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コペル君(君たちはどう生きるか。吉野源三郎著、岩波新書)

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コペル君(君たちはどう生きるか。吉野源三郎著、岩波新書)

2005年07月18日 | この国のゆくえ


 いやぁ、懐かしい。「コペルくん」ですな。これ、中学生時代に読んだ記憶があります。そうですか、これ【修身】でしたか。初耳です。

そうですか(^.^)

「修身の読み物としては、古典に入る」と言うあとがきの説明でしたのでご存知の方も多いのかな?と思っていました、そうです、コペル君の話です。私が考え想像していた「戦前の修身」とは全く違ったものでした、もちろん一九三七年の時期ですのでその後の軍国教育よりはいくらかましだろうとは思いましたが、例えば私が小学生時代に読んだその手の読み物で道徳の教科書にもよく出てくる「クオレ、愛の学校」、母を尋ねて三千里、の挿話で有名な本ですね、のような感じかそれよりももっと軍国色に近いものだろうなと考えていたのです、クオレは全般にわたって「愛国心」で彩られています。もちろん偏屈なナショナリズムとは違ったものではありますが、それでも愛国心を前面に出し美しい愛国心を持った少年兵が戦死していく様子を英雄視し美化している部分も少なくない。

ところが、コペル君にはそういうナショナリズムの気配が全くといってよいほどない(少しはあるが、偏狭ナショナリズムに対しては正面から批判的)、時代はもちろん偏狭なナショナリズムに染まりはじめ国民は中国侵略を拍手喝さいしていた時代です。もしかしたらだからこそこの本は出版されたのかもしれませんが、太平洋戦争が始まるまで発禁も受けずに出版されたとの事で、否定派がよく言う「時代によって人の価値観は違う、その時代の価値観では戦争や人殺しは当たり前」と言ったデタラメが本当に全くのデタラメである事が良くわかります。民主主義の健全な発展の途上にあったこともわかります。何時の時代でも人は殴られると痛いのです。

戦後、多少修正され復刊したとの事で戦後の教科書にも使われたそうです。戦中、戦後を通じて教育を受けた人たちの、そろって教師が手のひらを返したように民主主義教育をはじめたこと、何の自己批判もなく「教師もだまされていた」の論理で自らの加害性を認めようとしなかった事に対する、批判や憤りをよく見聞しますが、このコペル君の初版本を読むと時代は戦争とともに急激にファシズム・付和雷同・全体主義へ傾倒して言ったことがわかるような気がします。軍国教育を子供たちに施した教師たちは自分たちが子供の頃は時代の流れに沿ったある意味では現代の倫理思想社会思想よりも(少なくとも自民党の国民国家思想よりは)ずっと先進的な思想教育を受けていたわけです。こう言う教育を受けていた人たちが大人になって「軍国教育を信じていた」なんて事はありえません。

軍国少年少女たちの教師への怒りは全く正当なものだった事がわかります。実際これは別の本での話しですが、そうした自らの軍国教育を恥として、教育者の資格無し、として教職を去った人も数知れずいます。後に残った教育者の大半はおべんちゃら軍国主義者がおべんちゃら民主主義者に変わっただけの人間たちで、日教組が戦後力を付ければ日教組におべんちゃらの共産主義者になったりもしたのかもしれません。そうした教師が現代の教育委員会の上層部にいないことを願うより仕方ありませんな(^^;

もちろん、戦後も立派な教育者を多勢輩出している事も確かでしょう、しかしそれらの教育者は今迫害を受けてます。

皆さん、1937年にはこの本のような立派な思想教育がなされていたのです、それからあっという間の15年に何がおこったのか決して忘れてはなりません。アカデミズムは圧倒的に日清日露を批判していたのです。今、イラクを批判すると同じように、、、。そして正しい事を正しいと主張することも出来た、そう、今と同じように、、、。

安心してませんか?戦争になるはずがない、と。一九三七年居留民保護の為の中国出兵から15年後にその国は極悪非道を極め、滅びたのです。たった、15年です。

正義の戦争(アメリカの石油戦争)の為にイラクに出兵してからもう何年たちましたか?

ただ、この本では、仕方がないと言えばそうかもしれませんが、現代のような徹底した平和思想はそれほど発展してません、がその萌芽は確実に確認できます。例えば「偉い人」とはどういう人なのか?と言う主題でコペル君がナポレオンにスッカリ入れ込んでしまったときの叔父さんの話が興味深い、決して教条的な説教などではなくコペル君がナポレオンを崇拝する気持ちを傷つけることなく偉人とはどういう人の事なのかコペル君に単純なナポレオン崇拝を考えさせてます。

叔父さんの話しは、歴史には大きな流れがあり人類はその流れに沿って進歩しているのだ、偉人と呼ばれる人たちは皆非凡な才能や力を発揮した人たちで余人にはない力があることは確かだが時代の流れを逆行させた人たちも少なくはない、ナポレオンはその偉大な力で何をしたのか?もう一度考えてみる事にしよう、と言う話をコペル君にして聞かせてます。そしてフランス革命の歴史的な意義とその後の恐怖政治からナポレオンへそして帝政の復活とナポレオンの暴政、と言う歴史的な事実を踏まえコペル君に考えさせてます。

