SETIとIDのアナロジーをめぐる戦い~Robert Camp


Robert CampによるDembskiのアナロジーを使った論の有効性を批判した。論旨は、インテリジェントデザインはSETIなどとのアナロジーで自分たちが科学だと言っているが
  • SETIは地球外インテリジェンスの性質に仮定をおいているが、インテリジェントデザインはデザイナーの性質を取り扱わない。
  • SETIにおいてはインテリジェントな信号の検出は始まりであってゴールではないが、インテリジェントデザインは見つけたら終着点




Can Intelligent Design be considered scientific in the same way that SETI is?

SETIと同じようにインテリジェントデザインは科学的だと考えられるか?

by Robert Camp



”Some things have to be believed to be seen.”
Ralph Hodgson

インテリジェントデザイン理論家が彼らの考えを支持するためにあらゆるところで使うレトリックのひとつが、"人間のデザインと挑戦のアナロジーからの論"である。これらのアナロジーは数多く、そして多彩であり、空想的な"木星のブルドーザー"から、SETIや科学捜査のような科学的な学問とインテリジェントデザインを比較まである。最近、私はそのような例を2つに出会っており、そのひとつは、最近のテキサス州の教科書の公聴会に提出したWilliam Dembskiの証言の第1パラグラフである:


Real life SETI researchers have thus far failed to detect designed signals from distant space. But if they encountered such a signal, as the astronomers in Sagan’s novel did, they too would infer design.[1]

実際のSETI研究者たちは、深宇宙からのデザインされた信号を検出できていない。しかし、彼らがそのような信号に遭遇したなら、Saganの小説の天文学者のように、彼らもまたデザインを推論するだろう。

Dembskiはこのアナロジーを詳述した。

To say intelligent causes are empirically detectable is to say there exist well-defined methods that, based on observable features of the world, can reliably distinguish intelligent causes from undirected natural causes. Many special sciences have already developed such methods for drawing this distinction notably forensic science, cryptography, archeology, and the search for extraterrestrial intelligence (SETI). Essential to all these methods is the ability to eliminate chance and necessity.[2]

インテリジェントな原因が経験的に検出可能だと言うことは、観測可能な世界の特徴に基づく、インテリジェントな原因と指示されない自然の原因と確実に区別することができる、はっきりとした方法が存在すると言うことである。法科学や暗号学や考古学や地球外知性探索 (SETI)のような、多くの特別な科学は既にこのような区別を記述する方法を開発している。これらの方法すべてに不可欠なことは、偶然と必然を除外する能力である[2]。


このような例を使うのは、明らかにデザイン理論と、特にDembskiの説明フィルタに対して、重要性と正当性の雰囲気を与えようとして計算されたものである。哲学者Robert Pennockが指摘するように:

In a clever rhetorical move, they frequently quote the late astronomer and SETI pioneer Carl Sagan to show that even a confirmed skeptic such as he admitted that such investigation is scientifically legitimate[3].

賢いレトリックで、彼らはしばしば最近尾天文学者でSETIのパイオニアであるCarl Seganを引用して、確信的な懐疑論者さえ、そのような調査方法が科学的に正当であると認めているのだということを示そうとする。

進化生物学者Massimo Pigliuscciは、たとえそのようなアナロジーが正しく考えられたとしても、インテリジェントデザインを決定する結果を、それとは無関係に、科学的見方から自然の原因が生み出せるという事実が、Dembskiの指摘を弱めると指摘する:

Dembski is absolutely correct that plenty of human activities, such as SETI, investigations into plagiarism, or encryption, depend on the ability to detect intelligent agency. Where he is wrong is in assuming only one kind of design: for him design equals intelligence and, even though he admitted that such an intelligence may be an advanced extraterrestrial civilization, his preference is for a god, possibly of the Christian variety. The problem is that natural selection, a natural process, also fulfills the complexity-specification criterion, thereby demonstrating that it is possible to have unintelligent design in nature.[4]

