Dembskiの"科学とデザイン"を読む


インテリジェントデザインの本山 Discovery InstituteのCSC(Center for Science and Culture) のページに 必読文献 なるものが挙げられている。内容は一般向けのつもり(数学のわかる理系でないとわからないネタではなく)のものだ。この中から、数学/神学担当Dr. William Dembskiの Science and Design (科学とデザイン)(1998年10月1日)を読む。執筆時期は少し古いが、Dr. Dembskiという人の思いがよくわかる。


人間の倫理の依って立つところ

「科学とデザイン」というこのドキュメントの最後付近にある次の一節がDr. Dembskiの考えをよく表している。そして、インテリジェントデザインをかかげる人々が、何故、「神様が目的を持って、人間を創造したという事実によって、人間の尊厳が成り立つ」と考えるのかがわかる。

Design also implies constraints. An object that is designed functions within certain constraints. Transgress those constraints and the object functions poorly or breaks. Moreover, we can discover those constraints empirically by seeing what does and doesn’t work. This simple insight has tremendous implications not just for science but also for ethics. If humans are in fact designed, then we can expect psychosocial constraints to be hardwired into us. Transgress those constraints, and we as well as our society will suffer. There is plenty of empirical evidence to suggest that many of the attitudes and behaviors our society promotes undermine human flourishing. Design promises to reinvigorate that ethical stream running from Aristotle through Aquinas known as natural law.

デザインはまた、制限を意味する。デザインされるものは、指定された制限の範囲内で機能する。その制限を超えれば、それは十分に機能しなくなるか壊れる。さらに、何が働き、何が働かないかを見ることでそれらの制限を経験的に発見できる。この単純な洞察には、科学だけではなく、倫理についてもとても大きな意味がある。人間が実際、デザインされたのであれば、我々の内にハード的に組み込まれた心理的な制限があると期待できる。それの制限を超えれば、我々もまた社会と同様に苦しむことになる。我々の社会が進める態度とふるまいの多くが活躍している人間を徐々にむしばむことを示唆する多くの経験的な証拠がある。デザインは、自然法として知られているアリストテレスからアキナスへと続く倫理の流れを甦らせるだろう。[訳注: トマス・アキナスは13世紀の神学者で、「神学大全」を執筆。アリストテレスの自然哲学で、キリスト教神学を説明した。]

進化の果てに生まれた人間に良心が宿るとDr. Dembskiは信じられない。しかし、氏名不詳の神様によってデザインされた存在なら、Dr. Dembskiは期待できるようだ。インテリジェントデザイナーが、実験室に小宇宙を創りだしたマッドサイエンティストたるフェッセンデン博士[エドモンド・ハミルトン「 フェッセンデンの宇宙 」であるやもしれぬという疑念は、この文章からはまったく感じられない。Dr. Dembskiは聖書の記す神を前提としているとしか考えられない。


偶然と必然とデザイン

さて、出だしにもどろう。まず、Dr. Dembskiは、ニュートン力学という決定論的自然法則と、量子力学と言う確率過程が、科学の説明原理となったという。

When the physics of Galileo and Newton displaced the physics of Aristotle, scientists tried to explain the world by discovering its deterministic natural laws. When the quantum physics of Bohr and Heisenberg in turn displaced the physics of Galileo and Newton, scientists realized they needed to supplement their deterministic natural laws by taking into account chance processes in their explanations of our universe. Chance and necessity, to use a phrase made famous by Jacques Monod, thus set the boundaries of scientific explanation.

ガリレオとニュートンの物理学がアリストテレスの物理学を書き換えると、科学者たちはその決定論的な自然法則の発見によって世界について説明しようとした。ボーアとハイゼンベルクの量子物理学がガリレオとニュートンの物理学を次に書き換えると、科学者たちは我々の宇宙の説明に決定論的な自然法則を確率過程で補完しなければならないと認識した。ジャック・モノーの有名な言葉、偶然と必然が科学的説明の境界条件を定めた。

これは間違ってはいない。しかし、微妙に表現を曲げ始めている。本来は「確率過程」もまた自然法則だ。そう書かないのは、偶然と必然に並べてインテリジェントデザインを提示するため。

Today, however, chance and necessity have proven insufficient to account for all scientific phenomena. Without invoking the rightly discarded teleologies, entelechies, and vitalisms of the past, one can still see that a third mode of explanation is required, namely, intelligent design. Chance, necessity, and design--these three modes of explanation--are needed to explain the full range of scientific phenomena.