私は日本の思想発展にはこのヨーロッパにおけるナポレオンの時代のような思想発展や苦難を経験していない事が15年戦争の原因ではないかとも考えています、いまでもあながち間違いではないと考えます。例えばナポレオンを撃退したロシア皇帝アレクサンドル一世は最終的にはガチガチの独裁主義者暴君とはなりましたが若い頃から一貫した自由主義者です、皇族でありながら独裁体制封建制度を心底嫌悪しておりました、フランス革命を支持し、確かにフランスからの亡命貴族をかくまいましたがそれはフランス革命を否定するものではなく革命後における非人道的な恐怖政治が支配するフランスに対する嫌悪でした。結局実現はしなかったですが彼が皇帝に即位した当初の政策は封建制度から民主制度への緩やかな改革だったわけです。

日本の皇室にはこのような思想形成などありえないわけです(^^;
明治になって俄仕立ての皇帝です。源平以来その家だけで宗教的に風習を受け継いでいた特異な家系の連中が祭り上げられただけで皇室に政治思想や国家思想があるはずもない。

正直源平以前だってその勢力範囲は源平以下、とてもではないが皇帝と言えるほどの栄華を極めた事はない。ヨーロッパや中国の皇室とは全く異質のいわば亡霊のような存在です。自分の一挙手一投足が国家の運命を決定付ける、と言うような強烈なプレッシャーにさいなまれた事もないでしょう、のほほんと皇帝を演じているだけの家系なわけです。

ですから日本の天皇制は絵空事の飾り物に過ぎません、これを廃止出来ないのはヨーロッパの事情とは全く違うものが作用してます。つまり、真の意味での封建制撤廃思想が日本では形成されていないのです。戦後の民主化もアメリカの占領政策に翻弄され必ずしも健全なものとはいえない。

が、この本を読んで、一九三七年にはすでにそこことには気がついていた、と言うが私の驚きなわけです。一九三七年の時点ではまだまだ階級社会のまっただなかです。コペル君はいわゆる上流階級の坊ちゃんで友人たちもそうですし、また労働者階級の友人もいて社会のあり方考え方を正しく認識しようとしてます。これは正しい世の中ではない事を正面から捉えています。

 確か、お母さんが石段の思い出を語る件(くだり)は、中学時代の「道徳」の教科書(資料?)にも使われてました。

面白い挿話がたくさんありますね(^.^)

そうした挿話をめぐりながら社会学や経済学、物理学、哲学への少年の興味を巧みに誘っています。「なぜ、勉強しなくてはならないのか?」これは私の小学生時代からの疑問だったのですが(笑)

回りの大人に聞いても「大人になってから学校の勉強が役に立った事など一度もない」と言う人びとの環境の中で私は育ったせいか明快な答えがありませんでした、40過ぎた辺りから「勉強しておけばよかった」とお決まりの後の祭りの後悔はしてますが、なぜしておけばよかったのかはっきりとはわかりません。いい会社に入れなかった事、お金持ちになれなかったこと、偉い人になれなかったこと、などちっとも後悔してないのです(^^;
どころか、そうしたレールに乗った連中には想像など及びもしないだろう、ある意味で裏社会を経験してきた事を誇りにさえ感じています。

この本の「ニュートンの話し」を読んで、なるほど勉強するとはこう言うことなのか、そうなんだ私はこれが知りたいから今になって後悔しているのだ、と気付かされました。

「ニュートンは林檎が落ちるのを見て何を発見したのでしょう?」
この答えを皆さんはわかりますか?(笑)

私が馬鹿なだけかもしれませんが、私は小学生時代からニュートンの大ファンです、ニュートンの伝記はその年齢にあわせて毎学年ごとに新しい本を買ってもらってました。

でもでも「万有引力の法則?」ですよね?(^^;

でもでも、なぜ「林檎が木から落ちるのと万有引力の法則が関係あるのでしょう?」これをまともに考えた事がないのです。関係があることはわかります、だからニュートン偉大な頭脳だからそこに結びついたのだ、としか理解してませんでした。つまりニュートンの思考の中を探ろうとは思いもしなかったわけですね、この本ではそこに叔父さんがメスを入れている、もちろんこれには色んな説があるらしいですしこの本は物理の本でもありませんので難しい事をいっているわけでもなくニュートンの思考方法など誰にもわかるはずもない、というのが正解でしょうが、それを考える事がその後の物理学の発展や興味へ深く繋がるわけです、そこから社会学や経済学への興味の誘い方は絶品だと思います。

#これを考えると等価原理にしろなんにしろニュートンによる発見と言える
、アインシュタインの功績は少し小さくなるかな(^^;、アインシュタインよりも量子論の功績の方が大きいと言えるかもしれない、言ってみれば古典物理の集大成がアインシュタインである。現代物理は量子論(不確定性原理)からはじまる。

 まぁ、問題なのはこの作品の健全さが、当時の社会には全然活かされてなかった点でしょう。結構、良いこと書いててるんですけどね。「例え過ちを犯したとしても、人間は反省できる動物なのだ」みたいな。

そうです、この問題は当時ではなく「今です」今、正に考えなくてはならないのだと思います。ジェンダー論に対する恣意的な歪曲した解釈による攻撃、自由を否定する言論の氾濫、どこかのテレビのアナウンサーが言ってました。

「現代はもはや戦後ではない、戦前だ。」


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