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L・バック編『支那の農業』 ja2047さんに捧ぐ

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L・バック編 『支那の農業』 ja2047さんに捧ぐ



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において、jaさんが探されていた史料(邦訳版)。
2005年末~06年初めにかけては、上記スレッドで激闘されてましたね。
jaさん、無事入手できていましたか。

スマイス調査をめぐる議論のなかで、
バック調査にも言及されているのですが、
jaさんの議論を引き継ぐ際の参考になればと思います。



ジォン・ロッシング・バック編
『支那の農業
  一九二九―一九三三年 支那二二省 一六八地方 
  一六,七八六農場 三八,二五六農家家族の研究』改造社、1938年
(塩谷安夫・仙波泰雄・安藤次郎訳、記述篇)


「  調査の範囲

 材料は二十二省から標本法によつて蒐集された。各地帯の調査員には大なる自然的地帯を割当てた。調査員はすべて金陵大学農林学部の卒業生であり、且つ特にこの事業に訓練されたものである。

 言語の相違及び農民から直接報告を蒐めるために、各地方毎にその地方人を得る必要があり、ために各地帯の調査員は農場及び人口調査表の記載のためには、地方人を求めて、これを訓練しなければならなかつた。

 内包的な農業調査は、二二省に散在せる一六八地方においてなされた。その標本はできる限り、支那における主要な農耕の型の代表的なものとした。時には最も希望してゐた地方から標本が得られないこともあつた。と云ふのは適当な地方調査員がをらなかつたり、または政情不安があつたりしたからである。例へば、この調査の時江西の南部地方は、中央政府の支配下になかつたので、そこの標本は得られなかつた。

 調査された地域は、耕作地域型によつて決定され、それは二〇%以上の農民労働を使用し、若干の県に亙つてゐる作物によつて区別された。このやうな地域に対する、最初の大凡の境界は、その県及び隣接の県の事情に精通してゐる、少く共三人の人から推定して貰つて決定された。

 一つの地域の代表が決定された後は、調査を受ける特殊な村落は、適当な地方調査員の有無と地方調査員のなし得る個人的接触如何によつて選択された。支那においては調査事業のための個人的接触は、できうる限り精確な報告を得るためには非常に必要なことである。若干の村落の如きは実際調査を開始したのであつたが、疑惑の眼を以てみられることが余りに多く、遂には調査を打切り、他の村落を選択するに至つたものさへある。

 耕作地域の各々の型に就いては、一つの代表的な村落(或は小村邑乃至小村落)が選択され、そして一〇〇戸の農場が農場調査表を使用して詳細に調査された。加之、人口調査表のためには、同一村或はその近村において二五〇或はそれ以上の農家々族が選択された。食糧調査は農場調査を行つた大部分の地方において二十家族から報告を得た。一つの地方調査表は農場調査が行はれた各村落毎に満たされた。一つの県調査票は農場調査が行はれた各県毎に作られた。農場調査は多少とも等質的な農業区域――屡々県と同一の大きさであるが、時にはより大きいことも小さいこともある――に関する諸問題を含んでゐた。これらの表は、この方法によつて得られた推定の精確さと、個々の家族或は農場に対して使用した一層詳細な表によつて得た諸結果と、吟味するために使用された。

 調査員に対する指示は、一村落において全部の農場及び家族を採ること、或は大きな村邑においては、その村の代表的な街路乃至は地域に沿ふてゐるものを選ぶやうにした(1。多くの県においては、このことが容易でないことが解つた。そしてこの理由のために、材料には若干の偏倚があるかも知れないが、恐らく平均よりよい標本を選択する結果となつたであらう。

(1 統計篇 第七章 第一表

 材料蒐集の基準として、全国を八個の農区に分割した。調査された典型は第一表にある通りである。その表に見られる通り、耕作地及び農家人口に対する調査の割合は非常に密接な相関々係を示してゐる。一つの或はそれ以上の型の調査がなされた県の総数は三〇八県である(第二表)。省別の農場調査研究の位置は第三表に示されている。最大数の十四は山東省に、最少数の一は寧夏省にあつた。

 使用された表及び調査員に対する指示はすべて、統計篇第七章報告集の中に再製されてある。表中に要求された報告が得られなかつたか、信用し得ないか、或は不適当かであつたので表記されなかつたものが若干あつた。

