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嘘2005年6月16~30日(ワープロモード)

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嘘2005年6月16~30日(ワープロモード)

南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=l&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=&start=5910

>>攪乱工作説は東中野氏の妄想 2) 2005/ 6/16 6:38 [No.6044 / 15965 ]

投稿者 :
ja2047



>どんな裏付け資料が出てくるか、楽しみにしています。
特に「ひとまず武装を放棄させて入れた」の根拠は外さないで下さい。

「ラーベの感謝状」と誤って紹介する人もある「安全区第一号文書」というのがあります。
安全区委員会の「占領軍」に対する最初の要請の一つに、この安全区に収容した敗残兵の話が
出てきます。

「安全区第一号文書」
「昨日の午後、多数の中国兵が城北に追いつめられたときに不測の事態が展開しました。そのうち若干名が当事務所に来て、人道の名において命を助けてくれるようにと、我々に嘆願しました。委員会の代表たちは貴下の司令部を見つけようとしましたが、漢中路の指揮官のところで差し止められ、それ以上は行くことができませんでした。そこで、われわれはこれらの兵士たちを全員武装解除し、彼らを安全区の建物に収容しました。現在、彼らの望み通りに、これらの人々を平穏な市民生活に戻してやる事をどうか許可されるようお願いします。」
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/doc_safety.html


ラーベがこの交渉に出かけた際、次のような回答を得ています。
福田書記官同席の下に交わされた覚書
「Ⅳ、武装解除された中国軍兵士を我々は人道的立場に立って扱うつもりである。その件は我が軍に一任するよう希望する」
ところが、安全区に戻ってみると、日本軍はこれらの一部を連行していくわけです。

武装解除の下りについては、ラーベ日記に状況が記録されています。

ラーベ日記 12月13日
[一部略]
我々はメインストリート非常に用心しながら進んでいった。手榴弾を轢いてしまったが最後、ふっとんでしまう。上海路へと曲がるとそこに沢山の市民の死体が転がっていた。ふと前方を見ると、ちょうど日本軍が向こうからやってくるところだった。なかにドイツ語を話す軍医がいて、我々に、日本人司令官は二日後にくるといった。
日本軍は北へ向かうので、われわれはあわててまわれ右をして追い越して、中国軍の三部隊をみつけて武装解除し、助けることができた。全部で六百人。武器を投げ捨てよとの命令にすぐには従おうとしない兵士もいたが、日本軍が進入してくるのをみて決心した。我々は、これらの人々を外交部と最高法院へ収容した。
[中略]
本部に戻ると、入り口にすごい人だかりがしていた。留守の間に中国兵が大勢おしかけていたのだ。揚子江を渡って逃げようとして、逃げ遅れたに違いない。我々に武器を渡したあと、彼らは安全区のどこかに姿を消した。シュペアリングは非常に厳しい堅い表情で正面玄関にたち、モーゼル拳銃を手に、といっても弾は入っていなかったが、武器をきれいに積み上げさせ、ひとつひとつ数えさせていた。あとで日本軍に引き渡さなくてはならない
(「南京の真実」 ジョン・H・D・ラーベ 講談社文庫P122-123)


この他に個別に安全区に逃げ込んだ兵士がいたようですが、
基本的には「武装解除」して受け入れた
ということは、理解いただけると思います。

これに対して、「武装していた」、「まだ武器を近くに置いていた」という記録は
「増田六助日記」ぐらいしかないのじゃあないでしょうか。


次は武器に関する安全区記録と、軍発表(NY記事)の相違点について
考察してみたいと思います。

 

返信


これは メッセージ 6036 nmwgip さんに対する返信です


なんべん出してもガセネタだよ 2005/ 6/16 6:44 [ No.6045 / 15965]

投稿者 :
ja2047



「全く進歩してない」と書いたが、

以前は問いつめられると黙り込んでいたのが、
今は、いくら破綻しても絶対に黙らなくなったという「変化」はあるな。

でもこれって「進歩」なのかねえ。


>反日撹乱工作隊の存在を否定したいの?
それは、無理だろう。

結局、「記事の存在」を示すことを繰り返しているだけで、
「事実の存在」を裏付ける記録は、一度も出せないじゃあないか (^◇^


いや、これはでりちゃんだけじゃなくて、世の中の誰も示すことが出来てないのだから、
別に恥ではない。
恥ずかしいのは、まともな研究者が誰も支持しない説にしがみついていることであって、
裏付け資料を出せないのは当然なのだけどね。

返信


これは メッセージ 6042 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


ちっとも新事実じゃありません 2005/ 6/16 19:29 [ No.6051 / 15965]

投稿者 :
ja2047



>驚くべきことが書いてあります。

ちっとも新事実じゃありません、4年も前の話です。

北村教授の著作は杜撰であると、いっぱい批判されています。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/kitamura/kitamura01.html
http://www.nextftp.com/tarari/kitamura_waku.htm

ま、一つの説があれば、これに対する批判があるのは当然なんですが、
さらに、 面白いことは、
最初北村教授の著作を、「南京虐殺否定論」として持ち上げた「國民新聞」が
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H13/1312/131215nankin.html
北村教授が日本軍の残虐行為自体はあったと考えていることが判った途端に、
北村教授をアカ呼ばわりして非難し始めたことです。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H15/1510/1510011kitamura.html

こういう人たちって、だだっ子みたいなものなんですね (^^;

 

返信


これは メッセージ 6048 miseijinjp さんに対する返信です


婦人従軍歌 2005/ 6/16 19:33 [ No.6052 / 15965 ]

投稿者 :
ja2047



>それまで従軍慰安婦と言うは報道は無かった。

あんまりニュースネタにはならなかったのですね。
「慰安婦」というものがいて、中には気の毒な立場の人もいた
というのは、映画やら体験記やらで出ても、社会問題には
ならなかった。

>従軍看護婦というのは在った。それは国内に限られていたはずである。海外では衛生兵が担当していた。だから女性を戦場に連れて行くのは足手まといになるので

これは違うと思います。
むしろ、国外の戦地に看護婦として赴いた人を「従軍看護婦」と呼んだのです。
http://lufthavn.cool.ne.jp/page443.html

「婦人従軍歌」という歌があるんだけど、知りませんか?
http://norimitsu.cool.ne.jp/natumero/meigi/huzinzyuugunka.htm
明治27年の作ですから、舞台は「日清戦争」ということになりますね。


 

返信


これは メッセージ 6049 yumeoibito0808さんに対する返信です


えええ? >撹乱 2005/ 6/16 21:58 [ No.6054 / 15965 ]

投稿者 :
ja2047



>上記1と2は、どう見ても、別物だろ?

はあ、つまり、事実をアレンジしたんじゃなくて、全くの創作だと?


>1月3日発のニューヨーク・タイムズの記事は、撹乱工作隊(大佐一味)を匿っていた避難民救助委員会のアメリカ人教授たちからの情報による記事である。

でりちゃんの思考の問題点は、自分の都合に合わせて事実認定はするけど、
それが合理的な可能性があるかどうかということは 全 く 考えてないことなのね。


>1月3日発のニューヨーク・タイムズの記事は、撹乱工作隊(大佐一味)を匿っていた避難民救助委員会のアメリカ人教授たちからの情報による記事である。

あれま、
ついさっき、そのアメリカ人教授達の記録とまるで違うと言ったんじゃあないのか?


>避難民救助委員会のアメリカ人教授たちからの情報による記事である。

情報って、伝える手段がないと伝わらないという物理的な事実を気にしたこと ある?

 

返信


これは メッセージ 6053 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


>>>>攪乱工作説は東中野の妄想 2005/ 6/17 6:19 [ No.6058/ 15965 ]

投稿者 :
ja2047



>なるほど。
 つまり、数百人~千数百人は武装解除できたけど、それ以上は武装解除もせずにフリーパスだった訳ですね。

集団で逃げ込んできた人間は明らかに武装解除しているので
「武装解除」が基本方針だったことと、それが実行されたことは
理解いただけたと思います。

>それ以上は武装解除もせずにフリーパスだった訳ですね。

うん、武器を持ったまま逃げ込んだものが多数いるという資料が
あれば、その資料の分については武器を持っていたということになります。
先にも述べたとおり、私は「増田六助日記」ぐらいしか思い浮かびません。
日記は証拠にならないと主張する人もいますが、ふつうは資料としての
扱いはしますよ。 むしろ有力で貴重な資料でしょう。
いずれにせよ、例外がどの程度あったか、ということですね。
例外が圧倒的に多いことが立証されれば、もはや例外ではなくなる。

>国際委員会の武装解除は完全な失敗だったということですね。

終戦時に天皇の詔勅に従って一斉に無条件降伏したはずの旧日本軍でさえ、
玉音放送後に特攻出撃したもの、米軍機の迎撃に出たもの、
中国奥地に残留して内戦を戦った部隊、インドネシア独立軍に身を投じた兵士
など、例外はいくらでもあります。
例外の存在を以て「完全な失敗」とは言いませんよね、普通の人は。

>安全区に侵入した中国兵は、便衣兵として処刑された人数4千人強という調査結果から見て、感覚的に5千人前後から1万人前後というところでしょうか。

日本側の記録では、安全区から敗残兵として摘出されたものが約九千名
同時期に日本軍に連行されて帰らない中国人の数はスマイス調査で4200名
差し引き約5千名の将兵が安全区から摘出されたことになります。
逃げおおせた将兵がいることも知られていますが数はそう多くないでしょうね。
お見込みの数字は妥当なのではないでしょうか。

>どうりで、安全区のあちこちから隠匿された(破棄された?)武器が発見される訳です。

これはきちんとした日本側記録はないのじゃあないでしょうか。
外国人用の発表資料(現存しない)は別にすればですが。

>「彼らは安全区のどこかに姿を消した」というのは許されることなんですか?

国際法に禁じる条項はないと思いますが、占領軍としての日本軍が、
日本の占領政策に協力的でないから、日本の軍律に違反したという
ことで責任を問うことは出来ると思います。
この時になぜ、警察官(最初は500人ぐらいいたはず)に、兵士の警備を
命じなかったのかという気はしますね。
どちらにしても、占領後数日のうちにこれらの警察官も含めて、
敗残兵とみなされて、連行、殺害されるわけではありますが。


>「その件は我が軍に一任するよう希望する」と言っているんですから、連行するのは当然ですし、投降兵を連行することが何故非難の対象となるのか意味不明です。

「人道的立場に立って扱うつもりである。その件は我が軍に一任するよう希望する」
と、言っておきながら、「連行即処刑」 してしまったからです。

安全区側は捕虜として引き渡すつもりだったのです。


 

返信


これは メッセージ 6057 nmwgip さんに対する返信です


すげえよ でりちゃん 2005/ 6/17 6:24 [ No.6059 / 15965 ]

投稿者 :
ja2047



>大佐一味事件も、王・シンロウ事件も、2つの事件は、両方事実。

ここまで来ると、東中野センセも真っ青の 怪説 だな。

比較表を作ってくれたので、詳しい検証がしたいところだが、
それ以前に、でりちゃんの投稿全体が支離滅裂なので、
そっちからかからなくちゃあならない ε = (- -;) 


>記事の文面からも、状況からも、アメリカ人教授たちからの情報による記事だよ。
そうではないとする根拠が合理的でない。

で、その「アメリカ人や他の外国人たちのいる前で自白した」のを見て「心底から当惑した」
アメリカ人教授達は、自分の日記や書簡には一切そのことは記録しなかったわけかね。

>状況からも、アメリカ人教授たちからの情報による記事だよ。

で、自分たちには何の通信手段もないのに、「こんなことがあって驚いた」という情報だけは
外部に発信したわけだね。 (どうやって)

彼らの日記や手記を見る限り、だれもケータイは持ってなかったみたいだよ (^◇^


 

返信


これは メッセージ 6055 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


でりちゃん、わざとやってるのか? 2005/ 6/17 6:26 [ No.6060 /15965 ]

投稿者 :
ja2047



あのな、 頼むから、
その場その場で思いつきの発言をして、
議論を混乱させるようなマネはしないでくれ。

わざとやってるのかね?
それとも自分でも何を言ってるかよく理解できてないのかね?


>1938年1月24日(南京占領40日後)に行われた日本軍の報告発表では、反日撹乱行為を扇動していた者として明言されたのは、前第八十八師の副師長の馬(マー)・ポウシャン中将のみであった。

以前の引用は ウ ソ だったのか?
「王信労と3人の元部下は掠奪、扇動、強姦に携わったという」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6012
もちろん私はこの中身怪しいと思うが、でりちゃんもウソだと思うのか?

>理由は明らかにされていないが、1月3日発(1月4日付)ニューヨーク・タイムズで報道された反日撹乱工作の大佐一味のことは公表されなかった。

これもだ、以前の引用は ウ ソ だったのか?
「その報告書の主張するところによれば、彼らの中には南京平和防衛軍司令官王信労(ワンシンロウ音訳)がいた。かれは陳弥(チェンミー音訳)と名乗って、国際避難民地域の第四部門のグループを指揮していた。」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6012
私はこの報告書の中身怪しいと思うが、でりちゃんもウソだと思うのか?

>結局、日本軍は、アメリカ人教授たちが匿っていた反日撹乱工作隊の大佐一味7名のことは、一度も外部に漏らさなかった(公表しなかった)ことになる。

なんでそういう結論になるのかいな。
『チャイナプレス』(1938年1月25日号)の記事そのものが、ウソだという話になってしまうぞ。
もちろん私はこの「憲兵隊報告書」の中身は怪しいと思うが、
でりちゃんは記事そのものが全部ウソだと思うのか?

>1月24日の報告発表で、記者側から武器隠匿便衣兵や反日撹乱工作隊を匿っていた大使館の国名を挙げるよう強く求められても報道官が返答を避けたのは、おそらく、アメリカに配慮したものと考えられる。

「記者側から質問を浴びせられて、日本の報道官は中国軍は全大使館員が退去した後に構内に入ったものであることを認め、いずれかの非中立的な外国が紛糾を起こしたと示唆しようというのではない、と言った。その大使館の国名を挙げるよう強く求められたが、報道官はこう言って返答を避けた。「この問題については皆さん自身の回答にお任せしましょう。」 」 (ニューヨークタイムズ 1月25日 アベンド記事)
アメリカだけじゃあなくて、大使館員は全員避難していないんだから、「配慮」は不要だろう。
日本軍の報道官もそう言ってるじゃあないの。


でりちゃん、本当に資料を読んだ上で書いてるのか?

世間で認められている事実とでりちゃんの判断が合わないのは
これはしょうがない。
でも、たった一日前に自分が事実だと言って紹介した資料と
まるで違うことが、 な ん で 書けるのかなあ。

議論を混乱させるために、わざとやってるのか?


それとも自分でも何を言ってるかよく理解できてないのかね?


 

返信


これは メッセージ 6053 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


RE:6:攪乱工作説は東中野の妄想 2005/ 6/18 7:32 [ No.6070 / 15965]

投稿者 :
ja2047



>>例外の存在を以て「完全な失敗」とは言いませんよね、普通の人は。
 >単純な勘違いですか、これは?

私は、「かなり見事に原則は貫かれたが、例外は確かに存在する」
という例として、旧日本軍の無条件降伏を挙げ、
「例外が存在するから完全な失敗である」という論理は
普通行われない。 と、述べました。
「例外の存在を以て全体の失敗とは呼ばない」ということについて、
一般的な理解としては正しいと言うことは理解いただけたと思います。


>戦勝国軍による敗戦国軍の武装解除と、中立地帯としての安全区の行うべき武装解除は全く意味が違うでしょう。

面白い切り込み所を作られましたが、私が
“「例外が存在するから完全な失敗である」という論理は
普通行われない。“ という例として挙げたのは
「日本軍の無条件降伏」であって、「武装解除」については
問題にしていないし、一言も触れていません。
これも理解いただけると思います。

もともと中国軍部隊の収容については、こういうやりとりでしたね?

>>時間がないので詳細説明は後に譲ります、資料的な裏付けまで紹介している時間がありません。
>>流入を拒否することができなかったので、ひとまず武装を放棄させて入れたのですね、
で、引き渡しの交渉に日本側司令部へ出かけた間に安全区掃討が始まったのです。
安全区委員会は出来る範囲のことはやったと評価していいでしょう。
 >どんな裏付け資料が出てくるか、楽しみにしています。
 特に「ひとまず武装を放棄させて入れた」の根拠は外さないで下さい。

前回あたりの私の投稿は、ここまでのやりとりに従って、
1.安全区側は敗残兵に武装を放棄させた事実がある。
2.日本側に引き渡しを申し出ており、軍を匿ったのではない。
3.武器も引き渡しを前提に扱った。

ということの根拠を提示し
>>「武装解除」が基本方針だったことと、それが実行されたことは
理解いただけたと思います。

と、述べたわけですね。

これは、ひとまず、異論がないということでよろしいのですね?

