ある九十年前の青年の話 暗い戦前というのは本当だったのでしょうか?

もう三十年以上前に他界してしまった祖父の話です。

戦後占領軍に睨まれてしまった為に現在は家も殆ど残っておりませんが、私の祖父は明治三十年代に都内の有数な資産家の三男坊として産まれました。

そのお爺ちゃんが大正末期にとある大学の法学部を卒業後、高等文官(今で言う上級国家公務員)として働き始めた頃、普通の人ならば買わないとてつもなく高価な物を買い揃え、周りの人を仰天させたことが有ります。

  一体何を買ったのか?

  答えはカメラです。

当時のカメラは庶民にとっては高嶺の花。国産の安価なチェリー(コニカ)やミノルタの安い物で十万円以上。
これよりも少し後の時代に登場する今も有名な高級機のライカやコンタックス(ツァイス)やローライは家一軒分と言われていたので大体一千万円以上でしょうか。

カメラが殆ど普及していない以上は、中に入れるフィルムも今では信じられない程に高価でした。アマチュア向けの小型カメラ用のロールフィルムが八~十六枚撮りで五千円位。

ところが若かりし日のお爺ちゃんが買ってきたカメラはソロントン・ピッカードと呼ばれる大型機。




当時のプロ写真家が高画質が必要なときに使っていた代物。銀座の写真機材商で買ったらしい。当時の値段は千二百円。
周りの人達はびっくりしたらしい。当時の千二百円というと二千~三千万円位でしょうか。

恐らく足らない分は実家から借りたり、月賦で支払ったりしたものと思われます。
当時のお爺ちゃんがどんな風だったのかを知る人は殆ど居なくなってしまいましたが、あんなに高価な物を買うんだったら、官舎住まいを止めて良い家を建てられたのにねぇ。と親戚の話題にあがったことを覚えています。

そんなお爺ちゃんでしたが、敗戦(正確には停戦と書くべきか)の昭和二十年八月十五日の少し前にいきなり黙って退官。
戦時中は一官僚の立場で、如何にして
日本の国の安全を、
日本の立場を、
日本に住む人達の安全を
如何に確保するのかに専念する為に、自分の家族を実家に預け霞ヶ関に籠もりきりで働いていた。
と言う話は色々な人から随分と聞いています。
恐らく、まもなく戦争は終わる。これで自分の責任は果たした。と悟ったのでしょう。
それから東京の外れに住む親戚を頼り田畑を借りて、慣れない野良仕事で百姓として生涯を全うしました。

戦犯の容疑を掛けられ、占領軍の法務官による取り調べを受けたこともあったらしい。
戦前はテロリストに過ぎなかった共産党の赤旗新聞の記者が取材と称して嫌がらせに来たことも有ったらしい。

そんな境遇を見かねた嘗ての友人・同僚が、政官界に戻れるよう取り計らってくれたことも有ったらしい。しかし、これも断った。
多分日本の敗戦に対し色々と思うことが有ったのでしょう。

子供の頃からこれらの話は知っていたので、不思議に思い訊いて見たことがあります。すると返ってきた言葉はただ一言。
「戦争に負けたといううことは、こういうことだ」


そしてそれから月日が流れ、孫の私が就職したのがまだバブルが始まらない昭和六十一年です。日米貿易摩擦の円高不況で理系の就職先が全滅だった事は今も良く覚えています。そんな中で真っ先に買ってしまったのが、

トプコンホースマン。と呼ばれるカメラ。



プロ専用機。普通の人はまず使わないカメラ。大きなフィルムを使える上に光軸の微調整まで出来てしまうので極めて高画質が得られる。というカメラです。その代わり操作は非常に煩雑で難しい。昭和60年代に市販されていた国産のカメラの中で最も高価であった記憶があります。

