Kumicitのコメント


このエッセイ「インテリジェントデザイン:進化論の科学的代案」とその著者たちの立ち位置


エッセイの著者は iD.net =Intelligent Design Network という非営利組織を主宰するカンザス州に住むWilliam S. Harris博士とJohn H. Calvert法学博士である。このIntelligent Design Networkは、インテリジェントデザイン理論を製造・販売する立場ではなく、応援団という立場にある。

インテリジェントデザインの本山たるDiscovery InstituteのDr. William A. DembskiやDr. Stephen MeyerそしてCasey Luskinたちはある程度、言葉を選ぶ必要がある。それは、理科の授業に侵入するために科学であるという建前を自ら覆すようなことを言えないからだ。

それに比べれば、応援団はわりと踏み込んだ言い方になる傾向がある。William S. Harris博士とJohn H. Calvert法学博士も少しオーバーランして、科学の再定義に言及している。1990年代半ばまでならDr. Stephen Meyerも近いことを言っていたが、その後は抑制気味なのとは対照的。

わりかやすさという点では、インテリジェントデザイン運動の誰よりもわかりやすい。Dr. William A. Dembskiはいささか難解。Dr. Michael Beheは生化学分野に限定した話がほとんど。DembskiやBeheやPhillip Johnsonなどのインテリジェントデザイン理論家たちの文献を読んできたが、このエッセイには及ばない。特に初めてインテリジェントデザインを知るには最適だ。

変に意図をカムフラージュしていない。

その主張するところは、人間がここいる目的


このエッセイの出だしで、William S. Harris博士とJohn H. Calvert法学博士は主張を語っている:

Sooner or later everyone asks the question, “Where do we come from?” The answer carries profound, life-molding implications. Until this question is answered we cannot solve another fundamental question that is key to ethics, religion, and the meaning of life (if any): “Are we here for a purpose?” There are two possible answers: the universe and life and its diversitynatural phenomenaare the product of 1) a combination of only natural laws and chance (the “naturalistic hypothesis)”; or 2) a combination of law, chance, and designthe activity of a mind or some form of intelligence that has the power to manipulate matter and energy (the “design hypothesis”). The latter produces purpose, the former does not.

遅かれ早かれ誰もが「我々はどこから来たのか?」と問うことになるでしょう。その答えは深遠で、人生を形作る意味を持ちます。この問いに答えられなければ、倫理、宗教そして生命の意味についての鍵となる根源的なもうひとつの問い「我々は何らかの目的のためにここにいるのか?」に答えられません。考えられる答えは2つあります: 宇宙と生命とその多様性--自然現象--が、1)自然法則と偶然だけの産物なのか(自然主義仮説) 2) 法則と偶然とデザイン(何らかの意志あるいは物質とエネルギーを操作できる力を持つ何らかの知性)の産物なのか(デザイン仮説)。後者なら「目的」がありえますが、前者はそうではありません。

この主張はまさに神学であって、科学とは無関係。その昔の自然神学という形で、まだ宗教と科学が分離しきる前ならいざしらず、今となっては科学を論じるに「目的」という言葉は出てこない。

このあとのエッセイの流れは

  1. 「我々は何らかの目的のためにここにいる」
  2. 人間が「自然法則と偶然だけの産物」であるなら、目的はあり得ない。
  3. 従って「自然法則と偶然とデザインの産物」というインテリジェントデザインを提唱する
  4. 近代科学は目的論を排除しているので、科学で目的を語れない。
  5. だから、目的論を排除する科学の方法論たる「方法論的自然主義/科学的唯物論」を批判する


応援団サイドにいるインテリジェントデザイン・ネットワークは、インテリジェとデザインが科学であるためには、科学の再定義(方法論的自然主義の放棄)が必要だと言う。


自然主義/科学的唯物論(Naturalism/Scientific Materialism)


科学の再定義の必要性を述べるWilliam S. Harris博士とJohn H. Calvert法学博士:

