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God of the gaps詭弁および関連の詭弁


インテリジェントデザイン理論の中心的な主張として使われる詭弁に"God of the Gaps"がある。これは基本的には「科学では解明できないことがある。それは神様のせいなのさ」というもの。派生として"False Dichotomy"や"Argument from Ignorance"や"Argument from Incredulty"がある。

以下はこれらの詭弁についての Skeptic Wiki の解説である。


God of the Gaps


God of the Gapsは、何かについて真あるいは想定されるに"自然"な説明が存在しないことを超自然の介入の証拠として使う会話レベルの論理的詭弁である。

誰かが"自然"な説明を知らないか、"自然"な説明が未だついていないことは、"自然"な説明が存在しないことを意味するわけではないので、詭弁である。なので、これは"Argument from Ignorance"の例である。

例1
科学者は原始的な人々がイースター島の岩石を動かせたと説明できない。したがって、異星人が関与したはずだ。
例2
初期の翼が進化的利点を持っているとは私には考えられない。したがって、神が進化を導いたに違いない。
例3
ピラミッドは当時の科学よりも数学的に複雑だ。したがって、異星人が建設したに違いない。
例4
私はルームメイトがビールを飲んでいるところを見たことがないのに、ビールがなくなるのは何故か? 明らかに、この家にはビールを飲むピクシーが出没している。

この論の主たる誤りは、今日の学者が知らないことが永遠に知りえないことだと推定している点だ。そもそも、学術研究は累積的であり、現在の知識には常に"gap"が存在する。残念ながら、「今日にgapがあるから、超自然に遡及しないと説明できないgapが存在する方に賭けるのは不利な賭けだと歴史的に証明されている。

...

例外

ある現象についての"自然"な説明であっても尤もらしくないこともあり、それは挑戦を受けることになる(普通でない主張には普通でない証明が求められるが、普通の主張には普通の証明が必要だ)。しかし、現時点で"自然"な説明が付いていないことが超自然の説明を意味するというのはFalse Dichotomy(誤った二元論)である。さらに、今日、我々が世界のあらゆる面について知りうることはすべて知っていると仮定するのはコモンセンスに反している。


False Dichotomy (誤った二元論)


False Dichotomy詭弁は二分法あるいは「白か黒か」詭弁とも呼ばれる。これは、代案選択肢がわずかしか示されないが、実際には多いというものである。この詭弁は以下のような形式をとる。

P あるいは Q
Pではない
したがって Q

False Dichotomyは有効な演繹の形式ではない。

人間は聖書に書かれているように創造されたか、生命なき化学と偶然によって進化したかのいずれかである。後者はありそうにないので...
例2
あなたは我々の味方か敵かのどちらかだ

多くの例で、この詭弁は二元論の片方が明白に受け入れがたい形で提示され、相手を"現実的"な対案を容認させようとする。

少年が父親を刺したか、ナイフに羽が生えて自ら刺したか
PATRIOT Actを支持しないなら、テロリストを支持することになる。

ある種の例では、受け入れがたい代案を除外して、選好する代案を唯一の有効な代案として残すために、False Dichotomyが使われる。

犬が私のピザを食べてないなら、幽霊がいたはずだ。そうに違いない
イエスキリストは嘘吐きか狂人か主のいずれかである。嘘吐きは死にたがらない。イエスの心からの倫理的結論は狂人のものではありえない。したがってイエスは主である。(この例では、実際には明らかに3つ以上の代案がある。たとえば、福音書が歴史的に正しいか、キリストの発言とされるものが本当にんそうなのか、イエスキリストは本当に存在したのか)

例外

「これかあれか」例すべてがFalse Dichotomy詭弁を構成するというわけではない。ある種の例では本当に代案は2個である。たとえば「この人は有罪か無罪かのいずれか」

この他に、すべての代案を必ずしも考慮する必要がないこともある、たとえば、反証不可能な仮説(「並行世界からやってきた生物があなたの財布を盗んだ」)は考慮する必要がない。そのような仮説の大群はオッカムのカミソリによって認められない。



Argument from Ignorance


Argument from Ignorance(無知からの論)は会話レベルの詭弁で、合理的に証拠が期待できないような分野で、相手の説に証拠がないことによって自説が正しいと結論するものである。この論の最も一般てkな形式は以下のようなものである:

Pが正しくないことを証明不可能である
したがってPは正しい

これの単純化した形式は

Pが正しいと証明できない

ある主張に対抗する方法を誰も知らないことによって、その主張が正しくなるわけではないという単純な事実があるので、これは詭弁である。科学や技術の分野では、新発見や新発明はいつでも為されており、新たな発見がいつ起きるかわからない。