しかし、今日、あらゆる科学的現象の原因として偶然と必然では不十分であることが証明されている。過去然るべく捨てられた目的論、エンテレケイアおよび生気論を呼び戻さないなら、第3の説明方法が必要となる。すなわち、インテリジェントデザインである。偶然と必然とデザイン--これら3つの説明方法--が科学的現象全般を説明するために必要だ。

で、このパラグラフで、このドキュメントで語るべきことを言い終わっている。すなわち、「科学にデザインを持ち込む」と。

科学で解明できていないことは、いくらでもあるだろう。すぐに解決することもあれば、延々と時間だけが流れていくこともある。フェルマーの定理なんか決着するまで300年以上かかっている。にもかかわらず、"chance and necessity have proven insufficient to account for all scientific phenomena."と、論拠なく言い切るのがDr. Dembskiである。一般人向けドキュメントで論文形態をとっていないにしても、さらりと言うのはなしだろう。「現在、説明がつかないこと」が「将来にわたって説明がつかない」ことを保証するものではない。

"complexity-specification(複雑さ-指定)でデザインを検出するDr. Dembski

デザインの検出基準として、Dr. Dembskiは、後に"Specified Complexity(指定された複雑さ)"という用語を使うようになる概念、"complexity-specification(複雑さ-指定)"を提唱する。それは、あるものがデザインされたものであると言うには
  • 複雑である: 偶然では創りえない
  • 意味がある: 
が備わっていなければないというもの。

ただ、「意味がある=指定された(Specified)」の定義は直感的なものでしかない。Dr. Dembskiはここで、このドキュメントが書かれた1998年の前年に公開された映画「コンタクト」を例に説明する。

The SETI researchers in Contact found the following signal:
映画コンタクトのSETI研究者は次のような信号を見つけた:
   11011101111101111111011111111111011111111111110111111111111111
   11011111111111111111110111111111111111111111110111111111111111
   11111111111111011111111111111111111111111111110111111111111111
   11111111111111111111110111111111111111111111111111111111111111
   11011111111111111111111111111111111111111111110111111111111111
   11111111111111111111111111111111011111111111111111111111111111
   11111111111111111111111101111111111111111111111111111111111111
   11111111111111111111111101111111111111111111111111111111111111
   11111111111111111111111111111101111111111111111111111111111111
   11111111111111111111111111111111111111110111111111111111111111
   11111111111111111111111111111111111111111111111111110111111111
   11111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111
   11111111011111111111111111111111111111111111111111111111111111
   11111111111111111111111111111101111111111111111111111111111111
   11111111111111111111111111111111111111111111111111111111110111
   11111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111
   11111111111111111111111111111111011111111111111111111111111111
   11111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111
   1111111111

In this sequence of 1126 bits, 1’s correspond to beats and 0’s to pauses. This sequence represents the prime numbers from 2 to 101,where a given prime number is represented by the corresponding number of beats (i.e., 1’s), and the individual prime numbers are separated by pauses (i.e., 0’s).
1126ビットのこの系列では、1はビートに、0はポーズに相当している。、この系列は2から101までの素数に対応しており、与えられた素数はビート(すなわち1)の数に対応し、個々の素数はポーズ(すなわち0)で区切られている。

と"Specification"の例として、地球外知性が発信した素数列を挙げる、こんな通信を受信したら、デザイン=意図されたものだと考えるだろうと。ただし、この"0"と"1"の並びを10進数で書くと

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 97, 101

となっていて、"59"が抜けている[ J. Shallit and W. Elsberry, 2004 ]ので、"Dembskiの間抜け素数列"と呼ばれている(かどうかは定かではない)。2002年の時点のDr.Dembskiの本("No Free Lunch"の143~144ページ)にも同じ間抜けがある。

間抜けではあるが、十分に意味ありげな数列なので

The SETI researchers in Contact took this signal as decisive confirmation of an extraterrestrial intelligence. What is it about this signal that decisively indicates design? Whenever we infer design, we must establish two things--complexity and specification. Complexity ensures that the object in question is not so simple that it can readily be explained by chance. Specification ensures that this object exhibits the type of pattern that is the trademark of intelligence.