Evolution is undergirded by a philosophy called naturalism. Naturalism is the doctrine that the laws of cause and effect (as in chemistry and physics) are adequate to account for all phenomena, and that design or teleological conceptions of nature are invalid. The last phrase means that the design hypothesis is invalid a priori, as a matter of principlenot as a deduction from evidence. It requires a belief that we just “occur” as natural phenomena and that we are not designed or created for any purpose. By eliminating design, the philosophy of naturalism effectively eliminates supernatural explanations for any event occurring in nature. Indeed, the very function of naturalism is to eliminate the possibility of supernatural intervention from all scientific explanations.

進化は自然主義と呼ばれる哲学に基盤としています。自然主義とは、(化学や物理における)因果律と効果がすべての現象について適切に考慮されていて、デザインや自然についての目的論的な概念は無効であるという主義です。最後のフレーズは、証拠に基づく演繹の結果ではなく、原理的にデザイン仮説は先験的に無効だということを意味します。人間は自然現象として"発生した"ものであり、何らかの目的を以ってデザインされたり創造されたりしたものではないと信じろと言っているのです。デザインを除外すれば、自然主義の哲学は、いかなる自然現象の説明についても効果的に超自然的な説明を排除できます。実際、まさにこの自然主義の機能によって、あらゆる科学的説明から超自然の介入の可能性を排除しています。

科学は機械論、すなわち確率過程を含む自然法則によって自然を記述するもの。その背後にデザインがあったとしても、自然法則の外側なので記述不可能。存在するかどうかを機械論的に論じることもできない。超自然を科学に含めるには、機械論(あるいは方法論的自然主義あるいは科学的唯物論)ではないものに再定義する必要がある。

それは名前こそ科学であっても、自然神学とでも言うべき別物。理科の授業に侵入する手段とはならない。だから、インテリジェントデザイン理論家たちは言いたくても大声では言えない。1995年ごろはStephen Meyerが方法論的自然主義を批判していたが(Meyer 1994)、最近はこのような言説は見かけない。

インテリジェントデザイン理論は創造科学ではない


1987年のEdwards v Agguilar裁判( wiki ) の連邦最高裁判所判決で、公立学校の理科の授業で創造科学(Creation Science)を教えることは違憲とされた。この創造科学とは、”若い地球の創造論”すなわち地球も宇宙も6000歳であり、ノアの洪水はあったという科学を偽装した宗教である。そして、この違憲判決から5年後の1992年に The Wedge というインテリジェントデザインの主導者Phillip Johnsonのドキュメントが登場。1996年に Discovery Institute にCenter for Science and Culture( wiki )が設置され、インテリジェントデザイン運動が動き出す。当然、反進化論を掲げる創造科学の偽装でしないと批判される。これに対して:

Intelligent Design is not creation science. ID is simply an hypothesis about the direct cause of certain past events based on an observation and analysis of data. ID does not arise from any religious text, nor does it seek to validate any scriptural account of origins. An ID proponent recognizes that ID theory may be disproved by new evidence.

インテリジェントデザインは創造科学ではありません。インテリジェントデザインは単に観測とデータ分析に基づく過去のある現象の直接原因についての仮説です。インテリジェントデザインはいかなる宗教経典も論拠にはしないし、起源についての[創世記の]記述を証明しようというものでもありません。インテリジェントデザインの提唱者はインテリジェントデザイン理論が新たな証拠によって反証されるかもしれないことを認めています。

少なくとも創世記や地球と宇宙は6000歳といった主張はインテリジェントデザインにはない。ただ、「反証可能」と言っているものの、普通の意味の「反証」ではない。

「自然法則でも偶然でも説明のつかない意味のある情報はデザインである」を反証するには「自然法則か偶然で説明をつける」ことが必要。インテリジェントデザイン側が反証を撃退する場合も、「それでは説明がついていない」と言う。つまりは、進化論が正しいかどうかの議論が、反証・検証するということになっていて、インテリジェントデザインそのものは反証・検証の対象になっていない。

