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宗教学者Dr. Hector Avalosによる、"The Privileged Planet"批判


インテリジェントデザイン理論は、「生物はデザインされた」という反進化論と、「地球はデザインされた」というファインチューニング論から構成される。といっても主眼は反進化論であって、ファインチューニング論はもののついで程度である。インテリジェントデザイン理論家の中心メンバーであるDr. William A. DembskiやDr. Stephen MeyerやDr. Michael Beheたちはほとんどファインチューニング論を述べたことがない。

インテリジェントデザイン運動で、このファインチューニング論に唯一取り上げたGuillermo Gonzalezの"The Privileged Planet"を、Iowa State Universityの宗教学のHector Avalos准教授が批判した



Review: The Privileged Planet: How Our Place in the Cosmos is Designed for Discovery

By Hector Avalos, Iowa State University

インテリジェントデザインは科学の言葉で覆い隠された宗教概念である。実際、インテリジェントデザインは古くからの創造論者の論である、キリスト教版と非キリスト教版のある目的論の新しい変種である。最も単純化されたキリスト教版は、次のような構造を持つ:1) デザインはデザイナーを意味する 2) このデザイナーはキリスト教の神である。

Iowa State Universityの天文学者Dr. Guillermo Gonzalezと神学者Dr. Jay W. Richardsの共著の本"The Privileged Planet"(TPP)は、何らかの高次知性によって我々の惑星がデザインされたと論じる最近の試みのひとつである。著者は二人ともインテリジェントデザインを主導するシンクタンクであるDiscovery Insitituteのメンバーである。

TPPは、地球が故意にその場所に置かれたという議論を強化するために多数のデータを論じる。たとえば、我々の惑星が太陽から非常により遠かったり、非常に近かったりしたら、生命は存在しなかっただろう。あるいは、他の惑星たちが太陽系に存在しているということだけで、地球に衝突するアステロイドや彗星の数を減らす(p.115)ことで、生命への危険を最小化することを助けた。また地球は水星よりも宇宙を観測するのに格段に適している。というのは、水星は公転2回あたり自転3回であり、観測を混乱させる(p.106)。

これらのデータやその他から、TPPは知的生命が出現し、宇宙を観測する天文学者を生み出し、デザイナーの意図を発見できるように、まさにこの位置にインテリジェントに我々の惑星は配置されたと推論する。

歴史は繰り返す

過去2000年に生み出された神学を読めば、TPPが何ら新しい議論を提案しておらず、それどころか大して新しい基礎データをつかっているわけでもないことがわかるだろう。宇宙における生命の稀少性についての観察や、生命を生み出すに必要な特徴の寄せ集めがほとんどありえないといった基本的な要素すべてが、過去数千年の基礎データだった。それどころか天文学的発見にとって我々の惑星が理想的だという考えはTPPから始まったものでもない。

キケロは紀元前一世紀のローマの有名な著述家であり、既に彼の"De Natura Deorum (神の性質について; 以降DND)において非常に良くできたバージョンのインテリジェントデザインを持っていた。この段落に注意しよう(DND 2.34):

But if all the parts of the universe are so constituted that nothing could be better for use or beauty, let us consider whether this is the effect of chance, or whether, in such a state they could possibly cohere, except by the guidance of intelligence and divine providence....when you see a sun-dial or water-clock, you infer the hours are shown by art, and not by chance. How then can you suppose that the universe, which contains both the works of art and the artists, can be void of reason and understanding?

しかし、宇宙のあらゆる部分が、これ以上に使えるもの、あるいはこれ以上に美しいものがないように構築されているのは、偶然によるものか、それとも、そのような状態が知性あるいは神の摂理による指導以外にありえないのか考えてみよう。君が日時計や水時計を見れば、君は時間が偶然ではなく、人工品のよって示されたと推論するだろう。芸術の所作と芸術家を内包する宇宙が、理由や理解なしに存在しえるだろうか?

TPP(pp.296-98)やその他のインテリジェントデザインの冊子が"偶然か必然かデザイン"の3つのセットが概念的なブレイクスルーだと示唆するが、キケロは既に「これらの思想家は世界が自らとそこあるものを創造したということを疑い、世界が偶然かある種の必然か、あるいは神の理由と知性によるものかを論争する」と言っている(DND 2.35)。

De Natura Deorum then goes on to describe specific features of the earth that allow life to exist. Here is one example: "For in the first place the earth, which is situated in the centre of the world, is surrounded on all sides by this living and respirable substance named the air" (DND 2.36).

