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とほほさんの死を悼む

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とほほさんの死を悼む

by ピッポ
とほほさんが亡くなったという。まさかと思うがCMLという掲示板に複数の書き込みがあり、葬儀の告知が転写され、同じ広島にお住まいのタラリさんが通夜に参列なさったというから、心の中で信じまいとしても事実を認めねばならぬ。

3月、4月とメールのやり取りはあったが、夏には私のメールが余りにもウザったい内容なので、返事は戴けなかった。「思考錯誤」への最後の書き込みは10月1日だそうだ。引用すると、

「医療のことはお医者さんへ(笑) よくわかりませんからね(^^ゞ  病気によっても違うだろうし、精神薬なんかはそんな大目にはだせないだろうし。でも医者との信頼で私なんかはインスリンを割りと大目に出してもらてますよ。  それに薬には「使用期限」もあるし、医者も患者と会いたいらしい。」

とほほさんは、最近は入退院を繰り返しながら、掲示板「思考錯誤」の管理人を勤め、AMLへの投稿を精力的に行っていた。

とほほさんに対する最近の評価は、「協調性がない! 直ぐケンカを始める!」 というもので、確かにとほほさんのケンカは、このところ目立っていた。しかしそれは、とほほさんの筋の通し方であって、とほほさんにしてみれば、ごく当たり前のことをしていたに過ぎない。当たり前を貫きたいという気持ちが、以前よりも幾らか強くなっただけのことだ。

周囲の人らは、そんなとほほさんを諌めた。

「味方を増やさなければいけないときに、ケンカをしては困ります」 と。

まあ、ここ数年ネットでもうつつでも、小泉劇場以来、ウヨクっぽいのがデカイ面をしていたから、良識派は、自分たちがあまりにも少数派なのだという、錯覚に陥っていた。

私も、とほほさんのケンカの仕方には食傷気味だった。しかし「筋を通したい」という人間としての気迫は、彼を諌める人たちよりもさわやかだったから、私はとほほさんを応援した。ときには応援しすぎて、とほほさんより先走って、ご本人に迷惑をかけてしまったこともあった。

とほほさんが通したかった「筋」とは何か? 

それは、『不可知論』及びそれにズブズブと浸っている人たちを、それら・彼等が意識的なものであろうと無意識的なものであろうと、決して見逃してはならぬという強い信念ではなかったろうか。 とくに沢山の書物を読み、その知識をはかなく煙幕として使う連中を、とほほさんは心から軽蔑し、敵愾心をもって臨んだ。

Kという人が、昨年秋頃からとほほさんが主催する掲示板「思考錯誤」にやってきた。ご承知のように「思考錯誤」は、戦争責任を逃れようとする史実改竄派=歴史修正主義のウソを暴く為に、事実探求のために切磋琢磨する道場だ。

K氏はそこにやってきて、各スレッドでの具体的な検討とは無関係に、例えば「A教授はこんなことを雑誌に書いているがどうか?」と絡むのである。まったく不躾な絡み方だが、スレ主やとほほさんが最初はムッとする気持ちを押さえてそれにも丁寧に答えたるが、こんどは「B氏もこんなことを言ってる」、と来る。とほほさんが業を煮やして「Kさん、あなた自身の論証、論旨は如何に? ここは検証と討論の場所ですから、それを述べないで水や砂を掛けるだけならば、この道場に立ち入るには及びません」というと、「識者の意見を披露してみただけのこと」と嘯き、立ち去ってはまたブラブラとやってきて、「軍事学会の特集を勉強しましょう!」などというビラを貼ってスレッドを汚す。そのとき、既にとほほさんは入退院を繰り返していた。

不可知論とは何か?

わかりやすく言えば、事実を見つめれば誰もが否定できずに浮かび上がってくる真実、それを、煙幕・虚言・知識・学会・学者、あらゆる手練手管を使って隠蔽する、『知の体系』だと思えばいいだろう。

とほほさんより状況配慮ができる人たちが、そのようなK氏を排斥するのは良くないという。だって、対手の手の内を知り戦い方を磨く為には、K氏との議論も大切だ、だから厚くもてなそうゼ、という。確かに一理はある。しかし掲示板「思考錯誤」は、最初からとほほさんの思想と行動、そして強くはない肉体でやってきたのだ。今さら、本人がシックリ来ないやり方は、しないほうがいい。

人々を不可知論の闇の中に引きずり込むその戦法の雄は、いつの世も体制派である。民百姓は生かすべからず死なすべからず、見ザル聞かザル言わザル。しかし、別方面にもいる。

とほほさんが激しく闘ったもう一方の雄は、『陰謀論反体制運動』だ。事実をつきとめて自分で考える、というメンドい作業はやらない。何でもかんでも「悪いやつらの陰謀」だと決め付けて済ましてしまう。「陰謀論」も、何が何だか訳がわからなくなる紛れた世界こそ棲み易い、それを温床とする『不可知論』の変種だ。とほほさんは、こっちの危険性も手抜かり無く、厳しく問い糾してきた。


私は、とほほさんとはWEBでしか面識はない。「三次元とほほ」を知らない。本名もウロ覚えで年齢もわからない。しかし、とほほさんの心はとてもよく分かる。とほほさんの考えは、とほほさんがケンカをすることによって、ボンクラの私にも伝わってきたのだ。

このサイトの主人公であるja2047さんが「柔」の闘士だったとしたら、とほほさんは「剛」の闘士だったのだ。むろん、それは表面的なことで、内面は、人と人との間すなわち「人間」を強く信じる、限りなく優しい心の持ち主だった。 ご冥福をお祈りします。

合掌

2009年10月28日
ピッポ

※ ja2047さんの活躍の場でもあった「思考錯誤」、とほほさんの作品でもあった「思考錯誤」。その成果を学ぶ為に、ja2047 memorial サイトを活用したいと思います。ja2047さん、お許しいただけますよね。

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