映画コンタクトのSETI研究者はこの信号を地球外知性の決定的証拠と判断した。この信号の何が決定的にデザインを示すのだろうか?我々がデザインについて推論するなら、いつでも、複雑さと指定という2点を備えているか確かめなければならない。複雑さは、問われているものが偶然という理由で説明できてしまうような単純なものでないことを保証する。"指定"はこのものがインテリジェンスの特徴であるパターンの型を示していることを保証する。

ということで、"Specification"と判断されると、Dr.Dembskiは言う。

この例が示すことは、Dr.Dembskiの言う"Specitication"であるか否かの判断が、経験的にしか行えないということだ。

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 97, 101

という正しい素数列なら"Specification"だという基準で、地球外知性をさがしていたら、"Dembskiの間抜け素数列"を見逃すだろう。

ただし、そのことをDr. Dembskiは問題にしていない。何故なら、このドキュメントの末尾に次のように書いているからだ。

Martin Heidegger remarked in Being and Time that "a science’s level of development is determined by the extent to which it is capable of a crisis in its basic concepts." The basic concepts with which science has operated these last several hundred years are no longer adequate, certainly not in an information age, certainly not in an age where design is empirically detectable. Science faces a crisis of basic concepts. The way out of this crisis is to expand science to include design. To admit design into science is to liberate science, freeing it from restrictions that can no longer be justified.

マーチン・ハイデッガーは"Being and Time"(存在と時間)で、「科学の発展レベルは基本概念にある危機を扱える範囲によって決まる。」と書いた。過去数百年にわたって科学ととともに機能してきた基本概念はもはや適切ではない。特に情報時代において、そして特にデザインが経験的に検出できる時代においては。科学は基本概念の危機に直面している。この危機から脱出する方法は科学を拡張してデザインを取り入れることだ。科学にデザインを取り込むことを認めることが科学を自由にし、もはや正当ではない制約から解放することになるのだ。

Dr. Dembskiは経験的に(empirically)に検出できることをポジティブな意味に使っている。

さて、ここまで見てくると、Dr. Dembskiがまったく言葉にしていない暗黙の前提があることに気づく。それは「complexity-specification criterion (複雑さ指定評価基準)によって、デザインではないと判定されたものには、インテリジェントデザイナーは直接介入していない」という前提だ。これを担保するのは、「現象を同程度うまく説明する仮説があるなら、よりシンプルな方を選ぶべきである」という「オッカムの剃刀」( wikipedia )だけだ。

これが保証されないと、あらゆる自然現象に対してインテリジェントデザイナーの直接介入があったかもしれないという疑問が出てしまう。そして、その疑問は決して解決できない。"自然法則に則ったかのように"介入してきたかどうかは科学的には判断できないからだ。Dr. Dembskiが気にしていないのは、インテリジェントデザイナーが聖書に記述される神様であるという信仰によるものだろう。聖書に記された神様はそんないたずらはしないと。

複雑さ

複雑さの定義は自明なようで、考えるとよくわからなくなる。Dr. Dembskiはこの複雑さについてこのドキュメントには何も書いていない。

複雑さの定義としては、Kolmogorov complexityが有名。ある文字列の複雑さは、その文字列を生成するために必要な最小のプログラムの大きさと定義するもの。プログラミング言語仕様に依存しないように、チューリングマシンを前提にする。J. Shallit and W. Elsberry[2004]は、さらにUnixのCompressコマンドで圧縮したサイズで測定するという方法もあるよと、Dr.Dembskiを揶揄っている。

これらの方法だと、経験的な複雑さとはまったく違った複雑さの判定がなされるだろう。

このあたりのことをDr. Dembskiはわかっていて、避けているのかもしれない。

いずれにせよ、経験的に判断するしかない"Specification"と、定義すらあやうい"Complexity"という評価基準で、Dr. Dembskiはデザインを検出する。

Dr.Michael Beheの還元不可能な複雑さ

続いて、同じくインテリジェントデザインの生化学担当Dr. Michael Beheが提唱した"Irreducible Complexity(還元不可能な複雑さ)"を説明する。

Alberts sides with the majority of biologists in regarding the cell’s marvelous complexity as only apparently designed. The Lehigh University biochemist Michael Behe disagrees. In Darwin’s Black Box (1996), Behe presents a powerful argument for actual design in the cell. Central to his argument is his notion of irreducible complexity. A system is irreducibly complex if it consists of several interrelated parts so that removing even one part completely destroys the system’s function.

