神々の国の首都

これは今から120年前のギリシャ人の目に映った神社の姿です。

早朝の物音に起こされると、
私は障子を引き開け、
階下の庭に生えている新緑の茂み越しに、
川べりの夜明けを見渡す。
目の前には、あらゆる遠景を映して揺蕩いながら、
大橋川の広い鏡のような河口がきらめき、灰色に靄った峰を従えて、
右手に洋々と広がる宍道湖へと流れが口を開いている。

この景色のなんという魔力か!
朝一番の幽けくも美しい色合いは、
白い吐息へと姿を変えた眠りのように、
柔らかな霧に浸されている。
仄やりとした霞が遠くの湖の岸辺まで広がっている.
古い日本の絵画で目にするような朧な縞は、
初めて目にすればただただ奇跡のような美を感じるだけだろう。

私のところの庭に面した川岸から柏手を打つ音が聞こえてくる

彼らは手と顔を洗い、
口をすすぐ。
これは神式のお祈りをする前の清めの儀式である。

それから彼らは日の昇る方向に顔を向けて、
柏手を四たび打ち、続いて祈る。

「こんにちわ。
日の神様、今日もご機嫌麗しくあられませ。
世の中を美しくなさいます、お光り千万有り難う存じます」

たとえ口には出さずとも、
数え切れない人々の心が、
そんな祈りの言葉を捧げているのを私は疑わない。


ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
「神々の国の首都」


如何でしたか?

本来神社で祈る行為とは、現世利益中心な利己的な物ではなく
この様に自分達のコロニー全体の安寧を祈る物であったはず。

勿論私も自分の事も祈ります。

しかし
もっと大切な何かを忘れていませんか?

本来日本人が持ち得ていた資質。
いつの間にか私達は忘れてしまいました。

この国の繁栄を取り戻す重要な鍵はここに有ると私は考えています。


にこん様2号記す




最終更新:2009年01月30日 00:21
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