Claim CH505.7:
In the summer of 1943, while a U.S. Army sergeant stationed in Hamadan, Iran, Ed Davis became friends with some local Kurd tribesmen (or Lourd, in Davis's original account), who told him of Noah's ark on Mount Ararat. The ark and items from it were considered holy relics, generally kept from outsiders, but the patriarch's friendship with Davis made him an exception. They showed him items from the ark, including a cage door, latches, and shepherd staffs. All the wooden items were described as petrified. Tribal leader Abas-Abas and seven of his sons led Davis up the northeast side of Ararat, but bad weather prevented getting closer than half a mile to the ark. But Davis did see it; it was broken into three or four pieces, of which Davis saw two; the nearer had at least three floors. Abas-Abas supplied other details. The living space for people is at the top; the ark's door was hinged at the top; construction was done with wooden pegs.

1943年夏に米軍のEd Davis軍曹がイランのハマダンに駐留中に、幾人かの地元のクルド人(あるいはDavisの元の証言ではLourd)と友達になった。彼らはDavisにアララト山のノアの箱舟について語った。箱舟および箱舟の装備品は聖遺物と考えられ、一般に部族外の人間が見ることはできないが、部族の家長と友達になったのでDavisは例外扱いされた。彼らはDavisに檻の扉や掛け金や羊飼い杖などの箱舟の装備品を見せた。部族長Abas-Abasと7人の息子たちはDavisをアララト山の北側に案内したが、天候が悪く、箱舟の1.5マイル以内には近づけなかった。しかし、Davisは箱舟が3つか4つに分裂していて、そのうち2つを見た。近い方は3層構造だった。Abas-Abasはさらに詳しい話しを聞かせてくれた。人間の生活スペースは最上層にあり、箱舟の扉は最上層に取り付けられていた。箱舟はくぎで組み立てられていた。

Source:
Shockey, Don, 1986. Agri-Dagh, Mount Ararat: The Painful Mountain, Fresno, CA: Pioneer Publishing.
NoahsArkSearch.com, n.d. Ed Davis drawings from 1985-1986.

Response:
  1. Davisはアララト山(Agri Dagh)をハマダンから見て、一日以内で到達したと述べた。しかし、アララトはハマダンから400マイルの距離にある。Davisは初めは友人をLourdsだと言ったが、彼らはアララト山の麓近くには住んでいなかった。Davisは後に物語を変えて、友人をアララト山に近いところに住んでいるクルド人だったことにした。Davisは山の泉や洞窟について描写したが、アララト山にはいずれもほとんど存在しない。Davisは、地元民に箱舟が漂着したと信じられていた、ハマダンの西60マイルにあるKuh e Alvandを訪れたと思われる[Crouse 1993]。
  2. Davisの描写からすると、箱舟には近づくことは、不可能なほど困難というわけではない。そして多くの人々が所在地を知っている。聖なるものとして他の西洋人に知らせることはないとしても、正確な所在地はイスラム虚とたちには広まっていたはずだ。箱舟の秘密は守りきれない。
  3. Ed Davisの物語の一部は信用できない。たとえば、彼は木材はすべて石化していたが、食料品は8000年を経ても残っていたと述べた。Ed Davisには、目撃者も写真も人工物もなく、確証がない。Ed Davisはポリグラフを受けたが、6つの質問のうち1つだけしか合格しなかった。「Abasと聖書以外に誰からもノアの箱舟について聞いたことがないと言ったとき、あなたはウソをついていましたか?」に強いストレスを示していた[Crouse 1993]。Davisの物語は、「何らかの霧に包まれた物体を見て、それを箱舟だと告げられた」という話しである。

Link:
  1. Lippard, Jim, 1993. Sun goes down in flames -- The Jammal Ark hoax. Skeptic 2(3), or COPY

References:
  1. Crouse, Bill, 1993. Ararat Report #32, Christian Information Ministries, International, 2050 N. Collins Blvd., Suite 100, Richardson, TX 75080.




最終更新:2010年05月01日 23:23