だから、ここで、第一の論点は決着が付いてるはずなのです。
すなわち「安全区側は、武装した中国軍部隊を匿ったわけではない」

ただ、私は、例外もあった可能性は認めていますので、
>>いずれにせよ、例外がどの程度あったか、ということですね。
例外が圧倒的に多いことが立証されれば、もはや例外ではなくなる。

とまで、述べているのです。

もし、当初の論点に従って、
「例外の方が圧倒的に多く、もはや例外とは言えない」
と、主張されるのであれば、
裏付けを明確にして反論していただけば済むことです。
それは、されないということでよろしいですね?

ということで、
>>流入を拒否することができなかったので、ひとまず武装を放棄させて入れたのですね、
で、引き渡しの交渉に日本側司令部へ出かけた間に安全区掃討が始まったのです。
安全区委員会は出来る範囲のことはやったと評価していいでしょう。

と言うところまでは同意をいただいたということでよろしければ、
それを前提に話を致しましょう。

「事実」は、一つずつ確認していかないと、話が先に行きませんよ。

 

返信


これは メッセージ 6063 nmwgip さんに対する返信です


でりちゃん、タオルが入ってるよ 2005/ 6/18 9:26 [ No.6072 / 15965]

投稿者 :
ja2047



>自分の思い込みが破綻して、かなり混乱しているようだから、

そうかい、でりちゃん混乱しているのか。

>以下のサイトに出てくる記事や史料をじっくり読め。

うん、読んだ  \(^○^

>事実を整理しながら素直に考えろ。

じゃあいっしょに考えてみよう d(^^

>それらの記事や史料から判る事実を淡々と纏めておいたのが#6042と#6053だったのだ。

げげ、そいつぁ気が付かなかったな。


>反日撹乱工作(悪事を働いて罪を日本軍に擦り付ける行為)をしていた大佐一味7人が金陵【女子】大学で捕まった事件(日にちは不明)は、大佐一味7人を匿っていたアメリカ人教授たちからの情報を基にNY・タイムズが1938年1月3日上海発(1月4日付記事)で報道した。
>略奪・脅迫・強姦を行っていた保安隊長の王・シンロウら4人が1937年12月30日に金陵大学の蚕桑施設で捕まった事件は、1938年1月24日に行われた日本軍の報告発表会で公表され、翌日の1月25日付でNY・タイムズ特電(ハレット・アベンド記者)やチャイナ・プレスなどで報道された。
>上記の2件は、両方とも事実だと考えるのが当然で、この2つの事件が事実ではないとする根拠は特にない。

あ・・・・・  あのね、
「攪乱工作隊説」に成立の余地があるかどうか、ってのは、ひとえにNYタイムズ1月4日記事と、
NYタイムズ、チャイナプレスの1月25日記事に出てくる「憲兵隊報告書」の中身が事実か
どうかにかかってるわけよ。
従って、検証の対象は「これらの記事の中身が事実かどうか」なんだよ。

その論証の前提に「上記の2件は、両方とも事実だと考えるのが当然で」と置いたら、
何を検証してることになるのでしょーか?

いや、「事実とした場合、他の確認された事実と矛盾しないか」という証明法は
アリだけどね。
これは「事実でない」という証明にしか使えない方法なんだよね d(^^

それだけならいいんだけど、なんなんだよ、
どさくさに紛れて。
「大佐一味7人を匿っていたアメリカ人教授たちからの情報を基にNY・タイムズが1938年1月3日上海発(1月4日付記事)で報道した。」
というのは、なによ。
記事に書かれていない で り ち ゃ ん が 想 像 で 補 っ た こ と
まで、事実であることを前提としてるじゃあないか (爆

「アメリカ人教授たちからの情報を基に」って、元記事のどこに書かれてるんだ。
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano126.html

でりちゃんの推定が事実であることを前提に検証にしたら、
でりちゃんの妄想は全部事実であることが立証できるわな。


>>彼らの日記や手記を見る限り、だれもケータイは持ってなかったみたいだよ (^◇^
>とうとう、壊れたか。

あー、ごめんごめん、少し壊れないとやってられないもんだから、 ついね。


>上海に居るMY・タイムズが、南京に居るアメリカ人から情報を入手することは、全く不可能だったのかね?

だから、その方法を教えてくれと言ってるのだよ。
通信手段は日本軍が独占してるよ。
日本大使館の無線機が回復してたかも知れないけれどね。
ダーディン達が12月15日に南京を後にして以来、手紙を託す人間もいない。
各国大使館の要員が南京に復帰して業務を再開するのは1月6日以降のことだ。
無線の再開はこの日以降1月8日前後までのことだろうな。
この間南京城内からの情報を外部にもたらした人物の存在は知られていない。


>ちなみに、大佐一味7人が捕まったのがいつだったかは判っていないのだよ。

おおー、なるほど。
記事の発信が1月6日以降のことであれば、何も矛盾はないと言うことか (・_・)ん?
でりちゃんするどいなー
するどすぎて屁も出んわい。

 

返信


これは メッセージ 6064 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


でりちゃん、タオルが入ってるよ 2) 2005/ 6/18 9:26 [No.6073 / 15965 ]

投稿者 :
ja2047



>嘘とか言われる筋合いは、全くない。

へえへ、

>王・シンロウと3人の部下が略奪・恐喝・強姦をしたのは事実だが、それが、その犯罪行為を日本軍に擦り付ける反日撹乱工作だったとは、日本軍も発表していないしNY・タイムズやチャイナ・プレスも報道していない。
【1月3日発(1月4日付)ニューヨーク・タイムズで報道された反日撹乱工作の大佐一味7人】 と 【12月30日に捕まった南京保安隊長の王・シンロウら4人】は、別人(別グループ)だ。



うおおおお、 ますますすごい。

東中野センセが聞いたら卒倒しそうな説だね。

1.ウィルソン書簡と安全区文書に出てくる
 12月30日に金陵大学養蚕施設連行された
中国陸軍保安隊の大佐であることと、強姦の疑いを掛けられた
元警官のワン・シン・ロン(王興龍または王新倫、別名陳嵋)と3人の男

2.NYタイムズ、1月4日記事に出てくる
金陵女子大から連行された
掠奪、強姦などをして日本軍のせいにしていたという
大佐と6人の部下

3.チャイナプレス1月25日記事による、
 「憲兵隊報告書」が
12月28日頃までに逮捕され、
掠奪、煽動、強姦に携わったという
南京平和防衛軍司令官ワン・シン・ラオ(またはチェン・ミ)と3人の部下


でりちゃんはこの三つの事件は全部別のことだというのだね?

だから、一見似ているようで、細かいことが違っているのだと。
だから、三つそれぞれに本当だというのがでりちゃんの主張なのか。

三つとも本当なら、なぜ外国人達の日記や記録には1.だけしか出てこないのだろうね。
特に、2.は記録されてても良さそうなものだがね。

東中野センセはね、「1月4日NYタイムズ記事の裏付けに1月25日チャイナプレス記事が使える」
という記述をしているのだけど、
でりちゃんの説によると、「これらは別の独立した事件だ」 と言うわけだ。

したがって、
「1月4日NYタイムズ記事の裏付けに1月25日記事は使えない」
「1月25日記事の裏付けに1月4日記事は使えない」
と、なって、「1月4日記事、1月25日記事とも、これを裏付ける資料は皆無」
というのが結論になるね。

攪乱工作隊記事には全く裏付けになる資料がない。
これがでりちゃんの結論と言うことだね。


 

返信


これは メッセージ 6065 deliciousicecoffeeさんに対する返信です 



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Re8:攪乱工作説は東中野氏の妄想 2005/ 6/19 6:56 [ No.6082 / 15965]

投稿者 :
ja2047



>他人の発言を勝手に編集しないように。

言葉を厳密に使って下さるようにお願いします。
言葉が意味を限定していくように使えば、本人の意図を
離れた解釈は行われにくいものです。
もっぱらイメージを喚起するために発せられた言葉は、
相手が刷り込もうとするイメージに乗ってこなければ
意図通りの受け取り方をされない場合があります。

そういう虚しいやりとりをしたくないから、
「一つずつ事実を確認していきましょう」
と言ってるんです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6038


>国際委員会が武装解除を実施できていたかどうかを問題提議したのであって、

はい、ですから私は、「実施した」というエビデンスを示したのです。
「実施した」という証拠が「実施しなかったケースはない」という
証拠にならないのは当然ですから、
「実施していないケースがある」というエビデンスが示されれば
これはそのケースについては認められることになると思います。
例外の存在を以て、「全体の失敗」とは呼べないということは
前に申し上げたとおりですが、原則から離れたケースを示す
ことは出来るんです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6058

もう一つ言えば、
安全区委員会が武装解除を実施した。 と
敗残兵が自ら武装放棄して、武器は持っていない。 は
厳密には違うのですが、
武装していないことが安全区委員会の強制によるものか
敗残兵自らの判断によるものか、個別の検証は困難ですから
武装の有無を以て、武装解除実施済みと見なすという解釈で
よろしいですね?


>別に資料をひっくり返さなくても、武装解除をされていない多数の中国兵が安全区に流入したという単純な事実を認めて下されば、次の段階に進めますよ。

これだとね、あなたは、こう言ってることになるのです。
「オマエの主張については、根拠を示して事実であることを証明しろ。
大筋の事実ではダメだ。 100%証明しろ。
オレの言ってることはオレが確信してるんだから事実だ。
資料的な裏付けなど出すまでもなく事実だ。
事実だという前提で議論しろ。」


ちょっと同意は出来かねますね。

 
 

返信


これは メッセージ 6081 nmwgip さんに対する返信です


でりちゃん、問題点が絞れてきたね 2005/ 6/19 7:01 [ No.6083 /15965 ]

投稿者 :
ja2047



>NY・タイムズの1月25日記事では、12月28日までの状況しか報告されていないような印象を受けるが、実際には1月24日の日本軍の記者会見は12月28日以降のことも述べられている。

私も多分そうなんだろうとは思うが、では、ワン・シン・ラオがいつ拘束されたかというと、
何も書いていないんだよね。


>つーか、どうして1月4日付のNY・タイムズの記事や1月25日付のNY・タイムズとチャイナ・プレスの記事の中身が事実でないの?

あいかわらずデジタルな思考だね。
私も絶対事実でないとまでは断言できないが、
本当にこの内容のことがあったのなら、
次のことと矛盾する。
まず、それを示す記録が日本に残ってないとおかしい。
原資料が失われたとしても、誰か証言する。
戦後この事を証言した人がいない。
当時の日本の新聞にも報道されていない。
逆に、これと矛盾する報道がされている。
外国人の日記などや、安全区文書にも
相当する記録がない。
あるとすれば、内容の大幅に違う「王新倫」事件
が、それに当たる。
1月4日記事について言えば、情報元が不明である。
この時期南京に外国人記者はいないし、外国人達は
情報を伝える手段を持たない。

南京事件に関して、事実だと認められている事柄の全体の中での
位置づけが出来ないと言うことだよ。
だから、事実ではないと考えた方が、矛盾なく全体像が描ける。
(その全体像だって完璧ではないが、そこからさらに
離れたところに、この情報はある)


>>「大佐一味7人を匿っていたアメリカ人教授たちからの情報を基にNY・タイムズが1938年1月3日上海発(1月4日付記事)で報道した。」
というのは、なによ。
>自然な見解だと思うが。
アメリカ人教授もしくはその知人・関係者と言っておいたほうが間違いがないのかな。

これはね、その通りで、そう読めるような内容になっているのだね。
ところが、関係者がだれも、そのことを記録していない。
関係者は誰も情報を伝える手段を持たない。
そうなると、誰かが、あたかもそう思わせるために作った文章という
疑いが出てくる。
そして、文の中身は、「東中野氏によれば」憲兵隊報告書と一致する。


>↑日本軍がNY・タイムズに情報提供したとは考え難いでしょ。

日本軍がNYタイムズに情報提供することは、
物理的に可能であり、日本軍にメリットがある。

外国人教授がNYタイムズに情報提供することは
物理的に不可能であり、自分たちの失点になる。

どちらも、物証は残っていないので、
どちらの理解が合理的かという話でしかない。
一度「願望」から離れて考えてみて欲しいのだが、
ま、人間「願望」や「予断」からは、 なかなか
自由になれないよね (^^



>ところで、「タオルが入ってるよ」って何のこと?

いや、以前に
「ノーガードの殴り合いは見たくない」
という意見があったものでね。


 

返信


これは メッセージ 6079 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


>誤解なきように 2005/ 6/19 12:24 [ No.6087 / 15965 ]

投稿者 :
ja2047



>>「ノーガードの殴り合いは見たくない」
>双方に言ったことです。

それでよろしいのではないでしょうか。

>間違いを喚起するのはあなたのおっしゃるとおり大切なことですが

大事なことなのです。

>あまりにも小さなことに入り込み全体の流れがどんどん見えなくなっている。

個別の資料事実や体験者の実感からからかけ離れた「全体の流れ」とは、
「虚説」に他なりません。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行」と言うような話題には、あまりに
多くの「虚説」がまとわりついています。
こちらのトピのタイトルは 「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」
なのですから、
結論がどうであれ、唱えるのが何者であれ、「虚説」を排除することは
トピのテーマに沿うことだと思いますよ。

「虚説」を基に議論しても、それは単なる宗教戦争(悪い意味での)でしか
ないことは理解いただけると思います。
もちろん、世俗の事実を離れた心の在りようとして信仰を持つのは個々人の
自由ですが、歴史上の事実について「信仰」を拠り所にして語るのは不都合だ
ということは同意いただけますね?


 

返信


これは メッセージ 6084 kintakunte2002さんに対する返信です


でりちゃん、確信は事実ではない 2005/ 6/19 12:25 [ No.6088 /15965 ]

投稿者 :
ja2047



>1月25日記事に出てくる反日撹乱行為を煽動していた前第八十八師の副師長の馬(マー)・ポウシャン中将が捕まったことに関しては、飯沼守(少将、上海派遣軍参謀課長)日記があるよ。

飯沼日記には、第八十八師の副師長を捕らえたことが書いてあるだけで、
中国軍による攪乱工作が確認されたとは書いてない。
第八十八師の副師長が拘束されたことまでは事実なのだろうね。

一つ、その飯沼日記を見てみよう。

飯沼守日記 十二月二十九日
英米独伊の大使館員、領事館員等来るとのことに之が応対法研究中の所へ福井書記官(南京領事)来り 米大使館使用支那人の言に依れは二十三日日本兵来り支那人の持物を掠奪し且館員の居室等を荒し扉を剣にて突き刺したりとか 独大使館にては軸物を掠奪せりとかにて米人より領事宛の手紙も置き行きたり。困つたことをする者あり 全部を真とすることも出来さるも善後策を研究する要あり。

飯沼守日記 十二月三十日
方面軍中山参謀来り 参謀長一人に対し、今回の外国公館に対する非違其他の不軍紀行為誠に遺憾なりとの意味の伝達あり 恐縮の外なし。

飯沼守日記 一月元旦
今日午後ソ連大使館焼く、此処は日本兵決して入り込まさりし所なれば証拠隠滅のため自ら焼きたるにあらすやと思わる。他の列国公館は日本兵の入り込みたる疑いあるも番人より中国軍隊の仕業なりとの一札を取り置けり。唯米国のみは四囲の状勢巳むを得ざるも当時番人の親戚等五、六十人入り込み居たる関係上敗残兵ありとの噂に依り進入したるも米大使館と判り直に引き上けたりと云ふこととす。自動車其他番人の損害等は兎も角返すこととす(方面軍特ム部の処置)。

飯沼守日記 一月四日

10.00過,特務部岡中佐来りソ連大使館焼失に就て取調と米国大使館員(5日来る筈)と折衝の為来たりしとて午前1.00迄話して帰る。
 同中佐ソ連大使館に至りし時裏手の大使かの私邸に笹沢部隊(独立機関銃第二大隊の笹沢中隊)の伍長以下三名入り込み食料徴発中なりしと,今に至り尚食料に窮するも不思議,同大使館に入り込むも全く不可解。

飯沼守日記 一月十二日
米領事は日本軍隊領事館侵入に就き軍参謀長陳謝に来られたしとのことなるも外交関係者にて陳謝する様交渉し此旨方面軍へ電報す。

飯沼守日記 二月一日
例の米領事館侵入事件陳謝は原田少将と本間少将の意見にて其様に交渉する筈。


飯沼参謀長は、馬中将の拘束前はもちろんのこと、拘束後も延々と
日本兵による在外公館侵入事件の後始末に頭を悩ませている。
もしも、「なーんだ、、全部中国兵の仕業だったんだ」と思っていたら。
こういう記述になるかな?

