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嘘2005年7月16~31日(ワープロモード)

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南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘 200607 後半
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=l&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=&start=6563

写真はあんまり証拠にならない 2005/ 7/16 7:40 [ No.6586 /16197]

投稿者 :
ja2047



xiaozhou8811さん

>昔の日本人はこういうものです、勇気があるなら見てください。怖がらないで全部日本人ですよ、
http://photo.163.com/openalbum.php?username=1984hgf&_dir=%2F5642370

出所が明確なもの、不明なもの、虐殺期の南京で撮られたことが確認されているもの、
明らかに時期、場所が違うもの、様々です。
xiaozhou8811さん引用のページで言えば、日本兵の撮影したものが経路不明で
中国側に流れたと推定されているものが多い。
何点かは日本側撮影者が特定できるものもあります。

全体として中国大陸で日本軍の残虐行為がある程度あったことまでは、推定されますが、
ここで話題になっている、「南京で何十万もの不法殺害があったか」については、
決定的な証拠にはなりません。

南京事件に限らず、歴史上の事件は、「写真で証明されている」わけではありません。


 

返信


これは メッセージ 6573 xiaozhou8811 さんに対する返信です


勉強家のでりちゃん 2005/ 7/16 7:41 [ No.6587 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>写真は偽造だよ。
当時から支那兵や馬賊による虐殺シーンやスタジオで特撮された写真やフィルムが、日本軍の仕業に置き換えられ、頻繁に宣伝で使用されていたんだよ。

「偽造」が明確になった写真というのは知らないな。
出所の曖昧さや、誤用が指摘されている写真はあるが。
特に「スタジオで特撮された写真やフィルム」ということが明確になったものは
劇映画とか再現映像からの誤引用を除いてはその存在を知らない。
xiaozhou8811さん引用のページで言えば、日本兵の撮影したものが経路不明で
中国側に流れたと推定されているものが多い。


あまりデタラメを書き込まないように。

返信


これは メッセージ 6583deliciousicecoffeeさんに対する返信です


jumo0008さん 2005/ 7/16 9:56 [ No.6595 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



1.2.の写真の考証について言えば、たぶんそのとおりだと思うのですが、


>3.これはCNNに掲示されてる、上海事変時に来ていた、スイス人写真家が撮影した、国民政府軍による、日本兵捕虜とその協力者を拷問処刑してる写真です。

3.についてはCNN記事は鵜呑みにはできません。
シメンス家では、1937年の上海事変の写真と伝えられているのでしょうが、
上海事変において日本人捕虜が街頭で処刑されたというような事件は知られて
いませんし、処刑を行う警官らしき人物の軍帽が1930年代の第二次大戦前夜の
ものとは思えず、第一次大戦前後のものと考えられます。

じつは、この一連の写真は、シメンス家所持のもの以外にも存在することが
広く知られており、上海における蒋介石のクーデターの写真らしきものとか、
刑事犯の街頭処刑の写真とかが混入していることが確認できます。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=26302&range=1
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=26325&range=1

返信


これは メッセージ 6593 jumo0008 さんに対する返信です


いちお、日本人ですが 2005/ 7/16 15:27 [ No.6599 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>まだ侵略されたら謝罪だけですまないぞ、何倍何十倍痛めてやるから、


こういう軽率なことを中国人代表として言われるとしたら、
あまり感心しませんね d(^^

日本は侵略「した」ことに対しては、公式には「謝罪」しているわけですからね。

この上、侵略「された」時まで、謝罪させられたのでは、
たまったものではありません (^^;

そりゃあちょいと堪忍して欲しいです (^o^;;

返信


これは メッセージ 6598 xiaozhou8811 さんに対する返信です


とにかく現物で検証しなくちゃ 2005/ 7/16 20:32 [ No.6610 /16197]

投稿者 :
ja2047



>彼の引用HPの写真は真剣に見てないし、

なるほど、真剣に見てないと、いうことか

>見ても詳しいことは知らない。

なるほど、真剣に見ても、詳しいことは知らないので
判らないと、いうことか。


>朝日新聞の「宇和田日記捏造事件」の「写真でっち上げ」などでも分かるように

写真の誤用は確かみたいだが、これって、
「馬賊による虐殺シーンやスタジオで特撮された写真」だったっけ?


>「南京大虐殺」のマトモな証拠写真がないことから、彼の引用HPに偽造写真も含まれているものと思った。

あのね、論証の順番があべこべなんだよ。
具体的な個々の写真が、すべて偽造とか誤用であれば、
「南京事件にはマトモな証拠写真がない」という結論が出る。
しかし、
「南京大虐殺のマトモな証拠写真がないから、南京大虐殺の写真は偽造である。」
という理屈はないだろう。

それって、「今日はお休みしたので、頭が痛かったのです」とか、
「会社に遅刻したので、電車が遅れました」 とかいう論理じゃあないのかな?


>ただ、戦時下における写真の偽造というのはあったのだ。

よし、話が面白くなってきた。

>第1次大戦中、仏報道局には合成化学写真部という部門があり
>同様のことが他の国々においても行われたことは疑うべくもない。

で、国民政府には「合成化学写真部」と言うようなものがあって、
そこで作られたことが明らかになっている写真があるのかね?
あったら後学のために見せていただきたいものだ。


>これとほぼ同時期に外国の諸新聞は一枚の写真を掲載したが、それは1人の中国人女性が目隠しをされて縛り上げられ、日本兵の銃剣突撃の標的にされている光景であった。この兵士の顔つきは日本人ではなくてまきらかに中国人の顔つきそのものであった。

日本人の顔と中国人の顔って、写真見ただけで明確に判るものなのかい。

たとえば、この写真の兵隊はどこの国の兵隊だと思う?
http://www.warbirds.jp/heiki/neta/tetsukabuto/tetsu_05.jpg


>日本陸軍の高橋大佐はニューヨークから来た報道員にこの写真を付きつけられて問い質された時、次のように答えている。
 「我々が普段訓練を受けている日本軍兵士の手法は、写真に写っているような手法と全く異なる。我々は銃剣突撃を腰から上段に構えて行う。日本軍の兵士はこの写真に写っているようなやり方で銃剣を使わない。もしも日本軍の兵士がこの写真の人物のやっているような姿勢をとれば、彼は上官から処罰されるだろう。」

じゃあ、高橋大佐によれば、このライフ誌1937年10月11日号の写真の銃剣刺突は、
本物の可能性があるわけだ。
http://hist1937.hp.infoseek.co.jp/photosnail/LIFE371011s.jpg
“我々は銃剣突撃を腰から上段に構えて行う。” に、ちゃんとなっているからね。

だけど、この写真も高橋中佐(たぶん、高橋担、終戦時中将、昭13・3・1大佐陸大38 )は
ニセモノだと言ってるね。
“Last week the above pictures appeared in U.S.newspapers,shockedesensitivereaders,brought angry denials from Lieut.Col.T.Tokahashi of theJapaneseArmy,”


>「これとほぼ同時期に外国の諸新聞は一枚の写真を掲載したが、それは1人の中国人女性が目隠しをされて縛り上げられ、日本兵の銃剣突撃の標的にされている光景であった。」

その写真、ぜひ見たいな。
戦時中の新聞記事を鵜呑みにしても話にならない。
いろいろな人が、いろいろな思惑で発言しているからね。

どこかで探しておいてくれ、いっしょに検証してみようじゃないか。

 

返信


これは メッセージ 6609deliciousicecoffeeさんに対する返信です


そうか、 くだらないのか 2005/ 7/17 6:51 [ No.6622 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>くだらない

うん、読んでみたらタイトル通りの内容だった (^^


>>写真の誤用は確かみたいだが、これって、
>>「馬賊による虐殺シーンやスタジオで特撮された写真」だったっけ?
>朝日新聞が日記捏造事件で使用した「斬首された首がゴロゴロ並べて撮られた馬賊の首写真(土産物)」がスタジオで撮られたなんて言っていないが。

「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」の写真は、「馬賊による虐殺シーン」でも
「スタジオで特撮された写真」でもないと言うことでよいね?


>>具体的な個々の写真が、すべて偽造とか誤用であれば、
>>「南京事件にはマトモな証拠写真がない」という結論が出る。
>>しかし、
>>「南京大虐殺のマトモな証拠写真がないから、南京大虐殺の写真は偽造である。」
>>という理屈はないだろう。
>南京事件のマトモな証拠写真って、1枚でもあったの?

矛先を転じたところを見ると、自分の言ってることが論理的におかしい
ということには気付いたみたいだね。

私は繰り返し、「写真はたいした証拠にならない」と主張している。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6586


>引用文は、第一次世界大戦時にフランスで写真の偽造が行われていたことを述べているんだよ。
>キミが#6587で、
>>「偽造」が明確になった写真というのは知らないな。
>と言っていたから、参考になるかと思ったのだが。

一般論ということなら、戦時中の出版物など、合成写真や修整写真、
ヤラセ写真の宝庫だよ。 
http://www.warbirds.jp/heiki/43000.htm
http://www.warbirds.jp/heiki/140000.htm


>>日本人の顔と中国人の顔って、写真見ただけで明確に判るものなのかい。
>判るときもあるし判らないときもある。

現物の写真が見たいものだね。

>>たとえば、この写真の兵隊はどこの国の兵隊だと思う?
>日本のような気がするが、知らないし、関係ない。

名前を言えばでりちゃんでも知っている部隊の写真だ。
日本人と中国人など、写真だけでは明確に判らない
と言うことを納得して貰えばそれでいい。
ま、私が偽造写真を作るなり流すなりしようとするのなら、
いかにも日本人に見える男を使って撮影するけどね。

 

返信


これは メッセージ 6613deliciousicecoffeeさんに対する返信です


自分でもくだらないと思うのか 2005/ 7/17 6:52 [ No.6623 /16197]

投稿者 :
ja2047



>で、xiaozhou8811が引用したHPの写真は日本軍による支那人虐殺の証拠なのか?

たとえば、44287806.jpgは、毎日新聞が撮影して軍の不許可を喰らったものなので、
出所は明確だ。 実際の日本軍による残虐行為の写真だということを、軍がハンコを押して
証明してくれている。
ただし、こいつは、徐州作戦の際に撮られたもので、南京虐殺の証拠になどならない。

47973915.jpgは目黒輜重連隊の村瀬守保氏の撮影したもので、
これは実際に南京で撮られたものだ。
しかし、そこに写っているものは、後ろ手に縛られて焼かれた死体の山
というだけであって、だれが、何のためにやったのかは、写真だけでは
解らない。

撮影者の村瀬氏はこの写真にこういうキャプションを付けている、
「十二月十日午後五時、脇坂部隊がようやく光華門の城壁に、日章旗を翻し、続いて十三日夕刻には、十六師団が中山門を占領し、完全に南京を制圧しました。
 私達輸送部隊はなぜか、二週間ばかり、城内に入ることを許されず、城外に足止めされていました。
 どこからともなく城内で大虐殺が行われている、という噂が流れてきました。捕虜を南京の背後にある、紫金山のふもとへかりたて、機関銃を打ちまくって数千いや、数万人も殺りくしたというのです。
(17)大虐殺のうわさが…
 ようやく足止めが解除されて、ある日、荷物受領に揚子江岸の、下関埠頭へ行きました。すると、広い河岸が一杯に死体でうまっているのです。岸辺の泥に埋まって、幅十メートル位はあろうか、と思われる死体の山でした。
 揚子江岸で大虐殺が行われた、というその現場でしょうか、軍服を着た者はほとんどなく、大部分が平服の、民間人で、婦人や子供も交じっているようでした。
 死体に油をかけて、焼こうとしたため、黒焦げになった死体も、数多くありました。死臭で息もつけない中を、工兵部隊が、死体を沖に運んで流す作業をやっていましたが、こんなやり方では、一~二ヵ月はかかりそうでした。
(写真キャプション)虐殺されたのち薪を積んで、油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが平服の民間人でした。」

だけど、村瀬氏はやったところを見たわけじゃあないから、
この推測が本当かどうかは、これだけでは断定できない。
日本軍の仕業だということを実際に見たわけではないからね。

ここまで、出所が明確で、本人のコメントがはっきりしている場合でさえ、
写真「だけ」では確実な証拠にはならないということだよ。

 

返信


これは メッセージ 6622 ja2047 さんに対する返信です


あー、またガセネタを引用する 2005/ 7/18 6:38 [ No.6633 /16197]

投稿者 :
ja2047



>そこまで「宣教師が裁判で嘘を述べない」と言い張るなら、#6514で紹介したベイツ宣教師の証言はどうですか?
―――――――――――――――――――
東京裁判に提出された証拠の中で強姦事件二万件について触れているものはない。

強姦の被害者二万人についてならば、「日本軍当局はその部隊に対して明らかに命令権を失った如く、部隊は占領後数週間に亘り市術を掠奪し、約二万の婦女子を犯した」とするラーベの「一月十四日付上海総領事宛電報」が存在する。もっとも同じ東京裁判で証言台に立ったペイツは自分自身が強姦事件を目撃したことはないと証言しつつ、このラーベ説を否定し、「安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千」と述べた。
―――――――――――――――――――

この引用部分、全く事実ではありません。
はっきり言って、大ウソです。

東京裁判でのベーツ証言は次の通り。

「私は現に強姦している現場を見て、そして其の兵隊の五回に亙る強姦の現場を通り合わせました。[中略]
占領後一箇月にして国際委員会委員長『ラーベ』氏及び其の同僚は『ドイツ』官憲に対して、少なくとも二万人の強姦事件があつたことを信じて居ると報告しました、それより少し前私はもつとずつと内輪に見積もりまして、又安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千と見積もつたのであります、[中略]
二つの事件、此の事件は私は其の事件で殆ど生命を失ったので非常にはっきり覚えて居りますが、二つの場合では、大学構内で、斯う云ふ強姦事件に日本軍将校までが参加したのであります。」
(東京裁判速記録第三十六号 昭和二十一年七月二十九日  原文はカナ)

1.ベーツは強姦の現場を見たと言っており、さらにはそのことで命を落とし掛けたとまで言っている
 (銃剣で喉を突かれて軽傷を負ったのではなかったかな、)
2.ラーベの2万人報告に触れている。
3.ベイツはこれを否定してはいない。

でりちゃんの引用って全部実際の証言と食い違ってるじゃあないか。

ベーツの証言内容が事実かどうかと云う議論は別にしても、
でりちゃんが引用した文章は、東京裁判資料を全く読まずに
書かれたものか、そうでなければ読んだ上で全くの虚偽を
書いたものかのどちらかだよ。
きわめて悪質な記述です。

でりちゃん、どっからこんなウソを引っ張ってきたの?

