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[5033]2007年を終えるにあたり

とほほ 07/12/24(月) 11:24


私がネット上での言論活動を始めたのがwindows95が発売された翌年であるからして、すでに11年が経過したことになる、元々言論活動を行おう、としてはじめたことでもない、自分の実社会でのあまりにも狭すぎる社会通念や価値観に閉塞感を覚えていたのであろう、ネットで知り合う仲間たちも自分と同じ価値観を共有する人が多いことに舞い上がってしまった観もある(笑)

当時の自分の文章は「初心忘れるべからず」の思いを込めてホームページ上に残してある。論点は「ネット上での言論のあり方」というべきものであろうか、、、。
http://t-t-japan.com/tohoho/talk/begin.htm

当時はインターネットはまだ普及しておらずパソコン通信が主流であった。パソコン通信にはもちろん個人が自前でサーバーを用意して管理を行っていたところもあるが、多くは企業がその主導権をもち、パソコン通信の管理者になるためにはあろうことかその企業の面接に合格せねばならない時代であったのである。つまり企業風情にわれわれの言論活動は制約を受けていたのであったのだ。

そしてインターネットがISDNやブロードバンドの幕開けとともに一般に普及するようになってきた、パソコン通信の閉塞感を感じていた我々はインターネットの自由な雰囲気に大いに魅了された。2CHのひろゆき氏の活動へも大いに期待したものである、が、所詮ヒロユキ氏はただのパソコンお宅の子供でしかなかった。2CHの問題点に真正面から取り込もうとはしなかった、重ね重ね残念である。当初の2chは大変有意義な議論もなされていたし、貴重で重要な情報の発信源でもあったのだ。いまではまさに便所の落書きである(^^;

しかし、2chにいやけをさした人々はいろんな形での掲示板運営をしてきたし掲示板プログラムもさまざまなニーズに対して答えを用意してきたし、インターネットが言論社会に果たした役割は大きい。掲示板のみならずメーリングリストや、今ではすっかり廃れた観のあるメールニュース、の役割も大変に大きかった。

そしてある意味今現在、ブログの全盛時代といえるだろう、しかし私は昔からブログには否定的である、自由度がないのである。ある、定型的なパターンの中でしか自己表現が出来ない、これでいいのかもしれないし、私に判定はできないが、私はブログは嫌いである(プログラム技術的な意味合いで嫌いだということ)。しかも気に入らないのは検索エンジンのアルゴリズムがブログ記事を上位に評価してしまうことである、これは間違っていると断言できる。

それでも来年以降も私はブログを利用し続けるだろう、掲示板やメーリングリストとダブルポストしながらでも(笑)

インターネットに発信した自己主張は、自分の生きた証でもある。それを企業運営のブログに信頼して預けるブロガーの気が知れない。ただ、私は来年からはブログプログラムを切り替えることにする、現在利用しているプログラムは日本人が開発したものであるのでその後の発展に期待したのだが、他力本願はやはりいけない(笑)、やはりある程度完成度の高いモバイルタイプを使うことにした、現在使っているブロキューが将来発展してくれたらまたこれを使うことになるだろう、ネットサーフレスキューさんの考え方やプログラムロジックは私の好みなのである(^^ゞ

話は変わるが、私がネット上で言論活動を行わねばならないと思った最初の議論が「人権問題」である、日本人の人権に対する意識の希薄さは実社会でも感じていたことだが、ネット上においては輪をかけて、匿名をいいことに、言いたい放題の馬鹿に怒りを感じたことである。そしてそうした連中の論理的礎が荒唐無稽な「人種主義・民族主義」すなわちナチズムという思想であることに気がつくのにそれほどの時間はかからなかった。高橋亨さんとの出会いは私の人生の中でもかけがえのないものであろう。

そして歴史修正主義というものを知り、クマさんとの出会いもあった、当時プータローのクマさんが今では押しも押されぬフリージャーナリストである、人生とはかくも面白い。

以来、歴史修正主義との闘いは私のライフワークにするつもりである。主義や主張に関係なく、【歴史修正主義】を私は無条件に攻撃するだろう。それがここ2年間に及ぶ911陰謀論との闘いでもあった。

私たちが歴史の真実を訴えるのは私たちが理解する事実が自分の主義や主張に合致するからではない、それが科学的認定法において真実であるからこそ、それを主張してきたのだ。平和主義陣営の中には911陰謀論を擁護する輩がいる。そういう輩は「南京事件」の事実認定を本当に理解はしていないのだ、自分の主義主張に心地よいから「虐殺はあった」という意見に賛成しているだけなのだ、これが大変に悔しい、我々が必死でやってきた言論活動が平和陣営にも本当の意味で理解されていないことが図らずも推察できるからである。

来年はどのような年になるのであろうか?相変わらず私は反平和主義者として911陰謀論からたたかれ続けるのであろうか?(^^;
それもまた一興。

皆様、来年もまたよろしくお願いします。



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