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◇◇◇


「給食費が払えない?」
 午前のレッスンが終わり、昼食を挟んだ休憩時にやよいがバツが悪そうに私に言った。
「はわっ! 伊織ちゃん声が大きいー!!」
 周りに聞こえるのを恐れてか慌てて私の口を塞ぐ。
「ぷはっ。ご、ごめん…って、でも給食費が払えないって…本当なの? やよい…」
 今のこのご時世、給食費なんて払わない輩は多いものの払えない輩がいるだなんて思いもしなかった。そりゃ自分の家は超がつくほどのお金持ちだと自覚しているし、将来は素敵な男性と結婚する予定だったし、働く気なんかなかった。父親や兄に認めてもらうためでなかったらわざわざアイドルなんて目指そうとも思わなかったくらいだ。
 それなのにこの目の前にいる子、高槻やよいは一家の大黒柱である父親の稼ぎが少ないから、弟妹のため、家族のためにお金を稼ぎたいと言ってアイドルを始めていた。
「う、うんー…ちょっと色々立て込んじゃってね、今月は特に厳しいみたいで…えへへ」
 軽く頬を染めたやよいが、少し気恥ずかしそうにサンドイッチにかぶりつく。中身の卵がちょろりとはみ出す。
「まあ…私たちもまだEランクだし、一家を養えるほどのお給料もらえてるわけでもないからね。…正直悔しいけど!」
「そうだね…」
 765プロだけでもたくさんのアイドル候補生がいて、全国に同じ夢を持つライバルはごまんといる。プロデューサーがついてデビューは済んでいるものの、スタートラインに立っただけ。まだまだトップアイドルの道は果てなく遠い。
 毎日毎日レッスンの日々で本当にこんなんでトップアイドルになれるのかと、不安になる事なんて日常茶飯事だ。
「でも心配無用! この水瀬伊織ちゃんがいるんだから、今に飛ぶ鳥を落とす勢いでトップになれるわよっ!」
 残りの100%オレンジジュースを一気に飲み干し、やよいに最上級の笑顔を向けてみる。こんな笑顔アイドルやってる時だってしない。疲れるし。やよいにだけ特別大サービスよ。
「…そうだね、そうだよね。伊織ちゃんがいればSランクアイドルなんてあっという間だよね! うっうー! 楽しみー!」
 …エッ、えすらんくあいどる!? やよいもなかなか言ってくれるじゃないの…でもそうね、そうよね。
「そっ、そうよ! あっという間なんだからやよいもちゃんと私についてくるのよ!」
 ――広い芸能界という海に一人だけ放り出されたわけじゃない。プロデューサーという灯台のような存在も確かに大切だけど、そこにたどり着くまで投げ出さないためにやよいという心強い仲間がいるから、辛い事があったってこの海で泳ぐ事をやめたりなんかしないんだわ。やめてしまったらそこで終わりだもんね。
「あの、それでね…伊織ちゃんにお願いがあるんだけど…」
 ふつふつと熱く滾り始めた向上心という名の気持ちが爆発する寸前に我に返った。
 普段のやよいより少し元気のない、というか深刻そうな声色でぼそぼそと口にした言葉。
「お願い? …珍しいわね、やよいが私にお願いだなんて」
「あ…うん。伊織ちゃんにしか相談できないかなって思って…」
 ―ドキン、と心が跳ねたのは気のせいではない。
「私にしか相談出来ない…って、もしかして今活動してる事に関して?」
「うん…そう、なるのかな」
 やよいがデュオに関して一番頼りになるであろうプロデューサーではなく頼んでくる相談。自分だけが特別視されているということに甘い幸せを感じ、心は益々ドキドキを増す。何かは分からないけど期待をしてしまう自分がいた。
「なっ、何よー! 私とやよいの仲じゃない! 誰にも言わないから遠慮なく言って頂戴!」
 いつもの自分でいなくてはならない。無意識的にそう思った。やよいを怖がらせてはいけないと、直感で感じた。