 


ついでに言えば、強姦の大量発生は、日本側の記録からも確認できる。
日本軍には実態を確認する意思がなかったようで、莫大だという推定しか
残っていない。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6415


 

返信


これは メッセージ 6629deliciousicecoffeeさんに対する返信です


写真は貴重な資料、 よーく考えよう 2005/ 7/18 6:40 [ No.6634/16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>ただし、こいつは、徐州作戦の際に撮られたもので、南京虐殺の証拠になどならない。
>それって、処刑の写真だろ?

「処刑」とは、公権力の執行として行われた殺人であることを示す言葉だ
と言うだけのことであって、それが正当なことであったかどうかは、また別。
詳細を確かめるすべは持たないが、正式の裁判を経た処刑ならこういう
手法は採らないのではないか。
Unhoo氏もそう言ってたよな。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6434

 

>こんなHPあり。

おー、でりちゃんもshou_shimin氏に似てきたな。

>大虐殺派のウソ写真と証言
http://popup5.tok2.com/home2/nishio88/nanking/lie.html
>(一部抜粋)
>まず、これらは、全て中国軍兵士らの単なる戦死体です。

せっかく出所確かな写真と、撮影者のキャプションまで揃っているのだから、
写真が何を語っているか、虚心に検証すべきだろうね。
後ろ手に縛られて焼き殺された戦死体というのは、いくら何でも無理が
あるのじゃあないだろうか。
http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/murase.htm
↑今コケてるみたいだが、村瀬写真について最も詳細な検証をしたページ。

 

 

返信


これは メッセージ 6630deliciousicecoffeeさんに対する返信です


>>写真は貴重な資料 2005/ 7/18 12:44 [ No.6637 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>ハーグ陸戦規定でも戦闘に参加した市民は「保護されるべき一般市民」としての資格を喪失しています。
>日本軍は軍律布告「便衣などによる戦闘参加は厳罰に処する、、、」をしており、便衣兵ならば捕虜とはせず、軍律法廷(弁護士なし)での取り調べの後、処刑されるのは合法とされていました。(日本側国際法解釈)


一般的な戦時国際法と日本の国内法との関係の理解として、それで問題ないと
思いますよ。

私が言ってるのは、その正当な手続に基づいて、この殺害が行われたかどうかは
写真からは見て取れない。
むしろ、正当な手続でない「処刑」のような印象さえ受ける、と言うことです。

------------------------
「処刑」とは、公権力の執行として行われた殺人であることを示す言葉だ
と言うだけのことであって、それが正当なことであったかどうかは、また別。
詳細を確かめるすべは持たないが、正式の裁判を経た処刑ならこういう
手法は採らないのではないか。
------------------------

返信


これは メッセージ 6635 akanbei_21c さんに対する返信です


人の資料をガセネタの材料にするなよ 2005/ 7/19 6:09 [ No.6643/16197 ]

投稿者 :
ja2047



>下の写真を見て下さい。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/10/oqhqrf/nanmin2.jpg
>多数の便衣兵を少数の日本兵が連行しています。
強姦犯人は多数の便衣兵のほうだったと考えるのが自然です。


おいおいおい、また他人の提供した資料をつまみ食いして
いい加減に紹介する。
これだろ、
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/10/oqhqrf/


その写真は 「連行される便衣兵」 ではなくて、
「兵士を摘出するために集合させられる市民」 だよ。
この時点でゲリラ活動をやっているわけでも何でもない。
「兵士が混じっているかもしれない市民」を集合させ、
「兵士と認定した市民」を大量に殺したわけだ。

杜撰な選別で兵士と認定した後の扱いは、
この不動健治写真に見るとおりだし、
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/7/skpqrf/gahou001.jpg

さらにその後の様子が、この村瀬守保写真ではないのかな?
http://www.geocities.jp/nanking1937_matsuo/nanking/kawa111.gif

 

 

返信


これは メッセージ 6638deliciousicecoffeeさんに対する返信です

ベイツは嘘吐き、jaはトリミング 2005/ 7/18 20:54 [ No.6639/16197 ]

投稿者 :
deliciousicecoffee



>東京裁判でのベーツ証言は次の通り。
>「私は現に強姦している現場を見て、そして其の兵隊の五回に亙る強姦の現場を通り合わせました。[中略]
>占領後一箇月にして国際委員会委員長『ラーベ』氏及び其の同僚は『ドイツ』官憲に対して、少なくとも二万人の強姦事件があつたことを信じて居ると報告しました、それより少し前私はもつとずつと内輪に見積もりまして、又安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千と見積もつたのであります、[中略]
>二つの事件、此の事件は私は其の事件で殆ど生命を失ったので非常にはっきり覚えて居りますが、二つの場合では、大学構内で、斯う云ふ強姦事件に日本軍将校までが参加したのであります。」
>(東京裁判速記録第三十六号 昭和二十一年七月二十九日  原文はカナ)


なるほど。
でも、最初の[中略]のところに、以下のような証言があるはず。
――――――――――――――――――
其の詳細は尤も御希望でありましたら申述べますが、私は其の強姦して居る兵隊を強姦されて居る女達から引き退けたのであります。
――――――――――――――――――

これは、農協くんが言うところの「トリミング」というヤツでは?

それにしても、ベイツが強姦されている女達から日本兵を引き退けたと言う話は、俺は信じられないね。


さらに、
――――――――――――――――――
ペイツは、アメリカ大使館のアリソン宛に一月十四日付で次のような手紙を出している。

「昨夜四人の日本人が金陵大学付属中学校の教室へ入ってきました。彼らの行動の詳細は十分には分かりません。というのはしかるべき目撃者が脅えきっているためです。とにかく彼らは一人の少女を連れ去りました。それらの日本人たちは憲兵で、少なくともその一部は、中学校の門に配備された衛兵たちでした。彼らは中国人の布靴を履き、一部に中国服を着ていました」

ペイツは「詳細はわからない」と言いながら、また自ら目撃したわけでもないのに、犯人は中国人に変装した日本兵、それも憲兵だと断定している。目撃したと称する中国人の証言を何の疑いもなく受け入れているのだ。しかし何のために日本兵が中国人に変装しなければならないのか、合理性を欠くと言わざるを得ない。

『再審「南京大虐殺」』竹本忠雄・大原康男著(P86~87)
――――――――――――――――――

ベイツは東京裁判でも出鱈目な証言をしたが、安全区国際委員会で活動している最中から言動は悪意に満ち、支離滅裂で一貫性がない。

何故か?

ベイツは、国民党政府の顧問だったからだよ。
これで、何もかも辻褄が合う。

 


>ベーツの証言内容が事実かどうかと云う議論は別にしても、


本来、それが一番重要なのでは?

 


>でりちゃん、どっからこんなウソを引っ張ってきたの?


『再審「南京大虐殺」』竹本忠雄・大原康男著だよ。
ちなみに、前投稿の引用部分は、P83~84。

農協くんは、この本を買って読んだんだろ?
買って読んでから1年も経ってない筈なのに、もう忘れてしまったのか?


それと、同書でベイツが強姦を目撃しなかった根拠として述べているのは、キミの引用部分の2番目の[中略]か、あるいは引用後にある以下の部分。
――――――――――――――――――
私はそういう(強姦事件のような)非常に変人じみた、或いは特に残虐な場合に関してあまり多くの場合を知っていないのであります。自分の個人としての知識はそういうことについては余りないのであります」
「速記録第三六号」『南京大残虐事件資料集第一巻』五〇-五一頁。
――――――――――――――――――

これも、俺がやると、「トリミング」だと言って非難したんだろうな。
オマエ、「他人に厳しく自分に甘く」がモットーなんだな。
そう言えば、NYタイムズの記事でも、支那軍の撹乱工作の記事には異常に厳しく、ダーディンのインチキ記事には異常に甘いよな。
どうして、そんなに偏るの?

いずれにせよ、キミの引用部分の[中略]とか前後に不可思議な記述があるように思う。

返信


これは メッセージ 6633 ja2047 さんに対する返信です

 



トリミングの実例 2005/ 7/19 6:10 [ No.6644 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>なるほど。
でも、最初の[中略]のところに、以下のような証言があるはず。
――――――――――――――――――
其の詳細は尤も御希望でありましたら申述べますが、私は其の強姦して居る兵隊を強姦されて居る女達から引き退けたのであります。
――――――――――――――――――
これは、農協くんが言うところの「トリミング」というヤツでは?


そりゃまあね 「トリミング」とは「刈り込み」というほどの意味だから (--;
私の言う「悪質なトリミング」というのは、その言葉を省くことで、全体の意味を
ねじ曲げることだ。

>「東京裁判で証言台に立ったペイツは自分自身が強姦事件を目撃したことはないと証言しつつ、」

という記述は、実際の裁判速記録でベイツが
「私は現に強姦している現場を見て、そして其の兵隊の五回に亙る強姦の現場を通り合わせました」
と言っている以上、ウソか勘違いか、とにかく「偽」であると言うことは理解できるね?
で、[中略]した部分の
「私は其の強姦して居る兵隊を強姦されて居る女達から引き退けたのであります。」
が入ると、「実は見なかった」という意味になるのかい  (^◇^

>それにしても、ベイツが強姦されている女達から日本兵を引き退けたと言う話は、俺は信じられないね。

だからさ、ベイツ証言にウソや勘違いが含まれているかどうかという
ことと、
本人が明確に「見た」、それどころか「阻止した」と証言していることを 
「ペイツは自分自身が強姦事件を目撃したことはないと証言」
と書いてしまうことの意味は、また別の問題なんだよ。


 

返信


これは メッセージ 6639deliciousicecoffeeさんに対する返信です


トリミングの実例  2) 2005/ 7/19 6:12 [ No.6645 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>さらに、
――――――――――――――――――
ペイツは、アメリカ大使館のアリソン宛に一月十四日付で次のような手紙を出している。

「昨夜四人の日本人が金陵大学付属中学校の教室へ入ってきました。彼らの行動の詳細は十分には分かりません。というのはしかるべき目撃者が脅えきっているためです。とにかく彼らは一人の少女を連れ去りました。それらの日本人たちは憲兵で、少なくともその一部は、中学校の門に配備された衛兵たちでした。彼らは中国人の布靴を履き、一部に中国服を着ていました」

ペイツは「詳細はわからない」と言いながら、また自ら目撃したわけでもないのに、犯人は中国人に変装した日本兵、それも憲兵だと断定している。目撃したと称する中国人の証言を何の疑いもなく受け入れているのだ。しかし何のために日本兵が中国人に変装しなければならないのか、合理性を欠くと言わざるを得ない。

『再審「南京大虐殺」』竹本忠雄・大原康男著(P86~87)
――――――――――――――――――
>『再審「南京大虐殺」』竹本忠雄・大原康男著だよ。
ちなみに、前投稿の引用部分は、P83~84。
農協くんは、この本を買って読んだんだろ?

ざっと目を通したのだけどね、
一見、良心的な研究書を装っているものだから、ここまで
根拠不明のことが書いてあるとは思わなかったのだよ。

たとえば上記
「というのはしかるべき目撃者が脅えきっているためです。とにかく彼らは一人の少女を連れ去りました。それらの日本人たちは憲兵で、少なくともその一部は、中学校の門に配備された衛兵たちでした。彼らは中国人の布靴を履き、一部に中国服を着ていました」
という部分だが、 引用元だと書いてある
「南京大残虐事件資料集 第1巻 P155-156」にはこの記述はない。

「一月十四日,『ベーツ』博士ヨリ更ニ一通ノ書面来タレリ。右ニ依レバ、其ノ前夜、四人ノ日本陸軍憲兵、南京大学ニ侵入シ、一支那人少女ヲ拉シ去リタルコトヲ報告シ居レリ。此ノ手紙ノ写ハ、『アリソン(JohnAllison)』氏ヨリ一月十四日附日本大使館福井(福井淳)氏宛非公式書面ニテ、日本大使館ニ送附シアリ。『アリソン』氏及『ベーツ』博士ノ手紙ノ写モ此ノ報告ニ同封シアリ。」     
とあるだけだ。 後半の部分は出てこない。

版の違いでもあるのか、別の場所に出てくるのかは解らない。
さすがに捏造とは思いたくないが。

この本、一見注記を多用して、引用元を明確にしてあるようだが、
出典を辿ると元資料には書かれていない記述があちこちにある。
どうせ読者はいちいち元資料まで確かめないだろうと思っているなら
随分人をバカにした話だ。


 

返信


これは メッセージ 6644 ja2047 さんに対する返信です


トリミングの実例  3) 2005/ 7/19 6:13 [ No.6646 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>それと、同書でベイツが強姦を目撃しなかった根拠として述べているのは、キミの引用部分の2番目の[中略]か、あるいは引用後にある以下の部分。

著者がそう言っているのか? (^^;

――――――――――――――――――
私はそういう(強姦事件のような)非常に変人じみた、或いは特に残虐な場合に関してあまり多くの場合を知っていないのであります。自分の個人としての知識はそういうことについては余りないのであります」
「速記録第三六号」『南京大残虐事件資料集第一巻』五〇-五一頁。
――――――――――――――――――
>これも、俺がやると、「トリミング」だと言って非難したんだろうな。

するなあ、これでは。
その前で、裁判長とのやりとりがあるだろう
-------------------
○ベーツ証人 [中略 (^^ ]
此の強姦に関して狂人じみた或は残虐的な事件を特に此処で申述べることは差控ますが、
 [中略 (^^ ]
○ウェッブ裁判長 証人はそれを言うことが非常に残虐性があるということで事実を隠してはいけませぬ。
○ベーツ証人 若し私に対して直接質問がなされない限り、私はそういう事実を述べたくないのであります。
何故ならば、私はそういう(強姦事件のような)非常に変人じみた、或いは特に残虐な場合に関してあまり多くの場合を知っていないのであります。自分の個人としての知識はそういうことについては余りないのであります。
(「速記録第三六号」 『南京大残虐事件資料集第1巻』  P51)
--------------------

つまり、ベイツはこう言っているのだ。
「変態行為や残虐行為については質問されない限り語りたくない。
私はそう言うことについての趣味や知識は持ち合わせていない。」

これを、「実態についてはよく知らない」と言っているかのように
紹介したんでは、「悪質なトリミング」に該当すると思うよ。

 

 

返信


これは メッセージ 6645 ja2047 さんに対する返信です


そゆことです 2005/ 7/19 20:28 [ No.6652 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>いずれかひとつ欠けても、写真の証拠としての証明力はぐんと下がる。