 調査の欠点は多々あるし、また充分認識されてゐる。それは訓練された人数に限りがあること、調査の範囲と包括さの割りに資金の不充分なこと、及び就中、指導者及び調査員側が各自本来の仕事を有つてゐると云ふ困難な事情の下に遂行されたからである。観点としたところは、唯当座だけ価値のある材料を蒐集すると云ふよりは、寧ろ諸事実間の関係を示すことにあつた。発見された諸原理は材料が蒐集された年度は勿論のこと、現在及び将来に亙つても適用し得るものである。

 労作の中に全然錯誤がなかつたと云ふことは全く望めないことであるが、しかし錯誤を防ぐためのあらゆる努力はなされたし、またすべての統計的計算は注意深く吟味し再吟味もした。

 個々の地方で研究されたあらゆる要因の統計上の価値は、標本の中には、少く共一〇〇農場が包含されてゐるから、信頼し得るに足るものと信ずる。しかしながら、各農区間の統計的比較は注意しなければならぬ。と云ふのは、若干の農区では、資金に制限があるため調査された地方数が多くなかつたからである。材料の説明においては、この制限が考慮され、且つ材料が適正である場合にのみ結論が与へられた。従つて、本論に示される説明は、将来一層包括的な調査によつては変化するであらうと思はれる。

 すべての要因の統計的価値は、次の方法によつて吟味し得るであらう。

 揚子江水稲・麦区に対する平均農場面積の標準誤差の計算―三八地方の各々において、標本的な農場が調査され、全地区のその総数は三,六七九であつた。そこで、
    X=農場面積
    AvX=38地方の一地方において、調査された平均的農場面積
    平均(AvX)=38地方に達するAvXを全部平均して得たる平均的農場面積

 従つて次の如くなる。
    平均(AvX)  =22.11畝
   (AvX)の標準偏差=15.06畝
    地方数     =38
   (AvX)の標準誤差=0.77畝

 これによると、次の如くなる。仮に揚子江水稲・麦区の全農場が調査されたと仮定すれば、その平均的農場面積は、三つの中二つの機会、即ち、一標準誤差(〇・七七畝)の限界内で、三八地方を平均して得た平均(二二・一一畝)の上下にあるわけで、即ち二一・三四畝と二二・八八畝との限界内にある。

 二十二の中の二十一の機会、該農区内の全農場に対する『真実』の平均は、標本から得た平均の二標準誤差(一・五四畝)の中にあるべきで、即ち二〇・五七畝と二三・六五畝の限界内にある。

 二個の異なる農区に対する平均が比較される場合には、二個の平均間の差異の意義が、その標準誤差から判断され得る。
(引用者注―式についてはこちら

 観察された差異が、差異の標準誤差の二倍である場合には、実際の差異が存在するのは二二分の二一の割合である。観察された差異が、その標準誤差の三倍である場合は、実際の差異が存在するのは三七〇分の三六九の割合である。

 すべての要因の平均の標準誤差は各農区において同じでない。何となれば、調査された地方数と地方の平均間の差異が、各農区において同一でないからである。」2-8頁


「第十三章 人口」F・W・ノートスタイン、喬啓明

「死亡率は北支におけるより南支においてより高かつた。これは恐らく南支のより温かい気候は流行病や伝染病の蔓延により都合のよい条件を備へてゐるためであるからであらう(第二十三表)。南支においては、男性の死亡率が女性のそれを凌駕してゐた。ヨーロッパの経験においては、かゝる場合が殆んど一般的であるが如くに。しかしながら、北支においては、死亡率は女性に対してより高い。この国の一層保守的な部分における女子のより不良的状態に伴ふ諸困難を充分可能的に反映してゐる。」469頁

●参照 「第二章 農業地帯」L・バック

揚子江水稲・麦区

「気候―年々の標準降雨量は四二インチで、地点の相違によつて二八インチから五九インチまでの開きがある。その季節的分布は小麦地帯よりも遥かによい。一月の平均温度は充分に氷点以上である。氷は人間を載せ得るほど厚く張らない。毎年雪は降るが、通常二、三インチの深さに過ぎない。夏は暑く湿気があり、七、八月は標準平均温度華氏八一度に達するので、人間の元気を奪ふ。九月、十月は快晴の連続が特徴である。小麦地帯の塵土の嵐は、時々しかこの農区に達しない、しかも温和な形であらはれる。」78-79頁


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