SETI や剽窃の調査あるいは暗号化のような多くの人間の活動が、インテリジェントエージェンシーを検出する能力に依拠していることについては、Dembskiはまったく正しい。Dembskiが間違っているのは、ただひとつの種類のデザインを仮定していることだ。Dembskiにとってデザインはインテリジェンスと等しく、たとえDembskiがそのようなインテリジェンスが進んだ地球外文明かもしれないと認めたとしても、Dembskiの好みは神であり、それはおそらくキリスト教の変種のひとつである。問題は、自然の過程である自然淘汰が複雑な指定規準を満たし、従って、自然のアンインテリジェントなデザインがありうることを証明することだ。

SETIのような科学的学問とインテリジェントデザインのアナロジーに傾く人がいると仮定することは合理的である。従って、その空虚さを露呈させるために、論破されなければならないアナロジーの詳細である。

ID as Science(科学としてのインテリジェントデザイン)

Dembski は明らかにインテリジェントデザインが、科学捜査や暗号や考古学やSETIと方法論レベルでの比較することに耐え、かつメリットがあると信じている。残念ながら、これらの学問に特有の特定の仮定を理解している場合にのみ、インテリジェントデザインについてのみアナロジーは有効になる。しかし、この理解があると、インテリジェントデザインと実用となっている科学との比較は誤りであることが明らかになってくる。

アナロジーの問題は微妙である。基礎として必要なことは、William Dembskiが説明フィルタと呼ぶものについての理解である。説明フィルタとは彼が次のように3ステップで記述したものだ。

At the first stage, the filter determines whether a law can explain the thing in question. Law thrives on replicability, yielding the same result whenever the same antecedent conditions are fulfilled. Clearly, if something can be explained by a law, it better not be attributed to design. Things explainable by a law are therefore eliminated at the first stage of the Explanatory Filter.

第1段階では、フィルタは問われているものが法則で説明できるか判断する。法則は再現性で成立し、同じ先行条件が満たされれば、いつでも同じ結果を与える。明らかに、何かが法則よって説明できるなら、デザインのせいにすべきではない。従って、法則で説明されるものは説明フィルタの第1段階で除外される。

Suppose, however, that something we think might be designed cannot be explained by any law. We then proceed to the second stage of the filter. At this stage the filter determines whether the thing in question might not reasonably be expected to occur by chance. What we do is posit a probability distribution, and then find that our observations can reasonably be expected on the basis of that probability distribution. Accordingly, we are warranted attributing the thing in question to chance. And clearly, if something can be explained by reference to chance, it better not be attributed to design. Things explainable by chance are therefore eliminated at the second stage of the Explanatory Filter.

しかし、我々がデザインされたかもしれないと考えるものが、いかなる法則でも説明できなかったとしよう。そのときは、フィルタの第2段階に進める。この段階では、問われているものが合理的に偶然に起きると期待できないかどうか判断する。我々がするのは確率分布を決定することである。そして、我々の観察がその確率分布に基づいて合理的に期待できるものかどうか判断する。そうでれば、我々は問われているものが偶然によるものだと保証できる。そして、明らかに、何かが偶然で説明できるなら、デザインのせいにすべきではない。偶然によって説明可能なものは、従って、説明フィルタの第 2段階で除去される。

Suppose finally that no law is able to account for the thing in question, and that any plausible probability distribution that might account for it does not render it very likely. Indeed, suppose that any plausible probability distribution that might account for it renders it exceedingly unlikely. In this case we bypass the first two stages of the Explanatory Filter and arrive at the third and final stage. It needs to be stressed that this third and final stage does not automatically yield design there is still some work to do. Vast improbability only purchases design if, in addition, the thing we are trying to explain is specified.”[5]

最後に、問われているものがいかなる法則でも説明できず、それを説明できるかもしれないもっともらしい確率分布がありそうにもないとしよう。実際、それを説明できるかもしれないもっともらしい確率分布がまったく、ありそうにもないとしよう。この場合、我々は説明フィルタの第1段階と第2段階を通り抜けて、第3段階に到達する。第3段階は自動的にデザインを結論するわけではないことを強調しておく必要がある。まだ、さらにやることがある。これに加えて、説明しようとしているものが"指定されている"ときのみ、まったくありそうにない確率がデザインを結論する。