写真というのは、歴史上の事件の裏付けとしては、ほとんど意味を持たないと
言ってもいいでしょう。
資料としてはあくまで副次的なものです。

ところが大衆に対する宣伝操作の手段としては、威力が大きいのですね。
だから、「虐殺があった」という立場にしろ、「なかった」という立場にしろ、
大衆操作を重視する向きは映像にこだわります。

中国政府とか、松尾さんとか、東中野センセとか (^^;

返信


これは メッセージ 6651 mimim232002 さんに対する返信です


>ちょっと 2005/ 7/19 21:57 [ No.6654 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>東中野先生は、虐殺の写真が本当か如何かを検証したのであって、大衆操作をしている左翼、又中華人民協和国、蒋介石の国民党の宣伝を、写真で持って検証したのだろう。


ま、こういうのは、検証と言うより逆プロパガンダですよ。
検証と呼ぶには余りに杜撰すぎることも含めて、そうとしか言いようがない。

とりあえず、こっちに振ってみようかな
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/n_143.html

返信


これは メッセージ 6653 konoyo_anoyo さんに対する返信です


>逆プロパガンダってかい 2005/ 7/20 6:14 [ No.6658 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



ま、プロパガンダ合戦にしたがってる種類の人がいるというのが、私の見解。
デタラメにはデタラメで、宣伝には宣伝で、と言うようなことでは、
国内で信者を増やすことは出来ても、利害関係のない人を動かすことはできない。
つまり、当事国の中国はもちろん、周辺のアジアの国々や欧米の常識までは動かせない。


>又、反日日本人である貴方もね~

南京では旧日本軍による残虐事件が確かにあった。
犠牲者数は諸説あるが、虐殺はあった。
というのは、現日本政府の公式見解であり、学会の大勢の見解でもあります。
三笠宮崇仁親王や徳川侍従長のように、「南京での虐殺はあった」
「当時も関係者は事実を知っていた」
と発言した皇室関係者もいます。
私はそういう常識の立場で資料を検証しているだけですよ。

自国の政府行政機関や学会や、果ては皇室関係者まで左翼で反日だということは
ないでしょう。

そう見えるとしたら、あなたの「愛国」の基準が少々世間の常識とズレている
ということです。

 

返信


これは メッセージ 6655 konoyo_anoyo さんに対する返信です


訂正  m(_ _)m 2005/ 7/20 6:16 [ No.6659 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>「南京大残虐事件資料集 第1巻 P155-156」にはこの記述はない。

と、書きましたが、「南京大残虐事件資料集 第1巻 青木書店」には
引用資料として載ってました。
前回私が引用したのは河出書房新社のものの同ページの記述でした。
訂正するとともに、青木書店のものの、該当個所を下記引用します。


95B南京アメリカ大使館宛書簡
一月十四日
一九三八年一月十四日
南京アメリカ大使館
拝啓 アリソン殿
昨夜、四人の日本人が金陵大学付属中学校の教室へ入ってきました。彼らの行動の詳細は十分には分かりません。というのは、しかるべき目撃者が脅えきっているためです。とにかく彼らは一人の少女を連れ去りました。それらの日本人たちは憲兵で、少なくともその一部は、中学校の門に配備された衛兵たちでした。彼らは中国人の布靴を履き、一部に中国服を着ていました。
この状態は最も深刻でかつ恥ずべきもので、根本的な改善が必要とされます。もし日本兵が法も抗議も無視して、犯罪を犯しに連日アメリカ人施設に侵入して来るならば、我々は彼らとの礼儀正しい関係を終わりにしなければなりません。これは我々には耐えがたいものですし、それにまた、いつまでも耐えていることではありません。
被らは、憲兵の職にあるものとしての最低限度の行動があってしかるべきでしたのに、なんらの保護もしてくれませんでした、我々には、警備兵を手配してよこす小粉橋三二号の日本軍地区事務所(中学校にあまりに近すぎます)が信用できない理由がたくさんあります。
劉文彬夫人が、夫は山西路二一号で撃たれたと言ってきました。私はこの報告をいま受け取ったばかりで、それ以上のことはまだ言えません。中学において行われた脅追と、執念深い報復への恐怖があまりに大きくて、完全な事実をつかむことは困難ですし、また難民たちも平常の作業に復帰できない状態です。
この手紙の執筆は、漢口路一九号のアメりカ人の家から(一家にはアメリカ国旗が掲げられ、アメリカ側と日本側の布告文が門に貼ってあります)、憲兵(特務機関から支給された憲兵の腕章をしている兵隊)を追い出すために三〇分問中断されました。その憲兵は塀を越えて入り、大学教師と大学病院のブラディ(Brady)博士の個人的財産を略奪しようと、一時問にわたって物色しまわっていたのです。その家は、上記の日本軍の地区事務所からおよそ二五〇ヤード(約二一九メートル)のところにあります。
今日の午前中、我々は講堂街教会が、十五日の夜から十六日にかけて焼失したという間接的な情報を得ました。直接の証言は、十七日の朝そこへ戻っていったアメリカ伝道団の使用人の一人から聞きました。彼女はまだ材木が煙っていて、屋根に隣接した部分から、補充の屋根の一部が崩れ落ちるのを見ています。その召使は夏までその施設に佳んでいて、ミス・プレスホルスト(Brethhorst)のもとで働いていた人です。
この事件の第一報は、その教会に雇われている老婦人から我々にもたらされました。彼女は、日本兵が教会の建物に何度も侵入したので、十五日の朝、彼女白身は無傷でそこを離れました日本兵のうち二人は十四日の夜その教会で寝、他の二人が十五日の朝に盗みと略奪を始めたというのです。
敬具
(サイン〕M・S・ベイツ
・十四日付の手紙に十五、十六、十七日の出来事が記されているのは、前後の文脈からして十二月のことを記していると思われる。

 

返信


これは メッセージ 6657deliciousicecoffeeさんに対する返信です


再訂正  m(_ _)m 2005/ 7/20 6:46 [ No.6661 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>「南京大残虐事件資料集 第1巻 青木書店」には
引用資料として載ってました。


これも違いました。
「南京大残虐事件資料集 第1巻 青木書店」の該当個所は当初の引用で正解。
河出書房新社版『日中戦争史資料8 南京事件Ⅰ』も同じです。

問題の箇所は「南京事件資料集(1)アメリカ関係資料編 青木書店」の引用資料で、
書名を間違えておりました。

ま、「再審、南京大虐殺」は、シロートの私がやらかすような間違いが書いてある本だ、
ということで、ご理解下さい (^^;

 

返信


これは メッセージ 6659 ja2047 さんに対する返信です


>>>逆プロパガンダってかい 2005/ 7/20 6:54 [ No.6662 /16197]

投稿者 :
ja2047



>いろんな見解がある中、偏った意見と思いますが。

30万虐殺に対しては「否定派」であることは、これまでの発言から納得いただけると思います。

返信


これは メッセージ 6660 kintakunte2002さんに対する返信です


>信条でない史実と言う事で 2005/ 7/20 20:31 [ No.6669 / 16197]

投稿者 :
ja2047



>折角楽しそうなお話し合いになっておりますので、ご活躍に水を差すつもりはもうとうございませんのですが、

いえもう、どんどん水を差して下さい。
それが掲示板の面白いところです (^^

>学会の大勢と流布されてしまわれますのは如何なものでしょうか?

これは間違いないと思いますよ。
ただ、専門家の集まりというのは一種のギルドだから、異説は
排除される傾向があり、正論は意外に専門外の学者から出て
来るものだと言われるのであれば、一般論としては正しいと
思います。
でも、そういう革命的な異説はごくわずかで、ほとんどはただの
トンデモだと思います。

>徳川侍従長の発言と仰られますものは、公式な見解でございますか?
>徳川侍従のお名前で死後インタビュー本を刊行した事がございましが、
まさかその様な資料からと言う事はありえないかと思いますので

まさに、そのインタビュー本がこの場合の裏付けです。
インタビュー本というのは、質問者による誘導尋問の危険があるので、
その分を割り引いて考えなくてはいけないという問題はあります。

でも、無価値とは思いません。
「南京戦 102人の証言」にしろ、「南京事件 日本人48人の証言」にしろ、
インタビュー本だから無価値だと考える人はいないと思います。
だいたいの人は、証言内容を吟味することなく、編者の意図に反発している
だけみたいではありますが (^^

  

返信


これは メッセージ 6663 bluejackip さんに対する返信です


>信条でない史実と言う事で  2) 2005/ 7/20 20:33 [ No.6670/16197 ]

投稿者 :
ja2047



いちおう、その「インタビュー本」の内容を引用しておきましょう。

「昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。中国人捕虜を数珠つなぎにして撃ち殺すとか・・・。私の大学の友人で軍医だったのが、朝香宮さまのお供で現地へ行って見聞した話を、私は聞いていたからです。
 それに、南京攻略の総大将松井石根さんは名古屋の人で、私の母(徳川寛子)が松井さんの奥さんをよく知っていましたし、私の父(義恕)は名古屋の軍人の会の会長をしていましたから。
 松井さんは中国の勤務が長く、南京攻略後、「相手の死者も浮かばれまい」と、現地で日中両方の死者の慰霊祭をやろうとした。ところが、下の師団長クラスの連中に笑われ反対されたということでした。みな、「戦争なんだからそういうこともあっても・・・」といった感じだったそうです。
 松井さんは日露戦争も経験していたから、日本の捕虜の扱いが日露の頃は丁重だったことをよく知っていた。しかし、南京では、上の言うことを下が聞かず、軍紀の抑えがきかなくなっていた。それで松井さんは後に熱海に興亜観音を造った。松井さんは立派だったと思いますね。
 南京虐殺があったとか無かったとか論争があるようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです。陛下が知っておられたかどうかはわかりませんが、折に触れて「日露戦争の時の軍と違う」ということはおっしゃっていました。明治天皇のご事蹟をよく知っておられましたから。」
(「侍従長の遺言」 P38~P39)


ここで、この徳川侍従長発言が裏付けているのは「捕虜の殺害があった」
ということではありません。
それは、徳川侍従の認識を待つまでもなく、旧軍の公式文書等で明かな事柄です。
ここから読みとれるのは
・そのことを徳川侍従は「残虐行為」と考えたこと。
・残虐行為の情報は宮内省内まで伝わっていたこと。
・昭和天皇の南京事件についての認識は不明だが、
昭和初期の軍のあり方を嘆いておられたこと。

まあ、これくらいではないかと思います。


>徳川侍従長の発言と仰られますものは、公式な見解でございますか?

多くの場合、公式発言より、日記や事後のインタビューの方が信用出来る
と思います。

「死後発表」というのは少しマイナス要素になりますけどね。


もし、フランクリン・ルーズベルトのインタビューで
「日本が真珠湾を攻撃したときには、小躍りして喜んだね。
私はそれを待っていたのだから。」
とか、
ハリー・トルーマンのインタビューで
「日本が遠からず降伏することは判りきっていたんだ。
戦後の情勢を睨んでヒロシマに原爆を投下したのだよ。」
という告白が、信頼できる情報元から出てきたら、
私はそちらを信用します (^^;


 

返信


これは メッセージ 6669 ja2047 さんに対する返信です


長参謀のほら話 2005/ 7/21 6:41 [ No.6678 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>この件に関しては、あまり詳しくないし定かではないので、

正直でよろしい。

>皇室関係者の情報ソースの一つは、朝香宮殿下が指揮した上海派遣軍の情報主任参謀・長勇中佐だったという説がある。

たぶん、それはでりちゃんの勘違いで、徳川侯爵の自伝「最後の殿様」の
記述のことだと思う。
http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html#yositika
私はこれは、史記の冒頓単于の逸話を下敷きにした長中佐の創作だと思うけどね。

実際は長参謀はこの時前線にいたわけではなく、司令部にいたわけで、
松井大将の副官であった角良晴少佐の証言では、前線からの問合わせ
「下関に支那人約12、3万人居るが、どうしますか」 に対して、
「ヤッチマエ」という命令を勝手に出したことになっている。

田中隆吉少将の聞いた告白と言い、長参謀がらみの話は、なにか大袈裟な
エピソードばかりが残っており、どうもこの人は、
「あれは俺がやったのだ」と、言いふらして歩いていたのではないかと思うな。

ただ、「あれは俺がやったのだ」というほら話は「あれ」が影も形もないのでは
成立しないわけで、「あれ」の存在を皆が認識しているから成り立つのだけどね。


なお、徳川侍従の情報元は、ご本人も言われているように
「私の大学の友人で軍医だったのが、朝香宮さまのお供で現地へ行って見聞した話」
だ。

 

返信


これは メッセージ 6671deliciousicecoffeeさんに対する返信です


それは逆 2005/ 7/21 6:43 [ No.6679 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>南京で、日本軍による無辜の民間人虐殺がなかったと判明すると、話題を掠奪や強姦や投降兵殺害などに転換していくことは、よくあることです。

逆だよ。
捕虜の大量不法処分はあまりにも証拠がたくさん残っているものだから、
否定できないもので、ネットでは追いつめられると民間人殺害だけに絞って
議論したがる人間が出るわけだ。
Fさんがその典型で、でりちゃんも同じ道を歩んでいると言うだけのことだ。

もともと、「南京事件」、「南京大虐殺」というのは、捕虜の大量殺害と
民間人への大暴行の話のわけで、これはダーディンの第一報以来、
東京裁判の起訴状に至るまで、一貫している。
東京裁判や南京裁判の判決にしたところで、「軍民の殺害」を罪状に
しているわけで、「民間人だけの大虐殺」など唱えてはいない。


 

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これは メッセージ 6676deliciousicecoffeeさんに対する返信です


でりちゃん、成長したね 2005/ 7/21 20:44 [ No.6684 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>アリソン宛のベイツの手紙を読むと、やはり、【詳細は分からないが、支那人の布靴を履き、一部は支那服を着た日本の憲兵たちが一人の少女を連れ去った】という旨だね。

この時期の日本兵は正式装備にすら事欠いて、中国人から取り上げた衣服を
付けていたという写真がいくつか残っているけどね。
そのことを言っているのではないかな。
http://t-t-japan.com/bbs2/data/imgbord/file/asa1102.jpg
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=67;id=imgbord#67

西田優上等兵 陣中日記
第16師団 第30旅団 歩兵第33連隊
12月14日
十一時三十分入城、広場において我小隊は敗残兵三七〇名、兵器多数監視、敗残兵を身体検査して後手とし道路に坐らす。【我は敗残兵中よりジャケツを取って着る。】面白いことこのうへなし、自動車、オートバイ等も多数捕獲す。各自乗りまはせり、八時頃小銃中隊に申し送り、昨夜の宿に帰る。敗残兵は皆手榴弾にて一室に入れ殺す
秦郁彦『南京事件』P120-121