 

返信


これは メッセージ 6086 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


でりちゃん、確信は事実ではない 2) 2005/ 6/19 12:29 [No.6089 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>また、1月25日にチャイナ・プレスが記事にした王・シンロウら4人が捕まった事件に関しては、ベイツなど彼らを匿っていたアメリカ人教授たちが12月30日と31日に日本に助命嘆願などをした書簡があるのだから事実の裏付けとなる。

ウィルソン書簡にしても、安全区文書にしても、日本軍に連行された王新倫は
軍人ではないと認識している内容だ。
仮に実際には軍人だったというのが「事実」だとしても「匿った」と言うことには
ならないんだから正確に表現しようね。
安全区資料はワンシンロンが安全区から連行された、ということまでの裏付け
にはなるけれど、「攪乱工作」の裏付けにはなる部分はないのだしね。


>そうだとしたら、いずれにせよ、日本軍が嘘の情報を流したことが、簡単にばれるだろ。

はっきりしていることは、「攪乱隊工作説」に、当時誰も納得しなかったということだよ。
外国人達も納得してないし、日本人は、だれも言及さえしていない。
1月25日記事について言えば、NYタイムズは「憲兵隊報告書」の内容を紹介している
ものの、これを支持してはいない。
むしろ怪しい情報としてしか報道していない。
飯沼参謀長も全く納得している様子がないどころか、そのことには全く触れていないことは
先に述べたとおり。


>だから、「事件を知っていた者が上海に行ってNY・タイムズに伝えたことなどが考えられ、情報手段云々は反日撹乱工作をしていた大佐一味7人の事件を捏造だとする理由にならない」と言っているだろ。
>外国人か支那人か知らんが、事件を知っていた者が、上海に行ってNY・タイムズに伝えたことなどが十分に有り得るでしょ。

無線などの通信手段で外部に伝えられたということは成り立たないので、
その可能性がないことは納得したということでいいね?
その可能性がないとなれば、誰か直接伝えるしかないわけだ。
ところが、1937年12月30日以降に南京を脱出して、1938年1月3日以前に
上海に到着した外国人の存在は知られていない。
また、外国人達の周辺にいた中国人が南京を脱出したという記録も知られていない。
可能性はゼロではないが、事実の裏付けはないよね。


>オマエがどんなにジタバタしても、安全区に潜伏した便衣兵による反日撹乱工作は実際にあったのだよ。
いい加減に諦めろ。

ほれほれ、「事実の裏付けは全くない」 のに、
「可能性はゼロではない」 からというので
いきなり、 「だから事実だ」 に、なってしまってるぞ。

「確信している」 からなのかな?


 

返信


これは メッセージ 6088 ja2047 さんに対する返信です


>>誤解なきように 2005/ 6/19 17:42 [ No.6092 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>資料の信憑性の限界についてどう思っているのかわかりませんが
秦さんを引き合いに出して言わせていただければ
今後これ以上の資料の出てくる可能性はないとおっしゃってますね。
事実については神のみぞ知るともおっしゃってる。
私はこの言葉は非常に真摯な言葉として受け取っています。

そのとおりです。
kintakunte2002さんが、冷静な姿勢を保たれていることに敬意を表します。


>調べようのないものを無理やり結論を出すような愚行が
虚説を排除することになるんですか。

大変低い可能性にすぎないものを、無理やり事実認定という形で
結論を出すような愚行は、虚説として排除されるべきだ、というのが
私のスタンスであり、それを実行しているのです。
そうでない行いがあれば、ご批判下さい。


>これ以上は現在の資料では判断のしようもない。
こういった結論があっても悪くはないと思います

大いに同感です。
私はそれが言いたいから、
「事実の裏付けがないことを事実と断定してはいけない」
と繰り返し主張しているのです。

可能性に過ぎないことを、それも低い可能性に過ぎないことを
事実だと言い張り続けることには賛成できませんよね。
 
 

返信


これは メッセージ 6091 kintakunte2002さんに対する返信です


でりちゃん、結論は見えてるのだよ 2005/ 6/19 17:46 [ No.6093 /15966 ]

投稿者 :
ja2047



>「憲兵は南京難民区区域或いは外国大使館に潜伏しある不逞徒を捕らえつつあり。八八師副師長など主なる者なり。」とあるから、取調べは、その後だったんだろう。

どの後なのかな?
「憲兵隊報告書」は12月28日付であり、1月24日には記者発表されている。
そう思ったから「飯沼日記」を2月1日まで引用したのだよ。
この間、飯沼参謀長の認識に変化がないことは、でりちゃん理解したのだね?


>>一つ、その飯沼日記を見てみよう。
>論点の拡散は、程ほどにしてくれよ。

論点も私の主張も一貫してるよ。
「攪乱隊工作説」には裏付け資料がない、これだけだ。
飯沼日記は持ち出してはいけない資料なのかね?


>つーか、読んでみると、やっぱり反日撹乱工作と思える節はあるね。

ほー、この程度なら、私は論点の拡散だとは言わないから、
どこかで続きをやるかね?
ここはタオルが入っているからね。


>>ウィルソン書簡にしても、安全区文書にしても、日本軍に連行された王新倫は
軍人ではないと認識している内容だ。
>匿っていた奴らが、日本大使館宛に助命・釈放を要求をしているのだから当り前だろ。

それは、「シラを切るところを見ると、お前が犯人だな。」という論理だな。


>>はっきりしていることは、「攪乱隊工作説」に、当時誰も納得しなかったということだよ。
>はぁ?
全然、はっきりしていませんが。

誰か納得してるかね?
もちろんその当時にだよ。
私の表現が厳密でないと言うなら言い直そうか?
「はっきりしていることは、当時誰かが納得したという記録は皆無だと言うことだ」
これでいいかな? 私の言いたいこととしてはこちらが正確だ。


>#6079で質問したけど、回答を貰っていない。

ああ、これかい。
>>>各国大使館の通信機器や支那軍の無線機なども全く使えなかったの?

物理的な意味で使用可能な無線機が一台もなかったかどうかは判らない。
確かに言えることは、安全区の外国人達に使える無線機が一台もなかったということ
日本側でない誰かが無線機を使って発信したという記録がないということ、までだね。
引用すると長くなるので、ここを参照。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&action=m&mid=5511&mid=
5459~5512を中心に、詳しい情報交換がされている。


>事件を知る外国人もしくは支那人が、上海に行って伝えた可能性がある以上は、1月3日上海発(1月4日付)NY・タイムズの記事の内容が事実ではないと言えないよね。
事実だと考えるのが普通だよね。

可能性がゼロではないから事実だというのは乱暴だろう。

私はkintakunte2002さんの

>調べようのないものを無理やり結論を出すような愚行
>これ以上は現在の資料では判断のしようもない。
こういった結論があっても悪くはないと思います。

という意見はきわめて妥当だと思うよ。


「攪乱工作隊説には事実である裏付けはない」
はっきり言えるのはここまででしかないのではないかな?


 

返信


これは メッセージ 6090 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


でりちゃん、一旦結論だ 2005/ 6/20 6:08 [ No.6097 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>資料の限界で撹乱工作は2つしか確認できず

その2つしかない資料が、他の資料と矛盾するから「確認できる」とは言えない。
「攪乱工作説」の裏付けになる資料はない。
というのが、 「事実」 なのだけれどね。

以下、その「資料」の中身を、分析してくれたのはいいけれど、
他の資料と見比べて信憑性を確認するという作業をして欲しいわけ。
むやみやたらと「確信」に走るのではなくね。

たとえば、

>①難民キャンプおよび非軍事化されたはずの安全区に隠れていて摘発された支那軍の便衣兵は、12月28日現在で、外国大使館から、支那軍の将校23名と、下士官兵54名、兵卒1498名。

ほほ、仮にそうだとしたら ↓これとの整合はどうなるのかな。

歩兵第七連隊『戦闘詳報』 
自十二月十三日 至十二月二十四日 南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊
一、射耗弾 小銃      五,〇〇〇発
        重機関銃   二、〇〇〇発
二、刺射殺数(敗残兵)   六、六七○
 (略)
(『南京戦史資料集Ⅰ』P524)

差し引き、約5000名は、中国軍兵士とは確認されないままに殺されてしまったわけか。
なるほど「日本軍に拉致されたまま帰らない市民」が4200名も出るのは
不思議ではないな。

ということになるだろ?


>>「はっきりしていることは、当時誰かが納得したという記録は皆無だと言うことだ」
>事実として自然と受け入れられただけの話だろう。

これはでりちゃんの希望的推定であって、誰も「事実として受け入れた」
形跡はない。


>当時も今も、その新聞報道が嘘だという証拠はない。

この論法だとウソだと確認されるまでは情報は全て事実だと言うことになる。
ウソだと確認されるまでは事実である可能性も残っているというなら、
それは妥当な判定だが、 それは確かに事実だと言うことではない。

>>「ジョンと私は元気なことを知らせる。外部との接触がほとんどないので、上海に行く人に伝言を頼むという、めったにない機会に依存せざるをえない。今回は、小規模な運送業を仕事にしていて、日本軍に物資を持ってくることになった商人にたまたまお願いする。」
>十分、上海に情報を伝えられるじゃん。

その貴重な機会に外国人達が伝えたいのは、まず自分の身の安全についてであり、
その次に難民達の窮状だと思うがね。
1月2日に商人に頼んだ伝言が1月3日にNYタイムズに届くかどうか疑問だし、
NYタイムズ1月4日記事のようなことを優先して伝えようとしたとも考えにくい。
何より、このようにして伝わったという裏付けもない。


>>「攪乱工作隊説には事実である裏付けはない」
>>はっきり言えるのはここまででしかないのではないかな?
>撹乱工作隊というのは、安全区で摘発された便衣兵が1,500人以上いた中で、大佐一味7人と前第八十八師の副師長の馬(マー)・ポウシャン中将の2つのケースしか資料がないレアケースだ。

その2つのケース自体が事実だという確認が取れないことは、繰り返し述べたとおり。


>しかし、日本軍が大佐一味の事を1月24日の記者会見で公表しなかったように、撹乱工作も実際にはもっとあったのだと思う。
>これが、「資料の限界」という事かもね。

もっとあったのかも知れないし、でりちゃんのいう2つのケースも事実かどうか判らない。
それを「資料の限界」というのもやむを得ないだろうね。



>撹乱工作隊というのは、安全区で摘発された便衣兵が1,500人以上いた中で、大佐一味7人と前第八十八師の副師長の馬(マー)・ポウシャン中将の2つのケースしか資料がないレアケースだ。

ここまで話が煮詰まると、この事は理解できるね。
つまり、小林よしのりが「戦争論」で断定的に書いた。
「南京の安全区に二万人の国民党ゲリラが入り込み、日本兵に化けて略奪・強盗・強姦・放火を繰り返し、これをすべて日本軍のしわざに見せかけていた」
というのは、何の根拠もない想像を、あたかも事実であるかのように書いた、
そういうものだったんだね。

ま、これが確認できただけでもよかった。

 
 

返信


これは メッセージ 6095 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


いえいえ 2005/ 6/20 12:35 [ No.6098 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>私のほうにも誤解があったことをお詫び申し上げます。

いやー、あんまり大見得切ってしまうと気恥ずかしいので、
テキトーに忘れて下さい ^◇^

返信


これは メッセージ 6094 kintakunte2002さんに対する返信です


でりちゃん、もう飽きたんだが (^^; 2005/ 6/21 6:20 [No.6107 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>>その2つしかない資料が、他の資料と矛盾するから「確認できる」とは言えない。
>何が矛盾しているのかサッパリ分からない。

だからさ、「この二つの外国新聞記事」の他に、「敗残兵による攪乱工作」
を示す資料がなんにもない。
そんなものはないという前提で書かれた資料だけしか残ってないって
言ってるわけ。

たとえば、日本の新聞にはこんな記事が載ってるんだよ。
つまり、外国向けには1月24日に「敗残兵が悪さをしてます、誤解です」
という発表を行い、
国内向けには2月の16日になって「日本兵が悪さをしてといういる噂は
あれはウソです。 中国市民の中にギャング団がいたのです。」という
発表をしているわけだ。

*****************************
大阪朝日新聞 1938.2.17付
皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行  不逞支那人一味捕る
【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、南京玉■村五〇号、上海路十四号、幹河路一〇六号の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか・・・の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。
******************************

日本国内では「中国兵による攪乱工作」は全く報道されなかった。
これはいいね?


 

返信


これは メッセージ 6106 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


でりちゃん、もう飽きたんだが 2) 2005/ 6/21 6:22 [ No.6108 /15966 ]

投稿者 :
ja2047



>オマエが今までに必死になって弁護したことがある12月18日付NY・タイムズのダーディン記事や

12月18日付ダーディン記事については、
同じ時期にスティールが同じ状況の報道をしてるし、
ダーディン自身が1月9日に新聞全面を使う詳しい続報を書いてるし、
居留外国人達の記録とも矛盾がないし、
東京裁判の時には記事内容が事実だという宣誓供述書を提出してるし、
さらには日中戦争にも東京裁判にも利害関係のなくなった戦後の時期に
日本人ジャーナリストのインタビューに答えた記事もある。
「必死になって弁護」するまでもなく、普通の神経の持ち主にとっては
「事実」だろうな。

>1984年8月4日と翌5日に朝日新聞が報じた「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題された『宇和田日記』の記事などのような矛盾が一体どこにあるのかね。

私は「宇和田日記の信憑性」について、「全否定できるものではない」という
趣旨のことを言った覚えはあるが、「朝日新聞記事」を弁護したことなど一度もない。

これは、訂正して貰おう。 でりちゃんに真面目に発言する意志があるのなら。


>>「攪乱工作説」の裏付けになる資料はない。
>「南京大虐殺」の裏付けになる資料はない。

うは、日本軍の公式記録や、従軍者の体験や、同時代の報道や、
さらには被害者の体験や、いっぱいあるじゃあないの。
松井大将も、大宅壮一も石川達三も徳川侯爵も岡村大将も
白井茂も、李英秀も、夏淑琴も、ジョン・ラーベも・シュペアリングも
みんな幻でも見ていたのかな?
ああ、もちろん「30万人殺される所をこの目で見ました」なんて
人は一人もいないよ。
だから数字の積み上げには慎重であるべきだろうね。


>まず、「【安全区】に隠れていた便衣兵」 と 「【南京城内】の敗残兵」 という決定的な違いがある。
次に、即、刺射殺した敗残兵は、1月24日の日本軍発表の摘発された者の数には含まれていないかもしれない。

でりちゃんの資料読み取りの杜撰さを指摘しただけだ。
指摘されてから反論する前に、資料をよく読んでから
まとめようね。


 

返信


これは メッセージ 6107 ja2047 さんに対する返信です


でりちゃん、もう飽きたんだが 3) 2005/ 6/21 6:26 [ No.6109 /15966 ]

投稿者 :
ja2047



>>ウソだと確認されるまでは事実である可能性も残っているというなら、
>>それは妥当な判定だが、 それは確かに事実だと言うことではない。
>基本的に、矛盾などがなく嘘だと確認されるまでは、当時の新聞報道は資料として尊重するべき。

その資料があることは否定したことないよ。
その裏付けがないということは繰り返し指摘してるだろ。
これはでりちゃんも確認したよね。

>あらら♪
可能な伝達手段が存在した時点で、「伝達手段がなかったから、1月3日上海発(1月4日付)NY・タイムズの撹乱工作をしていた大佐一味7人が捕まった記事は事実ではない」と主張した側の敗北を意味する。

伝達手段と伝達の機会は違う、というと屁理屈だと取る人もあるだろうが、
外国人達に、自分の意志で情報を発信する手段がなかったことは
これで納得してもらえたね。
「フォースターの手紙 1月2日
上海に行く人に伝言を頼むという、めったにない機会に依存せざるをえない。今回は、小規模な運送業を仕事にしていて、日本軍に物資を持ってくることになった商人にたまたまお願いする。」
めったにない、たまたまの機会に届いた手紙だ、この手紙が現存するから事実だということが判る。
NYタイムズ記事の元情報は、依然として不明のままだ、残ってないのはもちろん
そこには情報の出所について何も書かれていない。


>前第八十八師の副師長の馬(マー)・ポウシャン中将が「不逞徒」として捕まったことに関しては、「飯沼日記」の記載と一致している。

敵軍が占領地域に潜伏してれば、積極的に害をなそうがなすまいが「不逞の徒」だよ。
積極的に害をなしたという証拠にはならない。


>>つまり、小林よしのりが「戦争論」で断定的に書いた。
>>「南京の安全区に二万人の国民党ゲリラが入り込み、日本兵に化けて略奪・強盗・強姦・放火を繰り返し、これをすべて日本軍のしわざに見せかけていた」
>>というのは、何の根拠もない想像を、あたかも事実であるかのように書いた、
>>そういうものだったんだね。
>>ま、これが確認できただけでもよかった。

>2万人の便衣兵が安全区において、揃って犯罪を行い、全員がそれを日本軍の仕業に擦り付ける反日撹乱工>作をしていたというのは誇張に過ぎない。
>それに関しては同意する。
>ただし、ワンシンロンら4人のようなケースでは、最初から日本軍に罪を擦り付けることを目的に犯罪・・・

ん? 最後何だったんだろ、切れてるよ。

「ワンシンロンら4人のようなケースでは、最初から日本軍に罪を擦り付けることを目的に犯罪――を行ったことは事実である」
と言いたかったのかな?