簡単に言えば、説明フィルタは、自然法則(必然)によるものと、偶然によるものと、デザインによるものを区別しようとする。なお残された選択は、指示されない自然の仮定(必然と/あるいは偶然)とある種のインテリジェントデザインの形のいずれかになる。

Dembski の説明フィルタの問題は多くあり、多くの本やWebサイトで論じられている。特に生物システムに対する彼の確率計算と、説明フィルタの第3んだいか伊でほのめかした"指定された複雑さ"の有効性である。インテリジェントデザインとSETIあるいは他の科学のアナロジーの価値を論じるためには、しかしながら、説明フィルタの正当性をしばし受け入れることにしよう。

アナロジーが失敗することを示すのが私の意図だ。失敗する理由の第1は、インテリジェントデザインにおいて必然/偶然とインテリジェンスの間に示される識別することが終着点であり、それがゴールであり、プロセスの終わりであることだ。科学捜査や暗号や考古学では、この識別は単に、それがなければ科学が参加できない手段にすぎない。第2に、Dembskiは、これらの学問から借りた科学のコートをインテリジェントデザインに纏わせようとしているが、それらの間の方法論的な位置づけは類似していない。第3に、インテリジェントデザインが調査するような現象は、SETIや科学捜査や暗号や考古学が扱っているものと同様のものではない。インテリジェントデザイン現象は科学にとって近づけないものだ。

科学捜査や暗号や考古学(以降、フォレンジックス)は、Dembskiの言うように、この識別をする方法を本当に発展させてきた。しかし、それらは、指示されない自然の原因と人間のインテリジェントな原因の間の特定の識別を記述する。同じく、別のインテリジェンスの存在を仮定するインテリジェンス一般ではなく、特に人間のインテリジェントな原因を検出し説明するために、それらは開発された。これはとても重要な違いだ。というのは経験的探求の性質を示しているからだ。これらの学問は、問われている現象が現実であって、自然法則に従い、科学的方法論で探求できると仮定する。これらの仮定は、インテリジェントデザイン支持者たちが、彼自身の方法論に対して原理的に主張できないものだ。

必然/偶然とインテリジェンス、すなわち自然の原因とインテリジェントな原因の識別は、自然の過程に対する、同定可能な人間の効果というフレームワークの枠内で調査され、この基礎のもとに評価される。際立った点は、フォレンジックスが、調査対象とするインテリジェンスの特性についての正しい理解、あるいはインテリジェンスが自然界に影響を及ぼす方法を探究することなしに機能しないことだ。特定のインテリジェンスたる人間についての仮定が、始めから過程に組み入れられる。フォレンジックスについての初期の識別は、従って、自然の原因とインテリジェントな原因の識別よりも、人間の原因についての証拠の欠如と、人間の原因の証拠の識別が大きい。これはDembskiが適用したアナロジーについての重要な違いだ。

要するに、これらの学問では必然/偶然とインテリジェンスの識別は形式的手続きである。偶然と必然を除外すると残るのはは、議論の余地なく、既知の、人間のインテリジェンスである。これは方法論のメカニズムである。これは発見ではないし、そうだとも自称しない。さらに、フォレンジックスの実際の科学の居場所は、同じ人間のインテリジェンスが残した証拠の収集と解明の保証にある。これらの学問はアナロジーではない。

ID as SETI (SETIとしてのインテリジェントデザイン)

SETI アナロジーと取り組むには少し違った論(しかし、フォレンジックスとの比較に同等に適用できる)が必要だ。それは、SETIが人間のインテリジェンスを仮定しないことが明らかだからだ。しかし、事実、SETIプロジェクトは、前述の学問によって探求される現象とよく似たカテゴリを占める現象を探求する。