>また、他の事件についても、【完全な事実をつかむことは困難】だと述べている。

断片的な事実から真相を確信してしまうでりちゃんと違って、
ベイツは知的な誠実さを持っていたから、断言できないのじゃあないかな。

>ベイツが述べていたことは、安全区国際委員会で活動している最中においても、東京裁判においても、支離滅裂だ。

そうとは言えないと思うな。
東中野センセお得意の意味不明の難癖というやつだよ。


>まあ、それだけはなく、国民政府の顧問だった『疑惑』もあるしね。

おおー、正論というのは繰り返し主張しておくものだね。
>>>ベイツは蒋介石の顧問で1938年と46年に勲章を貰っている国際宣伝処の関係者だ。
と、言ってたのが
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&mid=6899

>>その話には根拠がない
と繰り返し教えて上げた結果。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&mid=6927

>国民政府の顧問だった『疑惑』もあるしね。

まで、認識が変わってきたわけだ。

不確実な、出所不明の資料を根拠に 「確信」 しちゃいけないよ d(^^

 

返信


これは メッセージ 6672deliciousicecoffeeさんに対する返信です


夏休み でりさま教室 1) 2005/ 7/23 9:51 [ No.6695 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>断片的な事実から真相を確信してしまうでりちゃんと違って、
>>ベイツは知的な誠実さを持っていたから、断言できないのじゃあないかな。

>ベイツは、断片的な事実からでも、常に、犯人は日本兵だと断定するけどね。

難民25万程の居住する町に、ひとまず7万ほどの日本兵が流入し、
城壁の外にはさらに10万以上の日本兵が存在するのが、12月中旬の
南京市の状況だ。
軍服を着た集団が白昼堂々と悪さをすれば、日本兵であることを疑えと
いうのが無理だよ。


>>>ベイツが述べていたことは、安全区国際委員会で活動している最中においても、東京裁判においても、支離滅裂だ。
>>そうとは言えないと思うな。
>>東中野センセお得意の意味不明の難癖というやつだよ。
>キミのそのコメントが意味不明。

ここの流れで言えば、でりちゃんが、
―――――――――――――――――――
東京裁判に提出された証拠の中で強姦事件二万件について触れているものはない。
もっとも同じ東京裁判で証言台に立ったペイツは自分自身が強姦事件を目撃したことはないと証言しつつ、このラーベ説を否定し、
―――――――――――――――――――
という、明らかな虚偽を書いた、「再審南京大虐殺」の記述を引用したことに始まる。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6633

これは東中野氏の著述ではないのだから、「意味不明」と言われるのは
無理もないかな。


>ベイツは、東京裁判で、「それより少し前私はずっと内輪に見積もりまして、又安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千と見積もったのであります。」と証言しているが、安全区委員会が記録した「被害届」に記された強姦事件(未遂を含む)は361件(61件)だった。
これについて説明してくれないかな?

そうか、「再審南京大虐殺」の記述」が虚偽であることは理解したので、
話を他に振ろうというわけだね。

まず、実際の件数>被害届だと言うことは納得してもらえると思う。
さらに、被害届>抗議文という事実がある。
委員会は、聞き及んだ被害をすべて抗議文として発行したわけじゃない。
抗議文書にははっきりそう書かれている。
「以下はわれわれが念入りに点検する時間があった特例にすぎない。
もっと多くの事件が委員会職員に報告されている。」 
(1937年12月16日提出 第八号文書)
さらに、
「ベイツ博士が自分が確認した事件については別に整理しておりますので、
それらはこれまでどおり、ここには含まれていません。」
(1937年12月21日提出 第十一号文書)
とあるように、ベイツは金陵大学の非常時委員会の委員長であったので、
大学内の事件は安全区委員会と別にまとめて日本大使館に提出していた。
この総件数がいくらになるのか、安全区委員会の抗議文書との重複が全く
なかったのか、今となっては資料が残ってないので、知ることが出来ない。

というわけで、「一部です」と書かれた文書に含まれる数と、全体の数の推定が
相違するのは別におかしなことじゃあない。
たとえば「交通事故」や「労災事故」の事例集の件数を数えても、全体の規模は
判らないし、覚醒剤や麻薬で逮捕される人間の数と、警察が推計する薬物常習
者全体の数に開きがあっても、統計がインチキだと疑うバカはいない。
そう言うことだ。


 

返信


これは メッセージ 6685deliciousicecoffeeさんに対する返信です


夏休み でりさま教室 2) 2005/ 7/23 9:52 [ No.6696 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>それと、例の【ベイツが強姦されている女達から日本兵を引き退けた】と言う話は、当然、安全地帯の委員会の報告に載っている筈だよね。
まさか、そのような事件をベイツが報告していない筈がない。
その時のベイツの様子を詳しく知りたいので、その報告を見せて頂けませんでしょうか?

「再審南京大虐殺」の記述」が虚偽であることは理解したので、
話を他に振ろうとしているということで回答させてもらう。

でりちゃんが言いたいの、次のどっちなんだろうね。

1.とにかくベイツ証言には虚偽が含まれているという当初の言明を
引用文が虚偽であることが判明したことで破綻させたくないので、
ベイツが法廷で宣誓証言したこと以外の裏付けを求めている。
2.安全区での暴行多発そのものを否定したいので、宣教師などの
外国人が実際にその場に居合わせて暴行を阻止したというような
事実が虚構だと言いたい。

まず1.
ざっと見たところでは、どれがベイツ証言に相当するそのものズバリだか
判らなかった。
ベイツ自身の係わった類似の事例はある。
第四六七件 三月一九日午後三時半から四時の間、金陵大学語学学校の難民キャンプで、日本兵一名が一九歳の難民の少女を強姦した。ベイツ博士が四時五分ころ、現場に到着して兵士に近づくと、兵士は脅すように銃剣を振り回し、ふてぶてしい態度で「女が欲しいのだ」と言った。だが、ベイツ博士は兵士を説得してそこを立ち去らせた。兵士に酔っている様子はなかった。(ベイツ)

安全区委員会文書に残存する抗議文書は安全区委員会が作成した
抗議文書の全点ではない。
文書は今日少なくとも470件まで存在したと推定されるが、現在確認
出来るのはドイツ大使館保管分を合わせても415件だけだ。
残り55件の中や、現存しないベイツの提出分の中に、そのものズバリが
あるのかどうかは判らない。
第一、相当するものがあっても、東京裁判のベーツ証言自体が、あまり
具体的ではないので、特定は不可能だろう。


次に2.
ベイツに限らず、外国人が強姦を実力阻止した報告があるかどうか。

有名なアリソン殴打事件というのがある、ラーベ日記にも出てくる。
1月24日の夜に日本兵が金陵大学から難民女性を連れ去り強姦した、
リッグスとベイツがその女性から連れて行かれた場所を聞き出し、
リッグスとアメリカ大使館のアリソン書記官が日本領事館員を伴って
現場の建物に踏み込んだ所、首謀者の中尉は女性を引き込んでいる
最中であり、リッグスとアリソンはその場から追い出すために衛兵から
殴られたというのである。

これが、安全区委員側の一方的な言い分かというとそうではなく、
日本側でも事実であることを確認している。

飯沼守日記 一月二十六日
本夕本郷少佐より報告を受く。米人経営の農具店に二十四日夜十一時頃日本兵来り、留守居を銃剣にて脅し女二人を連行強姦の上二時間程して帰れり、依て訴へに依り強姦されたと言ふ家を確かめたるところ天野中隊長及兵十数名宿泊せる所なるを以て、其家屋内を調査せんとしたるに米人二名亦入らんとし、天野は兵を武装集合せしめ逆に米人を殴打し追い出せり。其知らせに依り本郷参謀現場に到り、中隊長の部屋に入らんとしたるも容易に入れす、隣室には支那女三、四名在り強て天野の部屋に入れは女と同衾しありしものの如く、女も寝台より出て来れりと、依て中隊長を訊問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与へて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと。
(「南京戦史資料集1」P184)
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano1210.html

安全区委員達が体を張って強姦を阻止しようとした記録は多数あり、
一部は日本側でも事実であることを確認している。

ベイツが法廷で宣誓の上供述したことが、虚偽であると疑う理由は
ない。


 

返信


これは メッセージ 6695 ja2047 さんに対する返信です


夏休み でりさま教室 3) 2005/ 7/23 9:53 [ No.6697 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>ベイツが国民政府の顧問だったことは、ほぼ間違いないが、そう言うとムキになって来て面倒臭いから、わざわざ『』を付けて『疑惑』にしてやっただけだよ。

何で面倒くさくなるか解るよな?
根拠のきわめて薄いことを事実と断定することは、私は好まないからだ。

ベイツが国民党顧問であればベイツ証言の信憑性がゼロになるわけでも
なければ、国民党顧問でなければ100%信用できるというものでもない。
ないが、事実というものは、これとは別に明確にされなくては行けない。
何度も言うように、ベイツが国民党顧問だという根拠は、イェール神学校
文書館の厚さ3フィートに登るエスター・モーテンセン文書から発見された、
掲載紙不明、日付不明の新聞記事の切り抜きと推定される正体不明の
切り抜き一枚だけ。
http://www.library.yale.edu/div/colgpers.htm#M
持ち主と推定される金陵大学教員だったエスター・モーテンセンは南京陥落
時点で重慶に滞在しているので、切り抜きの新聞?は重慶で手に入れたの
だろうね。 掲載紙は不明だ。
切り抜きはEsther Tappert Moetensen 関係文書 Box 7. File 120
“Writings of Miner Searle Bates 1936-1938”から発見された。
http://webtext.library.yale.edu/xml2html/divinity.021.con.html#series2

同じ文書館に所蔵されているベイツ関係文書は総厚さ55フィートで、モーテン
セン文書の20倍近い分量がある。
http://webtext.library.yale.edu/xml2html/divinity.010.nav.html

つまり、東中野氏発見した 「掲載元不明、報告者不明、日付不明、保管者不明の、
新聞の切り抜きと思われる小片」 の、ベイツ国民党顧問裏付け資料は、その20倍の
分量があるベイツ自身に関する資料からは発見されなかったということだよ。

「ベイツが国民政府の顧問だったことは、ほぼ間違いないが、」というでりちゃんの
信念は揺るがないのだろうが、資料的にはきわめて裏付けが薄く、可能性が薄い
ということだ。


>「南京事件の擦り付け工作を開始したのは日本側が先で、『NYタイムズ 1月3日記事 安全区の敗残兵による攪乱工作』の情報の出所が明らかに日本側だ」とか言った奴がよく言うよ。

ベイツが国民党顧問であるという仮説に比べれば、合理的な推測というものだ (^^

 

 

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これは メッセージ 6696 ja2047 さんに対する返信です


民間人のみの犠牲者数 2005/ 7/23 13:27 [ No.6698 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>では、南京で、「日本軍による無辜の民間人虐殺がなかった」ことは認めるのですね?

日本軍が民間人殺害を目的にして軍事行動を起こしたことは
なかったと考えていますが、
これは、「日本人による無辜の民間人虐殺がなかった」では
ありません。

戦闘行動中ではあるが、戦闘行為の範疇に入らない軍紀を逸脱した
民間人殺害や、軍事行動以外での不軍紀行為による民間人殺害は
頻発したと考えています。
民間人の犠牲者数は城内で数千~一万前後、
農村部を含めて数万と言うところでしょう。
中国の言うような数十万の虐殺なら、民間人だけで何十万もの犠牲が
出たはずだが、これはなかったのではないかと思います。

 

 


まあとりあえず、100人以下ということはない。
警察官や公共機関職員の殺害だけで100人ではとてもきかないよ。
 

返信


これは メッセージ 6689deliciousicecoffeeさんに対する返信です

夏休み でりさま教室 4) 2005/ 7/24 6:17 [ No.6708 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>そうか、「再審南京大虐殺」の記述」が虚偽であることは理解したので、
>>話を他に振ろうというわけだね。

>全然。


そうか、納得していないのか  ε = (- -;) 
では、もう一度繰り返そう。

でりちゃんは、最初このような文章を出典を書かずに引用した。
――delli―――――――――――――――
東京裁判に提出された証拠の中で強姦事件二万件について触れているものはない。
強姦の被害者二万人についてならば、「日本軍当局はその部隊に対して明らかに命令権を失った如く、部隊は占領後数週間に亘り市術を掠奪し、約二万の婦女子を犯した」とするラーベの「一月十四日付上海総領事宛電報」が存在する。もっとも同じ東京裁判で証言台に立ったペイツは自分自身が強姦事件を目撃したことはないと証言しつつ、このラーベ説を否定し、「安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千」と述べた。
―――――――――――――――――――

これに対して私が挙げたのが実際のベイツ証言だ
――ja――――――――――――――――
私は現に強姦している現場を見て、そして其の兵隊の五回に亙る強姦の現場を通り合わせました。[中略]
占領後一箇月にして国際委員会委員長『ラーベ』氏及び其の同僚は『ドイツ』官憲に対して、少なくとも二万人の強姦事件があつたことを信じて居ると報告しました、それより少し前私はもつとずつと内輪に見積もりまして、又安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千と見積もつたのであります、[中略]
二つの事件、此の事件は私は其の事件で殆ど生命を失ったので非常にはっきり覚えて居りますが、二つの場合では、大学構内で、斯う云ふ強姦事件に日本軍将校までが参加したのであります。
(東京裁判速記録第三十六号 昭和二十一年七月二十九日  原文はカナ)
―――――――――――――――――――

見てのとおり
1.ペイツは自分自身が強姦事件を目撃したことはないと証言しつつ
2.このラーベ説を否定し
いずれも、ベイツ証言の実際の内容と異なる。
さらに言えば
3.東京裁判に提出された証拠の中で強姦事件二万件について触れているものはない。
も、間違いだ。
法廷証三二九号で、ラーベの1938年1月14日付の上海総領事宛の
報告書が提出されており、こう書かれている。
「日本軍当局は其の部隊に対して明らかに命令権を失った如く、部隊は占領後数週間に互り、市街を掠奪し、約二万の婦女を冒し、数千の無辜の市民(其の中には発電所の四十三名の従業者を含む)を残虐なる方法に依って殺害し(機関銃火による大量殺人は人道的処刑の中に数えらる)、亦外国人居住区に侵入することを躊躇せず、六十戸の独逸人住居のうち、約四十戸は多少に拘わらず掠奪され、四戸は完全に焼却された。」

この部分、引用文中にもちゃんと書かれているのに、「証拠の中で
強姦事件二万件について触れているものはない」と書ける神経が
私には理解できない。
でりちゃんの引用した文章は、実際の法廷証拠を全く無視している
だけではなく、自分自身の記述とさえ矛盾しているわけだ。

読んでて不思議には思わなかったのか?