だから、「それは事実と断定できない。 ガセネタくさい」というのが元々の話なんだが。
依然、事実と断定する裏付けは出てきてないんだよね、
この二つの記事が、他の記録や証言から飛び離れたところに存在してて、
「証拠群」というか、互いに補強し合う資料のネットワークを作っていないのだよ。

 

返信


これは メッセージ 6108 ja2047 さんに対する返信です


>Re9:攪乱工作説は  ゴメン 2005/ 6/21 6:37 [ No.6111 / 15966]

投稿者 :
ja2047



>Re9:攪乱工作説は東中野氏の妄想

どういう根拠で、何を主張されているのか、読み解くこと自体が困難な
長文のレスをいただいたので、朝の時間には返答が書けませんでした。

後刻の回答と言うことでカンベンして下さい m(__)m

返信


これは メッセージ 6104 nmwgip さんに対する返信です


Re10:ゴメン、長いです (^^; 2005/ 6/21 20:13 [ No.6115 /15966 ]

投稿者 :
ja2047



>そもそもの論点は何かをすっかり見失っておられるようですね。

ほう、そう来ましたか。
ま、ごもっともです。

>元々この一連の議論は、上海爆撃を題材に、中国の政治宣伝の信頼性の欠如を私が指摘したところに、南京事件については日本軍が先に情報コントロールを行ったと貴方が言い出したことが発端ですよ。

南京を掌握しているのは日本軍ですから、当然情報の統制は日本軍にしかできません。
日本軍が先に情報コントロールを行ったことまでは当然のことと理解頂けると思います


>安全区の逃亡兵による攪乱工作が日本軍の意図的な捏造である、または根拠のない誤認であるという貴方の意見に対して、私は逃亡兵の撹乱工作は当時の人々にとって、十分に信憑性のある情報であり、日本軍の意図的な捏造とはいえない、例え誤認であったとしても上海爆撃のような杜撰な事実確認に基づいた無責任な発表ではない、と言っているのです。

「当時の人々にとって、十分に信憑性のある情報であり、」の根拠が不明ですが、
その辺の実態はでり氏との議論である程度見えてきたと言っていいでしょう。
正直、あまり問題全体の構造を整理せずに進めてきたという反省はありますね。

「攪乱工作隊説」には、次の四つの要素というかステップというか、があります。

(1)「中国兵が略奪・暴行を行って日本軍のせいにした」と書いている
情報元不明の新聞記事がある(1/4NYタイムズ)
(2)日本軍が記者会見を行い
「中国兵が略奪・暴行を行って日本軍のせいにしたことの報告書がある」
と発表したという新聞記事がある(1/25、NYタイムズ、チャイナデイリーニューズ)
(3)東中野氏は、(1)、(2)を元に「中国兵が略奪・暴行を行って日本軍のせいにした。」
「南京での日本兵の暴行、実は中国兵による組織的な攪乱行為ではないか」
と、主張した
(4)小林よしのり氏はこれらを元に、
「南京の安全区に二万人の国民党ゲリラが入り込み、日本兵に化けて
 略奪・強盗・強姦・放火を繰り返し、これをすべて日本軍のしわざに
見せかけていた」
と記述した

でり氏とは、(1)、(2)を中心にしてやりとりしてきたので、
(3)、(4)の信憑性にはあまり踏み込んでいません。
ところが、私の投稿題名は「攪乱工作隊説は東中野氏の妄想」で、
(3)の否定なのですから、この点少し食い違いがありました。
私が本来やらなくてはならないのは(3)の東中野説のおかしさを
指摘することだったのです。
ご指摘の通り、方向性がずれていますね。

で、(4)の小林よしのりについては、でり氏も「ここまで断言したらおかしい」と
言うことを認めてくれましたので、もういいかとおもいます
(3)ですね、今後の焦点は。


 

返信


これは メッセージ 6104 nmwgip さんに対する返信です


Re10:ゴメン、長いです (^^;  2) 2005/ 6/21 20:14 [No.6116 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>1938年1月3日上海発の『ニューヨーク・タイムズ』の記事は日本軍のでっち上げである、その根拠は、撹乱工作を行えるような武装中国兵勢力が安全区に居た証拠はない、が貴方の主張ではないんですか?

ちょっと違いますね。
攪乱工作ぐらいなら本格的な武装など必要ではありません。
武装抵抗とか武装蜂起するのと、ちょいと窃盗や強奪や婦女暴行を働くのでは
訳が違います。

>上記の記事は、中国逃亡兵が略奪と暴行を働いて、それを日本兵の仕業に見せかけようとした、と報道しています。
 この部分を指して、「南京市内の混乱は中国兵によるものだ」と嘘の政治宣伝している、という主張だと思いますが、その後論点が国際委員会による武装解除と日本軍による投降兵の連行に移動しています。

あまり論点になり得ないことに話を振られて、まんまと乗ってしまったようで、
これはご指摘通り、私の不注意ですね  <(^^;

敗残兵による扇動・略奪・暴行とかであれば、武装の有無とは関係なしに実行できます。
したがって、武装のあるなしは、「攪乱工作」の可否とは何の関係もありません。
当時の南京市内で武器を手に入れること自体はそう困難とは思いませんが、
私が仮にそういう工作をやるのであれば、武器の入手よりも、日本軍の軍服の入手に
まず頭を悩ませたであろうと思います。

少なくとも、敗残兵達は、軍服を脱ぎ捨てて安全区に潜伏しているのですから、
(潜伏先は安全区だけとは限りませんが)、そのままの格好で略奪暴行を働いても、
誰も「日本軍の仕業」とは、思ってくれません。
強盗の仕業と思われるのがせいぜいです。 説得力がない(^^;

かといって、中国軍の軍服で出歩けば、目的を達しないばかりか、自殺行為です。
まず、日本軍に偽装することが必要であり、扇動・略奪・暴行であれば、武器の入手は
二の次です。
現に、1月4日NY記事も、1月25日記事も「武器を隠していた」という記述はあるものの
その武器を使って何かしたという話は出てきませんね。
東中野説による「攪乱工作」が成立するためには武器以前に軍服の入手が必要なんです。
それも、外国人達にもわざわざ目撃させているというのが東中野氏の主張ですから、
本物と見分けが付かないように扮装していなくてはなりません。
城内には7万の日本兵がいるのですから、これに見破られないためには、
本物の日本軍の装備を何着も手に入れる必要があります。
武器などはその後でいいのです。

 

返信


これは メッセージ 6115 ja2047 さんに対する返信です


Re10:ゴメン、長いです (^^;  3) 2005/ 6/21 20:15 [No.6117 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>問題は、拘束されていない中国逃亡兵が反日撹乱工作を行った、という報道が、当時の状況から見て信頼性があったかどうかであるはずなのに、国際委員会は中国逃亡兵の武装解除を「試みた」等と言っても何の反証にもならないでしょう。

ま、それはおおむね、お説の通りですね。
本質的でない議論に流れたのはその通りです。

>撹乱工作を行い得る多数の中国逃亡兵が武装解除もされずに安全区に侵入しているという事実が逆に浮き彫りとなっただけです。

全然なってませんよ。
「多数の中国逃亡兵が武装解除もされずに安全区に侵入している」ったって、
「全員が委員会の手で武装解除されたという明確な記録がない」と言われれば
その通りですが、
では、「武装中国兵勢力が安全区に居た」のと同義であるかというと、
そうではありません。
現に武装した中国兵が多数いたということは知られていないのではないですか?
いたという記録がないことが、いなかった証拠にはならないという論理で
押し通しますか?


>国際委員会の施策は、問題の報道の信頼性を否定する論拠とはなりません。

あんまり関係ないでしょ。
安全区委員会は「暴虐行為を行っているのは武装した中国兵」なんて
思ってないですし、日本側でも誰もそんなこと考えてないんですから、
ましてや、安全区委員会が先にそれを心配して手を打ってるわけないですよ。


>報道されたような事件が起こる下地がありながら、何故それが日本軍の捏造であったと指摘できるのか。

一般的な背景として起こりうる条件がある、というのと、
ある情報が事実であることは違います。
私が、1月4日記事を日本側による意図的な情報操作ではないか
と疑っているのは、これが、情報元不明の怪情報に過ぎず、
克明な記録を残した安全区側の記録と一致するようでいて、細部が
かけ離れているからなのです。
常識に照らして、発信者不明の情報と、発信者が明らかで複数の
人間の確認を経た情報と、どちらが信憑性があるか、解りますね?
私はこの細部の不一致は情報の歪曲があった結果と考えていますが、
でり氏は、一致しないのは同時に類似の事件が二つ起きたからで、
別の出来事だからだと主張しています。
で、片方は安全区内で克明に記録され、南京の外には伝わらず、
片方は安全区の外国人達は一切記録しなかったが、なぜか
上海には伝わったそうです。
そんなことは絶対起きないとは断言できない、可能性はある。
と、言われれば、そうかもしれません。
何事も100%確実ではあり得ませんからね。


 

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これは メッセージ 6116 ja2047 さんに対する返信です


Re10:ゴメン、長いです (^^;  4) 2005/ 6/21 20:16 [No.6118 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>問題の報道が、上海爆撃のような明らかな捏造または杜撰な事実確認に基づく無責任極まりない発表と同列に論じられる、政治宣伝であったかどうか。
>果たしてこの報道は「妄想」と言い切れるものなのかどうか。
これが論点です。

1月4日記事について言えば、どこまで行っても出所不明の怪情報。
そこに日本軍の情報操作を読みとれるかどうかは、確証がない。

1月25日記事については、日本軍による記者会見発表であり、
「宣伝」には違いありません。
「宣伝」「プロパガンダ」という言葉はうさんくさい響きが
つきまといますが、
日本軍の記者会見が「広報・宣伝」の活動であったことは単に
事実です。
問題は、中身が他の記録と一致しているか、ですね。


>なお、問題の報道は国際委員会が逃亡兵を意図的に匿ったと報じているのではなく、難民の中に逃亡兵が紛れ込んでいることを発見して国際委員会は当惑したと報じているのですから、国際委員会は逃亡兵を匿ったりしていないからこの報道は嘘である、という論理も成立しません。

1月4日報道について言えば、それが事実であることを確認できる方法が
ないんです。 情報の発信元は不明なんですから。

唯一、裏付けになりそうな事実として東中野センセが提示したのが
1月25日の「チャイナデイリーニューズ」記事で、東中野センセは
ここに同じ事件が載ってるから事実だという指摘をしたのですが
でりちゃんによると、これは全く別の出来事なので、裏付けには
ならないんだそうです。


東中野センセお気の毒に (--;

 

返信


これは メッセージ 6117 ja2047 さんに対する返信です


でりちゃん、何でも食いつきすぎ 2005/ 6/22 6:14 [ No.6126 / 15966]

投稿者 :
ja2047



>2つの外国新聞が反日撹乱工作に関するニュースを採り上げた記事がちゃんと3つもあるのだから十分じゃないか。

一つはニュースソース不明、後の二つは日本軍発表で、日本側には記録、
証人が全く残ってないので、結局根拠不明という、事実関係のたどれない
全く他の情報から浮き上がった資料しかない。
資料、情報、知見と言うようなものは、他のそれらとネットワークを形成して
全体としての資料群を作っているから、「事実」と認められるのだよ。

つまみ食いの体系は、妄想でしかない。


>>たとえば、日本の新聞にはこんな記事が載ってるんだよ。
>むしろ、自爆と言うか墓穴と言うか、支那人による反日撹乱行為があったことの証拠がまた増えたことになる。

「支那兵」ではなくて「支那人」だということはちゃんと読みとっているのだな。
逮捕された連中は兵士ではない。
「中国兵による攪乱工作」ではなくて、「中国民間人による犯罪行為」を報じているわけだよ。
「中国兵による攪乱工作」が12月末の段階で確認されて、情報が共有されていれば、
出てくるはずのない記事なのだけれど、 よーく考えて見ようね d(^^


>ここで疑問。
1月24日の日本軍の記者会見は、外国のマスコミ限定だったの?
どうして日本のマスコミは、その報告発表会に参加できなかったの?

さすがに、「1月24日の記者会見は外国限定」と書かれた資料の存在は知らないが、
日本人の記者は当時も戦後も、誰もこの記者会見には言及していないね。

1月25日のNYタイムズ記事から見ても、外国人記者向けと考えられるが。
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano127.html


>いずれにせよ、支那人による反日撹乱行為の資料が、
4つに増えたわけだ。

「便衣兵による反日撹乱工作」が「支那人による反日撹乱行為」に変わってしまってるぞ。


>>日本国内では「中国兵による攪乱工作」は全く報道されなかった。
>>これはいいね?
>今回、自分で紹介しておいて、何言ってるの?

で、括りだけ、人の言葉に乗っかって、「中国兵による攪乱工作」だというのかな?

「中国兵による攪乱工作」ではなくて、「中国民間人による犯罪行為」の記事だよ。
2月16日時点では、「中国兵による攪乱工作」を国内向けに宣伝することも
国外向けに宣伝することも、すでに諦められていたという証拠だよ。


 

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これは メッセージ 6120 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


でりちゃん、話題拡げすぎ 2005/ 6/22 6:14 [ No.6127 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>もしかして、オマエが言う「裏付け」というのは同じ記事が2つ以上あるかどうかということなの?
そうだとしたら、まったくナンセンス。

ニュースソースの独立した同じ内容を示す記事が2つ以上あれば、事実の信憑性は
強まる。
この場合、ダーディンとスチールという二人の記者が、自分の知見を元に
独立した記事を書いているのだから、信頼性は高い。
同時期に南京にいたスミス記者も、速報はしていないが、同じ内容を述べた記録がある。


>12月18日付ダーディン記事に関しては、スティールと同じ情報(ベイツの出鱈目メモ)を基に記事にしたのだから、同じ状況を報道するのは当たり前。

二人の記者の報道内容と、ベイツメモの中身に共通点があるから、ソースはベイツメモだというのは
無茶苦茶。
3人とも同じ時期に同じ町にいて、同じものを見て、さらに情報交換し合っているのだから、
よく似たことを書くのは当然だ。
これは信憑性が高いということであって、低いということではない。


>ダーディン記事には、見出しとその直後にある要約部分に「民間人の殺害」という言葉を挿入した。
ところが、読んでみると、その後にある約5000字におよぶ長文レポートにそれらに関する説明がまったくない。

これは大ウソ
http://www.geocities.jp/yu77799/durdin

>まるで「東スポ」である。

誰の引用かね、東スポにも劣る無茶苦茶をどっから引用したのよ。


>東京裁判では、偽証罪が適用されなかった。

弁護側も相矛盾する証言だらけだったが、誰も偽証罪を適用されていないしね。


>オマエは、『宇和田日記の該当記事が、事実とも捏造とも、完全に証明されたわけではない。』などと述べ、朝日新聞の捏造記事を弁護していた。

だから、記事全体の擁護ではなく、宇和田日記の信憑性の話だ、「宇和田日記の該当記事」と書いてるだろ。
「朝品新聞記事の宇和田日記の該当部分」と書かないと理解できないか?

>その中で、誰が日本軍による南京市民の虐殺を目撃したの?
日本軍の誰が、南京市民の誰を、いつ、どこで、虐殺したのを見たんだ?

南京事件における「虐殺」というのは、多く兵士とも市民とも峻別せずに不要な殺人を行った
という行為を指す。

>日本軍の誰が、南京市民の誰を、いつ、どこで、虐殺したのを見たんだ?

東京大空襲の悲惨を目撃した人間は、「特定の誰が落とした爆弾で、特定の誰が死んだか」
明らかにしないと、目撃したことにならないのかね?