そして、De Natura Deorumは、生命を存在させる地球の特定の特徴を書き記す。ここの一例を示そう:「まず何よりも、世界の中心にある地球が空気という名の生ける呼吸できるものに包まれている」(DND 2.36)。

キケロが、我々の銀河に相当する星々の位置と地球の位置の関係について考えてなかったと思うなら、キケロはDND 2.36で、どう言ったか見てみよう。

And these vast and numerous fires not merely do no harm to the earth and to terrestrial things, but are actually beneficial, though with the qualification that were their positions altered, the earth would inevitably be burnt up by such enormous volumes of heat when uncontrolled and untempered.

これらの大きくて多くの炎が単に地球と地上のものに害がないだけでなく、実際に有益である。しかし、それらの位置が違っていれば、それらが制御され調整されないとき、地球はそのような莫大な熱量によって地球は焼く尽くされるだろう。


これを、銀河における我々の位置が超新星の危険性から我々を保護していることについてのTPPの議論(p.162)と比べてみよう:

Observations of supernova remnants indicate that supernova rate peaks at about 60 percent of the Sun's distance from the galactic center, where they are 1.6 times more frequent than at the Sun's position...Estimates of the rate of life-threatening supernovae in the Sun's neighborhood vary; they average one every few hundred million years.

超新星の残骸の観察は、銀河の中心から太陽までの距離の60%に超新星の存在率のピークがあることを示している。ピークの位置では太陽付近よりも1.6倍も多く存在する。太陽付近での生命を脅かす超新星爆発の発生率の推定値には幅がある。それらの平均は数百万年に1回である。

インテリジェントデザイン支持者たちは、デザイン推論につながる経験的観測から始めるので、神学をやっていないと否定する。多くのインテリジェントデザイン支持者たちは聖書をデータとして使っていないので、創造論者ではないと強く否定する。

William Paleyの有名な"Natural Theology (自然神学)"は、有名な時計職人の論(キケロが既にDNDで使った論の変種)を導入していて、それもまた経験的観察を中心にしていて、聖書を証拠としていない。

そして、Paleyの"Natural Theology" (pp. 213-14)には、TPPの議論の変種が見つかる。そればかりか、観測可能性と測定可能性についてのアイデアにも遭遇する:

After all; the real subject of admiration is, that we understand so much of astronomy as we do. That an animal confined to the surface of one of the planets bearing less proportion to it than the smallest microscopic insect does to the plant it lives upon; that this little busy inquisitive creature by the use of sense which were given to it for its domestic necessities, and by means of the assistance of those senses which it has had the art to procure should have been enabled to observe the whole system of worlds to which its own belongs; the changes of place; of the immense globes which compose it; and with such accuracy as to mark out, beforehand, the situation in the heavens in which they will be found at any future point... all this is wonderful, whether we refer our admiration to the constancy of the heavenly motions themselves, or to the perspicacity and precision with which they have been noticed by mankind.

結局、賞賛の実際の主題はそれです。我々は天文学の非常に多くを理解している。ひとつの惑星の地表の限定され、最も小さな微視的な昆虫が自らが生きている植物に対する比率よりも小さな比率でしかない動物。この小さな忙しく詮索好きな動物は、その必要性の故に与えられた感覚を使って、そして手にすべき技術を持った感覚の手助けによって、自らが属する世界の全システムを観察を可能にするはずである。それらを構成する巨大な地球の場所の変化。前もって、そのような精度で、ある未来の時点で見つけられるであろう天上の状況を選び出すことはすばらしい。我々が天上の動きそのものの恒常性あるいは人類に認識された聡明さと正確さを賞賛しようとも。

TPPが地軸の傾きが重要だと言う。地軸の傾きが大きければ気候変動は大きくなり、傾きが小さければ非常に穏やかな季節変動になる(TPP, pp4-5)。従って、地軸の傾きは居住するのに理想的になようである。

William Paleyは「他の選択の余地があるものに、幾何学者が回転軸とよぶものがある」と言う(Natural Theology, p. 216)。Paleyはまた、地軸の傾きが大きすぎるか小さすぎた場合を論じている。たとえば、「我々自身にとっても、温帯に恵まれ、我々が経験し期待する毎年の穏やかな季節の移り変わりのかわりに、我々は極冠の氷と闇に閉ざされていたかもしれない」 (Natural Theology, p. 217)。

Paleyはそして、地球と幾つかの大きな惑星の関係について論じ、次のように記した(Natural Theology, p. 224):

It has been rightly also remarked, that if the great planets, Jupiter and Saturn, had moved in lower spheres, their influences would have had much more effect, as to disturbing the planetary motions, than they now have.