>もともと本題は「当時安全区の面倒を見ていたベイツなどの西洋人の日記や手紙や証言などが信頼できるかどうか」ということ。

それはそれで検証されてしかるべきことだ。
強姦が八千件とか二万件とかいう推定がどの程度実状に合っているかは
私にも判らない。

しかし、それを検証するために引用する文章が、事実と相違して
いるだけではなく、その文章の中で既に前後矛盾していたのでは
全く説得力がない。

読む本は選ぶべきだし、自分の都合の良いことが書かれているから
信用するのではなく、せめてウソが書いてないかぐらいは確認して
もらいたいものだ。
この場合、資料集と比較するまでもなく、明らかにおかしなことを
書いてるのだからね。


 

返信


これは メッセージ 6703deliciousicecoffeeさんに対する返信です


夏休み でりさま教室 5) 2005/ 7/24 6:18 [ No.6709 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>まず、実際の件数>被害届だと言うことは納得してもらえると思う。
>>さらに、被害届>抗議文という事実がある。

>そうとは限らない。
>実際に事件がなくても、被害届や抗議文を出すことは有り得る。

それはでりちゃんの「邪推」に過ぎないのだから、可能性をうんぬんするなら、
せめて根拠を挙げるべきだろうね。


>安全区国際委員会の日軍犯罪統計
 殺人 49件
 傷害 44件
 強姦 361件 ◇多数3件 ◇数名6件
 連行 390件 ◇多数1件 ◇数名2件
 掠奪その他 170件

タイトルからして間違っている。
安全区委員会が、そのようなものを「統計」として出した事実はない。
それは、板倉由明氏が『続「南京大虐殺」の数字的研究』)』
(『ゼンボウ』昭和59年10月号) で集計したもので、安全区委員会の
統計ではない。  ウソはいけない。

で、その板倉由明氏は民間人の犠牲者が49人だと言ってるかというと
そんなことはない。
板倉氏の推定では民間人の死者は「一万五千ないし一万六千」、そのう
ち「不法殺害」を「五千から八千」としている。


>日本政府の高官に、南京で暴行があったのは事実であると記している者がいるのは当然と言えるでしょう。三ヶ月で殺人49件、強姦360件というとかなりの大事件です。では実際の状況がどうだったのか、当時南京にいた福田氏の回想を見てみましょう。
『南京事件の総括』P171 田中正明著 展転社

田中氏の引用する「福田回想」は、福田氏に直に確認したものではなく、
他で掲載された福田インタビューを下に、田中氏の創作を加えて記述した
ものだ、そのまま信用しない方がよい。
http://www.geocities.jp/yu77799/hukuda1.html

たとえば、田中版にはこうあるが、
「『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
 『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。」
普通に考えて、「いま強姦が起きている」、「いま掠奪が起きている」
という報告が入れば、とりあえずやめさせるために飛び出していくのが
普通であって、タイプなど打っている場合ではない。
この記述は毎日新聞版にもあるものだが、不自然に過ぎる。
現に安全区側の記録では、こういうときは現場に急行したことになって
いる。
また、このタイプは一次情報の記録としてなされたものであって、これが
そのまま抗議文として提出されることはあり得ない。
一次情報の記録から、抗議文作成までの間に、実況検分や聞き取りが
行われなかった証拠にはならない。

また、「行ってみたら何もなかった例」として出てくるのは、
「アメリカの副領事館から私に抗議があった」件だが、これは安全区委員会
からの通報ではない。

以上から、福田証言は検証がなされなかったことの証拠にはならない。


>【安全地帯の委員会の報告のみで8,000件】という証言が実際の報告数と矛盾することの説明を求めたのに頓珍漢なことを言って誤魔化してはいけない

ほほう、これはトンチンカンなのかね?
「というわけで、「一部です」と書かれた文書に含まれる数と、全体の数の推定が
相違するのは別におかしなことじゃあない。
たとえば「交通事故」や「労災事故」の事例集の件数を数えても、全体の規模は
判らないし、
覚醒剤や麻薬で逮捕される人間の数と、警察が推計する薬物常習者全体の数
に開きがあっても、統計がインチキだと疑うバカはいない。
そう言うことだ。」

もうひとついえば、言葉を創作してしまってはいけない。
ベイツはこう言っている
「又安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千と見積もつたのであります」
「見積もった」のであって、「報告が八千件あった」とは言っていないし、
ましてや「抗議文を八千件出した」と言っているわけではない。
この八千件なり二万件なりが妥当な数字であるかどうかは別に置いて、
抗議文緒件数との間で矛盾はしていないのじゃあないかな?

 

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これは メッセージ 6708 ja2047 さんに対する返信です


夏休み でりさま教室 6) 2005/ 7/24 6:25 [ No.6710 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>イエール大学で発見された新聞記事の切り抜きの写真説明に、「国民政府顧問のマイナー・サール・ベイツ博士(写真)は、・・・」と紹介されていれば根拠としては十分だよ。

掲載紙不明で、そもそも新聞記事の切り抜きであるかどうかも確証がなく、
誰の責任で書かれたかも不明の文章にか?


>いちいち全部に国民党顧問とベイツが紹介されていたら誰も苦労しないし、殆どの人がベイツを敬虔な宣教師で中立的な証言者だと思っていたからこそ、ベイツは大活躍出来たんだろ。

ほほ、でりちゃんとしては、ベイツが国民政府の顧問であることは、
当時ほとんどの人が知らなかったと思っているわけだね?

>ベイツは国民党政府から2回勲章を受けたと晩年に書かれた自筆の履歴書も見つかっている。

つまり、その履歴書(私は見ていない)には、国民政府の顧問を務めたとは
書いていないわけだ。
秘密の身分だったのかな?
だとすると、掲載紙不明、身元不明の新聞記者氏は、なんでそんな重大な
秘密をバラしてしまったのだろうかね。
いや、それ以前に、なんでそんな重大な秘密を知っていたんだろうかね。

でりちゃん、自分で言ってて、おかしいとは思わないのかね?


>しかも、1938年の4万人虐殺説は、当時の日本人や支那人なら誰でも嘘だと分かるために、支那語訳版からは外し、英語版のみに載せた。

「戦争とはなにか」のことだと思うが、校了間際での書き加えだったため、
中国語版の出版には間に合わなかった。
なぜだか判るね?
紅卍字会の埋葬が進んで、死者の数が把握されてきたのが3月下旬から
4月以降のことだからだよ。
「戦争とはなにか」は、英文の原稿から中国語に訳されたものだから、
間に翻訳作業が入る。
刊行時点では英文版のみに追加、補訂が入り、中文版にはそれが間に
合わなかった。
4万という数字が中国語版に載っていないのは事実だが、「削除された」
というのは根拠のない妄想だ。
これは、東中野氏もちゃんと把握していて、
『「南京虐殺」の徹底検証』(展開社)では
「三月二十三日現在、記録上は四万体近い埋葬数であった。
そこでベイツは最終原稿の段階で、「四万人近い人間」の埋葬と書き込んだのであろう。」
(『「南京虐殺」の徹底検証』 P330 )
と、書いている。
出版間際での追加だと言うことは東中野センセちゃんと理解しているのに、
「削除された」などという矛盾したことを平気で主張するとこが痛いね。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/article/warmeans.html


>そして、1938年と1946年に国民党政府から2回勲章を受けた。

国民政府の勲章って、顧問に就任しないと貰えないという規則でもあるのか?
難民保護への感謝として叙勲されるのは何の不思議もないと思うぞ。
http://www.geocities.jp/yu77799/bates1.html


 

返信


これは メッセージ 6705deliciousicecoffeeさんに対する返信です


kintakunteさん 2005/ 7/25 6:07 [ No.6724 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>このトピは二人のためのトピになってしまいましたね。

いや、でりちゃんと「二人きり」扱いされるのはぞっとしません (^^;

>詳細な検証は、専門家に任せてはどうでしょう。

みなさん、それで納得しておられて、専門家の研究を尊重しておられるの
ならよいのですが、専門家の積み上げた研究成果を無視して、
「専門家が不勉強なのだ」などと言い出す人がいると、私としてはやはり
放置は出来ないのですね。

たとえばこんな具合です。
>>>>少なくとも、研究者でこういう説を唱えた人はいない。
>>>「夏淑琴事件」は支那兵か支那人盗賊の仕業なので、研究者はもっと勉強するべき。
>>そうか、研究者の不勉強のせいだったのか。
 うーむ、目からウロコが落ちたと言うべきか、
 目にウロコの入ってる人は強引だと言うべきか (--;

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5febg5tbba6a 1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb&sid=1835559&mid=7021

もちろん、ネットでは、色んな事を言う人がいるんですけど、
それでも、「地球は平面である」 と強硬に主張する人がいたら、
「それは違いますよ」 って、教えて上げるのが普通じゃないですか?

もちろん、そういう人とはなるべく目を合わせないようにしておく、
というのも、一つの方法ですが、真に受けて影響される人が何人か
いるようなら、放置するわけにもいかないでしょう。

専門家の膨大な、分厚い研究があるものを、いとも簡単に無視して、
「専門家は不勉強だ、根拠がない」と言い放つ人には根拠について
じっくり語ることは無駄ではないと思っています。

 

とはいうものの、いい加減飽きてきたけど  (^^;
ま、賽の河原の石積みというやつです。

 

返信


これは メッセージ 6711 kintakunte2002さんに対する返信です


夏休み でりさま教室  補講1 2005/ 7/25 6:07 [ No.6725 /16197]

投稿者 :
ja2047



>ウザイよ

そりゃまー、気分がいいわけはないよな。
片端から間違いや論理のおかしさを指摘されて、
それでも認めようとせずに無理を言い張り続けるのは
普通の人間なら、いい気分のわけがない。


>>でりちゃんは、最初このような文章を出典を書かずに引用した。
>あれは、asdll58さんとのやり取りの中、#6514で既に出典を紹介していたわけ。

あーホントだ、リンクが貼ってあるね。
じゃあ、「出典を書かずに」は私の勘違いということで謝罪し、
でりちゃんは引用文に虚偽が書いてあったことを素直に認める。
こう言うことで手を打とうじゃあないか  d(^^


>ラーベの「一月十四日付上海総領事宛電報」そのものが東京裁判に提出された証拠の中になかったことを述べたのだと解釈したが。

なるほど、でりちゃんほどの手練れでさえ誤読するようなことを
書いている本のわけか、 ますます悪質だな。


>そう。
8千件とか2万件とかいう数字が、どうして出てくるのか誰にも不明なことが最大の問題なのだよ。
そして、それこそが「安全区国際委員会の連中は信頼できるか?」という本題の結論に直結するんだよ。

で、「再審南京大虐殺」は、そのことを主張したいあまりに
虚偽を述べた文章を載せているわけかね。
目的は手段を正当化しないと思うね。


>>読む本は選ぶべきだし、・・・
>余計なお世話だよ。

それはそのとおりだね (^◇^


>ウザイ!
いい加減に消えろ!

ここにはでりちゃんの投稿を楽しみにしている人も多いと思うよ。
その人達はでりちゃんの悲鳴など聞きたくないと思うが。


 

返信


これは メッセージ 6712deliciousicecoffeeさんに対する返信です


夏休み でりさま教室  補講2 2005/ 7/25 6:07 [ No.6726 /16197]

投稿者 :
ja2047



>>タイトルからして間違っている。
>だからさー、どうでも良いくだらないことにイチャモン付けるなよ。
問題は、国際安全委員会の公式文書が信頼できるかどうかだろ。

だからさ、目的は手段を正当化しない。
安全区委員会の統計でないものを、安全区委員会の統計と
言って紹介したら、それは詐欺行為だよ。


>>で、その板倉由明氏は民間人の犠牲者が49人だと言ってるかというとそんなことはない。
>俺とは関係ないだろ。

はあ、つまり、安全区委員会は49人だとは言っていないし、
板倉由明氏も49人だとは言っていないものを、
でりちゃんだけが49人だと主張しているわけね。


>長々と書いてあるのを読んだけど、福田氏の主旨に大きな違いはないだろ?

では、安全区委員達は、訴えをそのまま抗議文にしたわけではないし、
福田氏が挙げた「行ってみたら何もなかった」は、安全区委員会からの
通報のことではないことは理解したのかな?


>じゃあ、安全区国際委員会が検証したかと言ったら、やっぱり検証していないだろ?!

検証した記録の残っている文書が何点かあることは知っている。
ご希望なら引用する。  う ざ い かもしれないが (^◇^
検証が全点残っているかどうかは知らないが、新聞記事の信憑性を
検証するのに、記者の取材メモが出てこないと信用できないと言う
バカな理屈を言う奴はいない。


>結局、どんなに些細な所にイチャモンを付けようが、本題である「安全区国際委員会メンバーの日記や手紙や証言の信頼性」は非常に低いと言わざるを得ないのだ。

あのー、世の中で信頼できる資料とされているものに、「些細な所で
イチャモンを付けて」、信頼できるというなら「説明しろ」、「資料を出せ」、
「でも僕は納得しないぞ」 と言ってるのはでりちゃんなんだがな。

 

返信


これは メッセージ 6713deliciousicecoffeeさんに対する返信です


夏休み でりさま教室  補講3 2005/ 7/25 6:11 [ No.6727 /16197]

投稿者 :
ja2047



>>掲載紙不明で、そもそも新聞記事の切り抜きであるかどうかも確証がなく、
>>誰の責任で書かれたかも不明の文章にか?
>南京大虐殺事件そのものが、犠牲者数不明(南京の人口は増加)、犠牲者も加害者も特定できない、事件の9年後に浮上したデタラメ事件だ。

なんだよ、(南京の人口は増加)って、そういうことの裏付けになる
資料は存在しないことは、何度も説明して上げたでしょ。
残っているのは人口の大幅流入はないという資料ばっかりなんだが。
裏付け資料や論理を無視して、結論にいつまでもしがみつくから話が
エンドレスになるのだよ。
事件の9年後に浮上したって、それじゃあでりちゃんがなにかと疑問を
差し挟むダーディン記事やらラーベ日記やらベイツ書簡やらは、
いったい何なんだよ。
同時代記録があるから、その信憑性がどうのこうのということに
こだわっているんじゃあないのかな?
自分で書いてて矛盾を感じるということはないのかね。