でりちゃんと話してると、話題をどんどん拡げて行くので、根拠を示して語ることが次第に
難しくなっていくんだよね。

話が屁理屈の言い合いになってしまったら、私には不利だから、したくないのだよ (^^

時間切れだ。 今朝はとりあえずさようなら。


 

返信


これは メッセージ 6121 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


>復員軍人から聞いた話 2005/ 6/22 21:00 [ No.6136 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>いずれにしても、戦争の悲劇だ

おっしゃること、その通りと思います。

>「従軍慰安婦」の言葉は無かった、まるまる慰問団なる言葉だったと思う。

これだけちょっと異議あり、
「慰問団」というのは著名人や芸能人による、前線慰問の団体のことでしょ。
永六助氏によると、昭和初期まで「芸人」と「芸術家」は
はっきり分けられていたのだけど、前線慰問の際に、
差別しちゃいかんというので、「芸能人」という言葉が新発明されたのだそうです。

今日でいう「従軍慰安婦」という言葉はまだなく、
正式には「慰安所」「慰安婦」「軍慰安婦」「軍慰安所従業婦」という言葉しか
なかったようです。

返信


これは メッセージ 6134 rek5aj さんに対する返信です


そういえば 2005/ 6/22 21:21 [ No.6137 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>現に、ja2047、deliciouscoffee、nmwgip各氏ら碩学も

私などは、「碩学」なんてえものじゃあなくて、
単なる軍事マニア、戦史マニアです。

他のお二人は知りませんが (^^


>中国人の学説は議論の対象にしていない。

私について言えば、中国人に限らず、学説と呼べるようなものは
まだ、議論の対象にしておりません。
「妄説」を批判しているだけです。

>わが国が捏造したと主張するなら、

私は中国側の主張一般については、「捏造」とまでは断定しないものの、
ものすごい勘違いをしているのではないかと思っていますので、
この点はお断りしておきます。

返信


これは メッセージ 6100 longlivezhongguoさんに対する返信です


RE13:[以下同文] 2005/ 6/23 6:28 [ No.6146 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>>1月4日報道について言えば、それが事実であることを確認できる方法がないんです。
>これだけでもう結論は出ているような気もしますが。
 事実であると確認できる方法が無い、同時に、虚偽であると確認できる方法も無い、でしょう?

そうなんですよ。
報道があったから事実だというもんじゃあないが、裏付けが一切ない情報だから
絶対ウソだというものではない。
真偽については保留すべき資料であって、これが事実だという前提で展開された
説は大変弱いものになるということが理解していただければよいかと思います。

>物証・傍証の重要性は常々私の主張するところですから、本件については状況証拠以外に傍証がなく、撹乱工作が事実であったと言い切るには弱いということは認めましょう。

それでよろしいかと思います。

>しかしそれを言い出したら、ダーディンやスティールの報道だって事実だという証拠はありませんよ。

先に述べたとおりです。

>>12月18日付ダーディン記事については、
同じ時期にスティールが同じ状況の報道をしてるし、
ダーディン自身が1月9日に新聞全面を使う詳しい続報を書いてるし、
居留外国人達の記録とも矛盾がないし、
東京裁判の時には記事内容が事実だという宣誓供述書を提出してるし、
さらには日中戦争にも東京裁判にも利害関係のなくなった戦後の時期に
日本人ジャーナリストのインタビューに答えた記事もある。
「必死になって弁護」するまでもなく、普通の神経の持ち主にとっては
「事実」だろうな。

取材者がはっきりしており、本人が繰り返し事実であると保証しているし、
大筋は複数の人間の記述と一致しているのですから、信憑性は高いでしょう。

100%事実だという保証はないが、100%ウソだという保証もないから
情報提供者不明の新聞記事と同列の信頼度だというのは、あまりにも
乱暴な歴史資料の認定方法だと思います。


私は前投稿で問題の全体像を示し得たと思いますので、特に論点は残ってない
のじゃあないかと思いますよ。

>>>物証・傍証の重要性は常々私の主張するところですから、本件については状況証拠以外に傍証がなく、撹乱工作が事実であったと言い切るには弱いということは認めましょう。

>>それでよろしいかと思います。

これで結論でも、私は一向に構いません。


 

返信


これは メッセージ 6138 nmwgip さんに対する返信です


でりちゃん 2005/ 6/23 6:29 [ No.6147 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



私は「碩学」を二人いっぺんに別の話題で相手できるほどタフじゃあない。
Nmwgipさんと相談して論点を絞ってもらえると有り難い。

作戦タイムを差し上げるので、ご両人で話し合ってはもらえないかな?


 

返信


これは メッセージ 6141 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


longlivezhongguoさん 2005/ 6/23 6:33 [ No.6148 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>名称はともかく、実体として従軍慰安婦は
実在したという主張だな。
ならば、日本は朝鮮に謝罪するべきである。

すでにしています。
http://image.blog.livedoor.jp/adoruk626/imgs/1/e/1ea649a4.jpeg

日本国内の大勢はこの政府見解を是としております。
一部、「謝罪はおかしいのじゃあないか」 とか
果ては「従軍慰安婦などなかった」という主張もありますが、
少数意見を持って日本全体が事実から背を向けていると
いうもんじゃあありません。


>ことを南京虐殺に限っても、例えば、誰の発言が
ものすごい勘違いか、例を挙げて説明してもらいたい。

私は南京事件のことについては、日本近代史上最大の虐殺事件であり
日本軍制史上の一大汚点であって、半端ではない数の虐殺が行われたと
考えていますが、
ただ、「その悲惨さは史上に類を見ないものであった」とか書かれると、
それはちょっと大袈裟ではないかと思うのです。
「世界史上」とか、「中国史上」最大級ということになると、
それは帝国陸軍を買いかぶりすぎていると
いうものです (^^;

犠牲者数30万以上というのが現在の中国の公式見解だと思いますが
これはかなり杜撰な集計に基づくものがそのまま事実として定着したもので、
日本軍の行った無用、不法の殺人はその何分の一かの数ではなかったかと
思うのです。
ただし、数が少なかったはずだから「南京大虐殺はなかった」という立場は
取りません。

 

返信


これは メッセージ 6144 longlivezhongguoさんに対する返信です


>ia2047さんへ 2005/ 6/23 18:47 [ No.6157 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



iaじゃなくて、jaなんですよ。

ちなみに、jaは「農協」じゃなくて、「japan」のjaです。


>正式には「慰安所」「慰安婦」「軍慰安婦」「軍慰安所従業婦」の名称があったとは驚きです。

最近ね、戦時には「従軍慰安婦」という言葉はなかったという変な理屈を言う人が
いますけど、
いま、そのことについて研究している学者や、世間一般の常識で使う言葉は
やはり「正しい」言葉なのだと思いますよ。

当時使われた言葉の方が正しいのなら、「ホロコースト」は「最終解決手段」
と呼ばれなくてはならないし、
「原子爆弾」と呼ぶ人間は国賊で、「新型爆弾」と呼ぶのが、正しい用語だ
ということになります。

そんなバカを言う人間はいませんよね (^^


>貴方の様に正面から事実を解明する人を尊敬します。

ありがとうございます。
お褒めにあずかりまして恐縮です。
だけど、ここで積極的に発言をしている方は、皆さん、ご自分では
「正面から事実を解明する」ために参加してるんだと思ってるでしょう。


おい、でりちゃん m9(^^)  そうだよな、絶対。 
いや、多分かな。


   

返信


これは メッセージ 6143 rek5aj さんに対する返信です


RE:> ja2047さん 2005/ 6/23 18:49 [ No.6158 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>>少数意見を持って日本全体が事実から背を向けていると
いうもんじゃあありません。
>多数意見=真、少数意見=偽
というお立場ですな。

違います。
「日本は」という以上は、政府の公式見解と、多数意見を指すのが
スジだろうと言うことです。
どちらが正しいかとは、別の話です。


>中国の人口は、日本の約十倍ある。
多数意見を代表する中国政府の発言は、常に、
真と認めていただき、感謝します。

多い意見が真なら、朝鮮半島の常識より日本の常識が正しい、
日本の常識よりアメリカの常識が正しい。
アメリカの常識よりインドの常識が正しく、インドの常識より中国の常識が
正しいという理屈になりますが、本気にする人はいないでしょう (^^;

でもね、朝鮮のの常識とか、日本の常識はなんか解るけど、
インドの常識なんて存在するのかなあ。


>一歩譲りましょう。
正確な数字を示してください。

難しい話題です。
正確な数字は誰にも確定できないでしょう。
確かに言えるのは「不法な殺害はあった」ということまでです。

あなたも正確な数字は解らないでしょ?


 

返信


これは メッセージ 6150 longlivezhongguoさんに対する返信です


RE15:攪乱工作隊説は妄想 2005/ 6/24 6:19 [ No.6168 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>日本軍が自軍の悪行を中国人の仕業と虚偽の宣伝をしていたとは断言できない。

1月24日の記者会見でちらりと匂わせただけで、その後は出てきてないですね。
諦めてしまったのかもしれません。
この1月4日記事と1月25日記事を根拠に日本軍の悪行を中国兵の仕業と
宣伝したがっているのは日本軍というよりも東中野センセなのかもしれません。


>ダーディン、スティール両記者の記事について「100%事実だという保証はないが、100%ウソだという保証もない」ということは認めて頂いているようです。

いや、そういう論理で事実の認定を恣意的に行ったら、どんな珍説でも成立すると言ってるのです。


>>大筋は複数の人間の記述と一致しているのですから

>という主張は、もう一方に日本人ジャーナリスト・文化人の、ダーディン、スティール両記者の記事とは内容が一致しない複数の証言が存在するのですから、これも証拠と見なすことはできません。

昭和12年の日本の新聞記事について言えば、軍の行為について
残虐さを強調した記事は掲載できなかったので、証拠にならないことは
理解いただけると思います。


1937年9月9日、陸軍省報道検閲部局「新聞掲載事項拒否判定要領」(以下のような記事は掲載してはならないことになっている)
・「我軍に不利なる記事写真」
・「支那兵または支那人逮捕尋問等の記事写真中、虐待の感を与えるおそれあるもの」
・「惨虐なる写真、ただし支那兵または支那人の惨虐性に関する記事は差し支えなし」


熊本兵団従軍秘話(1)
藤原武情報主任少佐参謀が出発直前に、熊本駅長室に従軍記者代表として、大毎記者五島を命令受領に呼び出す。
「五島、わが六師団はいよいよ出発征途にのぼるが、オレが情報主任参謀としていっさいの報道関係の責任者だ。従軍記者諸君に伝えろ。よいか、軍に不利な報道は原則としていっさい書いてはいかん。戦地では許可された以外のことを書いてはいかん。この命令に違反した奴は即時内地送還だぞ。記事検閲を原則とし、とくに軍機の秘密事項を書き送った奴は戦時陸軍刑法で銃殺だ」
というわけで絶対的な軍命令の報道規制で、報道の自由どころか自由な従軍記事報道は許されない。
「南京作戦の真相 熊本第六師団戦記」(東京情報社)(P190~P191)


また、戦後の証言について言えば、
「見た」という証言はその人が見たものがあったと推定される根拠になり得ますが。
「見なかった」という証言は、ないことの根拠にはなりません。

 

返信


これは メッセージ 6160 nmwgip さんに対する返信です


RE15:[以下同文につき省略します] 2005/ 6/24 6:20 [No.6169 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



ぜんぜん省略になってないな、コレ  (^^;

>一致証言者について、何人名前を挙げられますか?
 南京は平穏で死体も少なかったと証言している、名前が判明している日本人ジャーナリスト・文化人の人数を大きく上回るものではないはずですが。

阿羅氏の「南京事件 日本人48人の証言」の中から、同書記載のジャーナリスト、
文化人を拾いますと、全部で21人です。

この人達が何と言ってるかをきちんと読みますと、ほとんどの人が
「大虐殺はない」と言ってるんですが、何らか虐殺を見た、聞いたと言ってる人は
実は21人中の半数以上だったりするのですね。

――南京で大虐殺があったと言われていますが、どんなことをご覧になってますか?
「全然なかったとは言えない――日本の軍隊が数十人の中国人を撃っているのを見た
――全部集めれば何千人かになるかもしれない。」 
① 東京朝日 足立記者 P27-28 

――虐殺があったと言われていますが・・・
「見てません」
――直接見てなくても噂は聞いてませんか?
「――何でも鎮江の方で捕まえた三千人の捕虜を下関の岸壁に並べて重機関銃で撃ったというのです。――もちろんその時は戦後言われている虐殺というのではなく、戦闘だと聞いていました」
② 東京日々 佐藤カメラマン P53-54 

――中山門上での虐殺以外に直接ご覧になった虐殺というのはどんなものですか?
「中山門上のほか、励志社の入り口で敗残兵をつるはしで殺した場面、それと場所は覚えていないが、
殺すときはこうするんだと伍長がほかの兵にいながら中国兵を殺す場面を見ています。」
③ 東京日々 鈴木記者 P70 

――第16師団の軍紀はどうでしたか?
「――南京に向かう途中でしたが、第16師団の曹長で、百人斬りをするんだと言ってたのがいました。南京まで百人斬ったかどうか知りませんけど、
戦友の仇をとるんだといって、中国人と見ると必ず銃剣でやっていて、殺した中には兵隊じゃない
便衣の者もいたと言います。」
④ 報知 田口記者 P88 

――日本兵による中国兵に対する殺戮があったと言われていますが・・・
「ありました」
――ご覧になったのですか
「見てませんが、兵隊から聞きました」
⑤ 読売 森カメラマン P98  

「前田は見たと言ってたが、僕は虐殺とかそういうものは見てないんだな。――下関で堀川か誰かが兵隊の射殺現場か死体を見たと言っていた。」
⑥ 同盟 新井記者 P105-107  

――虐殺があったと言われていますが・・・
「私は見てませんが、あったという話です。そんな話を聞きました。」
⑦ 同盟 浅井カメラマン P112  

――南京では虐殺があったと言いますがごらんになってますか?
「言っていいですか?  ―― トーチカに捕虜を詰め込んで焼き殺したと思います――
トーチカの銃丸から苦しそうに息をしてこちらを見つめている中国兵がいたことが、今も印象に
残っています。 苦しそうに鼻をふんふん言わせてね。―― 
あとで二万人ぐらい捕虜をやったと聞いたことがあります。」
⑧ 同盟 細波技師 P118-121 

――その時の南京の様子はどうでしたか?
「――補助憲兵というのがいて、難民区に潜入している敗残兵を連れだしてました。
連れて行かれる中国人の親か兄弟かが、兵隊でないと、補助憲兵にすがっているのもいましたが、
その光景はまともに見ることができませんでした。それでも補助憲兵は連れていったようです。
――たぶん射殺したと思います。」
⑨ 都 小池記者 P146

――南京には相当捕虜がいたと言われていますが・・・
「・・・埠頭の突端に鉄の柵があり、そこから先はコンクリートで護岸されてまして、
ここに四、五人ずつ並べて、後ろから銃剣で突いてコンクリートに落としていました。
日本兵は二十人ほどで、中国兵が千人弱いました。・・・」
⑩ 従軍画家 住井画伯 P275-276

――下関に着いたのですね?
「そうです。下関に着きましたら、そこにいた兵隊がわれわれに、三百メートルか五百メートル先で
首斬りをやっているから見ないか、川べりで斬って川に落としている、 と言うのです。
間もなく川が赤くなる、とも言ってました。 ――見たくないと言い、そのままになりました。」
⑪ 外務省 渡辺カメラマン P282-283

こんな具合です。
 

返信


これは メッセージ 6168 ja2047 さんに対する返信です


RE15:[以下同文につき省略]  2) 2005/ 6/24 6:21 [No.6170 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



ついでですのでもう少し
よく引き合いに出される、「見なかった」はずの大宅壮一、西条八十
「平穏な南京の記録映画を撮った」白井茂カメラマン、の回想と
当時の記事を引用しておきます。

大宅壮一
南京大虐殺の”真相”を聞く
大宅  (中略) 入城前後、入城までの過程において相当の大虐殺があったことは事実だと思う。
三十万とか、建物の三分の一とか、数字はちょっと信用できないけどね。
まあ相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として十分いえるね。
(「サンデー毎日」臨時増刊 1966年10月20日号  P78)

記録映画「南京」撮影者 白井茂カメラマン
「柵の中の広い原では少しはなれた処に塹壕のようなものが掘ってあって、その上で銃殺が行われている。
一人の兵士は顔が真赤に血で染まって両手を上げて何か叫んでいる。いくら射たれても両手を上げて叫び続けて倒れない。
何か執念の恐ろしさを見るようだ。
 見たもの全部を撮ったわけではない。また撮ったものも切られたものがある。(中略)
よく聞かれるけれども、撃ってたのを見た事は事実だ。しかし、みんなへたなのが撃つから、弾が当たってるのに死なないのだ、なかなか。(中略)
戦争とはかくも無惨なものなのか、槍で心臓でも突きぬかれるようなおもいだ、私はこの血だらけの顔が、執念の形相がそれから幾日も幾日も心に焼き付けられて忘れることが出来ないで困った。
私は揚子江でも銃殺を見た。他の場所でも銃殺をされるであろう人々を沢山見たが余りにも残酷な物語はこれ以上書きたくない。
これが世に伝えられる南京大虐殺事件の私の目にした一駒なのであるが、戦争とはどうしても起る宿命にあるものか、戦争をやらないで世界は共存出来ないものなのだろうかとつくづく考えさせられる。」
(「カメラと人生」 白井茂 P137~P138)

燦たり南京入城式
                         西條八十
このとき読売紙の村田東亜部長が、遅ればせに、社の自動車で僕を迎へに来てくれた。
 だが、結局、氏も、消防組に加入することになつて、みんな横坐り、電線の燕よろしくの恰好で出発。
 出かける途端に見ると波止場の筋向ふに、高い板塀があつた。その中は、支那兵の死体の山。「そろそろ始まつたな」と思ふ。
(文芸春秋社「話」 昭和13年2月号 )

