Kumicitのコンテンツ>創造論ネタ>6日間の創造

創造は一瞬だったと言うアウグスティヌス


「地球は6000年前に創世記の字義どおりに6日間で創造された」と主張する"若い地球の創造論"にとって、困るのが、中世初期のラテン教父アウグスティヌス(Aurelius Augustinus)[354/11/13 - 430/08/28]である。アウグスティヌスは創世記を字義どおり解釈せず、自然界についての知識と聖書が合わないなら、聖書を比喩的に読むべきだと主張していたからだ。

たとえば、著書「創世記注解」において、創造は1日(あるは一瞬)で行われたと解釈している:
12: このように創られた被造物の動きによって時間は流れ始めたのである。だから被造物が創られる以前に時間を探し求めるのは空しいことである。まるで時間の以前に時間が見出されるかのようである。現在を通って未来が過去にひきつづいてゆくのは被造物の動きによってであるが、霊的なものであれ、物体的なものであれ、この動きがまったく存していないなら、時間はそもそもまったく存しないのである。しかし被造物が動くということは、被造物自身あなければありえない。だから被造物が時間によって始まるというよりは時間が被造物によって始まるのであるが、両者ともに神に由来して始まるのである。というのも神に由来し、神によって、そして神のうちにすべてのものは存在するからである。また「時間は被造物によって始まる」と言われたことが、時間は被造物でないかのごとく受け取られてはならない。事物がある状態から別の状態に移ってゆく中でなされる被造物の運動はすべて、創られたすべてのものを統治したもう神の秩序に従ってなされる。だから神が第七の日に自らの業から退き安息された被造物の最初の創造をわれわれが考える場合、かの日をわれわれの日常の、太陽による日のように考えるべきではないし、また業そのものも、現在神が時間のうちで業をなされるのと同じように考えられるべきではない。そうではなく、そこから時間が始まるように神がなしたもうたそうした仕方において、つまりすべてが同時に創られ、被造物に、時間の間隔による秩序ではなく原因の連鎖による秩序が与えられ、こうして同時に創られたものが、かの同じ日の六度の繰り返しによって完成された、そうした仕方において最初の創造の業は考えられるべきである。
...
15: 秩序づけられた被造物の、このすべての秩序をかの日は認識した。この認識によって、ある仕方で六度繰り返して日が現前し、あたかも六日であるような観を呈したのであるが、日そのものは一つであり、創られたものをまず創造者において認識し、ついで被造物そのものにおいて認識し、しかも被造物そのものにとどまることをせず、被造物の、より劣れる認識をも神への愛に関わらせ、夕と朝と昼とをおのおのの日に付与したのである。それも時間の間隔によってではなく、被造物の秩序に基づいてである。最後にそのすべての業より退き安息された自らの創造者の安息の認識を得たのである。そしてこの認識に夕ということはない。このようにしてかの日は祝福され聖別されるに値したのである。ここから聖書は七という数そのものを、聖霊に献げられた数として推賞し(イザヤ書11:2-3)、教会もそのことを覚えたのである。



若い地球の創造論者の反応


これについて、"若い地球の創造論"ミニストリAnswers in Genesisは次のように主張している:
Dembski (like many others, who have apparently only read secondary literature on this matter) has confused their uncertainty about the length of the creation days with rejection of a young earth, which they unambiguously affirmed. And their rejection of literal days was not based on the text, but on outside influences -- just like long-age compromise today, which is based on imposing long-age ‘science’ upon Scripture. Origen and Augustine belonged to the Alexandrian school, which was prone to allegorization, largely because of their neo-Platonic philosophy. They apparently couldn’t bear to have God’s creative acts in time, so they allegorized the days to an instant. Of course, this is diametrically opposite to what long-agers claim! But there was a perfectly good Hebrew word available for ‘moment’ or ‘instant’ (rega‘), if that’s what God had intended to communicate in Genesis 1.

Dembskiは他の多くと同様に二次文献を読むだけであり、創造の日の長さについての不確実性と、若い地球の創造論の否定を混同して、それらを明言した。彼らの字義どおりの一日の否定は、聖書の記述によるものではなく、古い地球についての科学を聖書に押しつけたものである。オリゲネスとアウグスティヌスはアレキサンドリア学派に属しており、その学派は新プラトン主義により、聖書を寓話化する傾向があった。彼らは明らかに、時間の内での神の創造行為を認められなかったので、日を瞬間へと寓話化した。これは"古い地球の創造論"が要求するものとは正反対である。しかし、神が創世記で瞬間だと伝えたければ、ヘブライ語の瞬間(rega)に対応する単語がちゃんとある。

なお、この主張は、インテリジェントデザインのDr. William Dembskiの「"若い地球の創造論"は、オリゲネスとアウグスティヌスを除く教父たちのポジションをおおよそとっている。当時は地球は動かないと教えていたのに、"若い地球の創造論"は地動説をとっていて、字義どおりではない」[Dembski 2005]と言ったことに反論する形で、Answers in Genesis分裂後はオーストラリア側のCreation Ministries Internationalを率いているDr. Jonathan Sarfatiが行ったものである。

Dr. Jonathan Sarfatiは、あっさり、「ヘブライ語の瞬間(rega)に対応する単語がちゃんとある」と教父アウグスティヌスを殴り倒している。これをまずいと思ったのか、米国側(AiG-USA)のDr. Terry Mortensonが次のように表現を弱めている:
Augustine was not sure if the first three days were literal. But if anything, he believed that creation week was instantaneous, not over long ages. He also clearly believed (1) the accounts of Adam and Eve’s creation and their Fall in sin were literal and occurred less than 6000 years before Augustine lived and (2) the Flood was a global catastrophe.

アウグスティヌスは最初の3日間が字義通りかどうか明確ではなかった。しかし、いずれにせよ、彼は創造一週間は長い時代ではなく一瞬だと信じていた。また彼は明白に(1)アダムとイブの創造と堕落を字義どおりに信じ、アウグスティヌスより前には6000年未満の時しか流れておらず、(2)ノアの洪水は全地球的災害だと信じていた。

"若い地球の創造論"者たちは、Dr. Henry M Morrisにせよ、Ken Hamにせよ、Dr. Jonathan Safatiにせよ神学者ではない。キリスト教の擁護者というポジションをとりながら、神学者でもないのに、教父と呼ばれる人々を殴り倒すのはまずいようだ。

で、ごまかしたような「he believed that creation week was instantaneous, not over long ages.」という表現で流してしまうしかなくなっている。







最終更新:2014年01月25日 10:30