で、宗教経典を論拠にしないと言った直後に:
ID proposes nothing more than that life and its diversity were the product of an intelligence with power to manipulate matter and energy. Period. This is not inconsistent with “literal Biblical creationism,” nor Islamic, American Indian, or any religious heritage that invokes a Creator. ID simply does not address the specifics of creationthe why and whonot because ID theorists are protecting a hidden agenda but because the data do not compel firm answers to those questions. ID addresses one question only: is life the product of a guided or an unguided process? Did it arise from a mind or from the meaningless meandering of molecules in mindless motion?

インテリジェントデザインは、生命とその多様性が物質とエネルギーを操作できる力を持つ知性の産物であること以外に何も提唱しません。これは、"聖書に記された創造論"やイスラム教、アメリカインディアンあるいはその他の宗教的な遺産など創造主への信仰と矛盾しません。インテリジェントデザインは単純に、創造の理由は示しても誰が創造したかを示しません。それはインテリジェントデザイン理論家が隠された政策を遵守しているからではなく、データはその問いへの答えを裏付けるものではないからです。インテリジェントデザインはひとつの問いだけを指し示します:生命は指導された過程の産物なのか、指導されない過程の産物なのか? 生命が意志によるものなのか、無意味(意志なき)分子運動によるものなのか?
とオーバーランしてしまう。インテリジェントデザインが特定宗教たるキリスト教プロテスタント根本主義であるかどうかが違憲判断の基準なのではなく、宗教かどうかが問題だったはずだが。「キリスト教ではない」と言おうとして、ついつい口が滑っている。

「有神論的進化論」は敵


有神論的進化論とは「神は自然法則を通じて人間を創造した」というもの(wikiである。米国のメインラインバプテストはこの立場にある。カトリックもほぼ同様な立場にあるが、ヨハネパウロ2世の1996年の生命では、魂については神の手によるものとしている( John Paul II 1996 )。

この有神論的進化論とインテリジェントデザインは敵対関係にある。「神様はいない」無神論や、「神様は宇宙を創造したらいなくなった」理神論と異なり、有神論的進化論では神様はいなくなったわけではない。しかし、インテリジェントデザインはこの有神論的進化論を批判する:

If evolution is defined as “change over time,” then clearly one can believe in God and evolution because God could have directed the change. But it is precisely here where definitions are so critical, because if one defines evolution as do the scientists quoted above (i.e., unguided and unplanned accidents), then it is logically difficult to believe in a God other than one who has simply thrown the dice without intending any particular outcome. Thus if God used a random evolutionary process, by definition only purposeless and unintended outcomes will result. It is self-contradictory to believe in a “guided, unguided” process.

進化を「時間につれての変化」と定義するなら、神はその変化を指示することができるので、神と進化論の両方を明らかに信じられます。しかし、正確にはその定義には批判的です。というのは進化を前述のように科学者が主張どおり(指導も計画もされない偶然)とすると、特定の結果を計画しないで単にさいころを投げる存在に他ならないと言う神を信じるという論理的なむつかしさがあるからです。従って、神がランダムな進化過程を使ったのであれば、定義により、それは無意味な(目的なき)、意図されない結果ということになります。「指導された(guided)、指導されない(unguided)」過程を信じるのは自己矛盾です

「『有神論の進化論』は神の存在を認めているが、『神がランダムな進化過程を使ったのであれば、定義により、それ[人間]は無意味な(目的なき)、意図されない結果』となってしまう」からだと言っている。

しかし、本当の対立点は少し違っている。Dr. William A. Dembski( ARN FAQ ))がもう少し強く表現している:

Theistic evolution places theism and evolution in an odd tension. If God purposely created life through Darwinian means, then God’s purpose was ostensibly to conceal his purpose in creation. Within theistic evolution, God is a master of stealth who constantly eluded our best efforts to detect him empirically. Yes, the theistic evolutionist believes that the universe is designed. Yet insofar as there is design in the universe, it is design we recognize strictly through the eyes of faith. Accordingly the physical world in itself provides no evidence that life is designed.