長い引用はこちらを
http://www.geocities.jp/yu77799/bunkajin.html
http://www.geocities.jp/yu77799/houdoukisei.html


 

返信


これは メッセージ 6169 ja2047 さんに対する返信です


な~にっ  (^^ 2005/ 6/24 19:01 [ No.6174 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>どこがどう勘違いか、
早く説明しる!
「南京大虐殺」に対する国際的共通認識は、以下の通りだ。
1. 近代における最悪の虐殺の一つ。
2. 犠牲者の数は25万ないし30万人。


汁と言われても困りますがな。

私は概要は示してますよ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6148
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6158

































面白いから、もう少し放置しておこうかな (^◇^

返信


これは メッセージ 6173 longlivezhongguoさんに対する返信です


でりちゃんの原点とは妄想のことか? 2005/ 6/25 6:43 [ No.6185 /15966 ]

投稿者 :
ja2047



>1月3日上海発(1月4日付)NY・タイムズ記事についてだが、日本側がNY・タイムズに情報を提供したというのは根も葉もない妄想だった。

もう一回書くね。
・NYタイムズ1月4日記事は情報元が明らかにされておらず、特定できない。
・記事内容は日本軍発表(だと外国新聞に載っているもの)によく一致しており、
 安全区委員達の記録とは大きく食い違っている。
・安全区委員達は能動的に情報を発信する手段を持たなかった。
・通信、情報は日本側が握っていた。
 フォースターの手紙にでてくる「商人」にしても、日本軍の用務を勤めていたから
 上海南京間の移動が可能だったのだ。

この状況で、NY・タイムズに情報を提供したのは外国人教授だと判断するのが
「自然」とは思えないな。


>事件を知る誰かが、12月から1月3日までの間に南京を出て上海に行き、NY・タイムズに情報を提供すれば良い訳だから、

そりゃそうだ、そういう人間がいればいいのだよ。 で、そういう人間がいたのかな?
1月3日までにNY・タイムズに情報を提供した人間の存在は確認できていない。
NYタイムズも、何も言ってないよな。


>以上、別々の事なのだから、NY1月3日記事の内容と居留外国人の記録が一致しないのは当たり前であり、それを以って、「日本軍の悪評を打ち消すための、欧米向けのプレス発表として、多分に創作された内容のものだった」とのキミの主張は、最初から間違っていた。

この論法で行くと、世の中の食い違う二つの情報は全部別の出来事で、
両方とも事実という解釈が可能だな、
ま、その可能性がゼロとは言わないが、同じ日に似たような出来事が
同時に二つ起こって、片方は一切記録されないという可能性はは低いと考える。


>また、1月24日の日本軍の記者会見は、相手が外国のマスコミ限定だったというのも根拠薄弱であり、日本のマスコミも参加していたと考えるのが自然だ。

ちっとも自然じゃあない、政府記者会見なんて、今でも外人記者クラブ向けは
別に行われている。
当時、この軍の記者会見に日本の記者が出席していたという記録でもあれば
別だが、お目にかかったことはない。
例の上海爆撃や、松井大将の「涙の訓辞」の現場にいた、ティンパリーから
出版前に「What warmeans」出版の話をうち明けられた、同盟の松本重治
上海支局長も、この日の記者会見については何も言及していない。
http://www.geocities.jp/yu77799/matumoto.html

>2月17日の大阪朝日の記事だって、同盟通信が2月16日に配信したニュースだから日本のマスコミは知っていた筈なのに、大阪朝日しか記事にしなかった。

私が確認してるのが大阪朝日の記事だけだということで、他の新聞に
載ってないことまでは確認してないよ。
でりちゃんの情報元の私が確認してないことを、なんで、でりちゃんが
断言できるのかな?


>多数の支那兵が軍服を脱ぎ捨て便衣兵となって安全区に潜伏したのは事実。
日本軍は、そのような状況を野放しにはせず、安全区に潜伏した便衣兵を厳しく摘発したのも事実。
そして、1月24日の記者会見で摘発した人数などを発表した。
摘発した1,500名以上の便衣兵は、全員が安全区で大人しくしていた訳ではなく、中には悪事を働く者が居た。

摘発した便衣兵1500名以上って、前も言っただろ?
日本側の記録には、12月24日までに6670人の敗残兵摘出と処刑が記録されていると、
この後、さらに2000人を摘出している。
すると差し引き5000人以上は中国兵だということを確認せずに
殺してしまったことになるけど、それでもいいんですか? と。

あ、私はこれの答は解った上で、でりちゃんをからかっているのだから。
誤解のないようにね。

 
そうそう、昔こんなことを言いだした人もいたのを思い出した。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5fe5tbba6a4oa4ga4ca4abeea42a4h3nbfaea47a4fa4a4a4k&sid=1835559&mid=13111

ぜひでりちゃんと対決して貰いたかったね。
 

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これは メッセージ 6182 deliciousicecoffeeさんに対する返信です 



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Re:まずは脱線のお付き合い 1) 2005/ 6/26 9:01 [ No.6199 / 15966]

投稿者 :
ja2047



>ダーディン記者の1937.12.18の記事の要点は以下三つ。
(1)日本軍による民間人の大量殺害が行われた。
(2)南京市街のほとんど全ての通りには民間人の死体が散乱していた。
(3)死体の中には老人、女性、子供等、明らかに非戦闘員の死体が混じっていた。

あ、こういう括り方をしちゃうのですね。

繁雑になりますが、記事の冒頭部分だけ再引用しておきましょう。

一九三七年十二月十八日
捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う
F・ティルマン・ダーディン
 ◇アメリカ大使館を襲撃
 ◇蒋介石総統のおそまつな戦術、指揮官の逃亡 首都陥落を招く
                             
 十二月十七日、上海アメリカ船オアフ号発
 ニューヨーク・タイムズ宛特電

 南京における大規模な虐殺と蛮行により、日本軍は現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼が得られるはずの、またとない機会を逃してしまった。

 中国当局の瓦解と中国軍の崩壊により、南京の大勢の中国人は、日本軍の登場とともにうちたてられる秩序と組織に応える用意ができていた。日本軍が南京城内の支配を掌撞した時、これからは恐怖の爆撃も止み、中国軍の混乱による脅威も除かれるであろうとする安堵の空気が一般市民の間に広まった。

 少なくとも戦争状態が終わるまで、日本の支配は厳しいものになるだろうという気はしていた。ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、この見込みは一変した。大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。


>(1)日本軍による民間人の大量殺害が行われた。

記事は「民間人も殺害」です。
「民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。
とくに警察官や消防士が攻撃の対象であった。犠牲者の多くが銃剣で刺殺されていたが、なかには、野蛮このうえないむごい傷をうけた者もいた。」

警察官や消防士が特に多かったというのは、ありそうな話であり、
現にあった話でもあります。
事実をありのままに記述しているのでしょうね。


>(2)南京市街のほとんど全ての通りには民間人の死体が散乱していた。
 (3)死体の中には老人、女性、子供等、明らかに非戦闘員の死体が混じっていた。

この部分のことですね
「民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を日にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。」

スチールも12月15日記事では
「市内の通りはいたるところに市民の死体や中国軍の装備・兵服が散乱していた。」
と書き、
さらに12月17日の記事では
「また、以下のようなことをも目撃した。
 怯えた一兵士がドイツ国旗の下で這っていた。何百という負傷兵が一人一人の通行人に助けを求めながら道路を這い、びっこを引いて歩いて行った。日本軍将兵が略奪品輸送に使おうと苦力やロバを徴発していた。日本の機関銃隊が月明かりのなか術路を走行し、走る者なら誰でも、またそうでない者をも射殺していった。
 日本軍は虱潰しに家々を捜索していき、多数の便衣兵容疑者を捕らえていた。これら多数の縛られた者たちが一人一人銃殺されていき、その傍らでは同じ死刑囚がぼんやりと座って自分の順番を待っているのであった。
「無力な住民が突き刺される」
 私は、日本軍が無力な住民を殴ったり突き刺したりしているのを見た。また病院では、大勢の市民が銃剣創傷で若しんでいるのを見た。 また街路という街路に死体が散乱しているのを見た。そのなかには人に傷害を与えたとはとても思えない数名の老人も含まれていた。また処刑された男たちの死体の折り重なる山をも見た。」

と、書いていますので、ここまでは自分の目で目撃したと考えられます。
ダーディン記事とはおおむね一致した内容になっていることが解ると思います。


 

返信


これは メッセージ 6198 nmwgip さんに対する返信です


Re:まずは脱線のお付き合い 2) 2005/ 6/26 9:04 [ No.6200 / 15966]

投稿者 :
ja2047



>さて、上記(1)~(3)の民間人大量殺害に関する証言は以下の通り。

はい、あなたによれば、 「こちらの方が多い」 はずの「何もなかった証言」を
集めていただきました。
一つずつ見せていただきましょう。


>・石川達三(「生きている兵隊」作者)
「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」
――そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?
「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」


このインタビュー、石川氏がなくなる間際に電話でなされて、
死後発表されたものだそうですね。
一般には生前の石川達三は次のように述べていたことが知られています。

「入城式に送れて正月私が南京へ着いたとき街上は死屍累々大変なものだった。大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶絶させた。また武装解した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬った。しまいには弾丸を使うのはもったいないとあって、揚子江岸へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるようにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切って河中へつきおとしたり逃げ口をふさがれた黒山のような捕虜が戸板や机に捕まって川を流れて行くのを下流で待ち構えた駆逐艦が機銃の一斉射撃で片っぱしから殺害した。
戰争中の興奮から兵隊が無軌道の行動に逸脱するのはありがちのことではあるが、南京の場合はいくら何でも無茶だと思つた、」
(「読売新聞」1946年5月9日付記事)


>・橋本登美三郎(朝日新聞社上海支局次長)
「南京の事件ねえ。全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話にでるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは互いに話にするし・・・」

それはいいんですけどね。
同じインタビューの中で、こんなことも言ってますね。

―当時の報道規制をどう感じましたか。
「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いてたよ」
(『「南京事件」日本人48人の証言』 P39)

なんか、この時点で、既に少しおかしいように思います (--;  
昭和10年代の戦時期の日本の報道状況について、
「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いてたよ」
と言われて本気に出来ますか?


>・足立和雄(朝日新聞社南京特派員)
「私は南京大虐殺なんて見ていません。」


どういう質問を受けての答なのか、ですね。
足立和夫氏は「見た」ことについてはこう語っています。

「朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった。そこに、日本兵に看視されて、中国人が長い列を作っていた。南京にとどまっていたほとんどすべての中国人男子が、便衣隊と称して捕えられたのである。私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと証言して、助けてやった。そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、私たちの力では、それ以上なんともできなかった。”便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。
「悲しいねえ」
私は、守山君にいった。守山君も、泣かんばかりの顔をしていた。そして、つぶやいた。「日本は、これで戦争に勝つ資格を失ったよ」と。
内地では、おそらく南京攻略の祝賀行事に沸いていたときに、私たちの心は、怒りと悲しみにふるえていた。」
(『守山義雄文集』収録の足立和雄「南京の大虐殺」=守山義雄文集刊行会・一九七五年)


 

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これは メッセージ 6199 ja2047 さんに対する返信です


Re:まずは脱線のお付き合い 3) 2005/ 6/26 9:06 [ No.6201 / 15966]

投稿者 :
ja2047



>・佐藤振寿(東京日々新聞カメラマン)
――虐殺があったといわれますが?
「見ていません。」


見たものはこういうものだったというのが本人の証言です。

「明けて12月14日、前の前の晩は中山陵近くの山上で寒い夜を過ごしたのですが、前の晩は中山門内の中国軍将校の社交機関・励志社の建物で寝ました。しかし、しばらくして他の師団に従軍していた本社の仲間が続々と集まり、中国宿へ移動しました。
 そうこうしていると、支局の連絡員が励志社の先で何かやっていると知らせにきたのです。駆けつけると、大きな門があり、駐軍88師司令部の題字があり、中に入ると、兵営のような建物の前の庭に、中国兵が100人以上、上半身裸にされ後ろ手に縛られている。彼らの前にはちょうど8畳ほどの穴が二つ掘られてあって、一つの穴の縁には中国兵を座らせ、日本兵が後頭部をポンと小銃で撃つと、まるで軽業のように中国兵は一回転してその穴に落ちていった。もう一つの穴のほうでは、着剣した銃を構えた日本兵が中国兵を突き刺し、穴に落としていた。僕はカメラを持っていましたが、それを見て撮らせてくれとは言えなかった。銃殺や刺殺をしていた日本兵たちは逆上していて、常人の顔とは思えず、何か言うと何をされるかわからず怖かった。
 殺された中国兵は、既に穴の中に入っていた中国兵も含めると、300人ほどいたと思う。」
「従軍カメラマンの証言佐藤振寿さん(元東京日日新聞写真部員)」(『毎日新聞秘蔵不許可写真1』毎日新聞社1998年12月30日発行)204頁

「後で仲間にこの時のことを話すと、カメラマンとしてどうして写真を撮らなかったかと反問された。「写真を撮っていたら、おそらくこっちも殺されていたよ」と答えることしかできなかった。
 このような事件を見たのは筆者だけではなかったようだ。東京から第百一師固に従軍するだめ、大阪から同じ軍用船で上梅へ渡った記者伸間に「東京朝日」の足立和雄君がいた。
十二月十六日は晴天だった。社の車を使えたので、南京住民の姿をルポするために市内を走り回った。そして南京城外北東部にある玄武潮の風景写真を撮ったりした帰途、難民区近くを通りかかると、何やら人だかりがして騒々しい。そして大勢の中国の女が、私の乗った車に駆け寄って来た。車を止める助手台の窓から身を車の中に乗り入れ、口々に何か懇願するような言葉を発しているが、中国語が判らないからその意味は理解できない。しかし、それらの言葉のトーンで何か助けを求めていることだけはわかった。彼女たちの群れを避けて、中山路へ出ると多数の中国人が列をなしている。難民区の中にまぎれこみ一般市民と同じ服装していた敗残兵を連行しているという。憲兵に尋ねると、その数五、六千名だろうと答えたので、撮った写真の説明にその数を書いた。」
「上海・南京 見た 撮った  従軍とは歩くこと」 佐藤 振壽(元毎日新聞記者)  


浅井カメラマンについては、具体的な目撃談は発掘できませんでした 悪しからず <(__)>


>では最後に、マクドナルド記者の12月18日タイムズの記事の要約を引用します。

「要約」でないものを引用して下さると有り難いです。
あなたの「要約」は、本人が他で語ったこととかなり矛盾する場合もあるようです。


>さて、#6160の質問に戻りましょう。
 ダーディン、スティールの報じた南京の惨状に関する一致証言者について、何人名前を挙げられますか?
 南京は平穏で死体も少なかったと証言している、名前が判明している日本人ジャーナリスト・文化人の人数を大きく上回るものではないはずですが。


まだ足りませんか?