巨大惑星である木星と土星が太陽に近い軌道にあったら、木星と土星の影響は非常に大きく、今よりも惑星の運動を大きく乱していただろうことを、正しく知られている。

これをTPP(p.94)の言及「大質量惑星は近所の小さな子供たちに命令する大きな弱いものいじめのようなものである」と比べてみよう。

TPP はWilliam Paleyがやったのとほとんど同じ方法でそのコンセプトに対する異論に取り組む、TPPは「ものは完璧でないようにデザインされうる」ものであり、モデルTが欠陥を持っていたとしても、なおデザインされたと言う(p.330)。William Paleyは「機械がデザインで作られたことを示すために、その機械が完全である必要はない」と言う(Natural Theology, p,. 7)。Paleyが壊れた時計を例として挙げる。

"ファンダメンタリスト"という言葉を一般に広めた"The Fundametals"という反進化論と反近代主義の出版物が1910~1915年に多く見られる。そのひとつ"Life in the Word"は、Philip Mauroという名のニューヨーク市の弁護士が、英国の自然主義者であり、ダーウィンと同時代のAlfred Russel Wallace (1823-1913)が出版した"A Man's Place in the Universe"(1903)について、興奮しながら語っている。Mauroは、現代のインテリジェントデザインの主唱者たるPhillip E. Johnsonに相当する人物であり、Wallaceの本の主たる結論を興奮しながら書いている:

First, that the solar system occupies (and always has occupied) approximately the central portion of this vast universe, getting all the advantages due to such favorable position. Second, that the earth is certainly the only habitable planet in the solar system, and presumably the only habitable spot in the whole universe...

From Mr. Wallace's premises, if the universe is assumed to be the work of an intelligent Creator, it would follow that everything in this inconceivably vast and complex universe has been planned and arranged with special reference to making this little earth of ours a place suitable for the habitation of living beings, and especially of mankind.

第1に、太陽系はこの広大な宇宙の中心を占めており、これまでも常に占めてきて、そのような良好な位置による利点を享受してきた。第2に、太陽系で確かに唯一の居住可能な惑星であり、おそらく全宇宙でも唯一の居住可能な場所である。

Wallaceの前提から、宇宙がインテリジェントな創造者の作品であると仮定するなら、我々の小さな地球を、生物の、特に人類の居住に適した場所とするために、信じられないくらいに広大で複雑な宇宙のすべては特別の指示とともに計画され、手配されたと考えられる。

(The Fundamentals, 2:156)

この簡単な歴史の調査があれば、"The Privileged Planet"にある新たなる発展が学界から公正な審理を受けなかったという主張は、歴史的に誤りだと我々は示唆できる。そのような論は少なくとも 2000年にわたって続いており、それらは今な有効な反論によって、繰り返し否定されてきた。

何故 The Privileged Planetは間違っているか

ユニークなものである我々が特定できる幾百万の特徴を我々の惑星が持っていることを認識すれば、TPPにある論のまったくの浅はかさが明らかになる。これらの幾百万の特性もまた、我々の惑星が太陽に近かったり、太陽から遠かったりすれば、存在しなかったかもしれない。あるいは知的生命の手助けとしてTPPが主張する、太陽系あるいは銀河系の位置的特性が違っているなら。

たとえば、我々の惑星が正確に今ある位置になければ、AIDSウィルスや先天的畸形あるいは死さえも存在しなかったかもしれない。それなら、インテリジェントデザイン支持者は、何故に生命とインテリジェンスはインテリジェントデザインのために選ばれた特性だと考えるのか。何故、インテリジェントデザイン支持者は、AIDウィルスや先天的畸形や死が存在できるように、我々の惑星がこの位置に置かれたと論じないのか。

TPPがこの選択について集めることができた最もよい説明は p.303に見られる:

"When considering universes, everyone recognizes, unless they're trying to avoid a conclusion they find distasteful, that a habitable universe containing intelligent observers has an intrinsic value that an uninhabitable one lacks."

