運動趣旨


運動趣旨


安土は、弥生時代中期の大中の湖遺跡をはじめとして、古墳時代には瓢箪山遺跡、古代には額田王の歌碑で知られた蒲生野を有し、中世では近畿一円に勢力を馳せた佐々木六角氏の観音城址もあり、とりわけ織田信長の安土城址は、国内にとどまらず海外にもAZUCHIと、その名は知られています。安土と言う名称は、単なる住所ではなく、これら歴史なり伝統のシンボルであります。

この様に安土は、さながら日本の歴史絵巻を眺める程に、その折々の歴史を風景として今に留めています。これまで安土塾では、安土の歴史や文化を発掘し、町民の皆様に知って頂けるようにと冊子「見つめよう安土」の発刊をはじめ、全国の信長ファンの集えるイベントを目指して「フェスタ信長」を開催してきました。
その中で、遠藤周作氏、岡本太郎氏、津本陽氏、田中琢元奈良文化財研究所所長、堺屋 太一氏、小和田 哲男静岡大学名誉教授、脇田修大阪大学名誉教授、井沢元彦氏、内藤昌愛知産業大学学長、樋口廣太郎元アサヒビール会長、石橋信夫元ダイワハウス会長、堀新助元イタリア大使、大野俊明成安造形大学教授、児玉麻里氏(パイプオルガニスト)など、著名な方々に歴史講演会をはじめ、安土の活性にご尽力を頂きました。
人口12,000人の小さな町にもかかわらず、こうした先生方のご指導を仰げたのは、ひとえに「安土」のブランドの賜物であります。

この度の合併で、2010年3月31日をもって、安土の名称は自治体名から近江八幡市安土町としての字名へと変わります。
小さな町が大きな町と合併する場合は、大きな町の自治体名となる場合が多いのが実情ではありますが、全国ブランドであるところ「安土」の名前を消し去ることは、今後の新市発展にとっても賢明な選択ではなかったと考えます。多くの近江八幡市の市民の方からも、「新市名称は、安土八幡市の方が良かったのに。」と聞き及んでおります。
「安土八幡市」と言う名称は、4年前の合併協議会が調印目前に破綻した為に今や幻となりましたが、当時の新市名称候補選定小委員会にて全員一致で決定された名称です。これに付きましては、(6)を参照下さい。

ここ安土で生まれ育った安土塾のメンバーは、安土の文化を共に分かち持っている認識と自覚のもとに、広く全国の皆様の応援を頂く中で、近江八幡市の市民の方々のご理解、ご尽力を頂きながら、安土を自治体名として復活させる運動を展開いたします。

皆様のご支援をよろしくお願い致します。

最終更新:2011年08月12日 15:25
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