例1
イエティが存在しないと証明した者はいない。したがって、私はイエティの存在を信じる
例2
誰もRSA暗号をクラックできていない。従って、RSA暗号は安全のはずだ。
例3
窓が壊れたときに近くで私を見た者はいなかった。したがって、私は窓を壊していない。
例4
Joe McCarthy上院議員曰く「私は40人について当該機関の一般情報しか持っていないので、ファイルには彼らが共産主義者と関係していることを否定するものは何もない」 [Source: Richard H. Rovere, Senator Joe McCarthy (Methuen, 1960), pp. 106-107.]

例外

一般に、証拠がなければ推論は行えない。「証拠がないのは、ないことの証拠ではない」と言われる所以である。しかし、ある種の場合には、証拠がないことが推論の基礎となる。たとえば、我々は鉄道の時刻表は完全であり、すべての列車の到着と発車が掲載されていると考えられる。この場合は次のような論が成り立つ

これから1時間は、この駅に到着する列車は掲載されていない。
(暗黙の命題)すべてのダイヤ上の到着は掲載されているはずである。
したがって、この駅にあと1時間は到着すダイヤ上の列車はない。

司法手続きでは、法律で立証責任が定められている。たとえば、検察が有罪を証明できないと、被告は無罪だと推定される。この例では、検察が有罪を証明できないと、被告は無罪が証明されたと考えられる。

論争や会話では、主張を出した側、特に普通でない主張やありそうにない主張を出した側に、立証責任があると考えられる。自分の主張を支持する証拠が出せなければ、合理的な観察者たちは、その主張を拒絶する。これは特に、基礎的物理法則に従った支持された事実に反する主張をした場合にあてはまう。したがって、次の論は合理的だと考えられる。

X氏が永久機関を発明したと主張する。
X氏は自身の永久機関が機能することを証明できない、あるいは証明しない。
機能する永久機関は熱力学の法則に反している
したがって、X氏の主張は誤りである。



Argument from Incredulity (疑いからの論)


Argument from Incredulity(疑いからの論)は会話レベルの論理的詭弁で相手側の主張をイメージできないか、信じられないという理由で、自説が正しいと主張するものである。この論の一般的形式は次の通り:

私はPが誤っているとはイメージできない
したがって、Pは正しい、

これの単純化した形式は

Pが正しいとはイメージできない
したがって、Pは正しくない

これは、誰か他の人がイメージできるかもしれないので、詭弁である。この詭弁はしたがって、"Argument from Ignorance"の単純化形式である。科学や技術の分野では、新発見や新発明はいつでも為されており、新たな発見がいつ起きるかわからない。

例1
妖精がいないのに、パンが焼きあがるとは思えない。したがって、私は妖精の存在を信じる。
例2
どうやって超常的な力なしにダウザーがスティックを動かせるだろうか?明らかにダウジングは機能する。
例3
スピリチュアルな助けなしに私について霊媒が語れるとは思えない。霊媒は超常現象だ。
例4
最後に月を歩いたEugene Cernan曰く「正しい心を持った者なら星と永遠の暗黒を見れば、経験のスピリチュアリティや超越的存在を否定できない。私は手が届いたと正直に感じた瞬間があった。John Magee操縦士が自作の詩"High Flight"で言ったように、神の顔に手が届いた瞬間が。 (Source: Observer Magazine, 16 June 2002, cited by Julian Baggani)

一般に、証拠がなければ推論できない。これは特に、証拠がないのは個人的な疑いに過ぎず、他人には良く知られた説明が存在する可能性がある場合にあてはまる。たとえば、ダウジングの説明としての イデオモーター効果 や、霊媒のパフォーマンスにおけるコールドリーディングなど。

Argument from incredulityは科学者が使うこともある。クラークの第1法則は「著名だが老齢の科学者が何かが可能だと言った場合、ほぼ確実にそれは正しい。しかし、何かが不可能だと言ったら、多くの場合それは誤りだ」

例外

Argument from Ignoranceと同じく、特定分野についての我々の知識が十分に完全だと考えられ、我々のイマジネーションが合理的な例をカバーしつくせると考えられる場合がある。そのような場合は「Pをイメージできない」は「Pではない」の修辞表現とみなされる。たとえば、次の論は合理的である。


路線は運行中だが、この駅は5年前に閉鎖された。
閉鎖された駅に列車が停車するとは思えない。
したがって、近づいてきた列車はこの駅には止まらない。