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問答有用掲示板より転載

12982 歴史修正主義とは何か? ベルナール
2002/02/13 15:05 「歴史修正主義」(historical revisionism, revisionisme historique) についてのお尋ねについてお答え致します。

まず、「修正」「修正主義」(revision, revisionism) なる用語ですが、日本語としては生硬と思われるこれらの語は、19世紀末以来、ヨーロッパの政治舞台に登場してから、さまざまな文脈で用いられてきました。

(1) ドレフュス事件
まず、この語は、ドイツへの軍事機密の漏洩の濡れ衣を着せられた、ユダヤ系フランス人のアルフレッド・ドレフュス大尉の冤罪を確信した作家・知識人たちの「再審」請求、つまり有罪判決の「見直し」という意味で用いられました。

(2) マルクス主義
19世紀後半の資本主義の新しい段階に直面して,ドイツ社会民主党指導者の一人ベルンシュタインがマルクスの理論体系を修正し,そこから革命的な内容を抜き去り、今日でも共産主義運動の中で改良主義的な立場をとるものを,一般に修正主義と呼んでいます。

(3)ヴェルサイユ条約
第一次世界大戦後のヨーロッパの政治的枠組みを決定したヴェルサイユ体制の懲罰的性格に対して不満を抱く中央諸国から、同条約の「見直し」の要求という文脈でも用いられました。

(4) 中ソ対立
国際共産主義運動における主導権争いから、ソ連と中国が、互いに「修正主義」「教条主義」と誹謗し合いその緊張関係が国境紛争にまで発展したのは、周知の通りです。

(5) 第二次世界大戦の戦争加害
第二次世界大戦の戦争加害に関する「修正主義」には、前に「歴史」という語が付加されいてますが、この語が日本の言論界に定着したのは、『抵抗への招待』(みすず書房) などの著書で知られる鵜飼哲氏が、石田靖夫氏にピエール・ヴィダル=ナケの『記憶の暗殺者たち』の翻訳を薦められたあたりからでしょう。同書の翻訳は、1995年に人文書院から刊行されました。1995年とは、言うまでもなく「マルコポーロ事件」の発生した年です。

ベルナルディとグァラチーノの『ファシズム事典』(Il fascimo, Mondadori, Milano, 1998) の「歴史修正主義」の項目のなかの人名として、ロベール・フォリソンとデイヴッド・アーヴィングなど、欧米の代表的ホロコースト否定論者の名前が挙がっているように、主として第二次世界大戦中の残虐行為、とりわけナチスの「絶滅収容所」の事実である。彼ら はこれを否定したり、その事実のもつ衝撃を弱めるために数字上の見積もりを小さくしたり、別のエピソードをクローズアップすることによって印象操作を行うのである 。

特に後者の「相殺メンタリティ」は、世界中の歴史修正主義の通有のもので、南京事件の話に中国の「通州事件」やチベット問題など位相の異なるテーマを闖入させるのは、日本でも『正論』『諸君!』などの論者 (自由主義史観?)の常套手段なのでおなじみのことでしょう。先の『ファシズム事典』には、もう一人、ドイツの歴史家エルンスト・ノルテの名前が見えますが、このノルテがホロコーストを、ソ連における富農階級への迫害と比較し、ナチスによる迫害の残虐を希釈して、「ノーマルな」ドイツしに編入しようと企て、ハーバーマスと議論になった「歴史家論争」は有名です。

こうした相殺法がいかに馬鹿げたことであるかは、少し冷静に考えれば誰でも分かることです。例えば、この掲示板のROM者のなかにも、係累が広島や長崎の原爆や東京大空襲の犠牲になった方々はおいでになるでしょう。その係累の家族にとって、米国側の「戦争の早期終結」「パールハーバーの報復」などという遁辞がどれほどの意味を持つでしょうか。

ドイツのジャーナリスト、ラルフ・ジョルダーノは、その著書『第二の罪 --ドイツ人であることの重荷』(白水社) において、こうした相殺メンタリティの担い手の度し難い「子供」っぽさを指摘していますが、いたずらを母親に発見され、「だって、○○ちゃんもやってるもん」とだだを捏ねる「子供」は、どこの国にもいるものです。スターリンの大粛清、中国の大躍進や文化大革命、ポルポトによる虐殺、大戦末期のドレスデンの空爆、通州事件からチベット問題、天安門事件から法輪講等々、別途検討されるべき位相の異なったテーマを脱文脈的に挿入する芸のない陳腐な議論は、歴史修正主義の担い手たちの知的凡庸さを良く表しています。

先次大戦の戦争加害の問題が、とりわけ1980-90年代になってクローズアップされるようになったのは、もちろん偶然ではありません。高橋哲哉氏が『戦後責任論』(講談社) で指摘するように、戦後間もなく米ソの対立が激化し世界の政治が冷戦構造に組み込まれなければ、戦争加害の問題は、戦後すぐに精査されることになったでしょう。これは、石井軍医中将の「731部隊」などの端的な例を考えれば分かりやすいでしょう。