Bruce Albertsは細胞の驚くべき複雑さを見かけのデザインだとみなしている生物学者の多数派と同調している。リハイ大学の生物化学者Michaerl Beheはこれに同意していない。"Darwin's Black Box(1996)"[訳注: 原書,訳本]で、 Beheは細胞の中の実際のデザインについて強力な議論を提示している。彼の論点は彼の言うところの還元不可能な複雑さだ。もし、あるシステムが複数の連携した部品で構成され、そのひとつでも取り去れば、機能を失うのであれば、そのシステムは還元不可能な複雑さを持つ。

Dr.Dembskiは、この還元不可能な複雑さの例として、Dr.Michael Beheのあげた例を書く。

One such irreducibly complex biochemical system that Behe considers is the bacterial flagellum. The flagellum is a whip-like rotary motor that enables a bacterium to navigate through its environment. The flagellum includes an acid-powered rotary engine, a stator, O-rings, bushings, and a drive shaft. The intricate machinery of this molecular motor requires approximately fifty proteins. Yet the absence of any one of these proteins results in the complete loss of motor function.

Behe が考えたような還元不可能な複雑な生化学システムのひとつがバクテリアの鞭毛だ。鞭毛は、バクテリアを環境中を運動させるムチのような回転モーターだ。鞭毛は酸で駆動される回転エンジンと固定子と0-リングと軸受とドライブシャフトから構成される。この分子モーターの複雑な機械は、約50個のタンパク質を必要とする。タンパク質が1個でも欠ければ、モーター機能は完全に失われる。

そして、Dr. Dembskiは、このような還元不可能な複雑なものはダーウィン進化論では説明できないと言う。

このDr. DembskiおよびDr. Michael Beheの主張は、ある意味、正しい。「タンパク質が1個でも欠ければ、モーター機能は完全に失われる。」と言う意味では正しいようだ。「鞭毛という還元不可能なモーター機能システム」は確かにあって、一気に突然変異で創り上げることはむつかしいようだ。

しかし、立場を変えれば間違っている。鞭毛の進化について次のような考えが示されている(まだ議論の余地はあるようだが)。


彼らによれば、炭水化物輸送システムから、原始的な内分泌器官、内分泌器官そして、細胞表層を経て、繊毛から鞭毛のようなもの、そして鞭毛という進化過程をたどれば、小さな変化の積み重ねで実現可能だという。


タンパク質を1個でも取り去れば、モーター機能を持つ鞭毛としては機能しない。しかし、繊毛としては機能していたり、まったく別物だったりする可能性がある。鞭毛としては還元不可能な複雑さを持つが、別物には還元可能ということになる。

このあたりが"還元不可能"性という概念の問題である。"還元不可能"であることの証明は、"否定の証明"すなわち"悪魔の証明"(wiki) であり、もともと証明が困難だ。実際、まったく別の機能を持つ器官の転用という形の進化がなかったという証明は不可能だろう。つまりは、還元不可能な複雑さ(irreducible complexity)とは、「それ以上どう分解していいか未解明な複雑さ」というものと考えていいだろう。


科学の停止装置(Science Stopper)ではないとDr.Dembskiは言う

さて、このドキュメント("Science and Desing" by Dr. Dembski)の読んでないのは、「インテリジェントデザインが科学の停止装置ではない」とDr. Dembskiが主張しているところ。

この"Science Stopper"(科学の停止装置)とは、進化論教育を守る非営利団体である NCSE(米国科学教育センター) のEugenie C. Scottが1998年に NCSEの雑誌NCSE Reports 1998年の記事 に書いた言葉だ。

Theistic science proposes that we abandon methodological materialism in science, in favor of the "occasional" supernatural intervention. This is, in Plantinga's own words, a "science stopper", because once one stops looking for a natural explanation of a phenomenon, one is assured of never finding it.

