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日中韓の共同歴史教科書

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日中韓の共同歴史教科書

2005年06月15日 | この国のゆくえ

以前とほほさんが仰られていたと思うのですが、今考えると、中、高くらいの年齢はトンデモに嵌り易いのかもしれません。そんな時期にちょうど戦争論や自由主義史観なんていうのが沢山出てきていたというのもあると思います。あと否定派のほうが受けるし、本屋とかでも圧倒しちゃっているという事も言えるでしょうね。

ちょっと前に話題になっていた日中韓の共同歴史教科書が好評のようですね。以下に世に倦む日日と言うブログでの書評を一部抜粋しますが、この書評でも言われている通り日中韓の歴史認識として我々が改めて見てみると韓国朝鮮史については極端に知識が欠如していると思います。実際には日本と大陸の交流を考える上で朝鮮半島は常に欠かせない存在であったにも拘らずです。

実は私もほとんど朝鮮史というものを知りません。なぜ日本人の歴史認識がこうなってしまうのか?と言う事に対して私は日本人の中に根強くある中華思想のなせるわざだと考えたりします(^^;
昨今の右翼はこの中華思想を中国ナショナリズムと混同して語り錯綜した議論をするわけですが実は中華思想とは中原周辺地域が抱いていた憧憬に近い幻想であるとみたほうが歴史観的には正しいのではないかと思っています。

それがゆえに大陸を語るときついつい朝鮮半島を跳び越してしまいます。司馬遼太郎の小説などでも朝鮮半島はしばしば取り上げられ興味深い題材となっているのですが学校教育ではほとんど教わりません。以下の書評を読んで私も是非読んでみたい一冊となりました。

また、朝鮮半島から見た戦争史という視点ではピエールさんが大変思慮深い記事を書いています。こちらもお薦めの記事です。

朝鮮から見た日露戦争

以下[世に倦む日日]より抜粋

歴史認識の問題においてはこれまで右翼の側の出版と販促攻勢が活発で、この領域で売れ筋になっていたのは須く右翼「つくる会」系の著者かその亜流の銭儲け屋が書いた下劣な反中反韓プロパガンダの紙屑ばかりだった。正規で公正な歴史学の陣営からの近現代史のプロダクトで市場でセールスを上げるものが特になく、市場での競争状態が政治的な説得力の競争にダイレクトに影響を及ぼしていた。今回、このベストセラー商品を得たことは、正しい歴史認識の普及と挽回を願う者にとっては近年稀に見る慶事である。



○問答板での議論です。こちらにも転載しておきます。
「魅力的な土地ではありません」けど、「憧憬」はあるのですか。
「北方民族」にとって「中原」は、多分に観念的な存在で、一種のユートピアということでしょうか…

そうです、民族と言うより権力者にとってかもしれませんがね、よそで見られるような覇権主義と中国地域を巡る覇権主義はその性質が全然違います。例えば近世に見られたようなヨーロッパ型覇権主義の場合ですと、侵略は自国領域の利益の為に行います。ところが中国の場合はそうではない。中原に都を置く事が目的と言っても過言ではない。

これは周辺地域国家(国家と書くと国民国家と混同する恐れがあるの書きたくなかったが他に言葉が無いから仕方ない)の中原に抱く幻想なのですよ。現実にはそうした中華文明なるものはそうした周辺国家が創造し発展させてきているのです。

モンゴル帝国(元)などわかりやすい例です。なぜ元が首都を中原にする必要があったのですか?ヨーロッパから極東アジア全域にいたるまで覇権を及ぼした国家ですよ。元からみれば中原地域などごく一部の言うなれば田舎文明に過ぎない。

もっとわかりやすく言えば、元という朝廷を我々は中国史に出てくる中国の昔の朝廷、と認識してますでしょ。これが中華思想なのです。しかしてその実体を世界地図的に眺めれば元が中国の朝廷である、と言う見方はあくまで中原と言う視点で見たものに過ぎないのですね。なぜそうなるのか?これはおっしゃったように「文献」が中原地域に多く残っているからに過ぎないのですが、文献の豊富さで歴史を見るとその認識を誤ります。
文献の残せない側にも歴史はあるのです。

先に紹介した「日中韓共同歴史教科書」の世に倦む日日の続報がでたようです。続報にもありますが日本の歴史学は実はそうした国家主義的文明論的歴史観から脱却し包括的な視野で見ようとする先進的な立場にあるのです。この書評でもその辺の事情について触れてます。ご一読ください。しかし中国韓国のアカデミズムは歴史学の面では後進的です。これは仕方が無い事かも知れず世に倦む日日でも中韓のアカデミズムに同情的な傾向の論評ですがしかし「歴史学は政治である、歴史アカデミーに政治が介入することは正しい」とするのははっきり言って書きすぎです。アカデミーに政治が介入してはなりません。

特に私は中国の歴史アカデミーは後退の傾向にあると思ってます。南京事件関連でも唐生智の再評価等は科学的根拠が薄弱で多分にイデオロギチックです(こんな言葉あるのか?)。しかしこれは自由主義史観のようなアホ本と対比させて右翼が利用するので釘を刺しておけばそれでも中国歴史アカデミーはアカデミズムです、決して学問を放棄した自由主義史観の議論とは全く異質のもので、間違っているわけではない。と言う事です。
ですから、なによりも先にやらなくてはならないのは自由主義史観のような歴史修正主義の放逐である、と言う書評には諸手を挙げて賛同です。
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