インテリジェントデザインとハガル


進化が確率過程であることも、インテリジェントデザイン支持者を含む創造論者たちが進化論を嫌う理由の一つである。たとえば、インテリジェントデザイン理論家Dr. William Dembskiと仲間たちのブログUncommon DescentのThomas Cudworthは次のように書いている:
This has a theological consequence. If evolution is out of God’s control, it is incompatible with the notion of providence the notion that God provides for the future needs of the earth and its inhabitants. God can hardly, for example, provide for the need of Hagar in the desert, if he can’t even guarantee that the human race, of which Hagar is a member, will ever emerge from the primordial seas. (The radical contingency of the Darwinian mechanism is captured well by Darwinist Stephen Jay Gould, when he wrote that if the tape of evolution were rewound and played again, the results would be entirely different. Once God sets a truly Darwinian process in motion, he has no control over whether it will produce Adam and Eve, a race of pointy-eared Vulcans, or just an ocean full of bacteria.)

これには神学的帰結がある。進化が神の制御のもとにないなら、神が地球とその上の居住者のために将来必要なものを与えるという、摂理の概念とは相いれない。たとえば、神はハガル[創世記16章: Abrahamとの間にIshmaelをもうけた女性]が構成員である人類が原始の海から出現することすら保証できないので、ハガルが砂漠で必要とするものを準備できない。(ダーウィンのメカニズムの根源的な偶発性はダーウィニストSteven J. Gouldによてうまく表現されている。彼は進化のテープが巻き戻されて、再生されるなら、結果はまったく違うものになるだろうと書いている。神がひとたびAdamとEveを生み出す過程を起動したら、AdamとEveが生み出されるか、尖った耳のバルカン人が生み出されるのか、あるいは細菌に満ちた海が生み出されるのか、神は制御できない。)


創世記21章9-21節を持ち出してくるところは素直すぎ。が、実際のところ、インテリジェントデザインの論拠はこの程度のものかもしれない。

一応ストーリーをたどっておくと...

サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、アブラハムに訴えた。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」 このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。 [創世記21:9-10]


Willem Bartsius: "Abraham Pleading with Sarah on Behalf of Hagar" (1631) at Los Angels J. Paul Getty Museum.


神はアブラハムに言われた。「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」

アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。 [創世記21:14]


Giovanni FrancescoGuercino: "The Expulsion of Hagar and Ishmael" (1658) at Milan, Brera.

革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」 [創世記21:15-18]


Giovanni Lanfranco: "Hagar in the wilderness" at Musee du Louvre Paris.

神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。 [創世記21:19]


Claude Lorrain: "Landscape with Hagar, Ishmael and the Angel" (1660) at London National Gallery.

神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。[創世記21:20-21]
(聖書訳は日本聖書協会新共同訳による)
最後のシーンは象徴的に記述されることが多く、井戸そのものが描かれることあまりない。それはさておき、この最後シーンのために、この地形を神様は創造時点で仕込み済みというのが、Thomas Cudworthの前提。

このハガルのエピソードを事実だとする立場に立てば、進化はもちろんのこと、"古い地球の創造論"も認められないだろう。何故なら、生物進化と同じく、局所的地形は偶然に支配されそうで、地形を仕込むのも無理ぽいから。










最終更新:2010年05月15日 20:24