| 9石3人扶持| 1678年| 26| 裏門| 水野家| 義父は奥田孫太夫 | |矢田五郎右衛門| 助武| 馬廻・江戸詰| 150石| 1675年| 29| 表門| 細川家|   | |菅谷半之丞| 政利| 馬廻・郡代| 100石| 1660年| 44| 裏門| 松平家|   | |大石瀬左衛門| 信清| 馬廻| 150石| 1677年| 27| 裏門| 細川家|   | |赤埴源蔵| 重賢| 馬廻・江戸詰| 200石| 1669年| 35| 裏門| 細川家|   | |千馬三郎兵衛| 光忠| 馬廻・宗門改| 100石→30石に| 1653年| 51| 裏門| 松平家|   | |中村勘助| 正辰| 馬廻・祐筆頭| 100石| 1656年| 48| 裏門| 松平家|   | |木村岡右衛門| 貞行| 馬廻・絵図奉行| 150石| 1658年| 46| 裏門| 松平家|   | |不破数右衛門| 正種| 元馬廻・浜辺奉行| 元100石| 1670年| 34| 裏門| 松平家|   | |岡野金右衛門| 包秀| 部屋住み|   |1680年| 24| 表門| 松平家| 伯父は小野寺十内 | |岡島八十右衛門| 常樹| 札座勘定奉行| 20石5人扶持| 1666年| 38| 表門| 毛利家| 兄は原 惣右衛門 | |武林唯七| 隆重| 馬廻・中小姓近習| 15両3人扶持| 1672年| 32| 表門| 毛利家|   | |貝賀弥左衛門| 友信| 中小姓近習・蔵奉行| 2石10両3人扶持| 1650年| 54| 表門| 松平家| 兄は吉田忠左衛門 | |大高源五| 忠雄| 金奉行・膳番元方・腰物方| 20石5人扶持| 1672年| 32| 表門| 松平家| 弟は小野寺幸右衛門 | |倉橋伝助| 武幸| 扶持奉行・中小姓・江戸詰| 20石5人扶持| 1670年| 34| 裏門| 毛利家|   | |村松喜兵衛| 秀直| 扶持奉行・江戸詰| 20石5人扶持| 1642年| 62| 表門| 毛利家|   | |村松三太夫| 高直| 部屋住み|  | 1677年| 27| 裏門| 水野家| 父は村松喜兵衛 | |杉野十平次| 次房| 札座横目| 8両3人扶持| 1676年| 28| 裏門| 毛利家|   | |前原伊助| 宗房| 中小姓・金奉行・江戸詰| 10石3人扶持| 1664年| 40| 裏門| 毛利家|   | |勝田新左衛門| 武堯| 中小姓近習・札座横目| 15石3人扶持| 1680年| 24| 表門| 毛利家|   | |矢頭右衛門七| 教兼| 部屋住み|   |1686年| 18| 表門| 水野家|   | |神崎与五郎| 則休| 横目付・郡目付| 5両3人扶持| 1666年| 38| 表門| 水野家|   | |茅野和助| 常成| 横目付| 5両3人扶持 |1667年| 37| 裏門| 水野家|   | |横川勘平| 宗利| 徒目付| 5両3人扶持 |1667年| 37| 表門| 水野家|   | |三村次郎左衛門| 包常| 酒奉行・台所役人| 7石2人扶持| 1667年| 37| 裏門| 水野家|   | |寺坂吉右衛門| 信行| 吉田忠左衛門附足軽| 3両2分2人扶持| 1665年| 83| 裏門|  |   | ■その他赤穂藩関係者 |氏名 |藩職| 禄高| その後 | |浅野内匠頭長矩| 播磨赤穂藩の第3代藩主| 5万石| 吉良に切りつけ田村右京大夫(陸奥一関藩主)屋敷にて即日切腹。享年35。 | |瑤泉院(阿久里)|浅野長矩の妻| |正徳4年 (1714)三次浅野家下屋敷で死去。享年41。長矩と同じ泉岳寺に葬られた | |浅野大学長広| 内匠頭弟|  | のち旗本寄合として復活。享保19年(1734年)享年65。47士と同じ泉岳寺に葬られた | |大石りく|大石内蔵助良雄の妻| | 元文元年(1736年)に死去。享年68。広島の国泰寺に葬られる。| |大石くう|大石内蔵助の長女。| | 父と兄の後を追うように翌年の宝永元年(1704年)夭折した。享年15。豊岡の正福寺に葬られた。