「宇宙について考えるなら、不愉快だと思う結論を避けようとしない限り、誰もが認識することは次のことだ。すなわち、インテリジェントな観測者を内包する居住可能な宇宙は、居住不可能な宇宙が持たない、固有の価値を持つこと」

しかし、TPPは固有の価値を定義しない、実際、TPPは「そのような価値は定義するのが困難である。しかし、我々はふつうそれを見ればわかるはずである」と言っている(p.300)。従って、TPPは「特徴Xは価値があると思えるので、特徴Xは設計された」と言い換えることができる、非常に利己的で循環論法に帰着する。

さもなくば、インテリジェントデザイン主張者は古来よりの聖書のコンセプトをくりかえすだけかもしれない。イザヤ書45章18節に曰く「神である方、天を創造し、地を形づくり/造り上げて、固く据えられた方/混沌として創造されたのではなく/人の住む所として形づくられた方/主は、こう言われる。わたしが主、ほかにはいない。」

さらに困惑させられるのは、天文学者であるDr. Guillermo Gonzalezが、宇宙の科学的観測のために都合のよいように、地球がこの位置に置かれたと結論していることだ。Dr. Guillermo GonzalezはTPPの第1章を、日蝕の観測から、彼がそのような観測ができるように地球がこの位置に置かれたという考えを持ったという話で始めている。

この正当性は、我々の惑星が正確にこの位置になければ、配管工が配管工の仕事ができなかっただろうと論じるのに似ている。太陽がもっと近ければ鉛のパイプが溶けてしまうだろう。そして我々の惑星が太陽から遠ければ、凍結してしまって配管工の仕事そのものがなかっただろう。従って、我々の惑星がこの位置にあるのは、配管が理由だったに違いないと。

さらに、この惑星は科学的発見を容易にするようにデザインされたとすると、 45億年の我々の惑星の歴史の99.99999%は、計測を記録できる生物がいなかったという事実を説明できない。デザイナーはインテリジェントな計測ができない生物が主として生息するように地球をするつもりだったと仮定するほうが簡単だ。

ファインチューニング(fine tuning)の不合理

インテリジェントデザインは、"ファインチューニング"論と呼ばれるものと関係している。ふつう、そのようような論は、地球に生命が存在できるように"正しくなっているはず"の無数の物理定数や変数をリストアップする。従って、もし電子の電荷が大きく違っていれば、たとえば、生命は地球に存在しなかったかもしれない。そして、ひとたび、生命が存在できるようにあらゆるものが"正しい"値をとっていると考えると、なんらかの天文学的確率を計算して、地球の生命がj純粋に偶然では存在し得ないと論じる。

主要な仮定は、実体Xを創るために"正しくなければならない"物理定数と実体の量は、一般にデザイナーのXについての目的の量に比例するというものである。

TPP が出版される前に私が述べた通り(Avalos, 1998)、この仮定は不合理に帰着する。たとえば、Pを人類が地上に存在するために、正しい値をとらなければならない物理定数の実体のすべてだとしよう。数学的には、我々は、さらに多くのものが正しくないと、コンピュータを創れないと論じられる。そうでないと、他の実体についてのホストは"固有の価値"を持たないとみなされてしまうからだ。

人類を創るのにPのみが必要であり、コンピュータを創るには P + 1(たとえば人類)が必要である。この数学的事実のもと、インテリジェントデザイン主張者たちは何故に人類がデザイナーの究極目的だと考えるのか? そして何故に、人類がもう少し長い因果系列の中間ステップではありえないと考えるのか?

実際に、我々がデザイナーをキリスト教の神と呼ぼうが呼ぶまいが、インテリジェントデザイン主張者たちは、宇宙について観測できた如何なる特性がグランドデザイナーの意図に対応することを検証できる科学的方法を提唱しないということかが逃れようはない。そして、この任意性と検証不可能性がインテリジェントデザインを科学ではなく神学の課題にしている。

Bibliography
  1. Avalos, Hector. "Heavenly Conflicts: The Bible and Astronomy." Mercury 27 (2, March/April, 1998) 20-24. The Journal of the Astronomical Society of the Pacific.
  2. Cicero. De Natura Deorum. Translated and edited by H. Rackham. Loeb Classical Library 268. Cambridge, Massachusetts:Harvard University Press, 1982.
  3. Gonzalez, Guillermo and Jay W. Richards. The Privileged Planet: How Our Place in the Cosmos is Designed for Discovery. Washington, DC: Regnery Publishing, 2004.
  4. Mauro, Philip. "Life in the Word," in R. A. Torrey, A.C. Dixon, et al., The Fundamentals: A Testimony to the Truth. Four volumes. Los Angeles: Bible Institutes of Los Angeles, 1917. We quote from the four volume reprint edition published by Baker Books (Grand Rapids, Michigan), 1998.
  5. Paley, William and James Paxton. Natural Theology, or Evidences of the Existence and Attributes of the Deity Collected from the Appearance of Nature. Boston: Gould and Lincoln, 1854. We quote from the reprint issued by Kessinger Publishing (Whitefish, Montana)








最終更新:2009年08月29日 18:12