 

返信


これは メッセージ 6200 ja2047 さんに対する返信です


Re17:[(前略)東中野氏の妄想] 2005/ 6/26 19:03 [ No.6206 / 15966]

投稿者 :
ja2047



>意味不明です。
 東中野教授が1938年1月4日・1月25日現在で、新聞記事のソースを提供できるはずがないでしょう。

つまりこう言うことです。
1月24日の記者会見以降、日本軍が「安全区の混乱は潜伏した中国軍の仕業」
という発表を一切しなくなったということです。
東京裁判の際にも、この「報告書」なるものを証拠に持ち出すとか、
こんなことがあったのだと強調するとか、そういう弁護がなされたという話を聞きません。
したがって、1月24日の記者会見以降、積極的な宣伝はされてしないということです。
この後、積極的な宣伝を展開したのが、東中野センセなのですよ。
「こういう報道があった」という事実の紹介に留まらず、
日本軍の蛮行とされるものは、ほとんどが日本兵を装った中国兵」の仕業だ。
という、すごい推理を展開するのです。
これが、私が「妄想」と呼ぶ所以なのですよ。

たとえばこんなふうに

「他方、東京裁判でマギーが証言したことも興味深い。
<日本の兵隊が家屋に侵入してきた場合には、私達が其処に行きますと、直ぐ日本の兵隊達は逃げたのであります。是は何時も私達は、どう云うわけで自分達が行くと逃げるのだろうと思って不思議がったのであります。>
 しかし、マギーの疑問も、王信労たちの自作自演の掠奪強姦劇を考慮に入れて、「日本の兵隊」を支那の兵隊と読み替える時、たちどころに氷解するのではないか。もし日本の兵隊が行ったのであれば、その犯罪には、それ相応の処分が待っていた。従って、日本兵は、何よりも目撃者の存在を恐れた。そこで、欧米人が来る前に、いち早く逃げたであろう。あるいは、欧米人の姿が消えるのを待って、実行したことであろう。 ところが、そうではなかった。これ見よがしに、欧米人の前で、実行されたというのである。これはおかしい。
 では、支那の兵隊ならば、どうであったろうか。
 彼らは掠奪・放火・強姦を、欧米人に目撃してもらわなければ、所期の目的(煽動)を達したことにならない。しかも、現場に日本軍が急行すれば、逮捕される。長居は無用であったから、欧米人の目撃を確認するや、すぐに姿を隠さなければならなかった。 従って、マギーが呼ばれて駆けつけた時、侵入していた家屋から「直ぐ逃げた」のは、日本兵に扮した支那兵であったのであろう。それを、支那兵ではなく日本兵がやったと信じて疑わないマギーたちこそ、不思議といえば不思議であった。」
(『南京虐殺の徹底検証』 P278~P279)

『南京安全地帯の記録』に出てくる「事例五八」によれば、十二月十七日午後六時頃、ナチスの鉤十字の旗がひらめく自宅にラーベが帰宅したちょうどその時、日本兵二名が入ってきて、そのうちの一人が服を脱ぎ少女を強姦しようとした。そこで、ラーベが出ていくよう命じると、兵士は出て行った、と記す。
 しかし、本当に強姦を狙ったのであれば、なぜ誰もいないときに狙わなかったのか。なぜ「ラーベが帰宅したちょうどその時」を待っていたかのように、ラーベの家に兵士が入ってくるのであろうか。偶然にしては、あまりにもタイミングがよすぎるのではないか。」
(『南京虐殺の徹底検証』 P279~P280)


だから私は言ったのですよ。
武装の有無より、日本の軍服をどうやって手に入れるかが大問題だ、と。
 

返信


これは メッセージ 6196 nmwgip さんに対する返信です


安心しました (^^ 2005/ 6/27 6:21 [ No.6214 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>脱線ではありません

 そうですか、安心しました。

>本当に失礼な人ですね。

せんだって、話題が展開して具体的な話になっていったところ、
>そもそもの論点は何かをすっかり見失っておられるようですね。
と、お叱りを受けましたので、今回は気を使ったのですが・・・・・

>要約ではなく全文をどうぞ。
と言いたいところですが、そんなつまらない揚げ足取りはしません。

私が出したのは「要約」ではなく「部分引用」です。
必要なら全文を出すことはいっこうに構いません。
「要約」は原資料の意味を改変してしまうことがあるので、
あまりしたくないのです。

(3)石川達三
>「読売新聞」1946年5月9日付記事。
 1946年5月9日付? War Guilt InformationProgramの真っ最中じゃないですか。
 こんな時期の新聞記事が証拠になるはず無いでしょう。
 後日の回顧の方が余程信頼できますね。

石川達三は、1937年12月下旬、中央公論会の特派員として、上海、蘇州、南京を訪れ、1月5日に南京に入りました。
そして帰国後、兵隊たちから聞き取った体験談をもとに、これを小説の形で「生きている兵隊」の題名で「中央公論」三月号に発表したのですが・・・・
これが、伏せ字だらけにもかかわらず、捕虜殺害、住民殺害のエピソードの連続。
直ちに「反軍的内容を持った時局柄不穏当な作品」として発売禁止処分を受け、中央公論は回収。
本人は「新聞紙法」違反で起訴されて、禁錮四ヵ月、執行猶予三年の判決を受けたのですね。
それから8年後、戦後になって新聞のインタビューを受けて語ったのが
「入城式に遅れて正月私が南京へ着いたとき街上は死屍累々大変なものだった。」
の記事です。

たとえば、戦時中沈黙していた人が戦後になると急に喋り出す。
あるいは、戦後沈黙を守っていた人が、晩年に自分の体験を語る。
そういうのは、なんかありがちな話なので、理解できます。
だが彼は、生前一貫して同じことを語っている。
周囲の状況に流されてものを言っているようには見えない。
晩年のインタビューについては、
「何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。」
と回答しているのですね。
なるほど、石川が南京の街路で見た死体は「大変なもの」ではあったが、
「何万」とか何十万とかの数ではなかった。
そう言うことなら辻褄が合います。


>>「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いてたよ」
>>と言われて本気に出来ますか?
 >出来ますよ。
 何故出来ないと?所謂大本営発表による情報統制はミッドウェー以降でしょう。
 この時期に日本軍がマスコミを厳しく統制していたという証拠でもあるんですか?

提示済みです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6168
だいいち、他の人の回想には「書けなかった」、「写真を撮っていたら殺されていた」
「撮ったけど切られたものもある」など、いくらでも出てきてるじゃあないですか。

あなた、私の投稿の中身読まずに、自分の言いたいことだけ書いてませんか?


>これも中国兵の処刑風景と便衣兵の摘発風景ですね。
 どちらも広く知られていたことですし、ダーディンが報じたような市民の虐殺ではありません。

ダーディンは「市民も」と言ってるのであり、記事のメインは捕虜殺害になってます。
「南京事件」における「虐殺」とは「無抵抗の軍民の殺害」というのが定義ですし、
市内における市民の被害の過半は兵士とみなされて連行・殺害されたことによるものです。

ひょっとしてあなた12月13,14日時点での街路での市民の死体に話を絞って
論じているおつもりですか?
それならそう明言して下さい。
石川達三を出されても困りますし、まして橋本登美三郎を出されても
何の裏付けにもなりません。


>私は誰かに活動費を貰っている訳ではありませんので、Timesの縮刷版を当たれと言われてもはいそうですかと言うほど自由は利きませんので。

あなたが「活動費を貰った工作員」かどうかなど、ネットでは確認のしようもありませんし、
私にはどうでもいいことです。
出所が不明確で、元の資料になんと書かれているかが曖昧な資料で議論しないで下さい
とお願いしているだけなのです。


今朝は時間切れなので、ここまでで

返信


これは メッセージ 6207 nmwgip さんに対する返信です


Re:でもやっぱり、東中野説は妄想 2005/ 6/27 19:39 [ No.6232 /15966 ]

投稿者 :
ja2047



>東京裁判で1/4ニューヨークタイムス、1/25チャイナプレスの記事が証拠として提出されなかったからといって、当事者達がそれを信用できない物と考えていた証拠にはなりません。

う~ん、 それが、法廷戦術に留まらず、「攪乱工作隊の暗躍」について
記録を残したり、証言として語った人が、だーれもいないんですよ。
東京裁判後も。

>また、当該記事と直接関係のない
(『南京虐殺の徹底検証』 P278~P279)及び
(『南京虐殺の徹底検証』 P279~P280)
 の記述にツッコミ所があるからといって、1/4ニューヨークタイムス、1/25チャイナプレスの記事の信頼性が損なわれる訳でもありません。

はいはい、やはり東中野センセの所論は突っ込み所があるとのお考えですか。


>なお、日本兵の軍服の入手など極めて容易であったことを追加しておきます。
 死体からはぎ取れば良いんですよ。
 日本軍にも大量の戦死者が出たんですから。

南京戦における日本側戦死者は2000名程度と推定されています。
総兵力20万ですから、1/1000ですね。
大規模な作戦としては全くのワンサイドゲームです。
しかも、常に日本側の攻勢で推移して、押しっぱなしのわけで、
前線の向こう側、中国側勢力圏内に日本兵の死体が残されたケースは
記録にはほとんど出てきません。
きわめてまれだったと推測されます。

しかも、ほとんど手に入らなかったはずの日本の軍服を、命が惜しい
がために、自分たちの軍服や武器をうち捨てて逃走しようとした
中国兵がちゃんと持っていたというのは、相当無理のある主張です。

日本側発表でも日本の軍服を押収したという記録はありません。
問題の新聞記事にも、武器を押収したとは書いてあるが、
日本の軍服を持っていたとは書いていない。

記録にもなく、状況から見ても可能性がきわめて低いことを
「こうすれば出来るだろう」と言ってみても、推測の上に
推測を重ねるだけで、どんどん事実としての裏付けがある
議論から離れていくだけです。

あまり意味のあることとは思えません。

 

返信


これは メッセージ 6208 nmwgip さんに対する返信です


>>石川達三 2005/ 6/27 19:53 [ No.6233 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>日本軍を誹謗・中傷するような不適格な小説を書けば当然では?

そう、当時は軍に対する批判は厳罰というのが当然だったのです。
犯罪情報計画氏の
「この時期に日本軍がマスコミを厳しく統制していたという証拠でもあるんですか?」
に対する格好の反証ですね。

>まず、この本を頭から否定するのでは無く、読んでみれば、特別南京事件を肯定しているであるとかそういう類のものでない事は判明するだろう。
 南京事件肯定派の主張が如何に、馬鹿馬鹿しいものであるか判明する作品と言えよう。一読をおススメする。

松尾さんが何を思ってこういう記述をしたのかは不明だけど、
「生きている兵隊」という作品の意義は、こう言うことなんですね。
昭和10年代の前半には、すでに、軍の行動の実態を問題意識を持って
描写することは許されておらず、報道関係者は軍の不利は、ほとんど
報道しなかったこと、また、あえて書いたものは、出版停止のみならず、
本人の身柄が直接拘束されて、罰を科せられたという事実を示している
点に意義があるのです。
事実を書いたものは容赦なく弾圧されたという実例なのですね。

フィクションという形を取ってはいるものの、その内容がかなり事実を
含んでいたことは、他の参戦者や従軍者の日記、証言等と一致する事柄が
多いことから知られます。

もちろん、この作品から「南京事件」の全容を解明することなどできよう
はずもありません。
松尾さんのコメントは、例によって「的はずれ」なものです。
せっかく半年ぶりに復活させた掲示板を大あわてでたたむ羽目になるのも
無理もないです。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=299;id=sikousakugo#299


なお、余談ですが、表紙に写っている兵の後ろ姿で、被っている「鉄帽」の
下に覗いている白っぽい半円形のものは、内帽代わりに後ろ前に被った
「略帽」のつばです。
http://popup5.tok2.com/home2/nishio88/nanking/books_ikiteiruheitai.html
小林よしのりが「戦争論」の中で、徐州作戦で日本軍の士官が溝に捨てられた
中国人の死体を見下ろしている写真を捉えて、
「この鉄兜の後ろから覗いているものは米軍ヘルメットの内帽である」
と断定し、全国の戦史マニア、軍装マニアの失笑を買ってから久しいですが
未だに本はそのまま売られています。
(そもそも1938年には、まだ米軍はM1を採用してねーよ)

ここにもガセネタをそのまま信じている人がいるかもしれないので、
ちょうど判りやすい写真が出たついでに、説明しておきます。


 

返信


これは メッセージ 6220 jun2003sasa さんに対する返信です


あ、計算間違えてる。 2005/ 6/27 21:03 [ No.6237 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>南京戦における日本側戦死者は2000名程度と推定されています。
総兵力20万ですから、1/1000ですね。

恥 (--;;

返信


これは メッセージ 6232 ja2047 さんに対する返信です


>>>>石川達三 2005/ 6/28 6:33 [ No.6247 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>>そう、当時は軍に対する批判は厳罰というのが当然だったのです。
>誹謗・中傷と批判の違いもご存じないようですね・・・・

>>事実を書いたものは容赦なく弾圧されたという実例なのですね。
>誹謗・中傷と事実の違いもご存じないようですね・・・・


何が「批判」であり、何が「誹謗中傷」であるか。
これを、権力を持つ側が一方的に決めることが出来る仕組みを
「言論統制」 というのです。

戦後の日本は、「権力に対する批判」に比較的寛容であり、
今日の中国は「権力に対する誹謗・中傷」に敏感であることは
あなたも否定しないと思います。


>例えば、これでしょうか・・・・
<日本軍の将校が、路上で十一、二の少女に拳銃で撃たれて即死したことからこの事件がおこった。>

この事件について「他の参戦者や従軍者の日記、証言等と一致する」例はまだ見たことがありませんが、
ご存じなら教えて下さい <(_ _)>

進撃途中ならこういうのがありますが。
「抗日排日の教育で手榴弾かくして持って、宿舎に入ってきたのが子どもですやろ、こっちは油断しますわな。寝てる所に放り込まれるのが再々あってね。「子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺してしまえ」と聯隊長の命令がでました。」
第16師団第9連隊 福田治夫


私が言うのは、たとえばこれです。
石川達三:
「しまひには弾丸を使うのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり、」
白井茂カメラマン:
「そこへいくと、海軍の方はスマートというか揚子江へウォーターシュートみたいな板をかけて、そこへいきなり蹴飛す。水におぼれるが必ずどっか行くと浮く、浮いたところをポンと殺る。揚子江に流れていく。そういうやりかただった。」

石川達三:
「『一般住民でも抵抗するものは容赦なく殺してよろしい』といふ命令が首脳部からきたといふ話をきいたことがある」
第六師団参謀平岡中佐:
「第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。
 当時第六師団高級副官であった中佐平岡力(のち少将、鹿児島県護国神社奉賛会常務理事)は「こんなバカな命令があるか」の一言のもとにケ飛ばしてこの命令は宙に消えたままだったが」
平松鷹史「郷土部隊奮戦史1」(大分合同新聞社) P405

返信


これは メッセージ 6239 jun2003sasa さんに対する返信です


事実はかなり見えてきたのでは? 2005/ 6/28 6:35 [ No.6248 / 15966]

投稿者 :
ja2047



>まず再確認です。
>上海爆撃に関する中国の政治宣伝と、ニューヨークタイムスの報じた撹乱工作中国兵の摘発記事は、同列に扱うことは出来ない、という結論についてはよろしいですね?

同列ではありません。
上海の市街地に爆弾が落ちたのは確認された事実ですが、
中国兵が外国人教授達の前で「攪乱工作」を自白したというのは
確認された事実ではありません。
共通するのは、両方ともそれを宣伝に利用しようとしたらしいという
ことだけです。

>次にダーディンの記事の件です。貴方と議論をしていると3回に1回くらい同じ事を言っているような気がするのですか、当初の論点を忘れていませんか?

ここだけ全面的に同感ですね。 同じことの繰り返しになるという点は。


>このダーディンの記事に関する議論は、中国兵による撹乱工作の記事には傍証が無いから信頼性が無いという貴方の見解に対して、傍証が無いという意味ではダーディンの記事も同じだ、という私の反論から始まっています。
 だから貴方がすべきことは、ダーディンの記事を否定する証言を圧倒的に上回る量の、補強証言を挙げることです。

だから、もう少し論点を絞りましょうと言っているのです。
ダーディン記事を補強する証言は、既に圧倒的な量が出ているのですが、
あなたがそれを認めようとしないだけです。
論点を曖昧にしたまま、あれが気にくわない、これがおかしいと、
思いつきで否定的な捉え方だけをピックアップしていけば、いくらでも可能です。

ダーディン記事は、大規模な捕虜の殺害と、一部民間人の犠牲を取り上げた
ものですから、全体を補強する証言、記録を紹介しているのです。
12月13,14における街路上の民間人の死体について話を絞って
検証するならそれも良いでしょう。

でも、そうじゃないですね?
>私は最初から1937.12.18付のダーディンの記事の信憑性について論じています。
と、言われるのですから。

私はダーディン記事は全体として信憑性が極めて高いと思いますが、
全て間違いないというものではないでしょう。
どこを問題にしているのかは明確にして下さい。
http://www.geocities.jp/yu77799/durdin

>>たとえば、戦時中沈黙していた人が戦後になると急に喋り出す。
>>あるいは、戦後沈黙を守っていた人が、晩年に自分の体験を語る。
>>そういうのは、なんかありがちな話なので、理解できます。
 >こう申し上げては何ですが、上記の見解は貴方の憶測に過ぎません。

あのー、 これが客観的な事実の記述に見えますか?
あくまで、私の理解を述べて、これは不自然な理解ではないと思う
という話をしているのですから、どこまで行っても私の認識する
自然な理解という話でしかありません。

「憶測に過ぎません」と言ってみても、まるで話が噛み合ってませんが。


>報道の自由度について、五島広作氏の記述を証拠としたいご様子ですが、この記述は単に熊本第六師団の参謀が暴走したというだけです。これが日本軍全体のスタンスであったとする証拠はありません。

なぜ、石川達三は逮捕されたのでしょうか?


