科学者が神を信じて矛盾がないのに、創造論な宗教が科学と対決する理由


自然科学者が神を信じても何の矛盾もない。にもかかわらず、創造論な宗教は自然科学と対決する。それは...

自然科学者が神を信じても何の矛盾もない理由

これは科学の原則が 方法論的自然主義 だから。

方法論的自然主義
方法論的自然主義は、超自然が科学的研究法で使えないという限定的な見方である。多くの科学哲学者は科学的研究の基本的な要件は、経験的に検証可能でなければならず、実効的に自然界の研究と説明に限定するものだと考えている。このタイプの自然主義は、定義において自然界で検証不可能である超自然の存否について何も言わない。
形而上学的(存在論的)自然主義
宇宙を含む自然界が存在する全てであるという形而上学的(存在論的)仮定に言及する。
形而上学的(存在論的)超自然主義
神(超自然)は存在するという見方。

方法論的自然主義が超自然(神)に言及しないのは、実用上の問題なので、神は存在するという形而上学(存在論的超自然主義)とも、神は存在しないという形而上学(存在論的自然主義)とも矛盾しない。

したがって、自然科学者は科学的な仕事において方法論的自然主義に従うが、神を信じているかも知れない。あるいは無神論者かもしれない。

にもかかわらず、自然科学と共存しえない宗教がある理由(1)

方法論的自然主義は、「超自然の存否を仮定せずに自然因のみよって自然界に観測される現象を説明できる」という方法論的仮定を置く。
「自然因のみよって説明できない現象」は「わからない」だけ。

しかし、「方法論はありえない。あるのは存在論(形而上学)だけ」という立場をとる宗教がある。この考え方では「神の存否に言及しない=神は存在しない」と解釈される。そして、「科学は超自然への言及を排除すべきでない」と主張する。

ただ、それだけだと「経験的に検証可能」という原則が失われる。そこで、「経験的な検証方法」として、「God of the gaps = 科学で説明できないものは神様のせい」を使う。


当然、これらの解明が進むと、「それでは説明できていない」と徹底抗戦することになる。

にもかかわらず、自然科学と共存しえない宗教がある理由(2)

(1)は「超自然の存否」についての方法論的仮定をめぐるもの。すべての創造論者(若い地球の創造論・古い地球の創造論・インテリジェントデザイン)に共通する。
これに対して、(2)は若い地球の創造論者に特有な理由すなわち...聖書は無謬の観測記録である。

聖書が無謬の観察記録であるという前提では、地球も宇宙も6000歳であり、生物は進化しない。従って、科学的に
  • 地球 宇宙 も6000歳である
  • ノアの洪水があった
  • 生物が進化しない
ことが証明されなければならないことになる。
従って、神の存否に言及しないという科学の原則たる方法論的自然主義を容認しても、なおかつ自然科学と対決する。

「事実」の裏づけのないものを信じられない

方法論的自然主義という原則に従って、科学が神の存否に言及しないことが創造論系の宗教にとって何がまずいのだろうか? 科学的には自らが信じる神が肯定も否定もされないのだから、そのまま信じていけない理由があるのだろうか?

あるいは、自然科学は一時的真理であって、経験的検証可能な観測事実によって覆るもの。「地球が45億歳なのも、生物が進化するのも一時的真理」である。それらはいずれ否定されると考えて、「地球も宇宙も6000歳で、生物が進化しない」と信じていけない理由があるのだろうか?

あるとしたら、「事実の裏づけのないものを信じられない」くらいだろう。




最終更新:2009年08月22日 13:49