化学・細菌戦に関する実験データを米軍に引き渡すことによって、石井中将が免罪され、そのデータがヴェトナム戦争時の「枯れ葉剤」爆弾の散布に着想を与えたことは良く知られています。先般、米国の上下院において、ファインスタイン上院議員の提出した旧日本帝国の軍事資料公開法の議案が通過しましたが、同資料に関して、日本の国内法が整備されれば、大陸における日本の戦争加害の大きな部分が明らかになります。

さて、日本本土への空爆の事例を挙げましたが、これらは旧世代の日本人によってもっとも頻繁に語られる「戦争体験」でしょう。先次大戦を考える上で、日本人の多くが、みずからをもっぱら「被害者」として考え、アジア諸国の戦争被害者を、戦後長い間度外視して来たのは、「日米二国間主義症候群」(姜尚中) の極めて病理的な発現でしょう。

1980-90年代という時代は、ソ連と東欧の共産体制が、そのすべての改革の試みとともに頓挫しようとしている時期でした。冷戦時代の二元論的なイデオロギー対立によって封印されていた戦争加害の問題が、亡霊のように回帰してきたのです。戦争加害の問題は、経済的成功によってふくれあがったナルシシズムの「頂門の一針」となったのです。1985年に靖国神社公式参拝を強行した中曽根元首相は、公式参拝に先立つ7月27日の第5回自民党軽井沢セミナーでの特別講演において、「汚辱を捨て、栄光を求めて進むのが国家、国民の姿であり、国のために倒れた人に国民が感謝をささげる場所があるのは当然である。さもなければだれが国に命をささげるか」と言ってのけました。

ホロコースト否定論者には、「ガス室はなかった」などという暴言を吐かない「良識派」も存在します。「強制収容所は確かにあった。だがそれはナチスが最初に発明したのじゃない」「ガス室は確かにあった。だがそれはずっと小規模なものだ」「ガス室は残念ながらあった。だがドイツ国民はみんな知らなかった」「ガス室は確かにあった。だが戦争に残虐行為は付きものなのだ」等々。この「良識派」はあらゆることがらを「ノーマル」なものにしたいと思っているわけです。

こうした論法は、いわば「グローバル・スタンダード」であるのは、例えば、日本軍による「従軍慰安婦」問題を代入し見ても似通ったテーゼが作られてきたことからも分かるでしょう。戦場の血生臭い武勇伝を得々として語り、聞き取り者を当惑させるなどの例はよく聞く話でしょう。例えば、酔余の話として家庭内での団欒の場でさえ、この手の話は出て来かねません。しかし、慰安婦問題はどうでしょう? こんな話を妻子の前ですれば、たちまちの内に家族の尊敬心は雲散霧消し、父親の自己愛は軽蔑によって薬殺されてしまうでしょう。

「従軍慰安婦」問題が、あれほど過熱したテーマになったのは、それが、人種差別や民族偏見とともに秘匿されていたセクシズム (性差別主義) があらわになる特権的な場であるからです。「汚辱を捨て、栄光を求めて進む」はずであった目論見が頓挫 … 歴史修正主義とは、国家の、そして国家に仮託された自己のナルシシズムのほころびを取り繕うさまざまな便法なのです。

戦後の日本が、自国民の三百万の死者を後ろめたい身内の死者と感じながら、二千万のアジアの他国の死者への哀悼と謝罪を口にする「旧護憲派」の「共同的な語り口」と、後者への謝罪に目をつぶって戦争を自尊自衛のための正義の戦いと強弁し、もっぱら身内の死者に哀悼を捧げようとする「旧改憲派」の「共同性に寄り添った語り口」へと「人格分裂」した戦後日本で歴史を引き受ける主体を立ち上げると加藤典洋氏が、物議を醸したその『敗戦後論』(講談社) で語る時、その賭金となっているのも「日本国民の誇り、矜持」(同書の52頁) なのです。

シェイクスピアと演劇の研究で知られる福田恒存氏の弟子筋に、月刊誌『月曜評論』などで論陣を張る松原正氏 がいます。「真正保守」などと形容されることが多いのですが、小林よしのりや西尾幹二等「つくる会」周辺の論者の「粗雑」な議論の「低脳」ぶりへの手厳しい批判者としても知られています。現在の保守論壇で注目すべき数少ない人物です。

松原氏は、自由主義史観を批判して、概要こう述べています … 日本を愛するのは、それが「母親」のようなものだからだ。しかし、「自分の母」を愛するのに、「他人の母」を貶める必要はない。松原氏の卓見に「屋上屋を架する」愚を敢えてなすとすれば、「また、『他人の母』の存在も忘れるべきではない」とでも言うべきでしょうか。これは、郷土や祖先への愛着によるパトリオティズムと他国との貶下的比較にもとづくショーヴィニズムという、二種類の「愛国心」を述べたものです。ウヨサヨ二元論では見えない消息に敏感になること、これこそ歴史修正主義の克服の第一歩と言えるのではないでしょうか。
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