慈悲深い神と魂の存在を信じる者に幸いあれ(2)


インテリジェントデザイン支持者たちの反"進化論"な主張の一つに、進化論はモラルハザードを引き起こすというのがある。たとえば、これ

if life is an accident, why not alter it to suits our needs? If we can, why not make human clones? Why not abort unwanted children? Why not euthanize the “useless” aged? Why not end a challenging marriage? Why not cheat on our taxes? Why not “steal, kill, and destroy?” Ordinary people intuitively recognize that with no overarching, inherent purpose in life, anything that is consistent with the purposes created in our own minds is acceptable. “If there is no God, all things are permissible.”

生命が偶然のものであるなら、なぜそれを私たちの必要に応じて変更しなてはいけないのでしょうか?もしできるなら、何故ヒトクローンを作ってはいけないのでしょうか?何故、望まれぬ子を堕胎してはいけないのでしょうか?何故、もはや働けない老人を安楽死させてはいけないのでしょうか?何故、結婚制度を廃止してはいけないのでしょうか?何故、脱税してはいけなのでしょうか?何故、盗んだり、殺したり、破壊してはいけないのでしょうか?普通の人々は、生命に本来の目的がないなら、心に浮かんだ目的と合致するものならなんでも許容できると直感的に認識します。「神がまったくいなければ、なんでもは許される 」


神が存在するだけでは、ちっちも倫理的にならないという、対抗議論は、いくらでも作れる。Kumicitからは次のような対抗議論を提示できる。(オリジナリティはないかもしれないが)

対抗議論


前提

  1. 超越的な(transcendant)神が存在する。
  2. その超越的な神は慈悲深い(benevolent)
  3. その超越的な神が、魂を創造して、人間が誕生したときに吹き込む[霊魂創造論]
  4. 「魂のない自動人形」は存在しない

神は慈悲深い

不幸な人生を送り、若くして死亡した人を見て、「いまひとたび、彼/彼女が生きることができるなら、次は幸せに生きてほしい」と願うことはないだろうか?

人がそう願うなら、慈悲深い神なら、なおさらそう願うだろう。そして、神が全能であるなら、それを実現できるだろう。肉体が滅びても、魂が不滅ならば。


不幸のどん底にいる人を見たら

もちろん、残虐な方法で、その人を殺すべきだ。そんな不幸な人生を送り、その最期も不幸であったなら、慈悲深い神は、彼/彼女に、いまひとたび生を与え、幸せに人生を送れるようにするだろう。そう、より不幸な最期を迎えさせることこそ、善なのだ。そうすることで、未来の幸せを確実なものにできるからだ。

もし、慈悲深き神の敬虔な信者であるならば、迷うことなど何もない。


「魂のない自動人形」という前提をなくしても、なお外道な行為を善と呼べる。「神が存在し、神が人間を創造した」という神話だけでは何の効果もない。さらに「神が掟を定め、掟を破った者に懲罰を与える」という教義を加えない限りは。







最終更新:2010年05月18日 00:51