お爺ちゃんのソロントン・ピッカードから七十年も経ってしまったので、流石に家一軒分まではしませんでしたが、それでも撮影に必要な最低限の付属品を買い揃えると安い車が一台買えてしまう。
「こんな物を買ってしまって、お前は写真家になるつもりか?」
と呆れ返った両親の顔。お小言を頂きながら、やっぱり私はお爺ちゃんの血を引き継いでいるなぁと我ながら痛感した次第です。

もう一度書きますが、戦前の時代に写真は大変贅沢でお金のかかる趣味でした。しかし、その贅沢な撮影機材に瞳を輝かせ夢中になってしまった青年がいたことは今も昔も変わらない事実です。
戦前と言えば、軍人ばかりが威張っていて貧乏で陰湿な世相を連想する人が殆どだと思います。
しかし、その一方で、実家が裕福であったとしても、家が一軒建つ程の非常に高価なカメラをポンと買い込みその分質素な生活を続けていた青年も居た。何故この様な相反する様な話があるのでしょうか?
勘の酔い人で有れば不思議に感じることでしょう。

これはアジアの小国であった日本が戦争によって、それまで白人にとって搾取の対象でしかなかった有色人種の国々に独立するきっかけを与えてしまった事に由来します。
日本が再び同じ事をやるのではないか?と欧米列強は恐れたのです。
そこで、占領軍は日本の憲法を変えてしまい、二度と軍事力で欧米に逆らうことが出来ないようにしてしまいました。これが今の日本国憲法です。

そして、幕末の開港以降日本の国は長い間欧米列強と喰うか喰われるかの孤独な外交戦を幾度と無く繰り広げていたことを学校で教えることを禁止しました。
日本人は良き日本国民で有る素養を教育する道徳教育も禁止しました。
これが、平成十八年に当時の安倍政権によって改正されるまで占領軍から押しつけられたままであった旧教育基本法です。


その結果、現在の日本人は自分達は日本国家の一員であるという意識が希薄となりました。

不思議なことに昭和27年にサンフランシスコ基本条約(正式名称:日本国との平和条約)にによって、日本と欧米との戦争終結が締結され占領軍が居なくなったあとも六十年間もの間、憲法も教育も占領軍が居た当時のままなのです。

何故こんな事が起きてしまったのでしょうか?

それは七年間の占領期間中に占領政策という新たな権益を得た人達が今日に至るまで頑なに自分達の利権を守り続けている為に占領軍から押しつけられた様々な矛盾を正すことが出来ないまま今日に至っているからなのです。
憲法改正や教育改革や国家のあり方を政策として主張してきた政治家達は、新聞テレビによって軍国主義者のレッテルを貼られたり、昔芸者を抱えていたことが大々的に暴露されたり・・・・・etc。手段を選ばない酷いネガティブキャンペーンで片っ端から叩き潰され、もう戦争はとっくの昔に終わったのだから、新しい日本を作りましょう!と主張する事が難しくなってしまっているのが現状です。

今まさにカレー騒動で叩かれている安倍晋三氏が一番解りやすい例でしょう。
この六十年も昔の戦後利権構造にしがみついているのが日教組や公務員労組や連合に代表されるような労働組合。彼らの支援政党は民主党です。
そしてテレビに出てくるような知識人を自称する人達。
最後にこれは皆さん良く覚えて置いて欲しいのですが新聞・テレビに代表される日本の大手マスコミです。当然この中には公共放送であるNHK(国営放送ではありません。間違えないように)も含まれています。


少し前にお亡くなりになった政治評論家の三宅久之氏が暴露した
朝日新聞編集主幹の若宮なる男の暴言
「安倍の葬式は朝日で出す」
「安倍叩きは朝日の社是だ」
この様な何も恥じることもなく当たり前のように発するのがマスコミの本性です。
そこには公益性も理念も無い

「日本には報道の自由が認められている」
と言う言葉がありますが、実は日本では国民の思想言論の自由を担保する法は存在しますが、マスコミに自由を与える法律は全く存在していない。
彼らが勝手に言い出していることなのです

