先人の魂魄に導かれた八月十五日 その1

去る八月十五日は、多くの同志の皆から靖国神社に行こう!とお誘いも頂いていた。良い機会でもあるので遊就館の彗星艦上爆撃機の蘊蓄でも語らさせて頂くか。と考えていた。

しかし、同時に河口湖自動車格物館。ここにはほぼ完全な状態にまで復元された零式艦上戦闘機二一型と五二型。日本にはここしか無いはずの完全な状態の三菱金星エンジン。(個人的には戦時中の日本が作り出した世界最高傑作と思ってる)
そして世界で唯一、一式陸上攻撃機の胴体がほぼ完全な状態に迄復元され保存されている。
昔から気になっていた場所でもある。個人運営なので通年公開ではない。見ることが出来るのは八月だけ。
良く無い噂も有る。金持ちオーナーが世界中のスポーツカーと零戦を買い漁りそれを見せびらかす場所。
しかし、車のことは良く解らないが、古い航空機の復元と保存は生半可な物では無い。
ましてや昔の日本軍機は少しでも高性能とギリギリの強度設計がなされている為、海外で見せ物にされている機体は経年で足回りが弱り最早崩壊寸前の物もあるという。

道楽では無理である。オーナーはとても多忙な方らしいのでお会いすることは無理でも、どんな場所であるのか知りたい。と言う思いもあったのだ。加えて零戦の開発主務の堀越二郎氏の回想では、零戦に栄エンジンを積んでしまったことをとても後悔していたと思われる一節も存在する。
海軍のゴリ押しで、軽量小型の中島「栄」エンジンを搭載。しかし栄は余裕の全く無い構造で、その後の馬力競争に取り残され結果として零戦は陳腐化。当初の目論見通り自社製の「金星」にしておれば、大東亜戦争もあそこまで無様な事にはならなかった。というものだ。
実際大戦末期、軍は(特に海軍)は中島エンジン優遇を止め三菱のエンジンに置き換えを指向している最中に敗戦という事実も存在している。零戦も大戦末期になって本来の設計者の意向である金星発動機に換装したものがごく僅かだが存在する。
栄の初期型は940馬力 最終型は1130馬力



一方
金星は初期型が990馬力(4×系) 最終型は1560馬力
海軍は金星の優秀性を何故見抜けなかったのか?


そんな疑問を抱えていたまま
不思議な夢を見た

芒の広がる草原で、零戦の開発主務の故堀越二郎技師が優しい声で私にこう語りかける

「貴方の疑問は実物をご覧になれば解けると思います。」

靖国神社には何時でも行くことが出来る。
しかし、金星エンジンと栄エンジンの違いを検分することは八月十五日を逃せば次の機会は来年の八月までない。

こうして私は河口湖自動車博物館に行くことを決めたのである。



<続く>



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最終更新:2013年09月06日 23:01
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