>>いや、それ以前に、なんでそんな重大な秘密を知っていたんだろうかね。
>そんなことの詳細まで一々知らん。

そうか、説明できないわけだね。
じゃあでりちゃんの思いこみ以外には根拠はないわけだ。


>いずれにせよ、当時、ベイツの4万人虐殺説は、事情を知る者には相手にされないトンデモ説だった。

むしろ、事情を一番よく知っている安全区委員達は、これを否定
していないようだが。


>南京事件(昭和12年12月―13年初め)で「4万人が殺された」とする南京在住の米国人宣教師、ベイツ博士のメモが当時の中華民国の公式文書「チャイニーズ・イヤーブック 1938―39」に収録された際、「4万人殺害」のくだりが削除されていたことが東中野修道・亜細亜大教授の研究で分かった。
>チャイニーズ・イヤーブックは、前政府外交部顧問(当時)の徐淑希・燕京大教授が委員長を務めていた中華民国の国際問題委員会の公式資料から作成された、いわば中華民国の公式見解。

削除されたのではない。時間差を利用したトリックなのだ前回リンク先で解説されていただろ。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/article/warmeans.html
チャイナ・イヤーブックについて言えば、序文の日付が1938年2月2日
であることから、原稿はこの時期までに書かれ、校正されていたであろう
ことが判る。
ベイツが犠牲者数を4万と推定したのは先にも述べたとおり、3月後半から
4月にかけてのことなのだから、12月から1月にまとめられたチャイナ
イヤーブックに南京での虐殺の詳細が書かれていないのも、4万説が載って
いないのも、当然なんだ。
「削除」されたんじゃなくて、まだ伝わってない情報なんだよ。
これは、東中野センセ知らないはずがないのだけれど、知っててこういう
ことを書くのかね、アノお方は。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6710

でりちゃんの方がよっぽど素直に思えてくるね (^◇^


 

返信


これは メッセージ 6714deliciousicecoffeeさんに対する返信です


mimim232002さん 2005/ 7/25 6:15 [ No.6728 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>常識的に考えて、民間人殺害があったと言う以上、以下について照明がなされる必要があるでしょう。

ではひとつ、明かりを当ててみましょう。
私の場合、「南京事件」、「南京大虐殺」と呼ばれる出来事による犠牲者の
過半が、戦闘力を失った兵、及び日本軍管理下にある捕虜に対するものと
認識しておりますが、民間人の犠牲者も、万の桁に達したと考えています。
10万の桁には達しないのではないかと思います。


>これらについては、「虐殺があった」と主張する側に立証する責任があるのは当然。
否定する立場からは、それらについて、反証を挙げていけば良いだけなのです。

社会的には証明済みの事項とみなされていますし、学問的には既に立証
されています。
ということで、ネット議論では主に、「否定する立場から反証を挙げる」
行為が行われているわけです。
ところが、「否定する立場から反証を挙げる」行為が成功していないと
言う状態になると、あらためて、「あったことの立証」に話題が転換する。
これが、議論がエンドレスになる理由なのです。


>で、特に4)と5)ね。
4)殺害目的について

いろんな理由が推定されていますが、通常犯罪捜査などで「動機」
が重視されるのは、犯罪事実が明確である場合に、実行者を特定
する場合に、「動機」の有無を問題にするわけです。
まず、行為事実があることが前提の話ですから、「動機」が認められ
るかどうかで、事実の有り無しを判定するということはありません。

で、その、推定されたいろいろな理由、ですが
後に責任者とされた松井大将は、敗戦直後、東京裁判前に、
次のように書き残しています。

「 上海附近作戦の経過に鑑み南京攻略戦開始に当り、我軍の軍紀風紀を厳粛ならしめん為め各部隊に対し再三留意を促せしこと前記の如し。図らさりき、我軍の南京入城に当り幾多我軍の暴行奪掠事件を惹起し、皇軍の威徳を傷くること尠少ならさるに至れるや。
 是思ふに
一、上海上陸以来の悪戦苦闘か著く我将兵の敵愾心を強烈ならしめたること。
二、急劇迅速なる追撃戦に当り、我軍の給養其他に於ける補給の不完全なりしこと。
等に起因するも亦予始め各部隊長の監督到らさりし責を免る能す。」
(「支那事変日誌抜粋」 松井石根  『南京戦史資料集Ⅱ』P185 )

当事者の言ですから、信用してもよろしいのではないでしょうか。

5)については後日。
 

返信


これは メッセージ 6720 mimim232002 さんに対する返信です


nigari1985さん 2005/ 7/25 20:46 [ No.6733 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



はじめまして

>>社会的には証明済みの事項とみなされていますし、学問的には既に立証
されています。

>と、ありますが、薄学なもので知らなかったのですが、立証されているのは本当ですか。初めて聞きました。

私が学問的に立証されていると言うのは、学問的訓練を経たその分野の専門家が
立証されていると認めているということです。
もちろん、学問上認められていることが永遠の真理などではないのですが、
時代時代で専門家が事実だと認めていることは、学問上立証されていると
見て良いのではないでしょうか。

「南京占領時に日本軍による無抵抗の兵士や民間人の殺害、残虐行為があった」
というのは、専門の歴史研究者や、戦史家の広く認めるところです。
もちろん、「中国側の主張に近い規模のものであった」という説と
「一桁小さいものであった」という説がありますが、「あった」と
考えるのが主流であることは間違いありません。
専門の学会誌や、専門分野の事典や、概説書、教科書が事実と認めることは、
学問上立証済みのものと見てよいのではないかと思います。

異説の存在は知っていますが、たとえば「相対性理論は間違っている」という
本が出版されることはあっても、物理学の概説書にそんなことが書いてあることは
ありません。
そう言うことです。

>中国側の資料にしても、日中戦争や南京事件の被害者数が年々増えているのが、信憑性に欠ける要因です。

南京事件について言えば、「増えている」という俗説は完全なガセネタで、
終戦後の戦犯裁判の時から30万以上という数字は出ています。

日中戦争全体の犠牲者は増えているのですが、時に比較対照にならない数字を
引用して、増え方を強調するようなことが行われるように思います。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5fe5tbba6a4oa4ga4ca4abeea42a4h3nbfaea47a4fa4a4a4k&sid=1835559&mid=32357

返信


これは メッセージ 6730 nigari1985 さんに対する返信です


>いや 2005/ 7/25 20:48 [ No.6734 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>君に向けて語ったんじゃないんですよ。
悪いけど。
>あとは、好き放題言ってくださいな。

はい、ではさようなら。

返信


これは メッセージ 6731 mimim232002 さんに対する返信です


題名を考えるのが面倒になった 2005/ 7/26 6:46 [ No.6741 /16197]

投稿者 :
ja2047



>>なるほど、でりちゃんほどの手練れでさえ誤読するようなことを
>>書いている本のわけか、 ますます悪質だな。

>ラーベの『一月十四日付上海総領事宛電報』が東京裁判に証拠として提出されなかったのなら、、「証拠の中で強姦事件二万件について触れているものはない」と書いても、別に問題ないだろ。

「提出されなかったのなら」、そう書いても別に問題はない。
提出されていたのなら、そう書くことには大いに問題がある。
で、実際は検察側書証四○三九号、法廷証三二九号として
提出されている。

さて、 問題がある/問題がない  どっちかな?


>ベイツの強姦8千件、ラーべの強姦2万件という見積もりは、共に根拠のない出鱈目な見積もりだった。

根拠が十分明らかにされていない → 根拠がない  かな?

日本側の記録については以下の通り。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6415

数百件以下ではなさそうだということまでしか判らない。


 

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これは メッセージ 6738deliciousicecoffeeさんに対する返信です


題名を考えるのが面倒になった 2) 2005/ 7/26 6:47 [ No.6742/16197 ]

投稿者 :
ja2047



>板倉云々ではなく、安全区国際委員会の日本大使館への抗議文書にある殺人事件から殺害犠牲者を数えると約50人になるのは事実だよ。

殺人があったことを安全区委員が実際に確認した事例が50人前後だということだ。
明らかに殺害された発電所職員42人や警察官95人の事例は、殺害されたことが
この時点で確認されていないので、抗議文の独立した事例としてカウントされていない。
兵士との疑いで連行されて帰ってこなかった市民についても同様だ。
http://www.geocities.jp/yu77799/49nin.html


>「検証した記録」と言うものの中で、被害者が誰か特定されているもの。
出来れば、犯人が誰かも判明したもの。
事件の日時、場所、犯行手口などが、検証によって定かになったものなら、どうぞ、お願いですから、是非、是非、引用してください。

さすがに、「犯人が誰かも判明したもの」はないんじゃあないかな。
でりちゃん、泥棒に入られて警察に被害届を出したら、
「犯人が誰だか特定して通報してくれないと、捕まえようがない」
と言われたら、怒るだろ?

それはともかく、一例

第六十六号文書  現在の状況にかんする覚書
一九三八年二月八日正午
先日の殺人事件の謎が解けた
百子亭の裏の城壁の近くの菜園のはずれで射殺されたごま塩頭の老中国人は、納屋から椅子を二つ運んでいて日本兵に射たれたのである。この負傷者を運ぼうとして古い戸板を持ち出してきた老女と二人の男は、負傷者を助けようとする人道主義的関心を示したために射殺された。
南京において法と秩序を回復しようとする真剣な努力の最近のあらわれが、先週の目曜目に見られた。月曜日の朝われわれにとどいた第一報では、事件は軍用地でおこったということだったので、われわれは調査にでかけることをしなかった。ところが、同日おそく死者の隣人が一人やってきたし、さらに午後四時三〇分頃には、一人の少女がきて殺された婦人の娘だと名乗った、母親は家庭生活をまたはじめようとして、数日前に帰宅しており、有金全都を身につけていた。娘は母親の死体から金をみつけだしたいとのぞんだ。ラーべ氏とミルズ氏が彼女とともにただちに現場に急行して、四人の遺体が新しい血の海のなかに横たわっているのを見出したのである。
(a)
第四二五件 第一号は老人である。第二号は救援者をつれてきた婦人、
第三・四号は負傷者を運びにきた男たちである。長方形の物体は戸板で
(b)
ある。
(a)第六十七号文書を見よ。
(b)文書のカーボン・コピーには図は示されていない。
(ここではその失われた図を掲載した)

今目、火曜の朝、ローゼン博士、ラーべ氏、スパーリング氏、スミスが調査におもむいたところ、遺体は埋葬のために近くの塚に移してあった、地面と戸板にはまだ血がついていた。殺人現場は菜園に囲まれた池の近くで、畑二枚が春の作付のために掘りかえされたところであつた。現場は近くの道路から二〇〇ヤードのところである。今朝、兵隊たちが道を通つたが、農民たちのむしろ小屋の前には歩哨の姿は見えなかった。生残った一人の男がわれわれに語ったところでは、殺人のおきた日には、帰宅して畑で働いていた人が多数いたとのことである。しかし、この事件に驚いて全暴逃げてしまった。これが農業生産を奨励するとしうことなのか! 西側には旧ソ連大使館のすすけた壁がそびえ立っている。
[以下略]

>"on the basis of the safety zonereportsalone" すなわち、「安全区国際委員会の報告のみを基にして」、8千件という強姦件数が見積もられる筈がないのに、8千件と見積もったベイツの証言は出鱈目だよ。

estimateなんだけどね。 委員会が持っている報告のうち、どれ位を
日本側に宛てて事例として提出したか不明なんで、何とも言えない。
本当に八千件のベースになるほどの報告が寄せられていたのなら、
全部実際に検証する時間はとても取れなかっただろうから、これ自体
には矛盾はない。

この件、議論が粗雑になっているので、今はここまでにしておく、
議論が粗雑になるほど、でりちゃんに有利だからね (^◇^


 

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これは メッセージ 6739deliciousicecoffeeさんに対する返信です


題名を考えるのが面倒になった 3) 2005/ 7/26 6:48 [ No.6743/16197 ]

投稿者 :
ja2047



>安全区国際委員会の公式文書によれば、陥落前の人口は約20万人。
陥落1ヵ月後の人口は約25万人。

おやおや、でりちゃんいつから安全区文書を信用するようになったんだ。
その「公式文書」の数値の信頼性が問題なの。明らかに推定値であって
後に訂正されているわけだから。


>その他の資料を見ても、陥落前の人口は10万人~25万人。

調査に基づく資料は一件もない。
どう把握していたかの資料にはなるが、実際の人口は不明だ。


>ベイツは、ベイツ・メモで4万人大虐殺を主張した1938年に国民政府から勲章を受けた。
また、ベイツは、東京裁判で市民1万2000人大虐殺を主張した1946年に国民政府から勲章を受けた。
他の安全区国際委員会のメンバーは、1938年や1946年に国民政府から勲章を受けていない。
ベイツが国民政府から貰った「勲章」と南京大虐殺の「大宣伝」の相関関係は、これで十分に説明がつく。

ベイツが受け取った勲章というのを私は確認していないのだが、
どのような名前の、どういう性質の勲章だったのか、
他のメンバーは本当に叙勲されていないのか
ひとまず、この辺が不明なんで、何とも言いようがない。
戦後ラーベが国民政府から勲章を受けているということを
書いているものがあるようだが、これも詳細は確認していない。

この件、でりちゃんに説明を求めることはしないので、
まあ私の研究課題ということで、ぼちぼち調べてみるわ。


>以上、ベイツの国民政府顧問説は十分に合理的である。

ふーん、でりちゃんの方法論というのはこう言うことなんだ。

・オマエが出す資料は100%証明されたものでないと根拠として認めない。
・オレが出す資料は出所不明でも報告者不明でも確実な証拠だ。

こりゃ、なかなか対抗できそうにないなあ (^◇^


 

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これは メッセージ 6740deliciousicecoffeeさんに対する返信です


ふたたび nigariさん 2005/ 7/26 20:42 [ No.6747 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>レス、ありがとうございました。

いーえ、たまにでりちゃん以外の相手をすると 正直ほっとします (^^

>ただ、南京事件については、
諸説紛々があるということでしょうね。
しょせん戦争ですから。

資料が全く残ってなくて不明なところとか、起きたことははっきりして
るんだがその意味を巡って諸説紛々なのはかまわないんですけど、なんだか、
肝心の事実として何が起きたかというあたりから、すでに奇説、怪説が横行
しているのがこの問題の痛いところです。
ま、私が思うには犠牲者30万、40万というのがすでに怪説なのですが、
何もなかったというのはさらに怪説なわけです。


>教科書は資料文献としてはいかがなももかと思います。

基礎資料ということじゃあなくて、おおむね学界の定説が載っているという
意味です。


>国、政府のプロパガンダの色が濃いですから。

まあ確かに、南京事件については日本の学界の定説と中国の学界の定説は、
一致しているところとしてないところがあります。
まして、それを取り巻く俗説になると、天と地の開きがありますね (^^;

日本の教科書も、何十年か前は、「南京虐殺」と書くと、文部省が
そういうことを大げさに書くなということで検定されたのですが、
現在は扶桑社の教科書なんか、最初のいかにも全部捏造だといいたげな
表現が、定説に近い表現に直させられているという状況ですね。


>存在説の唯一の大きな疑問点は、
虐殺といわれる結果(証拠)が残っていないことです。
本当のところ、どうなんですか??