そんな恥知らずの彼らがやりたい放題投票を呼びかけたのが三年前の夏の総選挙。


民主党に政権を取らせれば、国の無駄使いを止めることが出来るから国民にお金を配ることが出来るよ。今まで掛け金を払っていなかった人達も年金が貰えるようになるよ。と朝から晩までテレビで流していたことを思い出してください。

そもそも民主党や評論家を自称するテレビ芸人達が散々宣伝していた自民党の無駄使い十六兆円!というものはまるっきりのデマでした。

蓮ボーとかいう名前の三流エロ芸人あがりの中国人がテレビで二位では駄目なんですか?一位は無駄です。と散々偉そうな口上を延々と捲し立てて節約できたお金は幾らだったのでしょうか?


たったの七千億円でした。民主党に新聞テレビが大騒ぎした無駄は殆ど無かったのです。
しかもその七千億円の内訳は日本の将来を支える為の先端技術の研究予算。この中には呆れたことに、今年IPS細胞でノーベル賞を受賞した研究も含まれていました。
三陸地方の津波から人の命を守る為の堤防を作る為のお金
原子力発電の代替手段を研究する為のお金。
豪雪地帯の除雪を行う為のお金

こうした削ってはならない予算がごっそり削られてしまったのです。

そして何とも恥ずかしい
「民主党政権になれば国民にお金をバラマキます!」
という選挙公約は予算不足で実行できなくなりバツが悪くなった民主党は、
「これまでの政治が悪かった為に国民にお金をバラまく事が出来なくなりました」というこれまた恥ずかしい嘘を吐き。これもまた新聞テレビが大々的に取り上げる。

この間これまで当選する事だけしか考えてこなかった議員しか居ない民主党は外交でも経済面でも震災復興でも大失態の連続。

政治の失敗が続けば経済は萎縮し税収が大幅に減収するのは子供でも解る道理です。なのに野田はこの失敗を誤魔化す為に
「大震災の復興予算が足らないので増税します!」
でも被災地の復興はあれから2年目になろうとしているのに全く進んでいない。
悪徳リフォーム業者でもここまで酷い嘘は吐かないでしょう。

こうした事は新聞テレビは申し訳程度にしか流していない為、国民が国会議事を見ない限り誰も気がつかない。

この三年間で日本の国力は大きく減退しました。その結果外交面で何が起きたのでしょうか?国際社会では弱い国は強い国に食い物にされてしまうという厳しいルールが存在します。

尖閣諸島に眠る膨大な原油資源は中国に何時奪われてもおかしくない状況にまでなってきました。
国際連合という建前上の組織は一応存在しますがあまり当てにならないことは、フィリピンの南沙諸島が中国に取られてしまった一件からも明らかだと思います

何一つ出来ない素人達に政治を任せてしまった結果がこれです。
このままでは近い将来日本人は領土ごと人民解放されてしまっても私は驚きません。

これが国家という物を忘れてしまった愚かな国民が新聞やテレビ芸人達に煽られるまま鳩山・菅・野田・そして新たに橋下という、理念も思想も資質も何もない口先だけの人間に国家の運営を委ねてしまった結果の末路なのです。


最後にもう一度だけ戦前の話に戻します。
長々と書いてしまいましたが、私が主張したいのは、戦前の日本の方が国民の意識も高く立派で夢のある良い国であったと言うことです。
これが嘘だと思うのならば、戦前の日本橋、浅草、銀座の街並みがどんな風であったのかを検索してみて欲しいのです。
パソコンが無ければ図書館に行けばいい。
そこには、モダンボーイ・モダンガールと呼ばれた当時の最先端のファッションで着飾った若者達。華やかな街並み。道行く人々の明るい表情。
これだけで納得できなければ、ご自身の興味あるテーマで色々探してみればいい。

 これが戦争に負け
 欧米列強に腑抜けにされてしまう前の
 本当の日本人の姿です。

平成二十四年十一月二十三日








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最終更新:2012年11月24日 13:05
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