この分析方法では、現象は次のように分類できる:
  • A. Explained Phenomena(説明された現象
  • B. Unexplained Phenomena (不可解な現象):
  • b1. putative natural phenomena (自然現象と推定される現象)
  • b2. causally indeterminate phenomena (either natural or non-natural)(自然であるか否かの)原因不明な現象

SETI に関する"A"の例は、パルサーのような既知の銀河の現象を含むだろう。"b1"の例は、試験でうまく指示されない原因と指示された(インテリジェントな)原因を識別できる現象など、映画コンタクトにおいて取り組まれた連続した通信でおる。この例で水面下で働くのは、この信号は経験的に検証できるという仮定であるというのが私の論だ。すなわち、現実のものであり、自然の過程に由来し、宇宙の物理法則に従い、現在の科学で取り扱い可能という特定の前提条件と整合する。このSETIで使われる手続きは、構造化されない電磁波スペクトルの構造化されていない研究ではない。通信を送ったかもしれないインテリジェンスについての特定の過程に基づく、特定の種類の電波をSETIは探している。SETI研究機関の生命はこれを次のように表現している。

There is relatively little background static from galaxies, quasars, and other cosmic noisemakers in the microwave part of the spectrum. This makes faint signals easier to pick out. Additionally, the microwave band contains a naturally-produced emission line, a narrow-band “broadcast”, at 1,420 MHz due to interstellar hydrogen. Every radio astronomer (including extraterrestrial ones) will know about this hydrogen emission. It may serve as a universal “marker” on the radio dial. Consequently, it makes sense to use nearby frequencies for interstellar “hailing” signals.[6]

スペクトルのマイクロ波部分にある銀河やクェーサーやその他の宇宙のノイズ源からの比較的弱いバックグラウンドノイズがある。これにより、フェイントな信号を取り出せる。これに加えて、マクロ波のバンドは、自然に生成される、星間空間の水素による1420MHzの、バンド幅の狭い"全方向への放射"の放射のラインを含んでいる。地球外を含むあらゆる電波天文学者はこの水素による放射について知ることになる。これはラジオダイアルのユニバーサルな目印として使えるだろう。従って、この帯域の近くの周波数を、星間の呼びかけ信号に使うのには意味がある。

これは、説明されていない現象の背後にあるインテリジェンスの仮定とはまったく違っていることは明らかだ。フォレンジックスと同じく、SETIの調査は、調査するインテリジェンスについて特定の仮定を使う過程である。科学としてのSETI は、必然/偶然とデザインを識別を試みる以上ののものである。Cornellの天文学者Loren Petrichはこのことを明確に指摘している:

These reasons are very distinct from Dembski’s Explanatory Filter, which focuses on alleged unexplainability as a natural phenomenon; they are an attempt to predict what an extraterrestrial broadcaster is likely to do, using the fact that they live in the same kind of Universe that we do.[7]

これらの理由は、根拠なく主張される自然現象としての説明不可能性に焦点をあてるDembskiの説明フィルタと大きく違っている。それらは、我々と同様の世界に住んでいるという事実を使って、地球外の送信者がどのように振舞うかを予測しようという試みである。

"b2" の例は、我々が現在は説明できない現象である。インテリジェントデザイン理論家の見方からは、これは、(インテリジェントデザイン原因論の)現象の固有の特性かもしれない。それらについての方法論的自然主義者の説明は、十分な技術的および科学的な発展が足りないというものである。

SETI はb2による現象を調査しているのではないと、私は主張してもよいだろう。SETIは類似した自然現象についての経験に基づいて信号をさがす。SETI科学者Seth Shostakによれば、この探索は人為性の特定の証拠を見つけることを目指すものであって、説明不可能性をさがすものではない:

If SETI were to announce that we’re not alone because it had detected a signal, it would be on the basis of artificiality. An endless, sinusoidal signal a dead simple tone is not complex; it’s artificial. Such a tone just doesn’t seem to be generated by natural astrophysical processes. In addition, and unlike other radio emissions produced by the cosmos, such a signal is devoid of the appendages and inefficiencies nature always seems to add for example, DNA’s junk and redundancy.[8]