「うん、ありがとう。あの、ね…お金を貸して欲しいの…」
「え、お金…?」
 こくりと頷いて、やよいは言う。
「…今はその、すぐには返せないんだけど、アイドルランクが上がってちゃんとお給料も貰えるようになったらきちんと返すから――」
 目の前が、頭が真っ白になった。
 いつも天真爛漫元気はつらつのやよいが、柄にもなくしおらしい感じで言ってきたからもしかしてもしかして? …なんてちょっとだけ、ほんのちょっとだけ期待してしまった自分がいたのは事実。
 だから変に警戒したような言い方をしてみたらやよいが怖がっちゃって、折角決心したのにそれが鈍っちゃうかも! …なんて少し、いや大分気を遣った自分がいたのも事実。
 まあよくよく考えてみれば、分かるような話の流れよね。給食費が払えないなんて話をしているのに、まさかも何もあるわけないじゃない。ていうか女同士なんだから、そんなことあるわけないじゃない。ましてややよいよ? 人の恋バナなんかよりも、スーパーの特売日の方が興味がある子なんだから、そんなことあるわけないのよね。
 別に期待なんかしていない。実るわけないってわかってるから、こんなことぐらいで傷ついたりなんかしない。
「…ちなみに」
「えっ?」
「借りるとしたら、いくらなの?」
「え、っとぉ…給食費に当たる分だけでいいんだけど…あっ、でも嫌だっていうなら全然気にしないでいいからっ! 私の家の事情だから伊織ちゃんには関係ないもんね!」
 その言葉にズキッと心が痛む。好きな人にあなたと私は他人なんだから関係ない、って突き放されて傷つかない人はいないだろう。
「いいわよ…別に私のお小遣い内でどうにかなる金額なら」
「本当にっ!?」
 給食費の話をして以来、少々曇りがちだった表情がぱあっと明るく輝く。
「でも話を聞いてる限りだと今月だけでも難しそうだし、毎月金額を決めて渡すっていう方がいいのかしら?」
「そうしてもらえると凄く助かるけど、それじゃあ伊織ちゃんに甘えちゃってることになるし…悪いよ」
 好きな人との関係を遠ざけられるより、お金であれ食べ物であれ何であれ、繋がりがある方がいいに決まっている。絶対。
「さっきも言ったけど、私のお小遣い内でどうにかなるくらいなら別にいいから、やよいはそんなこと気にしなくていいのよ」
 例えその金額が自分のお小遣いの限度を超えていたとしたって、他の人に頼られるよりかは大分マシだ。やよいが自分の傍にいてくれるならそれに越した事はないのだから。
「うっう~…ありがとう伊織ちゃん。伊織ちゃん大好き!」
 ――ええ、私もやよいが大好き。…恋愛対象として、ね。
「分かった、じゃあ詳しい話はまた後でしましょ。もう午後のレッスンの時間だし」
 ケータイの画面を開いて見ると、あと10分程度で休憩の時間は終わる。
「あっ、もし伊織ちゃんレッスンで疲れたら言ってね! マッサージしてあげる」
「…え?」
「お金貸してもらうから、お金は無理だけどそれ以外でだったら何でもしてあげるから!」
「……何でも?」
「何でもったら、何でも!」
 少し冷えた私の手を温かな両手でぎゅっと握り締めてくるやよい。先ほどまでは見られなかった輝きが瞳の中にはある。
 …やよいの一言で、目の前がぱっと開けたような気がした。
 そうか、その手があったんだ。何で今の今まで気づかなかったんだろう。私を温めてくれるこの手を、やよいを身近にいさせて手放さない方法は簡単に出来る事だったという事に。
「やよい、給食費についていい考えが浮かんだわっ」
 握り締めていた手を握り返す。
「えっ、何? 伊織ちゃん?」
 驚いたような、呆気に取られたようなちょっと間抜けな笑顔を向けてくる。


「あなた、私に買われなさいな――」