有神論の科学は、「時折の」超自然的な干渉を認めて、我々が科学で方法論的唯物論を捨てろという。これは、Plantinga自身の言葉[訳注:Plantinga, Alvin. 1997. Methodological naturalism, part 2. Origins and Design 18(2):22-34 (Fall).]で言うなら、科学の停止装置だ。何故なら、ひとたび、ある現象についての自然の説明の探求をやめると、二度とそれを見つけようとはしないからだ。

これに対して、Dr. Dembskiは

But design is not a science stopper. Indeed, design can foster inquiry where traditional evolutionary approaches obstruct it. Consider the term "junk DNA." Implicit in this term is the view that because the genome of an organism has been cobbled together through along, undirected evolutionary process, the genome is a patchwork of which only limited portions are essential to the organism. Thus on an evolutionary view we expect a lot of useless DNA. If, on the other hand, organisms are designed, we expect DNA, as much as possible, to exhibit function. And indeed, the most recent findings suggest that designating DNA as "junk" merely cloaks our current lack of knowledge about function.

しかし、デザインは科学の停止装置(Science Stopper)ではない。実際、デザインは伝統的な進化論のアプローチでは進めようとしない分野の探求を進められる。ジャンクDNAという用語を考えてみよう。この用語は、生物のゲノムは、指導されない進化過程により、不良品の集まりであり、生物にとって不可欠なのはほんの限られた部分だけというパッチワークだという意味を内在させている。このように進化論の見解では、我々は多くの使われないDNAを予想する。他方、生物がデザインされたものなら、 DNAはできる限り、機能を持っていると考える。そして、実際、ごく最近の研究結果は、「ジャンク」だと思われていたDNAが、機能についての知識を現在、欠いていることを隠蔽しているだけだったことを示唆している。

と書いている。無理にインテリジェントデザインの成果にしたがっているような表現だが、言わんとするところは「科学を止めるわけではない」ということだ。

しかし、これはScottの主張を否定するものではない。「バクテリアの鞭毛は還元不可能な複雑さを持つのでインテリジェントデザイナーによるもの」として、それ以上の探求は無駄だと主張したのは、Dr. Michael BeheやDr. Dembskiである。バクテリアの鞭毛を還元してしまうアイデアの登場は、Dr. Michael BeheやDr. Dembskiの主張が誤りであり、「科学の停止装置」であったことを示している。

あくまでも、Dr. Dembskiが言うのは、「インテリジェントデザインの信念たる、『DNAはできる限り、機能を持っている』のもとに突き進めば、科学が進む」ということだ。「還元不可能な複雑さを持つと認定したもの」への探求を奨めるわけではない。

そして結びに

終わりに、あらためてDr.Dembskiは言う。デザインを認めよと。

By admitting design into science, we do much more than simply critique scientific reductionism. Scientific reductionism holds that everything is reducible to scientific categories. Scientific reductionism is self-refuting and easily seen to be self-refuting. The existence of the world, the laws by which the world operates, the intelligibility of the world, and the unreasonable effectiveness of mathematics for comprehending the world are just a few of the questions that science raises, but that science is incapable of answering.

科学をデザインを認めることにより、単に科学的還元主義を批判するより、はるかに多くを為せる。科学的還元主義は、すべてが科学的カテゴリに還元可能だと考える。科学的還元主義は、自己反駁であり、そのことは容易にわかる。世界の存在と、世界を作動させる法則、世界が理解できること、そして世界を理解するための数学の不当な有効性は、科学が提起した疑問であり、科学はこれらの疑問に答えられない。

このパラグラフ後半は何を言っているのか不明だが、Dr. Dembskiが言いたいのは、「デザインの導入により、科学の還元主義という問題点が解決される」ということようだ。

「還元不可能な複雑さ」の例を思い返そう。「還元不可能な複雑さを持つ」という理由で、バクテリアの鞭毛をインテリジェントデザイナーの領土にしたにもかかわらず、バクテリアの鞭毛を還元することで、自然法則の領土にもどってしまう。Dr. Dembskiは、それを押しとどめようとしているように私には思えるのだが、どうだろうか?





最終更新:2009年08月23日 09:13