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アナロジーが理論の一部を構成するインテリジェントデザイン


インテリジェントデザインを大学に広めるIDEA CenterのFAQは論としてのアナロジーの有効性を主張している。

アナロジーでインテリジェントデザイン理論は正しいというのは適切か?(Is it appropriate to justify intelligent design theory via analogies?)


Arguments by analogy can be valid if there is sufficient similarity between the case in the analogy and the actual case. Intelligent design theory postulates that we can detect design by finding the product of design -- specified complexity. We try to detect intelligently sent signals from space through the "Search for Extra-Terrestrial Intelligence" (SETI) program by looking for specified complexity in the signals. Similarly, determine that archaeological artifacts, such as the heads on Easter Island, were intelligently designed because of their specified complexity. These two examples show how the underlying principle of intelligent design -- that we can detect design through the presence of specified complexity -- is true. If this underlying principle is true, then we can detect design not only in archaeology and SETI, but also in biology, and perhaps in cosmology. The analogies are valid because there is sufficient similarity between their methods of detecting design (i.e. find specified complexity) and intelligent design research in biology (i.e. look for specified complexity). To claim we really only understand human "ordinary" design and thus cannot look for non-human design in biology ("rarefied design") ignores the fact that specified complexity is a fundamental product of all forms of intelligent design--be they human-produced or non-human-produced; biological or non-biological.

アナロジーの例と実際の例に十分な類似性があるなら、アナロジーによる議論は有効でありうる。インテリジェントデザイン理論は、デザインの生産物すなわち"指定された複雑さ"を見つけることでデザインを検出できると主張する。信号に"指定された複雑さ"を探す"地球外知性探索"(SETI)プログラムによって知性が送信した信号を宇宙から検出しようとする。同様に、イースター島の頭(モアイ)のような考古学的な人工物を、"指定された複雑さ"であるが故に、知的にデザインされたと判断する。"指定された複雑さ"の存在によってデザインを検出できるという、インテリジェントデザインの原則が正しいことを、これらの2つの例が示している。この原則が正しければ、我々は考古学やSETIだけではなく、生物学やおそらく天文学でもデザインを検出できる。これらのデザインを検出する方法("指定された複雑さ"を見つける)と、生物学におけるインテリジェントデザイン研究("指定された複雑さ"を見つける)が十分に類似しているので、アナロジーは有効である。人間の普通のデザインは理解できるが、生物学における(稀なデザイン)人間ではないものによるデザインは見つけられないと主張するのは、"指定された複雑さ"インテリジェントデザインのあらゆる形の基本的生産物であることを無視しているからである。人間の生産物であろうと、人間でないものによる生産物であろうと、あるいは生物学的なものであろうと、そうでないものであろうと。


インテリジェントデザイン理論は、数式ではなく、アナロジーで論を語る。アナロジーは説明のわかりやすさのために使うもの。アナロジーで論を進めてはだめだろうと突っ込まれるのも当然。しかし、それに対する答えとして、イースター島のモアイとSETIのアナロジーで提示するとは。そういうアナロジーがまずいだろうというケチがついているのに、それでは何も答えていないに等しい。

"指定された複雑さ(Spedified Complexity)"が何なのかも、アナロジーとして提示されているだけ。モアイやSETIの信号のようなものが"指定された複雑さ"であり、それらは"指定された複雑さ"を持つから人工物だと判断される。それでは、何も言っていない。


真のアナロジーという言い訳


理論展開にアナロジーがあるというのは散々に批判されてきたため、「ただのアナロジーではなく、真にアナロジー」という言い訳をすることがある:

What is worse for Dr. Story is that Behe does NOT make an argument from analogy, anyway. The arguments proffered by both Behe and other design theorists like Dembski and Meyer focus on the properties humanly designed objects and biological objects actually share, not properties that have some analogous resemblance.

Dr. Claig Storyにとってさらに悪いことは、Beheはアナロジーからの論を使っていないことである。Beheや、DembskiやMeyerのようなデザイン理論家は、人間がデザインしたものと生物学的なものが本当に共有している性質を対象としているのであって、アナロジー的に似ている性質ではない。

For instance, these theorists often point to what is at the heart of all biological life, namely DNA. They then point out that this biological information has the SAME semantic properties that human written or spoken language has. They are not making an analogy at all. Rather, at the very heart of life, we have found a property that in every other situation we KNOW is designed. The same goes for the organizational properties and the functions displayed by a host of irreducibly complex molecular machines. These properties and functions are ones held in common with human-made machines. They are not mere analogous properties.

たとえば、これらのデザイン理論家たちは、生物学的生命の中心たるもの、すなわちDNAを指し示す。彼らはそして、この生物学的情報が、人間が書いたり話したりする言語が持つのと同じ意味的特性を持つことを指摘する。彼らは、まったくアナロジーを使っていない。むしろ、生命のまさに中心に、デザインされたとわかっている他の状況に見られる特性を我々は発見した。同じことが、還元不可能に複雑な分子機械が持つ組織的特性と機能についても言える。これらの特性と機能は、人間の創る機械にも共通するものだ。それらはアナロジーな特性にとどまるものではない。


DNAと設計図、生物器官と人間の創る機械の違いを挙げることができる。

  • 設計図は機械の一部ではないが、DNAは生物の一部である
  • 自己複製機械とウィルス以外の生物は自己複製という点で共通点を持つが、自己複製じゃない機械はその共通点を共有しない。

これらを以って、生物と人間の創る機械の間にアナロジーは成り立たないと言うことも可能。なんとでも言える。「ただのアナロジーではなく、真にアナロジー」といっても、その程度のもの。