 

返信


これは メッセージ 6240 nmwgip さんに対する返信です


でりちゃん、ご無沙汰 2005/ 6/28 6:45 [ No.6249 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



最近、時間が足りないので、新鮮みのない人は後回しになってるんだ、 ごめんね。

>別に南京戦に限定する必要はない。
上海戦など、それ以前の戦闘で戦死した日本兵はもっと多数存在する。

それを回収して保管しておく余裕が上海から大敗走する中国軍にあったかなあ。
まして、南京守備軍が崩壊したときに、武器を放り出して、
自分の軍服さえ脱ぎ捨てて、逃げる中国兵が、そんなものを持って逃げたんだろうか。

どんどんあり得ない話になって言ってるんだが (^^;
いや、どんなとんでもない話も「あり得ない」わけじゃあない、
「あり得る話」であり、信ずれば、容易に「ゆるがぬ事実」になることは、
でりちゃんを見てれば、よく解る (-- うん


>いちいち日本軍の軍服を押収したことを記録すことのほうが不自然極まりないと思う。

あ、「自然かどうか」という話を始めると、誰もでりちゃんには勝てないのだから、
ここは、記録の裏付けのある事実かどうか、という話をしようね (^^;

 

返信


これは メッセージ 6244 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


ワケわからんくなってきたな 2005/ 6/28 20:30 [ No.6255 / 15966]

投稿者 :
ja2047



どーやって、コレ全部いっぺんに相手すればいいのかな
考えちゃうなあ  (^O^;


議論1.(中国万歳氏)
「おいっ 中国の常識のどこが勘違いなのか言ってみろ。」

議論2.(佐々淳氏)
「反抗的だったり、兵隊が紛れ込んだりしたら、市民を殲滅しても正当だ、
 反軍的な誹謗中傷が取り締まられるのは当然だ。
 どこがいけないんだ。」

議論3.(戦争犯罪情報計画氏)
「ダーディン記事のように市民を殺したという証拠がどこにあるんだ。
 軍が言論を取り締まってたという証拠がどこにあるか、
 報道は不自由ではなかったんだ。」

議論4.(でりちゃん)
「便衣兵が日本の軍服を持っていてもアタリマエだ。
 軍服を脱いで武器を捨て逃げた中国兵でも日本の軍服だけは持っていたんだ。
 そう考えるのが自然だ。」


マーぼちぼちやります (^^

返信


これは メッセージ 1 the_super_aikokusyaさんに対する返信です


>>>>>>石川達三 2005/ 6/29 6:21 [ No.6269 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>>>例えば、これでしょうか・・・・
<日本軍の将校が、路上で十一、二の少女に拳銃で撃たれて即死したことからこの事件がおこった。>
>>この事件について「他の参戦者や従軍者の日記、証言等と一致する」例はまだ見たことがありませんが、
ご存じなら教えて下さい <(_ _)>
>>進撃途中ならこういうのがありますが。

>進撃途中も何も十分一致していると思いますが・…

ということなので、「生きている兵隊」の該当ページを捜してみたら、
これは12月4日、春容でのエピソードとして描写されており、
南京入城後の話ではありませんでしたね。

進撃中に「女子供も皆殺せ」という命令が伝えられたというのは、
おそらく10月に出された「第十軍参謀長注意事項」中の文章
「七、支那住民対スル注意
 北支殊ニ上海方面ノ戦場ニ於テハ一般ノ支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ、或イハ日本軍ノ位置ヲ敵ニ知ラシメ、或イハ敵ヲ誘導シテ日本軍ヲ襲撃セシメ或イハ日本軍ノ単独兵ニ危害ヲ加フル等寔ニ油断ナリ難キ實例多キヲ以テ特ニ注意ヲ必要トス、殊ニ後方部隊ニ於テ然リトス、斯ノ如キ行爲ヲ認メシ場合ハニ於テハ些モ仮借スルコトナク断固タル處置ヲ執ルヘシ」
にある、
「女子供といえども油断がならないので、怪しい行動をしたものは容赦することなく断固とした処置を取れ」
が、伝言ゲームのようにして → 「女子供も容赦するな」 → 「女子供も皆殺せ」 
になったケースがあるのではないかと思います。

結局、南京入城後には、将兵が住民から攻撃された事例は確認されたことがないし、
「女子供も皆殺せ」と言うような命令が出たこともない、ということでよろしいかと思います。

「生きている兵隊」の内容については、私も「ある」ということを知っているだけに近く
これ以上のコメントもできませんので、一度「部隊」のモデルになった「歩三十三連隊」の
公刊戦史とか、兵士の証言集と読み比べてみようと思います。


>敗残兵の掃討は問題ないのでは?

摘出して拘束する分には、全く正当な行為です。
捕まえる端から殺害したら「捕虜虐殺」の疑いが掛けられるのは
やむを得ません。
戦争に勝ってるうちは、何とでも押し通せるのですが、負けたら
非難されることになります。
もちろん負ける予定で戦争する国はないですが、あんまり
やばいことはしない方がいいです。
そのための戦時国際法なんですから。

 
 

返信


これは メッセージ 6250 jun2003sasa さんに対する返信です


やはり、考えにくいのじゃあないかな 2005/ 6/29 6:24 [ No.6270 /15966 ]

投稿者 :
ja2047



>そんな奴らが日本軍戦死者から軍服をかっぱらうことが、どうして「あり得ない話」なのかね?

その場で思いついてから準備したのではなくて、
ずっと前から持ってたものを使ったというのなら
中国側には日本の軍服の参考品は確かにあった。

中華民国陸軍被服と交換の為帝国陸軍被服交付の件
(大日記乙輯昭和12年)
「弐第三一八八号中華民国陸軍被服ト交換ノ為帝国陸軍被服交付ノ件番号経被甲第二七三号 受領十二月九日副官ヨリ陸軍被服本廠長ヘ通牒(陸普)首題ノ件ニ関シ駐日中華民国大使館附武官ヨリ交換方申出アリタルニ付別紙ノ被服ヲ貴廠ヨリ同武官室宛送付相成度依命通牒ス」

昭和11年の末に研究のため正規に軍服の交換をしているので、死体から回収するまでもなく、
中国側は日本軍の軍服は持っている。
ソースは「アジア歴史資料センター」のレファレンスコード:C01006916600 だ。

しっかしなあ、でりちゃんに資料の存在を教えると、自分に都合のいいことだけ
つまみ出して、すぐ自説の補強に使ってしまうものなあ。

たぶんこれも、次回は「攪乱工作の証拠」に化けてしまうのだろうな。
下手すると、複製を製造していた証拠にされるかもしれんな ε= (- -;) 


で、問題は、中国側が日本の軍服を持ってたかどうかよりも、
「南京守備軍が崩壊したときに、武器を放り出して、自分の軍服さえ脱ぎ捨てて、
逃げる中国兵が、そんなものを持って逃げたんだろうか。」
という方にあるのだけどね。

可能性はゼロでないという話をしだすと、どんな可能性でもあるんだよ。


 

返信


これは メッセージ 6264 deliciousicecoffeeさんに対する返信です


インクで書かれた従軍日記 2005/ 6/29 6:26 [ No.6271 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



インクで書かれたものも存在するのは間違いないのですね、
インクで書かれたケースがどれぐらいあるのかまでは確かめてないですが。
http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/heisonota.html
 

返信


これは メッセージ 6265 nmwgip さんに対する返信です


同列に確認された事実ではないですね 2005/ 6/29 6:29 [ No.6272 /15966 ]

投稿者 :
ja2047



>(1)上海爆撃に関する中国の政治宣伝は虚偽に基づく悪辣なものだった。

合意点を探るつもりなら、価値中立的な言葉を使った方がいいですよ。
報道・宣伝が虚報であったかどうかは事実として結論が出ますが、
「悪辣」という言葉を使うと、「悪意の立証」が必要になるので難しいです。
(ま、戦争やってるんだから、お互い敵意はあるし、悪意もあるだろうけど)

「悪辣」という言葉を用いたあなたの「悪意」を除いて、同意します。


>(2)NYタイムスの撹乱工作記事のソースは日本軍だった。

その疑いが濃いし、そう考えるのが合理的な推論だと思います。
ただし、世の中には「合理的」かどうかの判断基準が、方法論よりも
結論の方にある人がいます。
私としては、その疑いが濃いと思います。


>(3)日本軍の発表が虚偽であったという証拠はない。

「対外宣伝に利用しようとした」 言えるのはここまで。
ただし、日本側に記録、証言が全く残っていないことから
「対外宣伝」のためだけに作られた資料だったという疑いが残る。


>(4)従って、撹乱工作に関する報道が政治宣伝であったとしても、虚偽を吹聴した中国の政治宣伝とは同列に論じられない。

これは、難しい。
先に述べたように、「宣伝」の機会にしようとしたことは同じ。
事実の存在は、上海に爆弾が落ちたことは他の資料で確認出来る。
「攪乱工作」は他に確認した人がいない。
事実はここまでです。


(5)南京では日本軍が先に虚偽に基づく政治宣伝をした、という確認された事実は無い。

政治宣伝を先にやったことまでは事実でしょう。
「宣伝」という言葉にはいきなり「虚偽」の匂いがつきまとうが、
自分に有利なように世論を誘導しようとすること自体は、
戦時だから当然やります。

「攪乱工作」の存在については、今日、事実とも虚偽とも判定は付きません。
「東中野説は妄想」、言えるのはここまででしょう。
でりちゃんの方はコレ合意してないけど、
「小林よしのりの記述は、ここまで書いたらおかしい」までは理解して貰った。

ここで時間切れ、続きはまた次の機会に。


 

返信


これは メッセージ 6256 nmwgip さんに対する返信です


>>>>>>>>石川達三 2005/ 6/29 20:37 [ No.6279 / 15966]

投稿者 :
ja2047



>>「女子供といえども油断がならないので、怪しい行動をしたものは容赦することなく断固とした処置を取れ」
>特に問題ないと思いますが・…

この通り伝わってればいいのですが、どうも「女子供も容赦するな、皆殺せ。」
というように聞いた人が複数あるのですね。
これは書いた側にも問題があるんですが・・


>>結局、南京入城後には、将兵が住民から攻撃された事例は確認されたことがないし、
「女子供も皆殺せ」と言うような命令が出たこともない、ということでよろしいかと思います。

>「女子供も皆殺せ」と言うような命令が出たこともないのに、石川が小説に書けば、日本軍を誹謗・中傷するような不適格な小説とされるのは当然では?

あのね  (--;
石川はそんなこと書いてないんです。
“「抵抗するものは庶民と雖も射殺して宜し」という指令が軍の首脳部から伝達されたのはこの事件の直後であった。”
という記述を南京入城後のものであるかのように書いたのは、石川達三じゃあなくて、
jun2003sasaさん、 あなたなんです。
石川達三は、これは南京入城前の12月4日の春容での出来事だと書いているんですよ。
進撃途中のことです。


>「女子供も皆殺せ」と言うような命令が出たこともないのに、○○が小説に書けば、日本軍を誹謗・中傷するような不適格な小説とされるのは当然では?

よかったね、 jun2003sasaさん、 今が昭和13年でなくて。
あなた、虚偽を書いたと言うことで、タイホされてますよ、昔なら。


>捕まずに敗残兵を掃討していく分には、全く正当な行為では?

身柄を拘束して、抵抗力を奪った後に殺すと、建前上は国際法違反です。
抵抗力があるうちに殺せばいいわけで、この辺当時の日本軍は区別なしに
兵器で殺してるのが、あとで問題になったわけです。


>>戦争に勝ってるうちは、何とでも押し通せるのですが、負けたら
非難されることになります。
>理解できませんが・…

私も、そういうのが正しいと言ってるのではないんです。
それが現実に起こったことだというのは、理解できますよね?


 

返信


これは メッセージ 6274 jun2003sasa さんに対する返信です


では、脱線のお付き合い 2005/ 6/29 20:42 [ No.6280 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>> なぜ、石川達三は逮捕されたのでしょうか?

>石川達三の起訴理由は「虚構の事実を恰も事実の如くに空想して執筆したのは安寧秩序を紊すもの」です。誇張や単純化が甚だしかった、という意味でしょう。

あのね、こう言うときに、抑圧的な政権が「事実を書いたのは犯罪行為である」って
言うと思いますか?
本気でそう思ってます?


>大体彼の書いたものはフィクションですよ。フィクションに誇張や単純化はつきものです。それが咎められたからといって、報道の自由が全面的に無かったという証拠になるとは考えられないですね。

ソルジェニーツィンやパステルナークの書いたのは、ありゃあ小説ではなかったですか?
だから、ソ連には報道の自由があったという人がいたら、私信用しませんが。


>それから、石川達三については松原正早稲田大学名誉教授が、彼自身の興味深いコメントを紹介されています。

これ、面白いな。
一昔前の「保守派」の面目躍如ですね。
これはもう少し考えてみたい。
私は、左翼が韓国嫌いで保守派が韓国に同情的であった時代を示す
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/MATSUBARA/DogiFuzai/3_2.html
とか、
保守派の立場で無責任な右翼的言動を批判する
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/MATSUBARA/DogiFuzai/2_2.html
が面白かったです。
このセンセ、気に入りましたね。

これはちょっと研究課題というか、少し考えてみようと思います。


なお、「生きている兵隊」あとがきには、半藤一利氏が、石川達三氏のことを
いかにも硬骨漢であるかのように書いていました。

そこに、本人の回想にはこう書いてあることが紹介されていました。
「小便くさい貨車に便乗して上海から南京へゴトゴトゆられて行きました。南京市民は難民区に収容され、町の中にはゴロゴロと死体がころがっていて、死の町という言葉がピッタリでした。はじめて目撃した戦場は、ショックでした。」

これも、元の記述を探してから考えてみたい、それから、結果を報告しましょう。

ちゃんと確認しないと、その場限りの話にしてもしょうがないですからね (^^

 

返信


これは メッセージ 6257 nmwgip さんに対する返信です


ま、冷静さは大事です 2005/ 6/30 6:31 [ No.6290 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>撹乱工作報道が日本軍の宣伝であった、というのは「事実」ではありません。
 状況から推定した、高い可能性を有すると考えられる推論です。

「宣伝」というのは必ずしも虚偽であるとは限りません。
そういうことをアピールしようとしたのは事実ですよ。
情報合戦というのは虚偽を以てなされるよりは、
事実を以てなされる方が力があるのですから、
宣伝として有効であることが、虚偽であるとは限らないのです。
残念なことに、1月24日の日本軍の発表は空振りに
終わったようですが。

>事実は
(1)中国政府が日本軍の仕業だと宣伝した上海爆撃は中国軍の仕業だった
(2)元中国兵による撹乱工作がNYタイムス及びチャイナプレスで報道された

(2)は、日本軍の発表によるものだから、日本側は宣伝しようとしたのです。

>「事実」という言葉を自分の都合のいいように使い分けないで下さい。

あなたは「宣伝」という言葉には「悪辣な」という枕詞が付き物だと思うから、
無意識にこれを外したくなるのですよ。
価値判断を伴う言葉を文章の上からも頭の中からも外した方が、
冷静に事実を見ることが出来ますよね。


>東中野説を否定する証拠は何一つありません。

さすがに安全区での日本兵の脱線行為の大半が
「日本兵に化けた攪乱工作隊」の仕業だというのは
無理があると思います。

肯定する証拠もないが、否定する証拠もない、といって
無理のある説を許容していたら、世の中妄説を唱えたものの勝ちです。


 

返信


これは メッセージ 6281 nmwgip さんに対する返信です


陣中日誌、陣中日記、従軍日記 2005/ 6/30 6:32 [ No.6291 / 15966]

投稿者 :
ja2047



>従軍日記は従軍記者が記録する日記じゃなかったっけ?
 陣中日記でしょ?

本来は「陣中日誌」が、隊の正式記録として付けられる日誌。
個人が付けるものは陣中日誌、陣中日記、従軍日記など、
本人が勝手に呼んでいるようです。
兵籍にあるものの行動も「従軍」と呼ばれることは多いです。
http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/heisonota.html
ここにも「従軍兵士用日記帳」、「従軍手帳」が出てきますね?


>出版された陣中日記には平気で作戦行動が書かれているのですが、一兵卒の日記に作戦行動を記録することは認められていたんですか?

日本兵はやたらに日記を付けるので、捕虜や戦死者から取り上げた日記で
部隊行動が丸わかりだと、アメリカの情報将校が呆れたというエピソードが
ありますね。
ちょっと出典は忘れましたが。

>いえ、そもそも将官や佐官ならともかく、伍長や上等兵に陣中日記をつける慣習があったんですか?

膨大な数の個人日記が発掘されていますよ。
ことが南京戦になった途端に、「捏造」を疑う人がいるのですが、
全て捏造とも思えません。
そもそも、日記を付けていること自体があり得ないのなら、
あり得ないものを大量に捏造するバカはいませんし、
歴史学者や戦史家が、それをいちいち本気にするわけない
じゃあないですか。


 

返信


これは メッセージ 6282 nmwgip さんに対する返信です


考えにくい、の根拠 2005/ 6/30 6:33 [ No.6292 / 15966 ]

投稿者 :
ja2047



>南京守備隊が軍服を捨て武器を放り出して逃げたのは、中国兵である身分を隠すためです。
 取るものもとりあえず算を乱して逃げ惑った訳ではありません。
 軍服を脱いだ中国兵が裸で逃げ回ったとでも言うんですか?

「取るものもとりあえず算を乱して逃げまどった」というのが事実であり、
「軍服を脱いだ中国兵が裸で逃げ回った」というケースもあったことを
目撃者の記録から引用しようと思ったのですが、ここで時間切れです。

次の機会に。

返信


これは メッセージ 6283 nmwgip さんに対する返信です


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