人為性に基づくと思われる信号を検出したが故に、我々はひとりではないSETIが発表したとしよう。完全に単純なトーンの、エンドレスの正弦波は複雑ではない。それは人為的だ。そのようなトーンは、自然の宇宙物理的過程では生成されそうにない。さらに、宇宙が生成する他の電波放射と違って、そのような信号には、たとえばDNAのジャンクや冗長性に見られる、自然が付け加えるような、余計なものや意味のないものがない。

支持者たちは"インテリジェントデザイン"理論をSETIの"b1"現象の調査とのアナロジーを描きたがるが、インテリジェントデザインが最終的に考えたいような現象は、実際には"b2"に入るというのが、私の意見だ。事実、インテリジェントデザインはその認識論的価値を、"b2"現象を特徴付ける取り扱い不可能性に見出している。(インテリジェントデザインの"発見"は、科学が未だ説明できない現象としてではなく、科学が最終的に説明できない現象として、告げられた)[9]。

この同じ論が、科学捜査や暗号や考古学などとの成立しないアナロジーにも適用できる。これらはみな、説明されていないが、いずれ説明可能となる"b1"において記述される現象の調査を行う。我々は合理的に自信をもってこう言えるのは、それらが科学が取り扱える性質を見せているからだ。すんわち、それらは自然界のものである。しかし、"b2"に見つかる現象は、現在は科学で取り扱い不可能あるいは、証拠なく非合理的にインテリジェンスのせいにされる。これらの性質が明らかに、インテリジェントデザイン支持者の搾取を許し、科学との不適当で利己的なアナロジーを作りだす。

The Nature of the Designer(デザイナーの性質)

"b2" のギャップ(隙間)におけるインテリジェンスの"発見"は、インテリジェントデザイン支持者に、インテリジェントデザイナーが自然界への介入に使ったkも知れない動機とメカニズムを考えるいかなる種類の本論の開発の試みをしないで済ませようとさせる。そのような試みは、Dembskiと他のインテリジェントデザイン理論家が"インテリジェントデザイン"を好ましい形で比較しようとする本当の科学との直接的アナロジーになるかもしれない。しかし、 Dembskiはそのような問いに悩まなくてよいと言っているようだ:

What a designer intends or purposes is, to be sure, an interesting question, and one may be able to infer something about a designer’s purposes from the designed objects that a designer produces. Nevertheless, the purposes of a designer lie outside the scope of intelligent design.[2]

デザイナーが意図したものや目的は、確かに、非常に興味深い問いであり、デザインされたものからデザイナーの目的について何らかの推論はできるかもしれない。しかしながら、デザイナーの目的はインテリジェントデザインの範囲外である。

デザインされたものからデザイナーの目的について何らかの推論をすることは、まさにフォレンジックスの方法論が行うように構成されたものだ。さらに、これはデザイナーが使った方法と関係しており、それはデザイナーの性質と関係している。これらの特徴はフォレンジックスの経験的副産物などではなく、方法論の対象である。調査対象のものの目的や方法や性質に触れることなくこれらの学問とインテリジェントデザインを比較するのは、アナロジーの説得力ある部分を無視することだ。

To be fair, Dembski tries to rescue the scientific façade: “As a scientific research program, intelligent design investigates the effects of intelligence and not intelligence as such.”[2] Here he clearly hopes to hang his hat on the applicability of such notions as “irreducible complexity” and “specified complexity” (his “effects of intelligence”). But these contrivances qualify only as special pleading. Wherever they have been submitted to critical review they have been found to be seriously flawed as useful scientific constructs.[11] The utility of these concepts, so far, seems to be as camouflage, an attempt to allow ID to blend in with the scientific environment, while masking its inaccessibility to the scientific method.