他の歴史上の事件とか、現在進行中の事件と比べても、相当な量の資料が
残っていると思いますよ。
通常、歴史上の事件はどのような基準で「あった」と認識されているか、
と言うことを考えれば、「不法殺害」そのものについては「あった」と
推定するに十分な根拠がある。
根拠がないのは、「犠牲者の総数は30万以上」という規模の点や、
なにやら日本軍が残虐目的や住民皆殺しを目的に組織的にやったように
言われる点です。
実際は、その場の勢いでつい不要の殺人を積み重ねてしまっただけ
じゃあないかと思いますね。

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これは メッセージ 6744 nigari1985 さんに対する返信です


ねこままさん 2005/ 7/26 20:53 [ No.6748 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>はじめまして。

はじめまして、
おー、なんか素敵なアバターじゃないですか。

>あのー、貴方はとても詳しそうなのでちょっと
お伺いしたいのですが。

たぶん、自分の頭の中に知っていることは他の方とたいした違いは
ないと思います。
こういうのって、どこを調べたら詳しいことが判るか、そういう
テクニックの問題ですよ。


>日韓併合で、朝鮮の人も日本軍として一緒に
戦っていたのですよね?
 ↑ 違ってます?

その通りです。

>もし一緒に戦っていたのなら、それは何時頃までですか?

終戦までと言うのは答にならないですけど、むしろ、何時から?というのが
正しい問いなのですね。

>南京大虐殺といわれる事件の時は、朝鮮の人も
含まれていたのでしょうか?(加害者側に)

含まれてないと思います。
日本軍の朝鮮駐屯は1904年の日露戦争の時に始まるのですが、
日本が日露戦争に勝ち、朝鮮を保護国としたので、朝鮮を併合
する直前の1909年に当時の韓国軍を廃止させます。
この結果、朝鮮人の兵士はほとんど解雇され、数百人規模の
朝鮮王宮警備部隊だけが朝鮮人で編成されるようになります。
ただ、解雇された将校の一部、数十人は1920年になって
日本軍に再雇用され、日本の将校として勤務するようになり
ます。
朝鮮出身の日本軍人で、高い地位の人がいるというのは、
日本軍の中で出世したというより旧韓国軍の中で高い地位に
いた人が日本軍に職を得たということなのです。
で、上記朝鮮王宮の警備軍も1930年には解散になり、
「支那事変」が始まったときには、日本軍に朝鮮出身の兵士は
ほとんどいませんでした。
その後、1938年に朝鮮人の志願兵を募集するようになり、
敗戦間際の1944年になって、朝鮮人も兵役の対象とします。
ですから、対米英戦では朝鮮人の兵士もいますが、基本的には
朝鮮駐屯軍所属で、そんなに大量に外地に出たわけではありま
せん。
まー、あんまり信用していなかったというか、当てにしていな
かったと言えばそれまでなんでしょう。

ということで、1937年の南京事件の時期には、日本軍に
朝鮮人の兵士はいません。
運送業者とか通訳とかに朝鮮半島出身者がいた可能性はあり
ますが、第一線の兵士は全て日本本土出身者です。

朝鮮半島での兵士の募集については、こちらが詳しいです。
http://www.jkcf.or.jp/history/3/08-0j_tobe_j.pdf

 

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これは メッセージ 6746 nekomama815 さんに対する返信です


大漁じゃ 大漁じゃ 2005/ 7/27 6:24 [ No.6758 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>ただ、解雇された将校の一部、数十人は1920年になって
>>日本軍に再雇用され、日本の将校として勤務するようになり
>>ます。

>>やっぱりいたじゃないか。

将校は「兵」ではありませんし、この人達は朝鮮駐屯軍の所属が大部分です。
一人ずつの足跡まではとてもたどれませんので悪しからず。
南京攻略戦の日本軍の編成表を紹介しておきますが、
その数十人が南京攻略戦に参加したという記録は、
今のところ私は知りません。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/


>ところで、日本本土に移住してきた朝鮮人はどうなんだ?
徴兵されなかったのか?
そのあたりの説明がないが。

日本の兵役制度というのは現住地ではなく本籍地の師団に入営するのが
原則です。
外地に居住していた日本人も、兵役につくときには出身地の師団から
出征しています。
 

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これは メッセージ 6749 gx450jp さんに対する返信です


みたび nigari1985さん 2005/ 7/27 6:41 [ No.6759 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>いえ、私が言っているのは、文献ではなく武器や遺骨、墓などの物的証拠です。

刑事事件ですと、事件発生を知った捜査機関が現場の保全やら証拠の押収を
やりますから、そういうものが残るんですね。
歴史上の出来事の場合は、とくに、発生直後に監督権とか捜査権がある
機関が動かなかった場合は、物的証拠は残るとは限りません。
南京事件で言えば、使用された武器は、捜査、押収がないのであれば
当然次の戦場に携行されたわけです。

死体は激戦の後ですから大量にあったわけで、埋葬記録は存在します。
埋葬地の写真と合わせて戦後の裁判に証拠提出されてますし、
南京裁判では遺骨まで証拠提出されています。
でも、死体や墓地は、死者が戦闘によるものか不法に殺害されたものかの
証明にはなりませんよね。
そうなると、不法殺害であることの証明は記録や証言によってなされることになります。


>私の父は戦争に行ってましたが、
まず、長刀(って言ってました)では絶対に人は切り倒せない。ましてや、複数の人間は無理だ、と。
また、銃も半分近くは弾なしで、敵の兵士から奪わないと武器がない、と。

なんか「スターリングラード”Enemy atthegate"」みたいなお話で、
これ、大戦末期の話ではないですか?
「支那事変」時には、「弾丸節約のため捕虜の処刑は銃剣でやれ」という
命令が出たという証言はありますが、戦闘のための弾丸が恒常的に不足した
という話は聞いたことがありません。

>ja2047さんは、戦地に赴いているなら、半分納得しますが、文献だけでは???というのが本音です。

まあ確かに私は日本刀で人を斬ったこともなければ、銃剣で刺した経験も
ありません (^^;;
 

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これは メッセージ 6750 nattoudame1985さんに対する返信です


時間切れ 2005/ 7/27 6:42 [ No.6760 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



あとは後ほど m(_ _)m

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これは メッセージ 6759 ja2047 さんに対する返信です


>ja2047さんへ 2005/ 7/28 6:27 [ No.6774 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>私はこれまで日本がひどいことをしたのだからとずーっと思ってきましたが、

うーん、どういう根拠からそう思われていたのでしょうね (^^
実際にした部分もあったし、当時大陸にいた日本人が悪意を持っていた
わけでもないと言うところでしょうね。

>先ごろの反日の激しさを見、
テレビに映し出された小さな子までが暴動に混ざって
ものを投げつけるのを見て、何とも言えない感じを受けました。

これ自体は歴史の問題と言うより中国社会に不満が鬱積している証拠、 現在の中国
政府はもう国民をコントロールできないという証拠と見るべきでしょう。
現に、本当に生の体験で怨みを抱いたのかも知れない人々の時代には、「反日暴動」は
起きなかったのですから。


>本当のところはどうだったんだろうと思いますが、
日本人として日本人をかばいたい気持ちになってしまいます。

細かいことのようですが、私としてはこう表現していただきたかった。

「日本人として日本人をかばいたい気持ちになってしまいますが、
本当のところはどうだったんだろうと思います。」


と、いうところで、一旦失礼します <(_ _)>

最後に、比較的中立に多数の資料を挙げているサイトをご紹介しておきます
(今回はゆうさんのところではありません)
http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/1937.html

 

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これは メッセージ 6752nekomama815dayoさんに対する返信です


>よたび ja2047さん 2005/ 7/28 6:28 [ No.6775 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>戦争ですから当然誤爆もあるでしょうし、軍服を着用していない武器を持った兵士もいたことでしょう。
結局、占拠された側の主張に尾ひれがついてここまできた、ということでしょうね。

尾ひれ付きまくりの部分もありますし、逆に今日のネットの論調では、
尾ひれを叩いてついでに実体ごと無視しようと言う傾向があります。
ま、ここらで細かく私の見解との相違を論うことはしません。


>デリさんとも、一度互いにゼロから再スタートして、先入観、結論ありきでない討論を期待しています。

先入観、結論ありきでない議論というのはいつでも可能なのです。
今取り上げられている話題について、そういう態度で臨めばよい
というだけの話ですよ。


>ありがとうございました。

いえいえ、お話が立体的になるのは議論にとってとても良いことです。
私こそ感謝しております。

 

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これは メッセージ 6761 nigari1985 さんに対する返信です


>>大漁じゃ 大漁じゃ 2005/ 7/28 6:29 [ No.6776 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>では、内地の師団に転出した朝鮮人将校がいたかもしれないということだな。

うん、ゼロかどうかまでは今の私には確認できない。

>本籍は変更できるのではないか?

当時の戸籍法の詳細まで走らないけど、
日本人の養子になった場合には兵役義務が発生するのじゃあないかな。

 

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これは メッセージ 6762 gx450jp さんに対する返信です


決着が一つ 新たな妄想が一つ 2005/ 7/28 6:36 [ No.6777 /16197]

投稿者 :
ja2047



>>で、実際は検察側書証四○三九号、法廷証三二九号として
>>提出されている。

>そうかい、じゃあ、あの書き方は問題あるな。

小学生でも解る明白かつ単純なことを認めて貰うのにずいぶん苦労しなくちゃ
ならないんだな、10日もかかった。
でも、ようやく順当な結論に達したね、よかったよかった (^^


>>日本側の記録については以下の通り。
>件数に関しては、うわさを基にした検証前の「百余件」しか示されていないね。

軍の正式文書で百余件と明白に書かれているのだしね、そもそも、噂から件数を
求めるのは不可能だ。
どの程度の検証がなされたかはこの文書だけでは不明だが、「噂をもとにした」
「検証前の」というのは単なるでりちゃんの想像、もしくは願望だ。


>同じ頃に、百余件と8千件と2万件の見積もりがあったということは、信頼に足るマトモな見積もりは、何一つなかったということだよ。

どれが信用できるか判らない、だから「限りなくゼロだ」という理屈にはならない (^◇^
第十軍参謀長命令に出てくる「百余件」は常識的に考えて第十軍だけの
数値ではないかな。
第十軍と上海派遣軍では独立した法務部を持っていたからね。
しかも、12月20日付の命令で「百余件」
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/145.htm
と言うことは、陥落後一週間で、第十軍が把握している数字だけで、
「百余件」と言うことになる。 ←これ、重要
一ヶ月後の南京攻略軍全体の実際の数がもう一桁上であってもおかしくは
ないし、二桁上であっても、あり得ないとまでは言えないだろうな。 
正直二万件は多すぎるような気もするが、現地にいた人の実感による推測より
私の勘の方が確かだとは言えない。


>南京の「安全区」だが、もともと、外国人(白人)と支那人の富裕層が住む地区だった。

うんうん。

>「安全区」は、白人の会社・大学・病院・教会などの資産やその住居、そして富裕支那人や支那官僚・高級軍人の住居が集中した地区だった。

これもその通り。
ところが、この話、読み進んでいくとものすごいことが書いてあるじゃあないか。

・略奪は全部中国人の仕業だと仮定する
・略奪が中国人の仕業だと、宣教師達の立場が悪くなると仮定する(なんで悪くなる?)
・したがって、全員が口裏を合わせてウソを書いたと仮定する
・これで、全部日本軍のせいにした報告書が出来上がる
・すると一貫したストーリーが出来て矛盾がない
・これによって、安全区委員の記録は全てウソだと証明された。

おいおい、これは「証明」ではなくて、 「 妄 想 」 と呼ぶのが、正しい日本語の
使い方だよ。

>以上が、いわゆる「南京事件」の真相であり、これで全ての辻褄が合う。

現実に残っている記録が全部ウソだと仮定して、 つじつまの合うストーリーを
自由に創作して、 創作されたストーリーに矛盾がないから事実が証明された
というのは、ユダヤ陰謀論や田中上奏文の世界と言うようなもんじゃあない、
どっちかというと、ニャントロ星人の世界だぞ (^^;

でりちゃん、鳩さんの後継者を目指してるのか?


本日はここまで、その他の話題は週末。

根拠を確かめながらレスを書くのは時間がかかるものなのだよ d(^^


 

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これは メッセージ 6751deliciousicecoffeeさんに対する返信です


ほう そうかい 2005/ 7/28 17:16 [ No.6784 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>根性の悪さが全開だぞ

いっぺん根性の悪い奴の相手をしてみるか? (^^

返信


これは メッセージ 6783success_success_ssssさんに対する返信です


そうなのだよ 2005/ 7/28 19:42 [ No.6788 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>真剣に討論するひとが
どして 顔文字使うんだい

まあ、手塚治虫のマンガが変なところでギャグを入れるのとおんなじようなものだと
思って下さい (^^

返信


これは メッセージ 6787success_success_ssssさんに対する返信です


>>>>大漁じゃ 大漁じゃ 2005/ 7/29 6:21 [ No.6792 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>日本本土へ移住した朝鮮人が自由に本籍を変えられたかを聞いてるのだ。

戸籍制度までは詳しくない、 はい、ギブアップ  ∩(´ω`)∩

ただ、戦前の日本の戸籍は、いちいち「士族」などと書かれたものだから、
仮に本籍地が変えられたとしても何らかの痕跡が残ったのではないかな、
とにかく想像で話はしたくない ギブアップ  ∩(´ω`)∩


 

返信


これは メッセージ 6780 gx450jp さんに対する返信です


>本当にな~んも 2005/ 7/29 6:23 [ No.6793 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>朝鮮のことも侵略したと思っていました。

武力を背景に他国を支配したわけですから、「侵略」と
呼ぶことは妥当と思います。
ただ、当時はそういうことが普通に行われていたので、
イギリスやアメリカもむしろこれを歓迎したというだけの話です。
欧米諸国がアジアを支配下に置いていたのが侵略であるのと
同様に、侵略だと評価してもさしつかえないでしょう。
アメリカのハワイ併合と非常によく似たケースですね、私は
ハワイ併合は侵略だと思います。


>ただ高校のときに年配の簿記の先生が(商業高校に
行っていましたので)日本は戦争をしなければならないように
追い込まれたんだ、とおっしゃっていたのだけが
記憶に残っていました。

戦前の日本人は今のように「戦争に巻き込まれる」という
ような発想は持っていなかったのではないかと思います。
日本という国の利益とか名誉を考えると、必要なときには
戦争だってやるという考え方だったわけで、
戦争という手段は主体性を持って選択したわけですよ。
「日本は戦争をしなければならないように追い込まれたんだ」
というのは、いささか「自虐的」な思想に見えます。
戦後のことなので致し方ないとは思えますが。

 

>そうですね、どうしてもかばいたい、酷くはなかった
と思いたい気持ちのほうが先に来てしまいますね。

なかなか鋭い切り返しです (^^;


 

返信


これは メッセージ 6789 nekomama815 さんに対する返信です


壮大な物語 2005/ 7/29 6:26 [ No.6794 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>しかも、12月20日付の命令で「百余件」
>>と言うことは、陥落後一週間で、第十軍が把握している数字だけで、
>>「百余件」と言うことになる。 ←これ、重要

>だから、安全区国際委員会の連中がジャンジャン宣伝していたからだよ。

第十軍の参謀は指揮下の兵士より国際委員会の「宣伝」の方を信用して、
それを正式の命令書にまで書いてしまったというのか。
帝国軍人ともあろうものが、何と言ふことだ。
それでは陛下に対し奉り申し訳が立たぬではないか、  私には信じがたい。


>南京で憲兵の調査で判明した強姦犯人7人は厳しく処罰されたよ。

この話、Fさんとでりちゃんはやたら持ち出すのだけど、どういう資料に
基づくものなのかいまだに解らないんだ。
ちょっと教えてくれない?

