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赤穂浪士四十七士一覧表

「君父の仇、
 ともに天を
 いただくべからず」
主君の仇は、自分の命を捨てても打たねばならない・・・。忠義を至上の美徳とする時代であった。
が、赤穂浪士は最初から四十七人であったわけではない。三百人近くいた家臣も次々と脱落した。
ある者は別の藩に士官し、あるいは全く別の道を歩む。思い悩んだ。忠義を全うするか。残された家
族はどうなるか。自分もこれで死ぬのかー。苦節一年九ヶ月。長く、深い刻を重ねてたどりつく、ラ
ストのカタルシス。美しき永遠のヒーロー、今ここに。

■赤穂浪士47士
氏名 藩職 禄高 生年 享年 部隊 お預け先 家族
大石内蔵助 良雄 家老 1500石 1659年 45 表門 細川家  
大石主税 良金 部屋住み   1688年 16 裏門 松平家 父は大石内蔵助
吉田忠左衛門 兼亮 加東郡代・足軽頭 200石役料50石 1641年 63 裏門 細川家  
吉田沢右衛門 兼定 中小姓近習 13両3人扶持 1675年 29 表門 毛利家 父は吉田忠左衛門
原 惣右衛門 元辰 足軽頭・鉄砲頭 300石 1648年 56 表門 細川家  
片岡源五右衛門 高房 側用人・小姓頭 350石 1667年 37 表門 細川家  
間瀬久太夫 正明 目付 200石 1641年 63 表門 細川家  
間瀬孫九郎 正辰 部屋住み   1681年 23 裏門 水野家 父は間瀬久太夫
小野寺十内 秀和 京都留守居役 150石役料70石 1643年 61 裏門 細川家  
小野寺幸右衛門 秀富 部屋住み   1676年 28 表門 毛利家 養父は小野寺十内
間 喜兵衛 光延 馬廻・勝手方吟味役 100石 1635年 69 裏門 細川家  
間 十次郎 光興 部屋住み   1678年 26 表門 水野家 父は間 喜兵衛
間 新六 光風 部屋住み   1680年 24 裏門 毛利家 父は間 喜兵衛
堀部弥兵衛 金丸 元江戸留守居役 300石隠居料20石 1627年 77 表門 細川家  
堀部安兵衛 武傭 馬廻・江戸留守居役 200石 1670年 34 裏門 松平家 義父は堀部弥兵衛
礒貝十郎左衛門 正久 物頭・側用人 150石 1679年 25 裏門 細川家  
近松勘六 行重 馬廻 250石 1670年 34 表門 細川家 弟は奥田貞右衛門
冨森助右衛門 正因 馬廻・使番・江戸詰 200石 1670年 34 表門 細川家  
潮田又之丞 高教 郡奉行・国絵図奉行 200石 1669年 35 裏門 細川家  
早水藤左衛門 満堯 馬廻 150石 1664年 40 表門 細川家  
奥田孫太夫 重盛 武具奉行・江戸詰 150石 1647年 57 表門 細川家  
奥田貞右衛門 行高 加東郡勘定方 9石3人扶持 1678年 26 裏門 水野家 義父は奥田孫太夫
矢田五郎右衛門 助武 馬廻・江戸詰 150石 1675年 29 表門 細川家  
菅谷半之丞 政利 馬廻・郡代 100石 1660年 44 裏門 松平家  
大石瀬左衛門 信清 馬廻 150石 1677年 27 裏門 細川家  
赤埴源蔵 重賢 馬廻・江戸詰 200石 1669年 35 裏門 細川家  
千馬三郎兵衛 光忠 馬廻・宗門改 100石→30石に 1653年 51 裏門 松平家  
中村勘助 正辰 馬廻・祐筆頭 100石 1656年 48 裏門 松平家  
木村岡右衛門 貞行 馬廻・絵図奉行 150石 1658年 46 裏門 松平家  
不破数右衛門 正種 元馬廻・浜辺奉行 元100石 1670年 34 裏門 松平家  
岡野金右衛門 包秀 部屋住み   1680年 24 表門 松平家 伯父は小野寺十内
岡島八十右衛門 常樹 札座勘定奉行 20石5人扶持 1666年 38 表門 毛利家 兄は原 惣右衛門
武林唯七 隆重 馬廻・中小姓近習 15両3人扶持 1672年 32 表門 毛利家  
貝賀弥左衛門 友信 中小姓近習・蔵奉行 2石10両3人扶持 1650年 54 表門 松平家 兄は吉田忠左衛門
大高源五 忠雄 金奉行・膳番元方・腰物方 20石5人扶持 1672年 32 表門 松平家 弟は小野寺幸右衛門
倉橋伝助 武幸 扶持奉行・中小姓・江戸詰 20石5人扶持 1670年 34 裏門 毛利家  
村松喜兵衛 秀直 扶持奉行・江戸詰 20石5人扶持 1642年 62 表門 毛利家  
村松三太夫 高直 部屋住み   1677年 27 裏門 水野家 父は村松喜兵衛
杉野十平次 次房 札座横目 8両3人扶持 1676年 28 裏門 毛利家  
前原伊助 宗房 中小姓・金奉行・江戸詰 10石3人扶持 1664年 40 裏門 毛利家  
勝田新左衛門 武堯 中小姓近習・札座横目 15石3人扶持 1680年 24 表門 毛利家  
矢頭右衛門七 教兼 部屋住み   1686年 18 表門 水野家  
神崎与五郎 則休 横目付・郡目付 5両3人扶持 1666年 38 表門 水野家  
茅野和助 常成 横目付 5両3人扶持 1667年 37 裏門 水野家  
横川勘平 宗利 徒目付 5両3人扶持 1667年 37 表門 水野家  
三村次郎左衛門 包常 酒奉行・台所役人 7石2人扶持 1667年 37 裏門 水野家  
寺坂吉右衛門 信行 吉田忠左衛門附足軽 3両2分2人扶持 1665年 83 裏門    

■その他赤穂藩関係者
氏名 藩職 禄高 その後
浅野内匠頭長矩 播磨赤穂藩の第3代藩主 5万石 吉良に切りつけ田村右京大夫(陸奥一関藩主)屋敷にて即日切腹。享年35。
瑤泉院(阿久里) 浅野長矩の妻 正徳4年 (1714)三次浅野家下屋敷で死去。享年41。長矩と同じ泉岳寺に葬られた
浅野大学長広 内匠頭弟   のち旗本寄合として復活。享保19年(1734年)享年65。47士と同じ泉岳寺に葬られた
大石りく 大石内蔵助良雄の妻 元文元年(1736年)に死去。享年68。広島の国泰寺に葬られる。
大石くう 大石内蔵助の長女。 父と兄の後を追うように翌年の宝永元年(1704年)夭折した。享年15。豊岡の正福寺に葬られた。
大石吉之進 大石内蔵助の次男。 宝永6年(1709年)3月1日に入寂した。享年19
大石るり 大石内蔵助の次女。 浅野氏一族浅野長道に嫁ぐ。 寛延4年(1751年)6月29日に広島で死去。享年53
大石大三郎 大石内蔵助の三男。 広島浅野本家に父と同じ1500石で仕えた。明和7年(1770年)2月14日に広島にて死去した。享年69
萱野三平重実 中小姓近習 12両2分3人扶持 刃傷事件の第一報を赤穂へもたらした。義盟に加わるが、家族から再仕官を勧められ、板ばさみになり自害。享年28。今も三平の辞世の句碑が切腹した長屋門西部屋の横に残っている。


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