| |大石吉之進 |大石内蔵助の次男。 | |宝永6年(1709年)3月1日に入寂した。享年19 | |大石るり |大石内蔵助の次女。| |浅野氏一族浅野長道に嫁ぐ。 寛延4年(1751年)6月29日に広島で死去。享年53| |大石大三郎 |大石内蔵助の三男。| |広島浅野本家に父と同じ1500石で仕えた。明和7年(1770年)2月14日に広島にて死去した。享年69 | |萱野三平重実|中小姓近習|12両2分3人扶持|刃傷事件の第一報を赤穂へもたらした。義盟に加わるが、家族から再仕官を勧められ、板ばさみになり自害。享年28。今も三平の辞世の句碑が切腹した長屋門西部屋の横に残っている。| -&link_up(ページトップへ) ---- ***四十七士物語 年表 |西暦| 和暦| 日付| 出来事 | |1683|天和3年|2月6日|浅野内匠頭長矩(以下、「内匠頭」)、勅使饗応役を拝命。 | | | |5月|内匠頭・阿久里の婚儀が行われる。 | |1701|元禄14年|2月4日|内匠頭、二回目の勅使饗応役を拝命。 | | | |3月14日|内匠頭、江戸城松の廊下で吉良上野介(以下「上野介」)に刃傷に及ぶ。| | | | |田村右京大夫邸にお預けとなり、切腹。 | | | | |内匠頭刃傷事件を伝える使者が、江戸から赤穂へ出発する。 | | | | 3月19日|江戸から急行した使者が到着。 | | | | |赤穂城下は大騒ぎとなるが、家老・大石内蔵助良雄(以下、内蔵助)らが事態の収拾にあたる。 | | | | 3月26日|上野介、御役御免を願い出て辞職。 | | | | 4月19日|赤穂城、明け渡される。 | | | | 6月28日|内蔵助、京都山科に居を移す。 | | | | 8月19日|上野介、呉服橋邸から本所松坂町へ屋敷替え。 | | | |11月10日|内蔵助、江戸で急進派浪士らと会合し、討ち入り決行を翌年3月頃と決める。 | | | |12月12日|上野介が隠居。孫の義周が家督を継承。 | | | | |この頃、高田郡兵衛、脱盟。 | |1702|元禄15年|1月14日|萱野三平、摂津の自宅にて自害。 | | | |2月15日|山科会議が開かれる。 | | | |4月|内蔵助、妻・りくを離別。 | | | |7月18日|浅野大学長廣に安芸浅野家お預けの処分が下される。 | | | |7月28日|円山会議が開かれる。 | | | |9月19日|大石主税らが江戸へ下向。 | | | |10月7日|内蔵助らが江戸へ下向。 | | | |10月26日|内蔵助らが川崎平間村へ到着。 | | | |12月10日|大高源吾、吉良邸で茶会が催されるという情報を入手。 | | | |12月14日|深夜、47名の赤穂浪士が吉良邸に討ち入り。 | | | |12月15日|赤穂浪士、泉岳寺にて仇討ちの成功を報告し、幕府に自訴。 | | | | |赤穂浪士の処分を巡って議論が分かれる | |1703|元禄16年|1月22日| 幕府、浪士らに「親類書」の提出を命じる。(26日に提出。) | | | |1月下旬|浪士処分を決める投票が行われる。 | | | |2月1日|綱吉が公弁法親王と会談 | | | |2月4日|内蔵助ら46士、切腹。| | | | |吉良義周、知行地を没収され信濃高島城へ配流。 | -&link_up(ページトップへ) ---- このページにアクセスした数・・・ 合計のアクセス数:&counter() 今日のアクセス数:&counter(today) 昨日のアクセス数:&counter(yesterday) オンライン中:&online() -&link_up(ページトップへ) ---- #javascript(){{ <script type="text/javascript"> var gaJsHost = (("https:" == document.location.protocol) ? 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