Claim CH133:
Ancient people thought that the water from rivers flowing into oceans spilled over the ends of the earth. On the other hand, Ecclesiastes 1:7 says, "All streams flow into the sea, yet the sea is never full. To the place the streams come from, there they return again." This shows the Bible's unexpected accuracy.

古代の人々は川の水は海に流れ込み、大地の縁から流れ落ちると考えていた。一方、コヘレトの言葉1章7節では「川はみな海に注ぐが海は満ちることなく/どの川も、繰り返しその道程を流れる。」とある。これは聖書が予想以上に正しいことを示している。

Source:
Watchtower Bible and Tract Society, 1985. Life--How Did It Get Here? Brooklyn, NY, p. 201-202.

Response:
  1. ある点で正しいことが、全体も正しいことを証明するわけではない。たとえば、ヨブ記38章22節「お前は雪の倉に入ったことがあるか。霰の倉を見たことがあるか。」とある。また創世記2章5-6節「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。」は水の循環に反している。
  2. コヘレトの言葉1章7節は水の循環を書いていない。これは水が流れの源に戻ると書かれているだけである。どうもどるか書かれていない。その昔は水が地下に戻ると信じられた。
  3. この節を字義通り解釈することは、完全にコンテキストを否定している。コヘレトの言葉1章9節では「太陽の下、新しいものは何ひとつない。」と言っていて、幾つかの例を挙げている。実際に、水の循環の知識を新知識の一つとして解釈するなら、これはコヘレトの言葉1章全体と矛盾する。
  4. この節の説明に特別な知識を必要とすることは、古代ヘブライ人がバカだったことを仮定する。地球が球体であり、水が流れ落ちる縁がないことは古代から知られていた。神学的に神が常に新しい水を創造し続けていないと仮定することは合理的である(創世記2章3節:この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。) 霧は水からわきあがり、雨は雲から降る。水の循環を思いつかない方がおかしい。




最終更新:2009年08月16日 06:39