有神論的進化論は有神論と進化論を妙な関係に置く。神がダーウィン的な手段で生命をわざわざ創造したなら、創造時点での神の目的は創造における神の目的を隠すことだったはずである。有神論的進化論では、神は経験的に神を検出しようとする我々の最善の努力を避けるステルスの王者である。確かに有神論進化論者は宇宙がデザインされたと信 じている。 ただ、宇宙にあるデザインは、厳密には信仰の目によってしか認識できないものである。従って、(有神論的進化論においては)、物理的世界には生命がデザインされたという証拠はありえない。

対立点は、神様が自然界に直接介入するのか、しないのかという一点。有神論的進化論は科学的に検出可能な形での神様の直接介入を認めないのに対して、インテリジェントデザインは直接介入があったとする。

これは科学ではなく神学の対決であり、それ故に妥協点などはありえない。


デザインされたことの証拠は複雑さ


ここでは、Dembskiのデザイン検出フィルタを説明している。

  1. 問題となるパターンが、そのパターンを形作る個々の要素の意味あるいは意義とは独立な機能や構造あるいは目的を表しているかどうか
  2. この明らかに意味のあるパターンがなんらかの法則や規則によって説明できるか
  3. そのパターンが偶然によるものなのか

そして、偶然か否かの判断基準は複雑さであり、確率1/10^150を基準としている(この数字を a) 宇宙に存在する粒子の推定個数(10^80) × b) 1秒間に素粒子が変化する回数(10^45)× c) 宇宙の推定年齢 10^25秒(約150億年もしくは10^16秒 × 10億)と見積もる)

これが自らを”God of the gaps”論であると実証してしまっているDembskiの主張を述べたところ。「自然法則でも偶然でも説明できなくて、意味のあるパターンはデザイン」であるということは、”God of the gaps”論そのものである。wikiによれば:

The concept of the God of the gaps contrasts religious explanations of nature with those derived from science. It refers to a common theistic position that anything that can be explained by human knowledge is not in the domain of God, so the role of God is therefore confined to the 'gaps' in scientific explanations of nature.

“God of the gaps”の概念は、自然の宗教的な説明を科学に由来するそれらと対比します。それは人間の知識によって説明されることができるものは神の領域にないという一般の有神論の見解に従って、神の役割は、自然の科学的な説明の『隙間』に限定される。

逆に言えば、科学が解明していないものは神様の領域と主張してよいことになる。まさに、Dembskiのデザイン検出フィルタは、この隙間さがしになっている。

もちろん、この論の立て方は「ID理論とは未解明の別称」を意味する。

還元不可能な複雑さ(Irreducible Complexity)


インテリジェントデザインの基本概念とも言うべき還元不可能な複雑さが語られる:

In Behe’s words,
An irreducibly complex system cannot be produced directly (that is, by continuously improving the initial function, which continues to work by the same mechanism) by slight, successive modifications of a precursor system, because any precursor to an irreducibly complex system that is missing a part is by definition nonfunctional. An irreducible complex biological system, if there is such a thing, would be a powerful challenge to Darwinian evolution. Since natural selection can only choose systems that are already working, then if a biological system cannot be produced gradually it would have to arise as an integrated unit, in one fell swoop, for natural selection to have anything to act on.

