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「平和よみがえる南京」について by タラリ

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「平和よみがえる南京」について by タラリ


jaさんが写真研究の際に発見したコネタです。当時の朝日新聞の「平和よみがえる南京」というタイトルのプロパガンダ写真記事に松尾さんが不適切なキャプションを付けたのを見とがめてこの板への書き込みにしたものです。否定派諸君なら「キャプションの捏造」であり、「ニセ写真」と騒ぐような類の写真紹介です。


というコンテンツが、元松尾さんのページにあります。

このコンテンツ、 掲示板などで、「南京の人口は虐殺後に増えてるじゃないか」、「いや、増えてない」という議論が行われるたびに、「はい、避難民が城内に帰ってきた証拠だよ」と言って引用されるのですが、こういう中身なのですね。

「(3)皇軍に保護される避難民の群。
(中下)城外のどこかに避難していた市民は、城内がもはや安全とみて続々と帰ってきた。」
 その市民を誘導している写真である。
 ここには護衛の日本兵の姿さえ見えず、市民の表情も明るい。
 光華門一番乗りを果たした歩兵36連隊の西坂中さん(78)は言う。
 「我々の部隊は占領14日目には南京をあとにして上海に向かったが、その途中続々と南京に帰る避難民に会った。支那人はそうした情報にはすごく敏感だから逃げ足も早いが、安全とみればすぐ帰復します。」と・・・・。
http://www.history.gr.jp/nanking/peace.html#09


「戦争中の報道だから、どこまで信用できるかね。 他の記録とは矛盾するしね。」
と、返すのが毎度のやりとりだったのですが、どうもよく見ると何か違和感がある。
私がイメージする避難民の列というのは 「禁じられた遊び」の冒頭のシーンのように、馬車やら大きな荷物を抱えた老若男女やらが、疲れ切った表情で田舎の道をとぼとぼと歩いているもののわけで、
ところが、この写真というのは成人の男達が街角をぞろぞろ手ぶらで行進しているようにしか見えない。

そのうち、「どこかで見たような写真」であることに気が付いた。
毎日新聞の「一億人の昭和史」に出ている
「中国兵摘出のため集められる市民」 の写真と非常によく似ているのです。

その毎日新聞の写真が、これです。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/10/oqhqrf/nanmin2.jpg
これが同じ光景だとすると、

「(3)皇軍に保護される避難民の群。
(中下)城外のどこかに避難していた市民は、城内がもはや安全とみて続々と帰ってきた。」
という説明は 大ウソ であるわけです。

これは メッセージ 1 fifnel さんに対する返信です


著作物にある写真映像を見て、新たな著者が(たとえば松尾さん)映像だけから判断されるキャプションを付けること、元の著作物とは違ったキャプションを付けたとしても問題はありません。問題は映像からは絶対に判断できない情報を付けることです。それが次の写真でいっそう明らかになります。


と言うわけで、朝日新聞記事のもう少し精細なコピーを入手して、比較してみました。
この写真です。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/10/oqhqrf/nanmin1.jpg

同一場所ではないですが、非常によく似た光景です。
街路を、10代から40代位の、成人の男性ばかりが、手ぶらで、硬い表情で、ぞろぞろとまばらな行列を作って歩いて行きます。
毎日新聞の写真は12月16日の撮影、朝日の写真は12月17日付ですが、これは写真の発信日で、撮影はもう少し前かもしれません。
いずれにしても、12月14日から、主に16日に掛けて、一部は12月17日にまたがって行われた「難民区掃蕩」の一こまと考えるべきでしょう。

そうなると、
「(3)皇軍に保護される避難民の群。
(中下)城外のどこかに避難していた市民は、城内がもはや安全とみて続々と帰ってきた。」
は、虚偽のキャプションであるわけですが、朝日の記事をよく見ると、「(3)皇軍に保護される避難民の群」 としか書いてないんですね。

これはウソではないです。
「敗残兵摘出のために集合させられる難民」を「皇軍に保護される避難民」と表現するのは、「ものは言いよう」 の範疇であって、「ウソ」とは言い切れません。


「ウソ」になってるのは、これに 
「城外のどこかに避難していた市民は、城内がもはや安全とみて続々と帰ってきた。」
という説明を付けたせいですね。

元の記事はそんなことは一言も書いてないのに (--;

これは メッセージ 1 fifnel さんに対する返信です

「ものは言いよう」の範疇とまで譲歩して見せているのは、否定派のベタな「切り返し」を封じるためかと思われます。


ja)毎日新聞の「一億人の昭和史」に出ている「中国兵摘出のため集められる市民」の写真
unhoo)列を作って歩いている人々は、左腕に日の丸の腕章をつけている人が多い。

明確に日の丸であると確認できる人が一名、何か白布の腕章を巻いている人が10人くらい、他の人は確認できません。結局、腕章が確認できない人数の方が多い。

「(3)皇軍に保護される避難民の群。(中下)
unhoo)この方は腕章がない。

白布の腕章を巻いている人が3人ぐらい確認できます。写っている人数と、写真の鮮明さに差があるので、明確な差とは言えないでしょう。また、左上の写真の少年は紛れもなく日の丸の腕章をしている。


unhoo)腕章がないのは、早い時期の写真で、腕章があるのは遅い時期の写真だと考えるべきであろう。

毎日の写真は12月16日撮影のもの、朝日の写真は12月17日付配信のもの。いずれにせよ、12月14日に安全区の兵民分離が開始され、12月17日にこれが終了して入城式が行われるまでの同じ時期に撮影されたもので、前後があっても、一日程度でしょうね。

どちらにしたところで、松尾ページの付加説明が根拠を欠くものであることは変わりません。


私は「朝日の表現は必ずしも大ウソではない」と言っている。
これは兵士を抽出する前の写真と考えられる。

deli)農協クンは、写真に写っている者たちを「難民」だと言いたいのか、それとも「便衣兵」だと言いたいのか、どっちなの?

「兵士を抽出するために難民を集めているところ」であり、この段階では「難民」だ。

兵士と認定されたものは帽子を取り上げられて連行されたという記録が残っている。だから、こちらの「処刑のための連行」の場面では皆帽子を被っていない。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/7/skpqrf/gahou001.jpg
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/7/skpqrf/gahou002.jpg
写真の出所は「画報 近代百年史 第十五集 1937~1940」(国際文化情報社、1952.11.5発行)
撮影者は同盟通信写真部長として南京に入城した不動健治氏だ。

これは メッセージ 30689 unhoo さんに対する返信です


しっかりした写真考証と水も漏らさぬ論理で否定派の反論を許しませんでした。


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