公平に見ておくと、Dembskiは科学的な見かけを救おうとしている:「科学研究プログラムとして、インテリジェントデザインは、インテリジェンスの効果を研究するものであって、インテリジェンス自身ではない」。 ここでDembskiは明らかに、彼の"インテリジェンスの効果"である"還元不可能な複雑さ"や"指定された複雑さ"のような概念の適用性にたよろうとしている。しかし、これらの装置は、自分に有利な陳述としてのみ使われる。それらは批判的批評にさらされれば、有用な科学的な構成として、まったく間違っていることが明らかとなる。これらの概念の有効性は、高々、カモフラージュとして、科学的環境とインテリジェントデザインを混ぜられるようにしようという試みであり、インテリジェントデザインが科学的方法を取り扱えないことを覆い隠す。

まとめると、フォレンジックスやSETIや一般の科学とインテリジェントデザインのアナロジーは次の理由で失敗する:

  1. インテリジェントデザインにとって、自然の過程とインテリジェンスの識別は終着点だが、科学的な学問では始まりに過ぎない
  2. これらの科学的学問においては、大半の科学において行われる出発点をたどるものであり、人間あるいはETのインテリジェンスの動機や目的を中心的な関心とともにある。これらの問いはインテリジェントデザインでは意図的に無視され、科学的方法論とのアナロジーはないままに放置される。
  3. インテリジェントデザインと科学は、因果関係の異なる現象を取り扱う。インテリジェントデザインと科学を比較するのは分類の間違いだ。

インテリジェントデザインとSETIやその他の科学とのアナロジーの戦術を、冷たい計算と考えようが、まじめな対話の試みと考えようが、論のゴールは論理的難問において、科学と科学者をとどめておくことだ。あるインテリジェントデザイン支持者が記述するように:

The ID critic cannot have her cake and eat it too. Either she can allow SETI and archeology into her definition of science and ID along with them or she must throw them all out. There is no logical middle ground.[12]

インテリジェントデザインの批判者たちは、ケーキを手にとって食べられない。SETIや考古学をその科学の定義に加えることを許しても、インテリジェントデザインだけは放り出さなければならない。論理的な中立地点はない。

しかし、アナロジーされた方法論の詳細がわかれば、インテリジェントデザイン支持者たちこそが深いな決定をしていることがあらわになる。インテリジェントデザイン理論が発見したと称する現象が経験的に科学に扱える、すなわち自然の過程で導かれるものであろうが、永遠に説明不可能であろうが、いずれにせよ科学的方法論とのアナロジーは定義上、失敗する。インテリジェントデザイン支持者は、科学的方法で反証不可能である、この認識論的空虚にインテリジェントデザインを放置するのか?それとも、それを認めて、従って、彼らのデザイナーが自然界と相互作用したはずであり、その方法を、検出可能で、検証可能で、説明可能で、時にはデザイナーの性質を表現可能であると、査読つき論文を投稿するのか?

References & Notes
  1. Dembski, William. 2003. “Three Frequently Asked Questions About Intelligent Design.” Textbook hearing, Austin, Texas.
  2. Dembski, William. 2003. “Intelligent Design.”
  3. Pennock, Robert. 1999. Tower of Babel: The Evidence Against the New Creationism. MIT Press, Cambridge, MA, 228-233.
  4. Pigliucci, Massimo. 2002. “Design Yes, Intelligent No.”
  5. Dembski, William. 1996. “The Explanatory Filter: A three-part filter for understanding how to separate and identify cause from intelligent design.”
  6. SETI Institute Research / Technical Information.
  7. Petrich, Loren. 2003. “Animal and Extraterrestrial Artifacts: Intelligently Designed?”
  8. Shostak, Seth. 2005. “SETI and Intelligent Design.”
  9. Behe, Michael J. 1996. Darwin’s Black Box: The Biochemical Challenge to Evolution. Touchstone, New York, NY.
  10. Center for the Renewal of Science and Culture. The Wedge Strategy.
    • Irreducible Complexity:
      • [[Kenneth R. Miller, The Flagellum Unspun
  1. Alder, J. S. 2001. “Is Intelligent Design Science, and Does it Matter?”




最終更新:2009年08月31日 22:37