Dr. Beheによれば:
還元不可能な複雑なシステムは直接的に、変化前の形態から漸進的な変化(すなわち、初期の機能を、継続的に発展させつつ、同じメカニズムが機能し続ける)によって作れません。それは、いかなる、変化前の形態から還元不可能な複雑なシステムへ変化しつつあるとき、欠けた部品があれば定義上、機能しなくなるからです。還元不可能な生物学的システムが、もしあるなら、ダーウィン進化論に対する強力な反証となります。自然淘汰では既に機能しているものだけが淘汰の対象となるので、生物システムがもし部品が徐々に組み上げられて出来上がるわけにはいかない。従って、自然淘汰が影響するためには、一気に組み上げられなければならないでしょう。

この典型例としてバクテリアの鞭毛が挙げられている。40個のタンパク質の1個でも欠ければ、鞭毛として機能しない。一気に40個つながらないと、進化できないというのが主張。だから、デザインされたものだと。

ところが、これは Matzke (2003)などで進化経路が提示されてしまう。これによれば、鞭毛は還元不可能な複雑さを持っていて、1個でもタンパク質がかけても鞭毛としては機能しないが、Type III Secretory Systemとしては機能していたというもの。進化論の流行ネタのCo-optionの一例ということになってしまった。

ついでに言うと、「還元不可能な複雑さ」はInter-locking complexity(Muller, H. J. 1939. Reversibility in evolution considered from the standpoint of genetics. Biological Reviews of the Cambridge Philosophical Society 14: 261-280.)のパクリ。

カンブリア紀の爆発はデザインの証拠


続けて、インテリジェントデザインの証拠としてカンブリア爆発が語られる。インテリジェントデザイン理論サイドの主張は

  • 5億5000万年前には「カンブリア紀の爆発」があり、漸進変化するダーウィン進化論と矛盾
  • 断続平衡説は証拠がない(変化が速すぎて化石が残らないというのは希望的観測)
  • インテリジェントデザイン理論は生物種の変化速度を問わずに適用できる

だという。

ID does not claim that no evolutionary process is involved in the origin of various species. It merely claims that evolution is inadequate to explain all of the diversity of life.

インテリジェントデザイン理論は、どんな進化論の過程も多様な種の起源に関与していないとは主張しません。インテリジェントデザイン理論は進化が生物の多様性を説明するには不十分であると主張しているだけです。



これもインテリジェントデザイン理論サイドの喜びの時代は終わりを告げ始めた。

たとえば眼の進化に100万年かからないことが示される。
Nilsson, D.-E. and S. Pelger, 1994. A pessimistic estimate of the time required for an eye to evolve. Proceedings of the Royal Society of London, Biological Sciences, 256: 53-58.
[[PBS: Evolution of the Eye>http://www.pbs.org/wgbh/evolution/library/01/1/l_011_01.html]

そして、眼の進化がカンブリア爆発を起こすという仮説の登場:
Andrew Parker: “In the blink of en Eye” 2003


インテリジェントデザインは科学の停止装置ではない....しかし神を問うな


ここからはインテリジェントデザイン批判に対して答えるところ。まずは「科学の停止装置」から。

「科学の停止装置(science stopper)」とは「わからないことはインテリジェントデザインのせいにし、それ以上の探求を止める」という意味。インテリジェントデザイン理論サイドは次のように反論する。

Did the discovery that the earth was round“stop science? .... These were discoveries of the truth, and therefore they did, in a sense, “stop” scientific inquiry. They stopped it for the same reason that you stop looking for your car keys when you find them. There is no need for further investigation.

地球が丸いという発見は「科学を止めた」でしょうか?...これらの発見は科学の発展を止めたでしょうか?これらは真理の発見であり、したがって、科学的探究をある意味とめました。彼は、自動車のキーが見つかれば、キーを捜すのをやめるのと同じ意味で、科学的探求を止めたのです。それ以上の探求の必要がなくなったからです。

しかし、なんのことはない。

If ID theory is true and life and its diversity did arise by the action of an unknown intelligent agent, then the only “intelligent” response is to take it as a given (like gravity), stop trying to prove the counter argument, and intensify research efforts into the discovery of how life works, not where it came from.