 

以下、でりちゃんの創作物語については、
「資料が全部ウソで、オレの想像には矛盾がないから正しい」
というお話なので、資料を元にして反証する私のスタイルが
通じにくいのだよね。

しかし、陥落直後の南京には宣教師だけでなく、新聞記者、医師、
教師、ビジネスマンなど、様々な職業と国籍の人間がいるのに、
どうやって全員の日記や手紙に至るまで口裏合わせの捏造が
可能だったのだろうね?

ついでに、日本の外交官やら軍人まで、なんでこの捏造大作戦に
荷担したのだろうか。
背後には壮大なスケールの一大陰謀が隠されているみたいだな。

小説のシノプシスとしてなら楽しめるんだけどね (^◇^

 

返信


これは メッセージ 6790deliciousicecoffeeさんに対する返信です


>>>本当にな~んも 2005/ 7/29 20:25 [ No.6798 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>国民が主体性を持って「戦争を選択」したかは、はなはだ疑問である。

んー、ねこままさんとのやりとりは「議論」じゃなくて「対話」ですので、
言葉が厳密でないのは認めます。

「日本人は」と書いてますけど、「主体性を持って戦争を選択した」というのは
いまでいう「国民」のこととは言えないでしょうね。
当時の「全体としての国民」というほどの意味です。
そんなものは実在しないものだと言われればそれまでですが、
当時はそれが実在するものだと考えられていた、「国民全体」のことです。


>そういう状況では「追い込まれた」という言葉は非常に責任回避には魅惑的な「言い訳」として映るのであろう。

私が言おうとしているのは、
「日本は戦争をしなければならないように追い込まれたんだ」
というのは、戦争に負けたから出てくる言葉なのであって、
戦争の最中に教壇に立っている人からは出てこない言葉ではないか、
ということです。

返信


これは メッセージ 6797 wkwdb654 さんに対する返信です


jumo0008さん 2005/ 7/29 21:04 [ No.6799 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



前回私の指摘した、CNN写真の誤りについて、
松尾さんがようやく訂正記事を出して下さいましたので、
紹介しておきます。
http://www.geocities.jp/nanking1937_matsuo/nanking/sensouron_miss.html


なお、松尾さんに訂正を迫ったのは私ではありません。
沢山の人が間違いに気付いていたということなのだと思います。

返信


これは メッセージ 6593 jumo0008 さんに対する返信です


でりちゃん シンプルに考えよう 2005/ 7/31 6:20 [ No.6808 /16197]

投稿者 :
ja2047



>>武力を背景に他国を支配したわけですから、「侵略」と
>>呼ぶことは妥当と思います。

>いったい、何のことを言ってるだろうか?
いつ、日本が武力を背景に朝鮮を支配した?

は? 当時の朝鮮が日本の保護下に入ったのは、日本の軍事力を
恐れて、もしくは頼ってのことではないのかね?
日露戦争に日本が負けていたら朝鮮を保護国にすることは出来なか
ったし、ましてや併合することなど出来なかっただろうね。

>自分のことを「資料を元にして反証する私のスタイル」とか言ってるが、マトモな資料がないのに、イメージだけで言っているとしか思えない。

んんん? 日露戦争に日本が勝ったのはイメージの上だけだと言うの?
ま、日本も継戦能力はなくしていたから、勝ったのはイメージの上だけ
と言わんばかりの説もないではないが。  勝ったのは事実だろう?


>日本は戦争をしなければならないように追い込まれたんだよ。

だから私に言わせれば、そういう言葉は敗戦の結果だというのだ。
戦時中の日本人はそんな後ろ向きのことは言わなかったと思うぞ。
現に公には言ってないだろう。

 

返信


これは メッセージ 6801deliciousicecoffeeさんに対する返信です


それはガセネタ d(^^ 2005/ 7/31 6:21 [ No.6809 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>この話、Fさんとでりちゃんはやたら持ち出すのだけど、どういう資料に
>>基づくものなのかいまだに解らないんだ。
>>ちょっと教えてくれない?

>1938年2月9日付「シカゴ・デイリー・ニューズ」が、7件の強姦の犯人が厳しく処罰されたと報じた。

確認してみたが、少なくともそれはウソだということが解った。

これは、「再審南京大虐殺」の
「なお、日本軍に通報があった七件については、「シカゴ・デイリーニューズ」(一九三八年二月九日)に報道されているとおり、日本軍は犯人を厳しく罰している[五十七]。処罰は厳しく、部隊から不満の声が漏れたほどであった[五十八]。」
という記述から来ているように思うが、
1938年2月9日の「シカゴ・デイリー・ニューズ」に書かれていることは
「十余名の日本兵が軍紀違反の角で罰を受けた」という意味合いのことらしい。

「らしい」というのは、この記事が私の手の届く範囲に見あたらなかったので、
どういう文脈でこの言葉が出てくるのか不明だからだ。
私の予想では、「膨大な残虐行為があったにもかかわらず、日本軍はわずかに
十数名しか処罰していない。」という趣旨の記述であって、
「日本軍が十数名しか処罰していないそうなので、たいした犯罪はなかったのでは
ないか」 という記述ではないのだろうと思うね。
ま、この文章は、安全区委員会の抗議文の恣意的な解釈と、米紙の記述と、東京
裁判での塚本法務官の証言をごちゃごちゃにして、根拠のある記述のように見せ
かけているだけだな。 一種の催眠商法みたいなものだ。
で、でりちゃんは見事にだまされた、と。


>ついでに、もうFさんから逃亡せずに正々堂々と議論する方が良い。

なに、彼は誰彼なく捕まえては「逃亡せずにお答え下さい」と言って歩くクセがあるだけだ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5fe5tbba6a4oa4ga4ca4abeea42a4h3nbfaea47a4fa4a4a4k&sid=1835559&mid=32992
相手をするとどういう問答になるかよく知ってるだろ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a1za1a1a5ta5a1a5aba5a6a5ha1a1ofthea1a1yeara1a1a1z&sid=1835559&mid=821


 

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これは メッセージ 6802deliciousicecoffeeさんに対する返信です


それは スリカエ d(^^ 2005/ 7/31 6:22 [ No.6810 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>以下、でりちゃんの創作物語については、
>>「資料が全部ウソで、オレの想像には矛盾がないから正しい」
>>というお話なので、資料を元にして反証する私のスタイルが
>>通じにくいのだよね。

>南京虐殺のマトモな資料は何一つない。

ほれほれ、「安全区での掠奪・強姦」の話をしていたのに、
いつの間にか、「大虐殺の目撃はあるか」という話にすり替わってるぞ。
でりちゃんの面白いところは、「大虐殺」の話をしているのか、
「ある程度の不法殺害」の話をしてるのか、「掠奪・暴行」の
話をしてるのか、本心では「どれもなかった」と言いたいのだが、
話の成り行きで自由自在にすり替えてしまうところだ。


>>しかし、陥落直後の南京には宣教師だけでなく、新聞記者、医師、
>>教師、ビジネスマンなど、様々な職業と国籍の人間がいるのに、
>>どうやって全員の日記や手紙に至るまで口裏合わせの捏造が
>>可能だったのだろうね?

>意味不明。
>陥落直後から終戦までの8年間、日本軍による無辜の南京市民虐殺を、誰一人として
>目撃していないという点で全員が完全に一致している。

意味不明で逃げるのかね?
でりちゃんが
「安全区での掠奪・暴行は外国人達の口裏合わせによる虚偽の証言」
という、架空のお話を始めたから、
「どうやって全員の日記や手紙に至るまで口裏合わせの捏造が可能だったのだろうね?」
と言ってるんだがな。
急に「南京市民虐殺」に振るところを見ると、
「安全区での掠奪・暴行は外国人達の口裏合わせによる虚偽の証言」
という妄想は通用しないと悟ったのだね。

 

 

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これは メッセージ 6802deliciousicecoffeeさんに対する返信です


それは勘違い d(^^ 2005/ 7/31 6:25 [ No.6811 / 16197 ]

投稿者 :
ja2047



>>ついでに、日本の外交官やら軍人まで、なんでこの捏造大作戦に
>>荷担したのだろうか。

>お人よしの日本人は、当時も、一部のその筋の外交官や軍人が、安全区国際委員会から発信されていた嘘報告・嘘抗議・嘘宣伝を真に受けてしまったんだよ。

いやいや、現場にいた外交官や軍人は、日本軍による掠奪・暴行・殺人が
あったのを実際に体験したと言ってるよ。
宣伝を信じたんじゃあない、実際に見ている。

上海日本大使館参事官 日高信六郎氏の回想
「掠奪や虐殺について、占領直後の南京に入った参事官の日高信六郎氏は、わたしに次のように語った。
『はげしかった。そこら辺にたくさん死んでいる。歩いていると、ポンポンと音がする。鉄砲が人に当たっている音だ。こりゃいかんと思い、憲兵隊長のところへ行った。
「街に出てごらん。手に何か持っていない兵隊がいたら、わたしは敬礼するよ」
といったが、隊長は、憲兵は十四名しかいないし、明日(十七日)の入城式に備えて忙しいからという。しかし、わたしがあまりいったので、風呂上がりであったが、軍服を着、部下を連れてトラックで出て行った。そして、掠奪している兵隊、強姦している兵隊を、サーベルの曲がるくらいひっぱたいたといった』」
(「南京事件と広田弘毅」(上) 城山三郎 「潮」1972年10月号)

「 何と言っても、残虐事件の最大の原因の一つは、上層部の命令が徹底しなかったことであろう。たとえば捕虜の処遇については、高級参謀は松井さん同様心胆を砕いていたが、実際には、入城直後でもあり、恐怖心も手伝って無闇に殺してしまったらしい。揚子江岸に捕虜たちの死骸が数珠つなぎになって累々を打ち捨てられているさまは、いいようもないほど不愉快であった。
 しかし心がけのいい軍人も少なくなかったし、憲兵もよくやっていたが、入城式の前日(十二月十七日)憲兵隊長から聞いたところでは、隊員は十四名に過ぎず、数日中に四十名の補助憲兵が得られるという次第であったから、兵の取締りに手が廻らなかったのは当然だった。そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。戦争がすんでホッとしたときに、食糧はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める。床をはがして燃す前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと「ご苦労さん」という代りに射ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった。
 問題はこのような放火、殺人、暴行、掠奪といった残虐行為を、外国人の見ている前で働いたということであろう。しかも軍の上層部では戦争に没頭していたし、今日とは違ってラジオ・ニュースなどもなかったから、このような事件をあまり知らなかったのである。そこで私は、多分十二月十五日だったと記憶するが、司令官の朝香宮を訪ね、「南京における皇軍の行動は全世界の注目を浴びているから、そのおつもりで・・・」と暗に注意を促してから、参謀長に会い、「いま、こういう話をしてきたが、外国の権益のあるところでは慎重にやらねばならない。南京でやっていることが世界中の評判になっているから、大いに自重して欲しい」と申し入れたところ、素直に諒解してくれた。その他警備司令部、憲兵司令官などをも歴訪して同趣旨を説いてまわったことを覚えている。」
(「広田弘毅」 広田弘毅伝記刊行会 1966 P311~P315)
 

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これは メッセージ 6810 ja2047 さんに対する返信です


それは勘違い d(^^  2) 2005/ 7/31 6:27 [ No.6812 /16197]

投稿者 :
ja2047



>>ついでに、日本の外交官やら軍人まで、なんでこの捏造大作戦に
>>荷担したのだろうか。

>お人よしの日本人は、当時も、一部のその筋の外交官や軍人が、安全区国際委員会から発信されていた嘘報告・嘘抗議・嘘宣伝を真に受けてしまったんだよ。

いやいや、現場にいた外交官や軍人は、日本軍による掠奪・暴行・殺人が
あったのを実際に体験したと言ってるよ。
宣伝を信じたんじゃあない、実際に見ている。

今度は軍人。
「取締が厳しすぎる」というお話の元ネタの一つだろうね。

第十軍憲兵隊長上砂勝七少佐の回想
「 右の如く軍の前進に伴い、いろいろの事件も増えて来るので、この取締りには容易ならない苦心をしたが、何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵を前にしての攻撃前進中では、各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであるから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で目に余る者を取押える程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、一部の者は所属の部隊に引渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れて歩き、南京さして進んだのである。
 この状態が東京の中央部に伝わったので、時の参謀総長閑院宮閣下から「軍紀粛正に関する訓示」が出された。

 戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
 皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は山地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、故に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した。

 或る部隊長が憲兵に向い、「今度附いて来た憲兵は日本軍の憲兵か支那軍の憲兵か。取締りがやかまし過ぎるぞ」と詰問するのに、憲兵が答えて「皇軍らしさに欠けるところがなけれは、日本の憲兵となり、さもなくば支那の憲兵と思われるでしょう」といったことがある。
 皇軍が皇軍らしい行動に、些かの欠けるところがなかったなら、数万の金品を使って宣撫したり、百万言を用いて演説するよりも、住民は自ら軍を信頼し皇威に服したであろうに、遺憾なことであった。」
(「憲兵三十一年」 上砂勝七 東京ライフ社 1955 P177~P178) 
 

 

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これは メッセージ 6811 ja2047 さんに対する返信です

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