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ネット上での転載・引用

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ネット上での転載・引用

2005年06月28日 | ネットあれこれ

このブログに書いた文章を、誰かがどこかのウェブに転載または引用して、そこで、いろいろ批判するというのはどういうものだろうか?断っておくけど、批判するのがケシカランというのではない。しかし、このブログは、コメントを受け付けているし、トラックバックだってできるのだから、コメントで批判するなり、トラックバックをかえすなりすべきではないかと思うのだ。

以上「ヤカオランの春」周辺あれこれ日記

この議論はあるML上での議論であるので、当該MLでの事情のわからない方には論点が見えてこないかもしれない、従って「とほほブログ」上では一般論としてこれを考えてみたい。

ブログに書いた文章と言うのは公開されていることを投稿する人間は重々自覚しておかねばならない。極端な話、私の書いた文章などは歪曲され捏造されたものが2CH辺りに腐るほど転載されている。むろんそれが正当な行為とは主張しないし糾弾すべき行為だとも思うが、しかし、公開するというのはそう言うリスクを背負っている事は覚悟しなくてはならない。

そのリスクに対抗するために己のブログがあるのであり己のWEBサイトがあるのであり、私に限って言えば私が発言するときは必ずそのWEBサイトへのリンクは掲示するし備忘録としてこのブログを書いているのもその為である。

【「ヤカオランの春」周辺あれこれ日記】の執筆者の方と私は複数のMLを共有しており互いに共感する事もあれば反発することもある。で今回のこの記事はこの執筆者の方のいつものくせで十分にその議論を吟味せずに評価しているのだ(^^;
元々の議論の対象となる転載行為は氏が言うような、相手に反論の機会を与えずに転載(引用)しているのではなく、相手との論争をそのまま転載しているに過ぎない。
従ってこの「あれこれ日記」の批判こそ当事者に反論の機会を与えず、しかも間違った事実認識を元に論評している事になる。

つまり、己の言論に自信があればどこでどのように転載されようが一向に構わないではないか、その転載が自分の主張を歪曲してされていたとしてもその為にブログに書いているのである。その転載された先での批判が正しいものであるなら私は一向に構わないことだと思う。議論とは正しい結論に導くために為すものであり、勝ち負けを競うものではない。日本の社会には議論に負けることを恥とする、わけのわからない風習がある。「議論必勝法」なる怪しげな書物が結構書店に並んでいる、こうした状況が日本人は議論が出来ない、と外国に批判される由縁である。

議論とは正しい主張が勝つのであり、正しい結論を導くのである。己の主張が正しいのであればどこでどのように転載されどのような批判を受けようが己の主張の正当性は一向に揺るがない。
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