この記事は09年の東京都議選にて当選した民主党公認の小山有彦氏の公約と、民主党のマニフェストとの奇妙な共通点について述べたいと思います。
議員歴
# 2003 府中市議会議員初当選
# 2006 府中市議会再開発対策特別委員会委員長
# 2007 府中市議会議員再選
政治活動歴
* 2001 民主党本部青年局クラブデモクラッツ事務局長
* 2002 民主党東京都府中市支部政策委員
* 2004 民主党東京都府中市支部幹事長
09年の東京都議選にて府中から出馬、当選した民主党公認の小山有彦氏の公約の中に(画像は選挙公報より。)
1. 広域的環境整備(歩車共存の都道の整備・先進的ごみ処理施策)
&bold(){2. 緑地の保全の公園整備(都道けやき並木部分の市移管・浅間山の保全)}
3. 中小企業と新産業の振興(府中駅南口再開発の成功・商店街の活性化)
と言うものがあります。
その中の『都道けやき並木部分の市移管』と言う部分ですが、つまりそれは大國魂神社参道の欅並木の道が府中市に委譲される事態が発生する 。と、言うことになります。
大國魂神社参道の欅並木とは、大正13年、国の2番目の天然記念物に指定された並木道です。
現地の案内板より
馬場大門ケヤキ並木は大国魂神社の参道であり、江戸時代には並木北端(都立農業高校付近、ケヤキ並木南端から550m余北)に大国魂神社の木製の一之鳥居が建立されていました。現在では昭和26年に寄進された大鳥居(二之鳥居)が境内に建立されています。
ケヤキ並木の起源は源頼義・義家父子が奥州・安倍氏反乱(「前九年の役」と呼ばれ、永承6年[1051年]から康平5年[1062年]までの乱)の平定の途中、大国魂神社に戦勝を祈願し、平定後も参拝してケヤキの苗千本を奉植したのが始まりと伝えられています。
(中略)
なお、徳川家康によるケヤキ並木馬場の寄進は府中で伝統ある馬市が開かれていたことにもよります。とくに、府中の馬市は戦国時代から江戸時代初期にかけて、関東でも有数の軍馬の供給地であり、馬市は5月3日の「駒くらべ」の日から始まり、9月晦日まで5ヶ月にわたって開催されました。
ケヤキ並木は大正13年、国の2番目の天然記念物に地域指定されています。毎年5月の例大祭(くらやみ祭)では、3日にケヤキ並木で夕方からの囃子の競演、競馬式(駒くらべ)が執り行われています。
ここには、現在の並木とは全く別の普通の街の、どこにでもあるような並木の姿が描かれています。
しかし7月26日の産経新聞の記事には。
『【09衆院選】教育激変、文科省“解体”? 民主の政策「教科書検定」触れず』
高校は無償化、文部科学省は「中央教育委員会」に縮小、現行の学習指導要領は廃止? 民主党が政権交代後に描く教育政策は、25日に明らかになった「教員免許更新制廃止」以外にも、マニフェスト(政権公約)のベースとなる「民主党政策集INDEX2009」(23日公表)で数多くの“激変”が示されている。昨年の政策集にはあった「教科書検定制度維持」も姿を消しており、学校教育の根幹が揺さぶられ、事実上の文科省解体を盛り込む内容だ。
小山氏の公約は一見市が管理団体として請け負うという話のように見えますが、もし文部科学省が解体されるとなると、全く話は変わってきます。
このことは何を意味するのか、深く考え、注意深く見守る必要があるのではないでしょうか。
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最終更新:2009年08月04日 00:34