インテリジェントデザイン理論が正しければ、生命とその多様性は未知の知的存在によるものであり、そうなれば、(重力と同じく)それを所与のもととして、反論を証明するのをやめて、生命がどこからきたかではなく、生命がどう機能するかの発見に研究を努力を費やすのが、知的対応です。

インテリジェント・デザイナーを問うなと言っている。そう、それ以上、探求するなと。つまり、「科学の停止装置(science stopper)」であることを自白している。

しかも、デザインの例だと高々に掲げられたバクテリアの鞭毛に進化経路が提示されたことは、「科学の停止装置(science stopper)」であったことを証明してしまっている。デザインだから、これ以上追及しても意味がないというのがインテリジェントデザインの主張だが、追求したら新ネタが出てきた。

インテリジェントデザインは"God of the gaps"論ではない.....しかし進化論で説明できないものはインテリジェントデザインのもの


"God of the gaps"論とは、「隙間はすべて神のもの」という論法、つまりは国境紛争で、敵国でないものは自国のもの。インテリジェントデザイン理論サイドは次のように反論する。

A design inference can be falsified simply by showing a lack of any apparent design or meaning in the pattern, or by demonstrating (not imagining) that unguided natural processes can produce the pattern or object in question.

指導されない自然の過程でそのパターンあるいは物体を創れないかを(想像ではなく)論証して、明らかなデザインや意味がそのパターンに欠けていることを示せば、デザイン推論を反証できます。

これすなわち、「進化論で説明できればインテリジェントデザインを反証できる」と言っている。インテリジェントデザインを問うのではなく、進化論を問うことで反証できるという主張。これは、インテリジェントデザインが”God of the gaps”論であることを示している。

さすがのWilliam S. Harris博士とJohn H. Calvert法学博士も、”God of the gaps”論ではないという説明はうまくいっていない。


"人生の目的"を語る......これすなわち宗教なのだが


直前で、インテリジェントデザインは宗教ではないと主張しているのだが、William S. Harris博士とJohn H. Calvert法学博士はここで高らかに、人生の目的を語る。

if life is an accident, why not alter it to suits our needs? If we can, why not make human clones? Why not abort unwanted children? Why not euthanize the "useless" aged? Why not end a challenging marriage? Why not cheat on our taxes? Why not "steal, kill, and destroy?" ...... "If there is no God, all things are permissible. However, if ... life is not just an accident or occurrence, but is something that has been designed and made, then life must have an inherent purpose.

生命が偶然のものであるなら、なぜそれを私たちの必要に応じて変更してはいけないのでしょうか?もしできるなら、何故ヒトクローンを作ってはいけないのでしょうか?何故、望まれぬ子を堕胎してはいけないのでしょうか?何故、もはや働けない老人を安楽死させてはいけないのでしょうか?何故、結婚制度を廃止してはいけないのでしょうか?何故、脱税してはいけなのでしょうか?何故、盗んだり、殺したり、破壊してはいけないのでしょうか?.....「神がまったくいなければ、なんでもは許される」しかしながら、もし生命がまったくの偶然のできごとでないなら、何かデザインされ、作られたものであるなら、生命には本来の目的があるはずです。

インテリジェントデザインが科学ではなく宗教であることを高らかに宣言しているような記述でこのエッセイは終わる。

  • 生命は偶然の産物でしかない
  • もしそうなら、何故、クローンも堕胎も安楽死も脱税も殺人もしてはいけないか。

という流れだが、前者は"科学"の命題たりうる(決定論的過程ではなく確率過程が絡むという意味で)が、後者は"科学的"な命題ではない。「何をしてよいか悪いか」という判断は、「メカニズムの解明」という「科学の方法論」からは出てこない。「良い」か「悪い」かは宗教か倫理か慣習か道徳か法律の領分だ。

「クローンも堕胎も安楽死も脱税も殺人もしてはいけない」という主張は、科学によって裏付けられることも、否定されることもない。しかし、インテリジェント理論サイドの、少なくとも応援団であるWilliam S. Harris博士とJohn H. Calvert法学博士は、人生の目的・善悪を科学として語りたがっている。ということは、インテリジェントデザイン理論は科学ではなく宗教ということになってしまうのだが。






最終更新:2009年08月12日 08:16