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Phillip Johnsonは言った「God of the gaps論と呼ばれることを怖れるな」


Phillip Johnsonは、神は創造後の宇宙に介入すると主張する。

  • 創造後の宇宙への神の介入は当然あると考えているPhillip Johnson

    科学が「神が自然界に直接介入しない理由」を説明することなく、その可能性を除外するのは「自然主義」という哲学を採用しているからだと、Phillip Johnsonは言う。そして、は「経験的に検証可能」ではない超越的存在を科学でどう扱うかという科学哲学のレイヤーをスキップして、STSレイヤーで「自然主義ゆえに、超自然的介入」が排除されていると主張する。
  • 神は宇宙と生命を創造し、創造後の宇宙に介入する

    神は、自らが創造した宇宙に対して 介入 することを禁じる有神論的自然主義は自己矛盾だと言う。すなわち、「有神論」が指し示す神は、創造後の宇宙に介入する「神」であると。そして、Phillip Johnsonは「科学的結論が知識、さらには事実である」という考えは、「神を幻想あるいは主観的信念」の産物にしてしまうと述べる。生命は神によって創造されたものであることは事実でなければならないが、それを認めない科学は、知性を捨てたナンセンスにすぎないと。

Many scientists, Christian and otherwise, argue that evolution could simply be the way God chose to create the world. How do you respond? God could create however he wished to create. But the modern, neo-Darwinistic theory of evolution says that God was limited by naturalistic philosophy, and would not dare to do anything that our current rules of science do not permit. The absence of God is a necessary presupposition of Darwinism. If we assume that God was always there, ready and willing to create, then we would never entertain such an absurd idea as that the peppered-moth experiment tells us something significant about how God actually did create.

キリスト教徒であろうがなかろうが、多くの科学者たちは、進化は世界を創造するために神が選択した方法であり得ると論じる。それに対して、どう応えるか。神は創造したいと思えば、創造できる。しかし、現代ネオダーウィニズム進化論は、神は自然主義哲学に限定され、現在の科学法則が認めること以外をあえてしようとしないと主張する。神の不在はダーウィニズムの必要前提である。神が常在し、創造の準備と意志を持っているなら、オオシモフリエダシャクの実験が神の創造について重要な何かを語っているなどいう馬鹿げたことは世の中に通じているわけがない。


この主張をそのまま受け取ると、インテリジェントデザインを科学はもとより、科学哲学のレイヤーでも維持できなくなる。神が自然界に任意に介入するなら、科学実験にも介入する?かもしれない。そうなれば、いかなる科学実験も意味をなさない。

神が常在し、創造の準備と意志を持っていようとも、少なくとも...
  • こっそり化石を消さない・証拠を隠滅しない
  • こっそり偽物の化石を置かない・証拠を捏造しない
  • 人類の科学実験にこっそり介入しない
  • 人類が観察・観測している対象にこっそり介入しない
と仮定しておく必要がある。

ただし、そうやって「必要最少介入原則」をつくっていくと、限りなくGod of the gaps論に近づいていく。実際、Dembskiの説明フィルタは"God of the Gaps"論そのもの。

だからこそ、Phillip Johnsonは言う。「God of the gaps論と呼ばれることを怖れるな」と。

Failure to understand that Darwinism is primarily a philosophical rather than an empirical doctrine has made theistic naturalists unduly fearful of incurring what is called the “god of the gaps” problem. This problem arises when we point to some gap in current scientific knowledge, and attribute unexplained events to a divine cause. The better theological position, of course, is that God is responsible for all events, and not just those for which scientific explanations are currently lacking. Moreover, if science is in general on the right track, many gaps will eventually be filled with satisfactory explanations. In which case God”or rather. His supporters who underestimated the power of science”will have to make an embarrassing retreat. It is largely because of fear of the “god of the gaps” problem that theistic naturalists are reluctant to encourage any challenge to the validity of Darwinism. The question that needs to be investigated, however, is not whether there are gaps in a fundamentally sound theory that has successfully explained a great deal.